神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

C級スポットを主に巡るブログです。C級スポットとは、「メジャーな観光地(A級スポット)・ちょっと変わった観光地(B級・珍スポ)ですらない、楽しめるかはその人次第の場所」という意味です。地域別カテゴリは最下段から。

安岡正篤記念館

 

安岡正篤(やすおか まさひろ)の記念館が、比企郡嵐山町にある。

地図上だと正門の位置が分かりづらいが、記念館北側にある道路・嵐山史跡の博物館の裏手からアクセスできます。

 

 

 

敷地に入ると右手に研修施設(割と古め)があるが、これをスルーして直進。

 

 

 

これが記念館です。

 

 

 

安岡正篤(1898-1983)は、儒教研究者・思想家であり、また学校経営に携わった教育者である。

 

だが、「安岡正篤」をグーグル先生あたりで検索すると、出てくるワードは「昭和の黒幕」「影の権力者」。

つよそう(中二)

 

 

 

陽明学をベースにして日本的思想に基づく国家論や帝王学を唱え、それが多くの政治家・官僚・軍人に感銘を与えるものであったらしい。

 

安岡に師事していたのは、吉田茂池田勇人岸信介ら歴代首相ぞろぞろ、三菱や住友を始めとする財閥の人間たち。

さらに5.15事件などの国粋主義テロリスト達をも感化させており、敗戦時に危うくGHQから戦犯扱いされかけている。

 

つよい(確信)

 

 

 

んで、なんでそんな大人物の記念館が片田舎(直球)にあるのかというと、ここに安岡が創立した日本農士学校があったからである。

三井や住友財閥の支援で建築したそうです。ヒエー。

敗戦時にGHQによりお取り潰しになりました。

 

 

 

チャイムを押せば、となりの別館から受付の人が来てくれる。

入館料は500円。

 

 

 

玄関。

安岡先生の盛大な習字と、著書がずらーっと。

 

 

展示室はこちらですが、中は撮影禁止。

なので以下の画像は公式HPから借りています。

 

展示室、冷房しっかり効いてて涼しかったです。

やっぱ財閥は違うね(適当)

 

 

 

展示内容は、安岡正篤の一生についての解説と、本人の持ち物関係である。

 

この人は大阪で、堀田という家に生まれる。

小学校の時に既に四書を読破した上に『大学』を丸暗記しているという、中国だったら「科挙うけろ」って漏れなく言われるレベルの天才であった。

 

しかし堀田家は家計が豊かでなかったようで、東京の安岡家に養子に行き、東京帝大に入学。

 

 館内には、復元された先生の書斎もあります。

 

 

大学卒業後は文部省に入るが、半年で辞める。

だが天才っぷりはもう知れ渡っていたようで、研究機関や海軍大学校で教鞭を取るなど引手あまた。

また東洋思想研究所という機関の発行誌に寄稿を始め、これが政財界の人間に受け入れられてファンが続出する。

 

 

1926年、28歳の時に「金鶏学院」という私塾を東京で開講。

1931年、33歳で記念館の元となる「日本農士学校」を創立。

それぞれ官僚・軍人・華族や、政財界を目指す学生が聴講したという。

 

記念館の受付で、農士学校創立時の安岡によるコメント文がもらえる。

それによると当時の教育について、「学校は粗悪な工場と化し」「生徒は粗製濫造された商品と化し」など、相当お怒りのご様子。

 

 

 

また26歳の時、当時の宮内大臣 牧野伸顕から直々に呼ばれて「天子論」を語っている。

牧野の娘婿が吉田茂なので、吉田と安岡の繋がりはここで出来たと思われ、吉田は20歳も年下の安岡に師事する形を取っている。

 

 

さっきから安岡の年齢が、テイルズオブシリーズの登場人物以上にデフレ状態なんですが、大丈夫なんですかね。

 

 

 

んで前述の通り、安岡の思想は国粋主義テロリストにも曲がって解釈される。

5.15事件や2.26事件の前段となる「血盟団事件」の首謀者は、金鶏学院の聴講生だった。

2.26事件では牧野伸顕も襲撃を受けているので、安岡から影響を受けた人間同士で殺り合う、どこぞのスンニ派vsシーア派状態になっている。

 

 

安岡先生の著書は思想チックなものが多いので、自己啓発ガチ勢たちも注目?

 

 

終戦時、天皇陛下の詔がラジオ放送されたが、あの文章の校閲を政府に依頼されて担当したのも安岡だった。

 

戦後は前述の通り、GHQから戦犯扱いされかけたが、安岡と親交のあった蒋介石が弁護してくれたので回避。

各種学校は解散させられたものの、政財界との強いパイプは保ち続け、自民党や歴代首相のアドバイザー役を務めている。

あと展示品の中に、天皇陛下園遊会への招待状もあった。

 

 

 

そして「平成」の名付け親は安岡正篤だったという説がある。

1979年に元号法が成立した段階で、次の元号の考案を政府が数人の学識者に依頼。

その依頼を受けた安岡は「平成」を提案し、1983年に没する。

 

ただ「天皇が存命中なのに新元号決めるってどうなの」と当たり前のことに政府がいまさら気づき、このときの募集は無かったことにされた。

その後1989年に元号が変わるとき、山本達郎という人が「平成」を提案し、これに決まった。

 

山本氏の「平成」と、安岡の「平成」の間の繋がりの真相は明らかにされていない。

記念館さんサイドによると「山本氏は、安岡の提案を再提出した」とのことだが、はてさて。

 

 

 

 

1983年に安岡先生殿は亡くなっているのだが、なぜかその年に細木数子と結婚している。

これには安岡の親族が猛烈に反対し、また病院の検査で認知症疑いがあったことから、婚姻無効を主張して争いがおこり、結果的に無効ということで和解した。

 

なお葬式には中曽根首相ほか、岸信介田中角栄福田赳夫らが出席。

もうここまでの流れだから、驚かないけど。

 

 

 

 

記念館の前にある金鶏神社。

主神はアマテラスだが、学問の神としてなんと安岡が祀られている。

おれ自身が神になることだ(有言実行)

 

というわけで、展示おしまい。

政財界に影響力が強かったということで、確かに影の権力者的な感じはするが、まぁ「組合活動できるじゃない」など宗教的なキナ臭さは無いので安心されたい。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】武蔵嵐山駅から徒歩15分

【入館料】500円

【混雑度】★(誰もいない)

【滞在時間】30分

【URL】公益財団法人 郷学研修所・安岡正篤記念館《公式ホームページ》