C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

韮崎市民俗資料館

 

韮崎市の郷土資料館です。

 

 

韮崎駅から徒歩で来たんだけど、30分近くかかった。

駅からは上りなのだ。

どうしてもっと駅に近いところでは無く、こんな山の中に建ててしまったのか(クレーム)

 

 

入館料は無料です。

 

 

入って突然でくわすドデカ人形は、5000年前の土偶である。

詳細は2Fで。

 

 

ジオラマ新府城

武田勝頼が1581年に、この韮崎に築いたもの。

 

武田氏は甲府に本拠を置いていたが、勝頼が継いだころには城下町発展により、だいぶ手狭に。

また武田の領国は拡大しており、中心地点を取るとすると韮崎となり、そこには広大な城下町を構えられる地形条件がそろっていたので、じゃあ引っ越すかということらしい。

 

 

んで引っ越したは良いんだけど、その翌年に織田・徳川連合軍にボコボコにされて、武田は滅亡することになる。

新府から勝頼が逃亡する際、城に火を放って行ったので、新築1年で終わってしまいました。

かなしいなぁ。

 

 

新府城ジオラマ、旗とか居館とか立ってた上掲のやつのほか、もう一つこれがあるんだけど。

こっちには地形以外なにもない、プレーン状態である。

地形だけでお楽しみください、ということかしら。

 

 

新築1年で壊された城ですが、続100名城に選出されています。

 

 

江戸時代の籠。

 

 

こんな資料カードが貼り付けられていたけど、他になんの説明もありません。

イメージを膨らませろ、ということだろうか。

想像力の欠けた現代人でごめんなさいね。

 

 

時計がポコポコ置かれているが、これらも詳細不明。

余ってたのかな?

 

 

また地形です。

新府城の位置を、俯瞰的に示しています。

左手前にあるよ。

 

 

目の前を大規模河川の釜無川が通っているほか、東側には塩川と言う河川もあり、天然の防壁となっている。

江戸時代の話になるが、この釜無川を利用した水運、さらに甲州街道や佐久往還・諏訪往還など主要道路も整備されて、交通の要衝としても発展しております。

 

勝頼くん、内政に関しては目の付け所が良かったんですかね。

長篠の戦いで無能扱いされてる感がありますが。

 

 

江戸時代の高札がデカデカと飾られている。

この裏に階段があるので、2Fにのぼりますね。

 

 

 

2Fにきました。

若干薄暗いですが、がんばっていきましょう

 

 

安定の縄文土器たち。

 

 

耳飾り。

もはやリングにすらなっていない土塊である。

まぁ祭祀用だと思われるし、多少はね。

 

 

奈良~平安時代頃の土器。

 

 

小学校から出てきた土器があるよ、探してね!

 

ちょっと難易度高すぎでは。

 

 

戦国、江戸時代に入ってきました。

 

 

農工機具たち。

 

 

先述の通り、韮崎は甲州街道・佐久往還(北杜市佐久市)・駿信往還(南アルプス市静岡県富士市)など様々な主要道路が交じり合うところ。

なので展示では「韮崎宿はジャンクション、さらにサービスエリアと物流センター」という中学生でギリギリ意味わかるかどうかな説明をしている。

 

それとも地元の中学生はこの説明で分かるんですかね。

車社会、トラック野郎の町(適当)

 

 

江戸時代の枡。

京都の枡をベースに、江戸幕府では全国統一の単位が定められた。

一升=1.8リットル。

 

しかし甲斐国ではこの統一規格を受け入れず、幕府に反対運動まで起こした末、伝統の「甲州枡」を継続使用できる許可を獲得している。

甲州枡は信玄公が定めたもの」という民衆のプライドが、この行動を起こさせたとか。

さすが信玄原理主義の甲斐である。

 

 

なお甲州枡では、一升=5.4リットルである。

統一規格の3倍じゃないか。

 

つまり甲斐人が「昨日、一升飲んじゃったよ」と言って平気な顔をしている場合、そいつと酒を飲むのは気を付けた方が良い。

こっちの記憶が飛んでしまいます。

 

 

「飯詰み(いづみ)」という民芸品。

藁で編んでおり、中は保温効果があるので、弁当を入れて保温したり、畑仕事の際に持って行ったりした。

 

暖かいせいでネコが住み着いてしまったが、彼はネズミを捕る大役があるので、許されている。

 

 

住居の再現ゾーン。

 

 

普通の民具だけかと思いきや、このハエ取り機具は初めて見た。

大正時代のものですけどね。

 

ネジを巻くと、左側のブロック部分がグルグル回り始める。

ブロック部分には砂糖水が塗られており、匂いにつられてそこに止まったハエは回転するブロックに巻き込まれてズタズタにされる。

 

なんだか恐ろしいな、おい。

 

 

網かごがセットされているので、ここにズタズタにされたハエが放出されることになる。

こう見えても、1919年発売されると大ヒットしたそうな。

 

 

んで時代が突然戻りますが、土偶です。

入口に置いてあった巨大人形の元ネタがこれ。

韮崎市の遺跡から出てきたもの。

 

 

ただの土偶だろと思いきや、そうではない。

ちゃんと顔の部分は磨かれて滑らかになっており、模様も細かく入れたうえで赤い塗料で色付けされている。

(赤い塗料は、朱の鉱石や赤土ベンガラから取れるので、縄文時代では頻出の色)

 

つまり「メイクアップされた美肌の土偶」ということで、『美土偶グランプリ』第2位に選ばれたそうな。

おめでとうございます。

どれくらい偉いのか全く分かりませんが、「ミス韮崎」くらいの認識で良いでしょうか?

 

 

こちらの土偶は「縄文の仮面小町”ウーラ”」。

小町って・・これ女性なのか?(疑念)

 

 

なんと大英博物館に、日本代表として出張展示されていた。

その名も「SAMURAI DOGU」。

武士なんていない時代ですけど、イギリス人にそんなこと分かりやしないから大丈夫!

 

 

あとは比較的あたらしい、明治~昭和頃の道具ですかね。

 

 

月琴。

あまりお見掛けすることはない気がします。

 

 

弦楽器つながりでバイオリン。

別にこれは今でも一般的だから、置く必要ない気がするが、きっと近隣住民が押し付け寄付していったのだろう。

 

 

「奉安殿」といって、この中に天皇陛下の写真や教育勅語をしまって奉っていた。

きっと学校や公的施設に置いてあったのだろうが、今やったら左側の人々から大層クレームが来て国会沙汰にまで持って行きそうである。

 

 

戦時中のグッズ。

 

 

赤紙かと思ったら、明治時代の召集令状だった。

予備役の軍人に、一か月程度の訓練を受けるよう通知するもの。

 

いきなりこんな紙が郵便受けに入ってたらビビりそう。

真っ赤だな~。

 

 

1960年代の計算機。

近未来すぎて使い方が分かりません。

 

 

上段には行灯が載っている。

 

 

その横に置いてある絵に、なかなかのサイケ感を覚えるのは私だけでしょうか。

 

 

館内おしまい。

外にもいくらか展示があります。

 

 

立派な水車。

明治~昭和まで、精米のために使われていたもの。

 

 

西洋館のようにも見えるが、蔵屋敷です。

造り酒屋「富屋」の主人が所有していたもので、もとは韮崎駅に近いところにあったが、ここに移築して来たもの。

 

 

内部は和室となっております。

 

 

この建物、朝ドラ『花子とアン』で、村の教会として使われたそうな。

だから入り口部分に「阿母里基督教会」と表札が出てたのか。

十字架も撮影の道具であり、この建物が教会に使われたことはございません。

 

なおドラマでも序盤に登場したきりなので、コアなファンでない限り記憶にない、と館員のオバチャンが言っていた。

 

 

ただ大正時代に皇族が訪れたことがあり、その際は西欧風の内装に変身させられていた。

思いっきり屏風とか置いてあって、へんちくりんな和洋折衷になってますが。

 

 

昭和天皇も1986年に韮崎を行幸し、韮崎中央公園で国体を観戦した際に座った玉座がここにぽつん。

さわると不敬罪になるから、やめようね!

 

 

一時は西欧風モデリングされましたが、いまは普通にぜんぶ和室です。

 

 

建物はもう一つあって、これも『花子とアン』の生家ロケセット。

残念ながら内部には入れません。

管理の手が足りなくて、ボロボロだから見せられないのかな(邪推)

 

以上。

 

 

【交通手段】韮崎駅から徒歩25分

【入館料】無料

【滞在時間】1時間

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

 

www.city.nirasaki.lg.jp