髙井鴻山記念館
小布施は栗の他に、葛飾北斎が滞在していた町として売り出しているが、その北斎が小布施に来たきっかけを作ったのが、髙井鴻山(1806-1883)である。
鴻山の記念館がこちら。
(髙井さんの肖像。小布施町HPより)
髙井家は北信きっての豪商。
強力な財政バックアップのもと、鴻山は15歳で江戸や京都へ出て多様な学問を習得。
34歳で家を継ぐまでは、小布施よりも別の土地に遊学に出ていた期間が長く、この間に多くの知識人とお友達になっている。
その鴻山フレンドの一人が、葛飾北斎というわけ。
まぁ北斎は鴻山より46歳年上であり、結果的には鴻山が北斎に師事していたという関係である。
まず入場すると、左手に文庫蔵。
鴻山の大量の本コレクションを収納していたところであるが、内部は撮影禁止。
同じ町立施設なんだから、写真がんがん撮らせてくれた歴史民俗資料館を見習ってどうぞ。
ここは常設展示の役割を担っているようで、鴻山の年譜や所蔵芸術品を飾っている。
(髙井鴻山『妖怪図』)
書画も詩も儒学もなんでもござれだった鴻山くんなので、自ら絵画も残しております。
晩年にひたすら描いていた妖怪画が有名。
幕末の激動期で、複雑怪奇な政情に命を散らして逝く友人たちを見て、もう現世を超えて霊的な次元に救済を探し出したため妖怪画を製作したと言われている。
もしくは、ただ単にゲゲゲの鬼太郎が好きなだけだったのかもしれない。
(これも『妖怪図』髙井鴻山)
なお特徴としては、妖怪たちは殺伐としているわけでなく、なんかのほほんと談笑したり囲碁を打ったりしている点が挙げられるそうです。
ただでさえ現実が戦闘だらけの悲惨な状況なので、彼岸ではせめて楽しくということでしょうかねぇ。
(髙井鴻山による幟。小布施町HPより)
地元の神社のための幟も数多く書いてあげたそうです。
館内には数メートルに及ぶ巨大なものが展示されています。
あとで書きますが、髙井鴻山くんは実はお金に困っていたので、アルバイトとして書いていた説があるそうな。
世情は厳しい(悲)
文庫蔵から、隣の「翛然楼(ゆうぜんろう)」へは内部で繋がっている。
鴻山が書斎・訪客との応接間として利用していた。
葛飾北斎が初めて小布施の鴻山を訪ねたのは1842年で、83歳の時。
よほど小布施が気に召したようで、2年後に再訪して死去する前年の89歳まで滞在している。
2階からは北斎が好んだという雁田山が見渡せるけれども、時期によっては庭の木の葉っぱが見事に咲き乱れ、おかげで見えないかもしれない。
そして2階には何故か一弦琴があって、自由に弾くことができます。
シーズンだと大勢の人でにぎわう中で、演奏者それぞれが素人らしい適当な音色を町中に響き渡らせることであろう。
端まで行くと、蔵がさらに2つある。
祭りの屋台の保管に使われていたものと、酒造に使う米の籾を貯蔵していたもの。
髙井家は酒造をメインで商売していたのである。
この時2つの蔵では企画展を担当しており、鴻山の妖怪絵をひたすら展示していた。
ゲゲゲのげ~。
蔵の向こうは反対側の出口。
奥に行くと駐車場です、ちゃんちゃん。
というわけで髙井鴻山の富豪・文化人っぷりが分かる記念館になっている。
しかし商売的な才能が皆無だったようで、彼の代で大量の借金を拵えてしまい、鴻山69歳の時に髙井家は破産しております。
だがその辺をあんまり言うと、小布施に文化をもたらした貢献者をディスってしまうので、記念館では特に触れないようにしている模様。
以上。
【交通手段】小布施駅から徒歩10分
【入館料】300円
【滞在時間】40分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】小布施町公式HP