長野市立博物館、川中島古戦場
武田信玄と上杉謙信による歴史的合戦「川中島の戦い」、その跡地は公園として整備され、市立博物館がそこにあるのです。戦国好きで武田推し・上杉推しには訪問不可避な場所となっております。
概要
アクセス
長野駅からバスが出ています。善光寺口3番乗り場「古戦場経由 松代行」で30分弱、「川中島古戦場」で下車すると目の前です。バスの本数は1時間に2本。
時刻表は ↓ 。片道480円。Suica等ICカードはダメでござる。
車だと長野駅から20分程度ですかね。長野ICの近くです。
ちなみにJRに川中島駅がありますが5km離れていて最寄りでもなんでもありませぬ。
入館料
博物館の入館料は300円です。プラネタリウムもあって土日祝日に上映しています。別料金で250円。
ところで建物は日本建築学会の作品賞受賞という名誉あるものだそうです。たしかに、横に、ながいなーって感じがしますね()
内容1 川中島古戦場跡
武田vs上杉のバトルとして有名な「川中島の戦い」は5回開催されましたが、ガチバトルしたのは1561年第四次の戦いだけだそうですね。
武田軍が陣を置いていたのがこの場所で、八幡社という神社が建ってます。
冒頭にも貼ったこの像が名物になっています。上杉謙信が武田信玄を斬りつけ、信玄が手に持つ軍配団扇で刀を受けるシーン。どう考えてもフィクションですが軍記物語として語り継がれているし、まぁ面白いから良いと思う(適当)
境内には「執念の石」があります。謙信が信玄に斬りかかったとき、傍らにいた信玄配下の原大隅が応戦したのだが、謙信を討てなかったので、悔しさのあまり槍をこの石に突き刺したのだ。
大石に穴を開ける位なので彼はよほどの怪力だったと思われるが、貫通してはいないので、槍を突き刺した手への反動はヤバかったのではないか。2重のショックにより原大隅くんは憤死したという(新説)
あと古戦場内に蕎麦屋があります。「横綱」って店名のとおり大盛り蕎麦で有名です。価格はサラリーマン向け。地酒も数種類置いています(重要)
内容2 博物館の展示
川中島合戦の関係はあまりない
続いて館内です。川中島の戦い関係が多いのかと思いきや、この屏風1つでおしまいです。戦いの模様を予習して来たんだけど、なんも役に立たなかったでござる(終)
合戦の模様を描いたものなので中に謙信や信玄が紛れているんですけど、屏風がデカすぎて人が枝豆サイズだから全然みつからない。もはや「ウォーリーを探せ」のような別ゲームになっている。
いちおうビデオが流れていて、合戦の概要・屏風の説明を聞くことができます。
展示内容が少ないのは、そもそも合戦に関する資料が殆ど無いからだそうです。具体的な記録は武田側の軍記書物『甲陽軍鑑』くらい。物語モノは結構あるそうですが、博物館としては史実扱いするわけにはいかんのでカットしてるんでしょうね。
しかしせっかく古戦場跡に建っているのだから、面白おかしく扱っても良いのではないかと思います。
長野市全般としての紹介
市立博物館なので、長野市の歴史や風土・文化を概略的に扱ってます。
風土関係だと台風19号でド派手に氾濫した千曲川は最重要ですね。写真は氾濫のたびに近隣の寺が「ここまで浸水しました」ってのを柱に記していたもの。1番高いところで1896年氾濫時の1m47㎝。たぶん床上浸水の数値だから、1Fほぼ全滅である。
長野市ハザードマップ(リンク)を見てみました。赤い箇所は陸上10mほどまで水が来るそうです。川のまわり真っ赤じゃないか!普通に住宅街や学校のある地域です。
歴史ネタは縄文から揃えております。古墳時代の勾玉はイルカのキーホルダーのような形をしている。古墳時代の豪族はイルカが見たかったのでしょうか。内陸だし。
善光寺のほか、修験道で有名な戸隠・飯綱もあるので、仏教関係者が多い街だったそうです。江戸時代のものとされる、善光寺への道標です。
指で方角を示している。凝った装飾ですねぇ。ただ中指~小指の形おかしく無いですかね。自分の手で再現してみようとトライしたけど、指の骨を抜かない限り、ちょっと難しいということがわかった。
最後に、長野市を構成する村々の文化の紹介。芦之尻という山間の集落では、しめ縄で人の顔を作り道祖神の横に置いておく不思議な風習がある。こんなん置かれるとか道祖神困惑するだろうな。なんでこんなん飾るのか、理由は不明だそうです。祀るときには酒も供えるそうなので、酔っ払ってノリで作ったものだと思われます(大学生並感)
おしまい
【滞在時間】90分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】長野市立博物館