窪田空穂記念館
くぼた うつぼ と読むらしい。
建物の入り口がどこか分からない。
石畳っぽいのが奥の方に続いているけれど、見た感じ物置な気がするなぁ。
物置じゃなかった、入り口だった。
暗くて遠めからじゃ見えなかったが、ちゃんと開館中って札が下がっている。
入館料は300円です・・が、消費増税後は310円になるそうです。
内装はけっこう新しい。床の黒光りと控えめな照明により厳かな気品を漂わせており、サンダルで来た人は後悔するかもしれない。革靴+スーツで出直そう。
展示内容は窪田空穂の半生の説明+書や書画+愛用品てなところ。
(18歳の空穂さん。右側)
1877年、松本の富農に末っ子として生まれた窪田空穂。
18歳で松本の旧制中学を卒業すると、親の反対を押し切ってほとんど家出みたいな上京をし、東京専門学校(早稲田)の文学科へ。
よほど文学の研究をしたかったそうだが、なのにわずか1年で挫折して帰郷。
親の意向で近隣の家に養子入りするのだが、やはり田舎暮らしが気に食わないのか1年で抜け出し、また上京して早稲田に復学する。
なんだか1年おきに脱走してますね、この頃の空穂が尾崎豊の『卒業』を聞いていたかどうかは定かではない。
これだから末っ子は・・(偏見)
ドロップアウトしかけた早稲田を、今度はちゃんと卒業する。
そのときの写真。
前から2列目、左から2番目が空穂です。
なお最前列、左から2番目は大隈重信です。
(空穂が結婚相手に送ったラブレター)
大学を出た後は代用教員のアルバイトを一時期やっており、そのときの教え子と結婚という大変不埒な行為をしている。
教え子との恋愛が上手く行かず悩み苦しんで、長編小説1本書いちゃった人も居るのに、だいぶ恵まれていますな。
そのときのラブレターが展示されていますが、書いた本人は100年以上も先に渡って自分の恋文が人にこのように見られるとは思わなかっただろうなぁ。
そしてこの手紙、けっこう長い。歌人は言葉巧みに女性を喜ばせるのでしょう。
とはいえ生活が安定していたわけではなく、就職した新聞社は経営悪化により2年でクビ。次に国木田独歩の立ち上げた独歩社に移るが、これも経営難で解散した。
2つ立て続けにやらかしているあたり、空穂さんあまり企業研究しなかったように見える。
あとジャーナリストって肩書で和装は、フォークとスプーンでザル蕎麦を食べるくらい違和感があるのでちょっと再考したほうが良い。
しかしここから挽回。
友人の誘いで『皇族画報』という企画雑誌を始めた。皇族の日常生活・儀式・服装から髪型まで扱う写真付きのファンブックだ。
それ需要あるのかと思いきや、当時は日露戦争のため国民のナショナリズムが高揚していた頃であり、企画は大当たりする。
ちなみに皇室専門誌は今日でも存在していて、皇族に関する情勢・最新情報を扱っている。K室さん情報があるかどうかは()
これから日章旗を掲げて黒塗りのドでかいトラックに乗り込み、日曜の昼下がりに大音量で市中を街宣して回ろうという皆様には必見の書となっております。
いや、そういう人はむしろ読んでないだろうが。
また読売新聞では現在でも「読者からのお悩み相談室」的なコーナーがあるが、その回答者を担当していたこともある。
「夫の帰りが変に遅い」「姑にいじめられる」「桑田の解説がおかしい」等、毎日ひっきりなしに来るお悩みに対して、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」とお得意の詩歌を生かして親身な回答をし、読者から好評を得ていたそうだ。
記者としても軌道に乗り出したが、詩歌の方では与謝野鉄幹(与謝野晶子の夫)に気に入られ、鉄幹が1900年創刊した雑誌『明星』に掲載される。
花形は与謝野晶子であったが、男性の歌人としては空穂も人気が高かったそうだ。
しかし与謝野夫妻の詩歌とは音楽性の違いがあったようで、寄稿は1年で止めてしまう。
(ファーストアルバム『まひる野』)
1905年に初の詩歌集『まひる野』をリリースし、『明星』への寄稿と合わせて、歌人・文学者として地位をあげて行った模様。
1910年前後は短編小説の本数が多くて、『炉辺』『旅人』という文集にまとめられた。
私も幾らか読んでみましたが、故郷や実家に関するネタが多いですね。
松本の田舎は嫌だ!って2回も脱走しているのに、ふるさとは意識から離れないばかりかむしろ「百姓気質が自分の血肉になってしまっていることを知った」みたいなことを述べている。
百姓気質ってのは、都会の洗練された自由な雰囲気とはかけ離れ、享楽を禁じ、ただ課せられた農作業を毎日こなすことを美徳とする農村の人々を示しているそうです。そんな自身や実家の人々をユーモラス&残酷に著している。
脱走騒動の前後で両親がともに亡くなっているので、そのへんのコンプレックス染みた点も題材。
なお小説自体はもう廃盤されるなどで、たぶん全集しか残ってないんじゃないか。
岩波文庫本が出るほど需要も無さそうだしなぁ。
こちらはゆかいな仲間たちの似顔絵だそうです。
高村光太郎(右下)、1980年代ならどの漫画にも1キャラはいそうな顔してるな。
左上の茨木猪之吉さんはアゴのしゃくれ角度がおかしくありませんかね。
ツラが長いことを強調するために2人だけ横顔にしているあたり、空穂画伯の悪意を感じますな。
(早稲田で教壇に立つ空穂氏)
数年間は小説メインだったわけだが、そのうち詩歌をまたやりたくなり、書き途中の中編小説『養子』を未完のままブン投げた。最後まで書け。
そこからは詩歌で地位を確立。ただ私は歌とんちんかんなのでその辺はスルーしました。まつもとや、ああまつもとや、まつもとや。
古典の研究でも名をはせるようになり、47歳で早稲田の教授に迎えられ、定年まで勤めた。
退職後も古典研究は続け、源氏物語の現代語訳をつくった。
もっとも1960年頃の口語訳が、現在も”現代語訳”なのかどうかは分かりませんが。
源氏物語の訳は谷崎潤一郎とか瀬戸内寂聴とか色んな人がやっているので、誰か全部よんで相違点一覧とか作ってほしい。
晩年の空穂。
本に囲まれて暮らしているが、某植物博士のお宅と比較すると、かなりスッキリしている。まぁ普通はこうだよね。
あとは遺品いろいろ。
使っていた机は意外と控えめ。
トランプ。大学の教え子とババ抜きでもしてたのかと思いきや、一人占いが好きでずっとハマってやっていたらしい。
源氏物語の読み過ぎで、女御の世界に入り込んでしまったのだろうか。
少女漫画とか渡したらハマっていたかもしれない。
さて、館内はおしまい。
記念館の対面に、窪田家の生家が現存しているのだ。
こちらだけなら入場無料である。
旧家だけあってご立派な佇まい。
館内には児童用の図書が幾らかと、あとは涼み場・遊び場となっている。
土間と入り口。
写ってないけど、土間のすぐ右手に一段高い畳の部屋があって、商家の窓口みたいな感じだった。
ここ農家なんですけどね。
お座敷。
庭には近くの水路から引いてミニ泉水となっている。
空穂の小説の中でこの庭は頻出する。東京では明治の時代でも自宅に池なんてなかなか持てないだろうから、思い出深かったのかもしれない。
まあ「子供のころに折檻された」だの「親が死んだ」など、実家はろくな登場の仕方していないわけだが。
襖には書画がばりばり貼られておりますが、景観条例的にこれで良かったのかな?
庭は奥の方まで続いていてパターゴルフくらいなら出来そうである。
おしまい。
※参考にした本
・『窪田空穂全集第4巻』角川書店
【交通手段】松本駅からバス(本数僅少)か、北新・松本大学前駅から徒歩20分
【入館料】300円
【滞在時間】60分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】