岡山シティミュージアム
岡山駅からデッキを西口へむかうと、リットシティビルがあり、その4Fと5Fにこのミュージアムがある。
常設展が5Fで、企画展が4F。
まずはエスカレーターで5Fへ。
常設展は入場料300円ですが、企画展を先に見てからくると100円割引になったりする。
なにそのトラップ。
常設展といいつつ、最初はプチ企画展です。
このときは明治時代に作られた切り貼り帳、もといスクラップブックである。
新聞や雑誌の一部を切り抜いて、それを貼り付けたノート。
気に入った画像をネットからダウンロードするようなノリであろう。
明治時代の人が、どういうことに興味を持っていたか、これで分析するんだってさ。
しかし貼ってある絵、それぞれ特に共通点がなさそうで、整理されてないフォルダ感あるな(キリッ)
壁になにか貼ってある。
スクラップブックに貼ってあった写真を用いたクイズだった。
ゴミを無駄にしない心意気ですね(適当)
んでここから常設展。
なんの部屋だろうか。
代表作を紹介・・したいところだが、この人の作品を調べたところ、私は何一つ知りませんでしたので、話せることがありません(小並感)
ただ東京は雑司が谷の自宅に「びわのみ文庫」なる図書館を建て、地域の子供たちの読書の場として提供していたらしい。
2010年に文庫は解体されたのを、いくつか使えそうな道具を運んできて、ここに再現したのがさっきの部屋。
3,000冊を超える児童書が置いてあったが、一緒に児童文学の研究書も収納されており、学者も訪れた模様。
昔懐かし図書カード入れ。
箱が無かったり傾いていたりするのはご愛敬。
文庫に置かれていた人形も、こちらに来ている。
文庫の2Fは、坪田譲治の書斎になっており、後ろの障子は実際に使われていたものを移築した。
館内では、作品のアニメも放送中。
上映作品のラインナップはこちら。
最後の「城山探検」だけ大長編だが、それ以外は5分で終わるので、坪田文学の入門編っぷりな役割である。
次のゾーン、ちょっと郷土資料館な雰囲気になったな。
地形の話。
岡山県の南部はもともと海であったらしい。
児島は文字通り、島である。
河川からの土砂流入や潮流の影響もあって干潟ではあったのだが、干拓が行われるのは戦国時代から。
ただ技術が発展して本格的に進みだすのは17世紀後半からで、干拓完了は1963年とかなり最近の話である。
そしていきなり話が飛んで、祭り関係。
「だんじり」とは山車のこと。
北浦では緞帳(どんちょう)という厚手の布幕を、だんじりの前後に掛けるんだとか。
その緞帳がこれ。
この緞帳は、龍の図らしい。
・・どこに龍がいるんだ?
こちらは獅子の図。
やっぱり獅子さん、居られないようにみえますが・・
祭りの映像を見てたら、緞帳の説明が出てたんだけど、「緞帳には龍や獅子が描かれていますが、古いので痛んでおり、龍も獅子も装飾が分からなくなってしまいました」とさ。
うーむ、めっちゃ真面目に龍や獅子を探していた私の時間を返してほしい。
数分間だけど。
ミュージアムの現代的な内装と同様に、電子データベースも取り揃えております。
ただこの端末、正面が先ほどの坪田譲治の部屋ゾーンになってるんだよね。
あとから坪田ゾーンに入ってきた客と目が合ってしまい、大変気まずい感じになり得るので、配置を考えていただきたい。
岡山と言えば備前焼。
なんかこう、ひんまがった感じが良いですね、備前焼(深刻なボキャ貧)
釉を掛けずに1200℃の炎で時間をかけて焼き締めるので、色・形はランダム要素です。
こんな桶も備前焼で作るんだな。
備前焼と並んで岡山要素があるのは、桃太郎です。
桃太郎の元ネタになった伝説については別の記事で書く予定なので割愛し、ここでは桃太郎=岡山となったいきさつについて纏め。
桃太郎が岡山ネタとして定着したのは案外新しい話で、1962年頃のことである。
「岡山に伝わる伝説が桃太郎の元ネタではないか」説は戦前から存在したが、この1962年に岡山で国体が開催されて注目が集まっていたところ、当時の県知事が桃太郎を前面に押し出してプロモーションを行ったのが成功。
行政から民間まで桃太郎に便乗しまくり、駅前商店街を「桃太郎大通り」と改称したり、路線名を桃太郎線と名付けたり、吉備団子なげたり、桃太郎祭りを突如開催したり。
マンホールまで桃太郎になってしまった。
こうして吉備団子や桃のセールスは上がりまくり、日本一ィィということである。
お次のゾーンは自然系のようだ。
自然玉手箱だって。
さっそく別の昔話まぜちゃってるけど良いのでしょうか。
フタをひらくと何かが出てくる系展示。
なにがでるかな。
カメラの宣伝かと思ったら、「虫を写真撮影して楽しもう!」という趣旨のものだった。
どこの資料館にも、昆虫ガチ勢は一定層いるようである。
ちなみにカメラは「TAMRON」ってとこの製品だけど、岡山の会社かと思ったら、本社は埼玉・製造工場は東北だった。
岡山関係ないじゃないか(衝撃)
1本の木で見つかった、セミの抜け殻。
うわーいっぱいだー(白目)
この広いゾーンでは、化石コレクター江坂進さんのコレクションを並べています。
江坂さんは生涯にわたって18,000点もの化石を収集し、自宅敷地に展示室を設けて飾っていたのだが、逝去後にコレクションは他の資料館を転々とし、最終的にここの常設展に収まったという。
化石といっても恐竜とか巨大なものじゃなくて、貝ね。
さすがに恐竜は自宅に飾れないだろう、どうぶつの森じゃないんだし。
これも貝。
引出し全部、貝である。
んでこれと同じ棚がもう一つある。
ほとんどの来場者は一段目で退散するであろう。
これまた、岡山市内の祭りのビデオ。
10種類ある。
その中でミュージアム側が一番推しているのが、この見るからに見るからである、「西大寺会陽(さいだいじ えよう)」。
2月の第三土曜日というウルトラ寒い時期の、夜10時。
市内の西大寺で行われ、褌一丁の男共の群れの中に、「宝木(しんぎ)」という木の棒が2本投げ込まれる。
それをド突き合いで奪い合って、手に入れた者が優勝もとい福男になるというもの。
本番前には身体を清めるため、冷水を全身に浴びることになる。
奪い合いの前に心臓発作で死にそうである。
宝木はこれ。
厨子の中に入れられて、大切に保管されております。
猛々しい野郎どもによる棒の奪い合い、これは女人禁制ですわ(確信)
英語の解説がついてるんだけど、一番最後の行に「レプリカが館内にあるから探してみよう!」って書いてある。
日本語ではそんなこと全く書かれてないんですが。
「外人は単純だから、煽れば勝手に盛り上がる」とでもミュージアムさんサイドは思っているのだろうか。
ちょっと脳筋アクション映画の見過ぎじゃないですかね。
こちらは岡山城の模型。
およびガイドさんの解説映像。
岡山城ではこんな「金箔瓦」という、瓦に漆を塗って金箔を貼り付けたものが発掘されている。
もっともこれは復元したものだが。
関ケ原以前に岡山城を持っていた宇喜多氏は秀吉の重臣であったので、それでこの瓦を使っていたと推定されている。
なお復元前の瓦はこちら。
顔の中心だけ残っている、怖いって。
これは1835年に建築された鐘撞堂という建物の小型レプリカ。
文字通り、鐘をついて時刻を知らせる施設である。
最初は1666年に作られ、1835年に登場した二代目がこれ。
岡山城下は戦時中の空襲でズタボロにされてしまい、鐘撞堂も焼け落ちてしまった。
焼けた鐘がこれ。
鬼瓦はわりと軽傷で残っている。
鐘撞堂が焼け落ちたことを残念がった学者や建築士たちが集まって、実物の1/5サイズでこのレプリカを製作した。
細かな技巧の凝らされた部品を、それぞれ見ることができます。
そして入口に戻ってきたので、おしまい。
あと4Fに企画展があり、江戸時代の岡山城主である池田家の保存文書を飾っていた。
でも池田家や関係寺院の建物間取り図とか、展示内容がニッチ過ぎる上に解説が殆ど無い仕様だったので、速攻で素通りしたのでした。
以上。
【交通手段】岡山駅西口すぐ
【入館料】300円
【滞在時間】60分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】