都立 第五福竜丸展示館
第五福竜丸の展示館が、新木場駅から徒歩10分夢の島公園の中にあるのです。
1954年に米軍がビキニ環礁で実施した水爆実験の被害を受けたマグロ漁船ですね。
入館料は無料です。
中に入るとさっそく巨大な第五福竜丸くんがお出迎え。大きすぎて写真に収まりませんがな。
まさに本物です。事件のあと放射性物質を除去し、東京水産大学(今の海洋大学)の練習船として使われていたが、1967年に老朽化のため夢の島近くの埋め立て地に打ち捨てられたそうな。それを東京都の職員が発見すると保存運動が起こり、こうして展示館に永住しているのです。打ち捨てた水産大学は反省してどうぞ。
館内はこの1室だけですね。展示はパネルで、第五福竜丸の事件概要と原水爆実験に関わる内容。
2Fにあがると、第五福竜丸の甲板を眺められます。船内に立ち入りは出来ません。しかし大きな船なので、近づくと余計に何を写しているのか分からなくなるな。
船内マップが置いてありますが、便所がすごいところにありますね。
まさに「自然に還す」。足の踏み場を間違えると、自分自身も海のトリトンになりそうである。常に自然との闘いなのだ(適当)
船は見終わったので、展示内容に移りますか。
第五福竜丸が食らったのは米軍の水爆「ブラボー」。ふざけた名前だなぁ。
1954年3月1日に実験。特撮映画みたいな写真だが、実際に米軍が撮影したもの。キノコ雲は直径200キロ、高さ3万4,000メートルに達している。
(強制移住をさせられる住民)
ビキニの島々の住民は実験に先立って強制的に立ち退きを命じられていたそうな。周辺は米軍の放射能実験場としてしばらく使われたので、いまだに汚染が激しく帰還できない区域もあるようです。
(被災前の第五福竜丸の姿)
静岡県焼津市のマグロ漁船である第五福竜丸は、米軍が設定した危険区域より30km外で操業中。被災の夜から数日にかけて、乗組員の体に急性放射能症の症状が生じ始めました。吐き気・頭痛・火傷症状・脱毛。
帰国後の治療も甲斐なく、死者1名を出しました。
被災したのは第五福竜丸だけかと思ったら、もっと大勢の漁船がいたでござる。しかしろくに検査もしてもらえず、癌で亡くなった人もいるという話。検査してないので水爆実験との関連も闇の中です。
(焼津港でのマグロの放射能検査)
人の検査はしないけど、マグロの検査はしたようです。856隻以上で漁獲されたマグロ485トンが廃棄されている。
「このマグロは安全です」と言われてもみんな近寄らなくなるのは福島と同じ。風評被害で魚屋や寿司屋、他の漁業者も大きな損害を受けました。
(当時の新聞)
笑ってられないのは、「死の灰」がビキニ環礁だけでなく世界中に届くことである。水爆が破壊した岩礁やサンゴの粉末がキノコ雲に乗って上昇し、気流によりあちらこちらにバラまかれるそうな。
実験の1か月後から日本各地で放射能を含む雨や塵が検出されました。世界の遠い地で行われた核実験も、わが国に悪影響を及ぼすのか。ひえー
しかしアホくさいのは、核実験で一番ダメージ受けているのは実験を行った国自身ということである。被害者人数は、この表だとアメリカがトップで1,030人、ロシア715人。まぁ声を上げている人だけが載っていると思うので、実際は遥かに多いはず。
1951年にアメリカのネバダで行われた実験などメチャクチャで、原爆を実際に落として爆心地に軍隊を突っ込ませたり、キノコ雲の中を戦闘機で通過させたりした。自殺か。
訓練後に体についた放射能を洗い落としてますけどね、オッサン笑てる場合とちゃうで。
なお実験場の近隣住民10万人が放射能を浴びたと思われますが、米国政府は「実験区域の外は安全だからへーきへーき」と茶化している模様。
というわけで、第五福竜丸の事件あらましを学習できる資料館でした。
たいへん内容が重いので、取引先の重役の接待とか、失敗できない大事なデートとかで使うのがおススメです。
おしまい
【交通手段】新木場駅から徒歩10分
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★★★(ちらほら)