旧山辺学校校舎
松本市にある、1885年建築の旧小学校校舎です。
松本には国宝になった開智学校のほか、旧制高校や裁判所の建物なんかも残っており、「規模大きめの公共建物は残す」市民性があるようです。自称 学都 ですからね。
アクセスは松本駅バスターミナルから「美ヶ原温泉」行きで20分、「新井橋」停留所から徒歩15分です。場所はアルピコ交通HPからご確認ください。
入館料は200円です。
館内の模様。2F建て、各教室が展示室となっており、学校の建築経緯や生活史、民俗資料が並べられています。
そんなに広いわけでは無いので、ゆっくり回っても30~40分ってところ。
(明治時代頃の山辺地域の様子)
まず学校建設の経緯ですが、明治になって全国各地に学校が整備されていく中、この山辺地域でも1873年に廃寺を校舎として開校したそうです。
廃寺になった理由は、廃仏毀釈運動の高まりで坊さんが寺から叩き出されたからなんですが。校舎が簡単に手に入ったよ、やったね!坊さんは涙目。
しかし10年後、住民たちも落ち着いて仏心を取り戻したのか、この寺の復興運動が起こり、今度は学校が移転しないといけなくなりました。あらあら。
(1885建築時の校舎)
というわけで新たに作ることにしました(唐突)。
寺を売却して得た1,500円(当時)を建築費に充て、当時流行の西洋スタイルを取り入れた和洋折衷の校舎です。
工事途中で、予算が1,500円足りないことが分かりました、、、当初の見込みより倍増してるじゃん。ガバガバすぎる。担当課長はワサビ一気食いの刑に処したほうが良い。
足りなかった分は住民の税金と寄付でまかなったそうです。
(国宝の開智学校)
せっかく出来たNew校舎ですが、同じ松本に国宝☆開智学校があるので比較されてしまいます。こちらは当時の先進技術を用いた擬洋風建築・日本で作れないガラスは輸入するなど、豪勢の限りを尽くしているのです。
なので民衆からは「開智学校はギャマン(ガラスのこと)学校。山辺学校は、、、障子学校www」とネタにされていたようです。
(左が山辺学校、右が開智学校)
まぁ予算額が全く違うので仕方ないんですがね。
山辺学校の建築費は1,500円ですが、開智学校は11,100円だそうです。10倍近く違うじゃないか。
(↑ 館内展示でこう書いてあったんですが、さっきの3,000円の話と相違するので、これは建物建築費のみで地盤工事などは含んでないようです)
開智学校の資金力は、城下町が学区なので商人や職人など富裕層が大勢おり、彼らの財力が大きかったそうです。松本周辺で最初に出来た小学校というのもあるかもしれません。
庶民的な山辺学校ですが、開智学校に勝てそうな点が1つあります。校歌です。
なんと38番まであるのだ。長スギィ!山辺地域の地理・歴史・伝承などふんだんに詰め込んでおります。餃子の王将の社訓読み上げもビックリです。
校歌斉唱にはオルガンを使うわけですが、地方の人々はそもそもオルガンが何かを知らないので、荷車に載せて演奏しながら村中ひき回したそうです。絵面がシュール。天皇行幸みたいですね。
学校の話はおしまいで、残りは郷土ネタです。戦時中は都会から大企業の工場が疎開して、山辺では軍用機を作っていました。防空壕を兼ねた地下工場・半地下工場で営業していたそうです。そのため松本では唯一、空爆被害を受けました。
そのときのヘルメットがこれだそうですが・・麦わら帽子と間違えたのかな?ゲーム開始時の勇者でももうちょっと良い装備もってると思うぞ。
この地域特産の「みすず細工」というもので、笹で編んでいるそうです。・・ますます燃えそうじゃないか。
編み物といえば、こんなのもあります。通称「ムカデ」。
2月8日にこれを町内引きずり回して、最後に丸めて燃やすそうです。家々の厄を持ってってくれるということですかね。他の地域ではヘビとか龍とか呼ばれることが多い気がしますが、山辺ではムカデがよく出るからこの名前なのかな?嬉しく無いなぁ。
そんなんでした。おしまい。
【滞在時間】40分
【混雑度】★★(他に数人)
【URL】旧山辺学校校舎