松代象山地下壕
1944年7月サイパン陥落。米軍による本土攻撃の可能性が現実味を帯びた大日本帝国は、海岸線に近い東京に首都機能を置いておくのは危険と判断。大本営・皇居・政庁の内陸移転を検討する。
選ばれたのが、信州の松代(現 長野市)であった。
その理由は・・「信州は神州に通じるから」。は?
いや他にも理由はあるわけだが、これはマジです。落ち着いて欲しい。
当時の大本営は本気で「信州人は純朴で人情に篤いから、天皇陛下の御座所に相応しい」「松という字は縁起が良い」として松代を選んでいるのだ。
占星術でスタメンを選んでいたサッカーフランス代表ドメネク監督でも、国を任されたときはもう少しマシな手法を思いついたかもしれない。
というわけで松代の山中、10kmに渡る地下壕をブチ抜いてそこに皇居や政府機関を置こうとしたのだ。帝愛の地下シェルターどころじゃない。全工程の8割が完成したが、工事は強制終了となった。終戦を迎えたから。
他の軍事施設もそうだが、進駐軍にバレないよう関係資料は片っ端から破棄されたので地下壕建設の記録は殆ど残っていない。たださすがに東京ドーム半分ほどの面積がある地下壕を埋めるなんてことは(阪神ファンならやるかもしれないが)できませんでした。
それを戦争の遺構として保存し、一般公開しているのです。
松代駅バス停から徒歩15分。入場は無料。
ちなみに一連の施設で「大本営舞鶴山地下壕跡」というのが近くにあるのですが、そちらは外から見るだけでトンネル内には入れません。
トンネル内のマップ。
さっき書いたように全長10kmもあるんですが、一般公開は500mのみ。他の部分はおそらく予算の都合で落盤防止処理とかされてないのでは。スネークしたいなら止めはしないが、終戦後70年ぶりに殉死者名簿が更新されるであろう。
しかし往復1kmあると思うとこれでも長いやね。
では入坑しますか。
観光用の鍾乳洞と違って戦時遺構だから、小さい落石の恐れも0では無いので、ヘルメット着用です。
中は鍾乳洞と一緒で涼しいですね。ライトが設置されているので暗くはないです。
公開用通路以外にはフェンスが張ってあり立ち入りできません。侵入したとしても明かり無さそうなので、漆黒の闇の中を手探りで彷徨う羽目になりそう。コウモリのおやつになりたくなければスネークは控えた方が良い(現地にコウモリはいませんでした)
当然ですが戦時中はシールド工法どころか重機すら無いので、手掘りだそうな。岩壁が荒くデコボコしてるのはそのせいでしょう。
松代が選ばれた理由の1つに、この山の岩盤がめちゃめちゃ強固で銃撃されても耐えられる、という点があった。そのクソ硬岩盤を労働者1万人動員して、12時間交代制で突貫工事させていたのだ。帝愛がホワイト企業に見えてきたな。
労働者の待遇については、建設時の記録が残っていないので、実際に働いていた人の証言のみ。
地下壕の近くにある山寺常山邸という施設の展示資料によると、
「ダイナマイトの不注意で死者はしょっちゅう」「多い日は1日6人が死んだ」「飯場の葬式に25~6回いった」。とりあえず地獄だということは分かった。
また朝鮮人労働者がずいぶん駆り出されていたようで、これが「強制労働だ」「いや自分から申し出たんだ」と、いつもの話になっている模様。
掘削現場が生々しく残っている部分もあって、天井にロッド(棒)が突き刺さっていたりする。岩盤を掘る時、この削岩機ロッドを岩に突っ込んで穴を開け、ダイナマイトを仕掛けて発破するそうですが、爆発の衝撃で岩から抜けなくなったロッドが結構あります。
坑道内にはトロッコを敷いていて、線路の枕木跡を見られます。掘り出された石くずをトロッコに乗せて手押しで搬出してました。想像するだけで疲れる。
そんな遺物はいくつかあるんですが数は少ないので、基本は暗い坑道内を淡々と歩くことになります。回りに誰も居ないと、自分の足音しか響かなくなる。無の世界。耐え切れず「ぬわああああぁぁ」と発狂して叫びそうになったが恐らく入り口付近の人には聞こえてしまうので止めておいた。
そしてここが終点です。あとは引き返して終わり!
ところでこの大本営計画、戦時中は皇室に知らされてなかったらしい。戦後になって昭和天皇が松代を訪れたときのコメントが「この辺に戦時中、“無駄な穴”を掘ったところがあるというが」。不謹慎だが大本営必死の大工事が「穴」の一言で切り捨てられてて笑ってしまった。
おしまい
【滞在時間】30分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】松代象山地下壕 - 長野市ホームページ