C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

川越城

 

川越城です。

川越駅本川越駅から歩いてくると20分~30分はかかる。

観光地周遊バスとか出ているので、それを使おう。

 

 

川越城は1457年に太田道灌が築城しましたが、そんな古いものが現存しているわけはなく、ここに建っているのは1848年のものです。

ただ復元では無く、れっきとした本物なので価値は高いというわけ。

 

 

入場料は100円。

安いなあと思うのだが、その理由はあとで分かります。

 

とりあえず廊下を奥に進む。

 

 

最初の部屋は、使番詰所。

 

・・とくに説明が書いて無いので分からんのだが。

「使番」というと文字通り伝令・使者な役割りだが、幕府においては監察官として諸国を回る役職でもあった。

ここでは前者の意味で、領内や他の藩からの使者の待機室みたいな感じじゃないのかね、たぶん。

 

 

次は、番抜・老体詰所。

これまた説明がないですけど、あれですかね、自分で考えろというのが川越藩の方針ですかね。

 

ググったところ、

番抜というのは、「使番」みたいな「番」を抜けた人=退職者。

老体は文字通り老体で、これも退職者。

 

退職したけれど、何らかの役割を与えられた人々の部屋かもしれない。

現代で言うと再雇用枠である、年下の上司と上手くやってくださいね。

 

 

物頭は足軽大将のことなので、歩兵隊長の部屋である。

 

・・しかし、どの部屋も変わり映えしないなぁ。

1部屋10秒くらいで終わってしまう。

 

 

南側に来ました。

ここは「明治棟」といい、まんま明治時代に増築された部分。

 

川越城明治維新を持ってお取り壊しになったが、この地域は川越県・そのあと入間県の管轄となって県庁が設置されたので、庁舎として城の一部分を残して利用した。

その庁舎時代に増築されたと考えられている。

 

 

なお役所として使われた後は、タバコ工場→武道場→学校→武道場とたらい回しにされ続け、1967年から城跡として公開されましたとさ。

 

そんな明治棟は、入城して最初の展示室となっています。

 

 

ただ展示されているのは、川越城修復の模様である。

城の歴史とかは特になし。

そんなものは市立博物館であらかじめ学んで来いということでしょうか、不勉強ですみませんでした。

 

 

修理の時に取り外した、屋根の下地。

明治時代の建築当初からのものらしい。

はえーさっすが太田道灌(間違い)

 

 

庭もありますが、立ち入り禁止です。

きっと白砂の上で成敗されてしまう。

 

 

では江戸時代の部分に戻ります。

 

 

ここは第二展示室。

 

 

子供の落書きでは無く、川越城の見取り図です。

赤い枠線が入っているところが、現存部分ですね。

いまは右下の建物にいます。

右上は家老詰め所。

 

第2展示室もこれくらいでおしまい。

 

 

さっきの旧図だと家老詰め所は離れた位置にあったけど、移築して近づけたので、渡り廊下で繋がっています。

 

 

ところで川越城には本丸と二の丸が元々あり、本丸は将軍来訪時に使う御殿・二の丸は実際の仕事をするところ。

しかし18世紀初頭に書かれた文書によると、本丸に関する記述が無い為、「本丸は取り壊して二の丸オンリーにしたのではないか」と考えられている。

 

将軍の接待所、潰しちゃったんですかね。

お金なくなった?

 

 

二の丸も1846年に火事で燃えちゃったので、もともと本丸が建っていた空き地に、この本丸御殿を1848年建てましたとさ。

城主の住まい・仕事場も備わった巨大なオフィス兼ホームにリニューアル。

 

 

そして家老が実際に仕事をしたり常駐していたのが、この家老詰め所なんだけれど、展示品はやっぱり何もないな!

これではただの和室である。

 

 

庭の風景はちゃんと整備されています。

 

 

いちおう家老っぽい人形が地図を見て睨めっこしてますけどね。

しかし展示品の少なさである。

これなら確かに、入場料100円だわ。

 

 

庭とは反対側に出ると、生け垣が盛大に覆っています。

ここは大名様がおられる場所なのだから、農民に外から見られては困るのです。

 

 

さっさと廊下を戻ります。

 

 

最後に大広間。

来客の待機場所として使っていたそうな。

 

藩主との対面は「大書院」という部屋で行いましたが、解体されてもう無いよ。

 

 

襖には絵が描かれているが、もうボロボロである。

修復してあげてどうぞ。

 

 

埃取りかと思ったら、これ槍を入れる鞘だそうです。

それも日本三大名槍の1本、御手杵(おてぎね)の槍。

 

下総の結城家が所有していたが、そこに徳川家康の次男 秀康が婿入りして槍をGET。

なお結城家は秀康の後、子供の直基に継がれたが、直基は苗字を「結城」から「松平」に変えている(前橋松平家)。

 

 

その前橋松平家は、1767年から100年に渡って川越藩主をしているのだが、大名行列の際にこの鞘を見せびらかして歩いており、絵図にもそれが残っているため、レプリカを作ったんだとさ。

川越の春祭りでも使用されている模様。

 

ちなみに本物は戦時中に焼けてしまいました、残念。

 

 

 

と言うのを見て、おしまいです。

 

しかしあまりにも展示が無く、和室が並んでいる程度である。

市立博物館では様々な展示を扱っていて城に特化している感じでは無いので、川越城の方で城メイン展示をやればいいのにと思いました(客並感)

 

あとはボランティアのガイドさんに喉が枯れる勢いで説明しまくってもらうか、入館チケットを焼き芋つきにして500円で売ろう。

 

以上。

 

【交通手段】川越駅本川越駅から徒歩30分、バス20分

【入館料】100円

【滞在時間】20分

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【URL】

museum.city.kawagoe.saitama.jp