C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。車が無いので公共交通機関利用で粘っております。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

上田市立 丸子郷土博物館

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丸子町は2006年に上田市に吸収された市町村ですが、明治~昭和にかけて生糸生産の一大産地となってアメリカにじゃんじゃん輸出しており、この世の春を謳歌していたのだ。

そんな青春を懐かしもうという地元ネタ資料館です。廃線となった上田電鉄の丸子線の資料も若干あります。

 

 

アクセス・入場料

車でのアクセス

上田駅周辺の市街地からは車で30分弱です。

グーグルマップで見ると南側の道路が入り口かな?と思うわけですが、残念ながら罠です。塀に阻まれて死んでしまいます。

北側に面している道路から入りましょう。駐車場は広いので余裕で停められます。

 

バスでのアクセス

上田駅から鹿教湯線に乗車して1時間弱、「丸子郷土博物館前」下車すぐ。・・なのですが、本数は2~4時間に1本というレアポケモンです(瀕死)

途中の「丸子駅」停留所までは1時間に1本出てるんですが、そこから5km歩くんですね。どうしてそんなところに博物館建てたのか。

 

入館料

100円です。

 

丸子の歴史1 木曽義仲の挙兵の地

丸子が歴史の表舞台に登場したのは、意外にも『平家物語』だそうです。木曽義仲が拠点を構えており、ここから出兵して平家相手に連戦連勝していって京都を奪還するわけですね。まぁそのあとは頼朝勢によってミートローフにされるわけですが。

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義仲が居住していたのは「依田城」。周辺には馬を扱っている牧が多くあり、合戦用の馬を調達するのに適した地だったそうな。

依田城の場所はよく分かってないそうですが(小並)、現地には「義仲挙兵の地」と勇ましく書かれた柱をぶっ立てております。

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(木曽の義仲邸宅跡地の横にある旗挙八幡宮

しかしここで疑問が。木曽義仲は名前の通り木曽の出身なのですが、木曽町に旗挙八幡宮なるものがあり、「以仁王の令旨を受けた木曽義仲がこの地で旗挙げ(挙兵)を行った」とされております。

あれ、2回も旗挙げしてるの?以仁王の令旨は1回きりなんですけどね。なんだか忘年会や送別会を何度も何度も行う職場に似ていますね。

 

同じく木曽にある義仲館の展示やwikiを見ると、義仲はどうも木曽で旗挙げ→依田城に異動して戦力集め→本格的な戦闘行動開始、という経歴なようです。木曽町は木曽での挙兵を、丸子は依田城での挙兵を、それぞれ旗挙げと主張しているわけですね。

しかし旗挙げの地が2か所あるのは混乱します。木曽と丸子で旗あげゲームやって、勝った方がハタ坊を名乗ると良いと思います。

 

丸子の歴史2 製糸業の大ブームと鉄道敷設

明治時代の我が国の産業といったら生糸しか無いわけですが、長野県では諏訪・岡谷に大規模工場が立ち並んで日本経済を牽引していったことが有名です。

しかし明治初期の一時期は、長野県の生糸生産の半数を丸子が占めていました。

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(展示室内に製糸業の機具がいっぱい。ただ暖房は無いので冬場は防寒着必須)

丸子は江戸時代から養蚕が盛んだったそうです。農業では使い物にならない荒れ地や傾斜地が多くあり、農家としては厳しい暮らしだったと思いますが、それらの土地を桑畑にすることで活路を見出したようです。かしこい。

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それら農家は副業として家で細々とやっていたけれど、明治になると依田社や旭社といった企業が設立され、繭の購入や製品検査・輸出を取りまとめて行うようにしたそうだ。集約して合理化したんですね。

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20世紀になるとアメリカで絹産業が興隆して大量生産を始めたので、日本の生糸需要が爆あがりしたそうな。丸子の各社もがんがん輸出。この頃が丸子の全盛期です。

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輸送のために鉄道まで敷きました。1918年に丸子~大屋まで開通した丸子電鉄です。そのあと更に上田東まで延伸されたので、丸子民はこれで上田のアリオまで行けるようになりました。やったね、デリシアより品揃えあるじゃん。

さらに上田電鉄下之郷駅からも延伸があり、1926年に西丸子駅まで開通しました(西丸子線)。2つも路線があるなんて、大都会だな丸子。

 

まぁ今ではその路線、みんな死んでるんですけどね(稲川淳二

位置関係が分からないので(めちゃめちゃ雑に)路線が通っていたであろう場所に線を引いてみました。駅の正確な場所を知りたい方は、グーグルマップにスポット登録されているので検索すると良いです。

右側が大屋~丸子の丸子線、左が下之郷~西丸子の西丸子線。丸子の民は上田に出るのに2通りのルートがあったわけですが、哀しいことに両路線とも1960年代に廃線済み。モータリゼーションの時代には勝てませんねぇ。

 

ちなみに丸子線の方はwikiに、さらに悲しい顛末が書かれていた。

上田東~大屋間は信越本線と並走していたのだが、信越本線を複線化するというので線路を国鉄に召し上げられてしまった上での廃線らしい。

国鉄「どうせ君ら赤字路線なんだから、線路をこちらに譲り渡して廃業したまえ^^」

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まぁ鉄道が廃線となった1960年代よりもはるか前、1930年代の時点で丸子の養蚕は斜陽産業になってしまったようです。お得意先アメリカ発の世界恐慌ですね。

メリケンが生糸買ってくれないからバンバン企業が潰れたり、合併したりして生き残りを図るも、戦後には1社を除いてみんないなくなり、別の会社が入ってきて軽工業の町になっていきましたとさ。

ちなみに画像は「巴型銅器」という弥生時代の宝具だそうです。処刑用武器ではございません。

 

とある地方の町の盛衰を知り、最後は「あぁ・・(嘆息)」となる資料館でした。

おしまい

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰も居ない)

【URL】丸子郷土博物館 - 上田市ホームページ