旧黒須銀行
入間市にある銀行の旧本店です。
入間市駅から徒歩20分ほど、石川組西洋館からもそれくらい。
公開日は限られているので、公式HPで確認しよう。
入場料は無料。
黒須銀行は1900年に設立されたもので、この辺の地名が「黒須」であることから来ている。
顧問を務めていたのが、一万円札でホットになっている渋沢栄一。
でもあの人は色んな所に首突っ込んでいるので、「顧問でした」ってだけではあまりネタにならないのである。
創業者は道徳をモットーにしていたようで、「道徳銀行」と渋沢に名付けられ、お得意の揮毫までもらっている。
現代の銀行マンは見習いましょうね(静岡方面を見ながら)
さて、石川組西洋館は賑わっていたので、その客がこちらにも流れてきていると思ったのだが、そんなことは無かったのでござる。
・・客がどうのこうのもそうだが、大丈夫なのか、この施設。
この辺は旧営業室ゾーンらしいが、もとからこうなのか、それともただの物置と化したのか。
積まれているのはゴミでは無くて、建物の倉庫にあった防火用の窓です。
この建物は土蔵造りなのだが、明治期の銀行は土蔵スタイルが多かったそうな。
耐火性があるので、金や担保を保管する銀行としては必要な建築なのだろう。
レオパレスも全部土蔵にすれば良いんじゃないかな。
しかし展示なのか放置なのか判断しづらい品が多数ありますな。
ガラスも古ぼけたり割れたりしているけど、きっと演出なのでしょう(すっとぼけ)。
1900年建築当時の写真だそうな。
銀行と言うより豆腐屋みたいだな。
でも中ではちゃんと銀行やってまっせ。
明治~昭和の銀行なんて大量生産されまくって、そのあと弱小銀行が併呑されて絞られて行く流れであるが、黒須銀行は堅実な経営で生き残り、埼玉県でもトップ3に入るくらいの力は持っていた様子(黒須銀行調べ)
しかし1920年代になると失墜して、1922年武州銀行に呑み込まれて終了した。
黒須銀行失墜の原因として、館内の展示では1920年の不況が挙げられているんだけど、そのほかに「川越支店が独断専行的な経営を行ったため」と書かれている。
なにやったんだ、川越支店・・
ぼろいイスだなと思ったら、黒須銀行で使われていた台だった。
黒須銀行の名前入り風呂敷。
なんかの記念かと思ったら、これ武州銀行に併合された時のものらしい。
それが、黒須銀行の名前が出た最後であった(完)
社章は「信」の字。新選組かな?
これは瓦だけど、入間の土はけっこう良質で、瓦造りに適していたらしい。
生産量はさほど強くないので、今では廃れてしまったが。
なんだか付箋がやたら貼られている。
社内会議でもやったのかしら。
「歩道橋がジャマ」という意見が多数の様です。
黒須銀行の大掃除会をやるよ!
イベントにかこつけて客に掃除をやらせようとする意欲的な企画である。
てかボランティアでやらないと清掃すら出来んのだろうなぁ(哀)
2Fにあがります。
にしても、かなりの急傾斜である。
手すり途中で終わってるし、下りは難易度たかい。
こざっぱりしてるなぁ(直球)
2Fは会議室だったようです。
重役たちがあの急傾斜の階段をおっちら登ってきたわけか、胸熱。
2Fから外の風景を見るよ。
・・たしかに、あの歩道橋邪魔だな。
ただ除去したところで、とくに大した景色が見えるとは思えないのだが。
黒須銀行は1922年に終わってしまったが、併呑した武州銀行・その後身である埼玉銀行の支店として、この建物は利用されたようである。
1965年~1994年は郷土民芸館として入間市に使われており、そのときの模様をここでは展示している。
「郷土資料館であった」ことの資料を展示しているわけか、もうよくわからんな。
1970年の写真。
このときに歩道橋が出来たらしい。
今日になって邪魔者扱いをされるとは、彼(歩道橋)も想っても見なかっただろう。
民芸館開館の頃のパンフレットだと思うが、あちこちズタボロすぎて、むしろ前衛芸術っぽくなっている。
開館記念の品まで作っちゃったよ。
さて、元は取れたのかな?
と言う感じ。
同じ限定開館である石川組西洋館がかなり盛況だったのに対して、こちらの施設は不安感を強く覚える出来栄えであった。
ドナドナ。
以上。
【交通手段】入間市駅から徒歩20分
【入館料】無料
【滞在時間】25分
【混雑度】★★(2~3人)
【URL】
www.alit.city.iruma.saitama.jp