長野県 - 長野・北信
黒姫高原はこういう風景が一面に広がっているところなので、旅行で訪れたり別荘を建てる著名人がいたりするわけです。C.W.ニコルのおっさんが荒れた里山一帯を買い取って自然保護活動やって有名になったのもこのあたり。 丘の上に見えるのが童話館。黒姫にゆ…
野尻湖は長野県北部、新潟県との県境近くの信濃町にある湖です。 標高600mの高原に位置するので、1920年代に外国人が避暑地として別荘開発したのが始まり。カヌーやヨットに遊覧船、あとナウマンゾウが楽しめます。 最後に変なのが混じっていましたが、お使…
スキーシーズンに野沢温泉に行くと凄まじい混雑で、ただでさえ狭い道路に大勢の観光客がひしめき合っている様はアメ横とか原宿の竹下通りにも劣らない。 「田舎の温泉街だから空いてそう」という知人の言葉を信じて行った数年前の私は迫り来る人波ビッグウェ…
三島由紀夫に『盗賊』という小説があって、志賀高原のホテルが舞台の1つなのね。主人公の男性がホテル内で会った女性に一目ぼれ。2人は楽しい時間を過ごし婚約までしたんだが、女性は完全に遊びのつもりで結婚する気は無かった。 絶望した主人公は、男に弄…
(幸村要素は)ありません。長野市の松代は真田の城下町ですが、真田信之(幸村の兄)の家系なのです。幸村と比べると信之は地味なので一般人には知名度が低く、「ロザンの宇治原じゃない方」「横浜駅きた西口」などと親しまれていましたが、『真田丸』で大…
「佐久間象山って何した人?」とは答えにくい質問ですな。薩長を繋いだ坂本龍馬とか江戸開城させた西郷隆盛のような、分かりやすい成果が無い。数打ちゃ当たるで発明品数は多いドクター中松の方がまだ分かりやすい。というかグーグル検索民、ドクター中松を…
1944年7月サイパン陥落。米軍による本土攻撃の可能性が現実味を帯びた大日本帝国は、海岸線に近い東京に首都機能を置いておくのは危険と判断。大本営・皇居・政庁の内陸移転を検討する。選ばれたのが、信州の松代(現 長野市)であった。その理由は・・「信州…
武田信玄と上杉謙信による歴史的合戦「川中島の戦い」、その跡地は公園として整備され、市立博物館がそこにあるのです。戦国好きで武田推し・上杉推しには訪問不可避な場所となっております。 概要 アクセス 入館料 内容1 川中島古戦場跡 内容2 博物館の展…
小布施の名物と言えば、栗と葛飾北斎です。 葛飾北斎は晩年、小布施在住の友人 髙井鴻山を訪ねにやってきて、そのままこの土地が気に入って長期滞在し、作品も残しております。 当時は天保の改革(1830-1843)が行われており、財政再建が目的なのになぜか芝…
小布施は栗の他に、葛飾北斎が滞在していた町として売り出しているが、その北斎が小布施に来たきっかけを作ったのが、髙井鴻山(1806-1883)である。 鴻山の記念館がこちら。 (髙井さんの肖像。小布施町HPより) 髙井家は北信きっての豪商。 強力な財政バッ…
小布施のガイドマップに急須の資料館があると書いてあったので付近まで来てみたが、見当たらない。 いったいどこにあるんだろうか。 看板があった。 木で隠れていたから、一度思いっきり素通りしたでござる。 しかしもろ民家のようなんですが・・ 右手を見る…
小布施町の歴史民俗資料館に来ました。 案内板があるんだが、もはやその文字が見えないレベルで開館アピールをする貼り紙がされている。 小学校だった建物を利用しているそうです。 土日のみの開館で、入館料は100円。 古墳の石室の模型があるぞ。 古墳と言…
小布施の町立美術館です。 敷地は結構広くて公園みたいになっており、展示室が2つあるほか、小布施出身の日本画家 中島千波の専用美術館、祭りの屋台を飾る倉庫があるのです。 さっきの敷地入口から歩いて1分くらいで、ようやく美術館入り口に到達した。 ・…
中野土びな館という場所ですが、ここは中野ではありません。 小布施です。 栗かの子で有名な竹風堂の一角にあります。 大型観光バスが次々に立ち寄るなど、おそらく小布施町で最も混雑している部分です。 しかし中には誰もいない。 みんな栗を食べにいってし…
こちらは長野県中野市にある日本土人形資料館である。 近くまで行くと、青看板に名前が載っている。 そんなに有名なのか、この資料館。 ちなみにこの道をまっすぐ行くと湯田中・渋温泉に向かうのだが、中野市さんサイドとしてはそんなことより土人形資料館へ…
長野県中野市の、陣屋跡 兼 県庁跡です。 KEY COFFEE! 飯山~千曲を結ぶ「谷街道」や、群馬県草津へ続く「草津道」などの街道があったという中野。 人の往来の多さに目を付けたのか、江戸時代には幕府の天領になっている。 そして天領当地の責任者と言える…
長野電鉄の小布施駅に、昔の車両を展示している広場があります。 通称「りんご電車」の2000系です。1957年~2012年と半世紀以上も使用され、長野電鉄の顔となっていました。 今では東急からもらった車両や成田エクスプレス・小田急ロマンスカーが走っていま…