象山記念館
「佐久間象山って何した人?」とは答えにくい質問ですな。薩長を繋いだ坂本龍馬とか江戸開城させた西郷隆盛のような、分かりやすい成果が無い。数打ちゃ当たるで発明品数は多いドクター中松の方がまだ分かりやすい。
というかグーグル検索民、ドクター中松を勝手に殺すんじゃない(存命です)
激動の幕末期にあって先見的な視点を持った思想家だったそうです。
幕府の中枢部で海防政策したこともあれば、私塾で門人を多数抱えてその中に吉田松陰・勝海舟・坂本龍馬など大物がいたことも!勝海舟なんて妹が象山の妻になっている。。のだが、勝は象山のことを「随分軽率のチョコチョコした男」とボロクソに評している。妹の身にもなってくれ。
晩年は一橋慶喜や皇族に請われて興国論を説きに京都へ出かけたり、各藩の有力者と意見交換するなど、維新の中心に近い立ち位置だったんですが、攘夷派によって暗殺されちゃうんですね。生き延びていれば開国後の日本を導く政治家として、板垣退助とかより重要人物となったかもしれない。
と思ったけど、性格に難ありなエピソードが多いので、戦乱の時代こそ輝く人物だったのかもしれません。
「隣人夫婦の喧嘩の仲裁に呼ばれたが話しているうちに象山がブチギレてしまい、慌てた夫婦に逆に宥められた」「密航を犯した吉田松陰と共に師である象山も捕らえられた際、松陰はさっさと謝って終わらせるつもりだったのに象山が幕府の官吏に喧嘩を売りまくったせいで死刑にされかけた(自宅蟄居9年にもなった)」
乱世の奸雄・治世のクレーマーである。
そんな幕末の志士達に影響を及ぼした人物が松代出身なので記念館があるわけです。
松代駅バス停から徒歩10分。入館400円。
展示物は象山の一生の紹介、本人の遺品。展示室はこの部屋と、通路を挟んでもう1部屋。所要30~40分ってところ。
部屋の中央に鎮座している象山どの。身長は186㎝あったらしい。当時の平均身長は160㎝程度と言われているので、現代に当てはめると196㎝だろうか。もはや電柱である。
いかつい表情してますが、放つオーラが凄まじかったらしい。黒船ペリーが来航した際、象山も現地に見に行きましたが、そこで象山を見かけたペリー、ビビってしまって思わず頭を下げて立ち去ったそうな(童門冬二『佐久間象山 幕末の明星』 より)
展示品ですが撮っていい奴とダメな奴があった気がする。撮って良いのだけ撮ったつもりですが違ってたらメンソーレ。
象山がやっていた私塾に掛けていた額縁で「海舟書屋」と書いてある。意味は不明。これを塾生だった勝海舟が見て、「海舟」を自分の号にしたんだと。
妹が嫁いでいるし号もそうだし、勝さん象山と仲悪いようには思えないのだけれど、どうしても気に食わない点があったのだろうか。トイレの便座を上げっぱなしにしない、とか。
象山が幕府勤めをしていた際、献策した「海防八策」。象山は松代藩に勤務していて、藩主の真田幸貫が幕府の海防担当になったので、一緒に江戸に付いてったんですね。
近代的な海軍編成を訴えるこの提案書を提出したのだけれど、幕府では採用されませんでした。たぶん横に長すぎたので誰も読まなかったのだと思う。
探求心の強い象山は発明品にも挑戦していて、ガラスや電信に医療機械、漢方薬やワイン醸造も試していました。特に電信機は日本で初めて実験に成功したのです(左)。
地震予知機なんてのも作っています(右)。磁石に400g弱の重りを付けておき、地震が近づいてきて“気が満ちる”と重りが落ちて知らせてくれます。すごいね!電信づくりで培った科学的な姿勢、どこにぶん投げてしまったのか。
大砲鋳造もしてたんですけど、試射をミスって寺の池に着弾させて盛大に破壊したり、大砲自体が爆発四散したこともありました。中国製かな?
寺の事件はそこが幕府直轄地だったので大問題になりましたが、象山は誤射を認めず「大砲の弾が池にあった?その辺のガキが持ち込んだんだろ」と子供のせいにする畜生っぷりを披露。
書画も出来る人で、水墨画を何点か残しています。独学で極めたらしい。山の頂上がサボテンか爆撃後のキノコ雲に見えたり、木々がブロッコリーっぽい。どこのユーキャンで学んだのかな?
とまぁ、こんな感じの象山グッズが見られるのでした。
おしまい
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に2~3人)