C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

塩尻市 本洗馬歴史の里資料館

 

塩尻市の洗馬(せば)に郷土資料館があります。

最寄りは中央線の洗馬駅ですが、徒歩40分。

塩尻駅からコミュニティバスが出ており、バス停「釡井庵」で降りればすぐだが、1日5本しかないうえに日祝は運休です。もうどうすればええねん(困惑)

 

 

 

なので塩尻駅前の観光案内所でレンタサイクルをしたのだ。

1日100円。やっす!

まぁ借りられるのは値段相応にボロボロのママチャリ(電動アシスト無し)。

漕ぐたびに「ぎーぎー」悲鳴上げてて走行中に空中分解しそうであり、恐怖体験以外の何物でもなかった。浅草花やしきのジェットコースターか。

 

しかも塩尻駅→本洗馬までは傾斜のきついアップダウンがあって、上り坂だと完全にパワー不足でただの鉄くずと化していた。押して歩いたほうが早い。

 

 

入館料は150円。

展示してあるのは当然ですが、洗馬地域の郷土資料です。

ローカルネタ過ぎてなんも知らないが、せっかく来たんだからゆっくり学んでいってね!

 

洗馬には鎌倉時代に三村氏が地頭として入り、城下町を築いて三村タウンにしていたそうな。この一族は先祖をたどると松本の小笠原氏にたどり着く。

戦国時代にはその小笠原氏に従っていたところ、1548年に武田信玄に攻め込まれて降伏。そのまま武田の家臣になったけど、1555年に謀反の疑いを掛けられて暗殺され、ジエンド。

 

降伏してあげたのに殺してしまうとは、きたないさすが武田きたない。

 

 

そんな武田も滅んだあとは小笠原氏の領土にカムバック→松本藩の領土となるも、1618年に高遠藩に移された。

徳川秀忠庶子である正之が、高遠藩主の保科正光の養子になったので、”養育料”として洗馬を高遠藩にあげたんだとさ。

松本藩は土地ボッシュートされただけなんですが。。(憐憫)

 

 

あと洗馬って、高遠藩から見たらけっこう距離のある飛び地なのよね。もらう側も面倒じゃないですかねこれ。

 

 

菅江真澄さん)

 

洗馬の有名人物は、菅江真澄(1754-1829)さんです。

皆さんご存じですか?まあ知りませんわな。

 

全国を歩き回って各地の民俗を記録し、明治以降の民俗学発展の礎を築いた人だそうです。柳田国男はこの人の記録を絶賛し、折口信夫も当地を訪ねております。

洗馬は民俗学発祥の地じゃー(by資料館)

 

柳田国男のサインも置かれてます)

 

ただ菅江真澄さん、別に洗馬出身じゃないんですがね。

故郷は三河で、洗馬には1年滞在して当地の祭りやら風俗やらを調べ上げ、次の地に去っていきました。

ちなみに日本酒の真澄は、諏訪大社の宝物「真澄の鏡」から来ているので関係ないです。

 

 

洗馬で唯一私が知っているのは焼き物「洗馬焼」。

陶器の口元から釉をドバーっと掛け流しているのが特徴で、たいへん豪快であり、よだれが盛大に垂れてるみたいでだらしないのだが、見ていて面白い。

釉の掛け過ぎのせいか、表面に石粉のツブツブが浮いているのもポイント。

 

 

洗馬では「信斎焼」という種類もあり、奥田信斎という人が作っていたのでこの名前。洗馬焼に輪をかけて釉を垂れ流して派手に仕上げております。

本家より更に脂っぽさやニンニクを加えた次郎インスパイアみたい。陶器とラーメンの世界に共通点があるんですね。

 

なお奥田信斎さんは1867年に洗馬に来て制作を開始したそうですが、17年後に突如失踪したそうです。

資金繰りに詰まって夜逃げでもしたのでしょうか。松本城の石垣と化してなければいいですね。

 

 

陶器ルームには洗馬焼と信斎焼がたくさん並んでおり、資料館の売りの1つ。私もこれを見に来たのだ。

 

長野県は窯元がけっこう多いようで、松本にも塩尻にも辰野にも存在していた模様。

 

焼き物と言えば瀬戸や美濃が有名ですが、そこから長野は遠いので、もう自分たちで作ってしまうDIY精神が発達したようです。

それも明治以降に鉄道が敷設されると、遠方の商品がどんどん入ってきて、窯元は廃れてしまったようですがね。

 

 

玄関にも洗馬焼があるんですけど、なんだかポジション的に傘立てである。

展示室の陶器との扱いが違い過ぎませんかね、慢心・環境のちがい。

 

 

あと館内に書画が飾られていたのだが、これ書いたの川上哲治らしい。

なんで貰ったのかの由来が特に書かれてなかったので分らんが、川上氏はNHK少年野球教室をやってたそうなので、長野にも来たんですかね。長野出身じゃないけどね。

 

以上で展示室おしまい。

 

 

 

資料館の裏庭からは、かつて三村氏が城を築いた妙義山へ登ることが出来ますが、そんな体力無いのでやめときますね(自転車で既に疲労

 

 

敷地内にある屋敷は釡井庵。三村氏が居館として築き、菅江真澄が洗馬に滞在したとき使いましたというもの。

中には入れないようです。

  

 

釡井庵の敷地内に、石が木柵で囲まれて置かれております。「夜泣き石」だそうな。

三村氏が武田信玄に裏切られやられてしまったので、それ以来この石が恨みで夜な夜な泣くらしい。

 

でもだいぶちっぽけな石だなぁ。弱そう。

これは泣いたところで三村氏滅ぼされますわ(無慈悲)

 

おしまい

  

【交通手段】洗馬駅から徒歩3kmか、塩尻駅から5km

      塩尻駅からバス「釡井庵」下車

【入館料】150円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】40分

【URL】

www.city.shiojiri.lg.jp