牧野記念庭園記念館
大泉学園にある牧野記念庭園。
植物学者である牧野富太郎 博士を記念しています。
牧野富太郎は最終学歴が「小学校中退」という、ギャグ漫画の設定みたいな経歴の持ち主である。
しかしその人が「日本の植物学の父」と呼ばれている。
どういうこっちゃ。
良く分からないので、まずは記念館に入り、牧野君がどういう人物なのか見てみよう。
入館料は無料。
とてつもなく綺麗な内装ですね。
展示パネルぞろぞろ。
1枚ごとの文字数はさほど多くなく、とにかく小さい文字を詰め込みまくるアホな行政系資料館のパネルとは一線を画している。
まぁここも練馬区立ですけどね。
生まれは1862年、高知の佐川と言うところ。
家は造り酒屋をやる豪商で、苗字帯刀を許される結構な家柄だったそうな。
なので通常は武士階級しか通えない藩校「名教館」に入学。
寺子屋では漢籍・国学くらいしかやらないが、ここでは数学や物理など多様な学問を教えていたらしい。
牧野先生、優秀なのでポンポン育つ。
(佐川藩の藩校「名教館」)
明治時代になった1874年、学制発布に伴って佐川にも小学校が出来た。
そこに牧野も通うことになるのだが、2年後の1876年(14歳)に自主退学してしまう。
どうも名教館で習っていた内容に比べて小学校はレベルがかなり低く、それで嫌気がさして辞めたとのこと。
翌年15歳の時、その退学した小学校から声がかかって、なんと学校教師として戻ることになる。
どうみても漂う天才臭。
(20歳ころのお写真)
その天才君はなぜか植物にドはまりし、近隣にあった横倉山と言う山の植物を片っ端から調べ始めたりする。
横倉山、標高800mあるのでそれなりにデカいんですが・・
高知の山では飽き足らず、22歳のときに上京して東京帝大の植物学教室に突撃し、研究室に出入りする許可を貰うことに成功。
学校側もよく受け入れたなという感じがするが、牧野が植物研究ガチ勢ぶりをうまく披露したのだろう。
(1888年『日本植物誌図篇』シリーズの1発目
研究室では植物雑誌の出版に携わるなど実力を伸ばしていき、26歳の時から『日本植物誌図篇』を個人として刊行。
「日本中の植物の網羅した図版を出す」というだいぶ無謀な目標のもと製作されており、植物の絵だらけというニッチな本を出してくれる出版社も居ないので、自費出版。
さらに製本技術にも牧野はこだわったため、自ら印刷所に1年ほど通って技術を習得し、作図から印刷まで全て自らの手で行う、ハンドメイドな書籍となっております。
牧野画伯のスケッチ作品がこちら。
普通に画伯である。
このムジナモは、1890年に牧野が発見したもの。
食虫植物であり、西欧の植物学会では「日本には居ない」と考えられていた。
これの発見で、牧野の名は世界中の植物好きなお友達にも伝わるようになる。
聞いたことある名前だなと思ったら、さいたま水族館に展示されていたのであった。
牧野はこれを北小岩の江戸川河川敷で見つけたが、現在では埼玉県羽生市にある宝蔵寺沼にしか自生しない模様。
(ヤマトグサのスケッチ)
その1年前になるが、牧野は別の新種植物を発見しており、これに「ヤマトグサ」と命名した。
これ以前は、植物の発見・命名は外国人に牛耳られており、日本人による命名としては初めてと言われている。
しかし「ヤマトグサ」って、「花子」みたいなネーミングセンスですね(直球)
でも「エターナルフォース草」みたいな中2っぽい名前つけられるよりはマシか。
(38歳ころ@帝大)
そんな感じで牧野の名はブイブイ上がる。
だが帝大植物学教室の連中は、たかが小学校中退の牧野が活躍するのをウザがり始めており、29歳の時に研究室から追い出されてしまった。
31歳の時に助手として戻ってくるも、そこでも教授たちの嫉妬を買いまくり、77歳で帝大を辞職するまでずっと内部の敵と戦い続けることになる。
オッサンの嫉妬は汚い(ことわざ)
牧野のお絵かきグッズ。
印刷技術を自ら習得するほど、絵の出来上がりに牧野が神経質だったことを上述したが、道具にもかなり拘っております。
筆は京都の職人がつくった蒔絵筆。
絵具はイギリスの最高品と呼ばれた、ウィンザー・ニュートン社のものを使用しています。
ズタボロすぎて、そもそも絵具に見えませんが。
このように、牧野は植物研究のためなら投資を惜しまない人間だった。
実家が豪商で、資金面で苦労することが無かったから、こういう性格になったのだろう。
しかし羽振りが良かったのは20代まで。
その後は実家の経営が傾き、また牧野も研究に夢中で家を継ぐ気はなかったので、29歳で家業を売り払ってしまう。
(著作たち)
帝大の助手の給与はさほど高いものでは無かったが、それを遥かに上回る支出をしまくった。
本は借りるより買う派なので片っ端から手に入れ、人前では身綺麗にしていたいタイプだから着物も上質なものにし、後輩や生徒には高価な牛鍋などを奢りまくっていた。
というわけで見事に借金漬け。
毎日のように金貸が家にやってきて催促するわ、家財は差し押さえられるわ、家賃滞納で追い出されるわ、子供は7人いるわ。
カイジに出てくる人間の中でもダメな方の生活だったが、妻である壽衛子は文句も言わずに牧野を生涯支え続けた。
たしか壽衛子の方が10歳近く年下だったはずなのだが、この写真を見ると牧野より老けているように見える。
苦労してますなぁ(涙)
(東京植物同好会にて講義するまきのん)
一時期は返せないレベルの借金まで膨れ上がったりしたが、ピンチになるたびに誰か支援者が現れて助けてくれた。
研究内容の充実っぷりもそうだが、牧野は地方で植物同好会なサークルを開催したりして一般人にも人気は高かったので、普段の行動から生じたボーナスな感じ。
ただ支援者が「借金返済のために」と渡してくれた金を遊郭で使ったり、手伝いに来た女中さんにスケベしてしまうなど、人徳に問題ありな面を結構みせている。
天才にありがちな奇人っぷり。
帝大で敵が多かったのは、嫉妬以上にこういう振る舞いだった可能性が微レ存。
小学校中退にかかわらず、その研究成果から65歳にして理学博士の学位授与。
文化功労者や名誉都民も受賞している。
借金漬けな生活でしたが、64歳の時に大泉の雑木林700坪を借りて、自宅を建築。
その敷地に、この記念館が建っているわけです。
なお自宅の建築費用は、奥さんが渋谷円山町で待合宿を経営して得た資金からきています。
待合宿って、たぶん売春宿のことである。
これが世間にバレたとき非難轟々だったらしいが、当の牧野は「金が無いんだから仕方ない」とスルーした。
なお当時の大泉は、一見でわかるような何もなさでした。
とにかく牧野の所蔵する植物標本やら本が星の数ほどあるため、それの置き場所として700坪もの巨大な土地を必要としたようである。
標本は30万個あったらしい。
それ果たして1つ1つ覚えているんですかね。
富士山に植物採集に行った際の写真。
オッサンたち、なにしてるんですかね(真顔)
牧野のメモによると、上から五番目が本人らしい。
ただ上の4人に関しては「?、?、?、?」と書いてある。
覚えてないんかい。
でも写っている植物は「マメザクラ」とちゃんと記しており、もう人間なんかより植物の方によほど関心のあることが分かる。
こっちは企画展ゾーンですが、展示替えのためこの時はなにもなし。
アンケート箱?
朝ドラにしよう運動だった。
2022年は牧野生誕160周年なので、それを狙っているらしい。
ダメなら2032年ね。
記念館はもう1棟あり、牧野の書斎を保存しています。
牧野さん。
大爆笑してますね。
これが書斎。
部屋の中。
ずいぶんこざっぱりしてますね。
しかし当時の写真を見ると、まったく違うのであった。
借金漬けになるほど本を買いまくった人であるので、蔵書の量が異常。
もとは自宅2Fに書斎があったそうなのだが、本を置きすぎて床が抜けた為、1Fに移したんだそうな。
1Fに移っても、ヤバいことには変わりありませんね。
研究者が牧野を訪ねたときに撮った、書斎の写真。
もうただのゴミ屋敷ですね(確信)
さすがに当時の書斎状況の再現はしていないようです。
そして中にはあがれません。
当時の建物はもう取り壊されてしまって居るようなので、模型で再現してみました。
なお昭和期にはいって世間が軍部クーデターだ、第二次世界大戦だとやっているときも牧野先生、政情には特に関係なく、植物の研究を続けていたそうです。
周辺住民が疎開する段階でも研究優先で逃げる気配は無く、東京大空襲で自宅がなぜか襲撃されてようやく山梨に避難するが、終戦後2か月でもう戻ってきてしまった。
たぶんポツダム宣言なんぞより植物の生態の方が重要なのだろう。
記念館を見終わったので、あとは庭園を眺めますかね。
牧野先生の銅像。
さっきの爆笑っぷりとは異なり、真面目路線である。
銅像の周りにササが広がっているが、これは牧野が仙台で発見した「スエコザサ」。
「スエコ」というのは妻の名前から取った。
借金取りに追われ続ける生活でもずっと自分を支えてくれた妻が、この新種ササの発見後に死去したためである。
牧野は自宅では亭主関白のように振る舞っており、自分が採取した植物の管理を家族にやらせていたが、植物が枯れるとマジ切れしてちゃぶ台ひっくり返すくらいのことはやっていた模様。
そんなクソ亭主を生涯支えるとは、良妻賢母きわまれりである。
ガーデン。
季節柄なにもありませんね。
雑草は生えてるけどね。
「ヤマトグサ」と名付けよう(雑)
「センダイヤザクラ」という木ですが、見つかったのは仙台ではなく、高知市の仙台屋というところらしい。
仙台民ぬかよろこび必至。
最後にこの木。
あぶらちゃん。
かわいい(棒)
以上。
【交通手段】大泉学園駅から徒歩10分
【入場料】無料
【滞在時間】40分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】