時計工房 儀象堂
下諏訪にある時計の博物館です。諏訪は「時計のふるさと」なのです(パンフレットより)。
今日の時計は水晶を用いたクォーツ式が主流ですが、世界で初めてその腕時計を開発したのが、諏訪を本拠とするセイコーエプソン(株)なのだ。
社名を聞いてもピンとこない方は、このロゴを見れば分かるのではないでしょうか。時計のSEIKOです。この時計の開発をセイコーエプソンがしているのです。
クォーツ時計の出現以前はゼンマイ式の機械時計がメインでしたが、1日で20秒ずれてしまう問題がありました。クォーツ時計はその誤差を0.2秒にまで縮めたのだ。革命的すぎて大ブレイクとなり、ゼンマイ式時計を売っていたアメリカの時計業界は大爆死して全滅したとwikiに書いてあった(要出典タグが付けられてますが)
一太刀で魔人を葬り去った全能感がある。つよい(中二)
博物館は、「しもすわ今昔館おいでや」という施設内にあります。同じ施設に、星ヶ塔ミュージアムという資料館もあり、入館料はセットで600円になっています。
下諏訪駅から徒歩15分です。建物の前には足湯もあります。
時計製作の体験工房もあり、セイコーエプソンOBが直々に教えてくれるのです。
展示内容ですが、時計の技術進歩の歴史がメインです。
1枚目は飛鳥時代の水時計。上の箱から下へ水が流れ、その水量により時刻がわかるというもの。
2枚目は江戸時代の街頭にたっていた時計ですね。
しかし技術開発をガンガンやってきた企業だけあって、時計の仕組みがかなり詳しく解説されています。あまりに詳し過ぎるので、時計素人の方・時計の原理をぱっと聞いて分からない程度に物理の勉強をサボっていた方には、難易度の高い内容となっております。
私は両方に当てはまります。
ただ世界に衝撃を与えたクォーツ時計の仕組みくらいは見てってください。
水晶を用いているわけですが、交流電圧を掛けると規則的に振動するので、この特性を生かして時計の針を調節するのです。
2枚目の写真の赤丸つけたのが、その水晶(振動子)です。ちっさ。
どアップで水晶振動子が画面に映し出されています。お手元のボタンを押すと電圧が流れ、振動子がぶるぶる震える様を見られます。
仕組み自体は1927年アメリカで開発されていましたが、装置の大きさがタンスほどだったそうです。タンスサイズの腕時計はさすがに厳しい(こなみ)
そのタンスを腕時計に小型化したのがセイコーエプソンということです。パチパチパチ。
屋外に出るとやたら巨大な塔がありました。3~4F建てくらいの高さがある。
この博物館の目玉「水運儀象台」です。11世紀後半、中国の宋で建造されました。時計と天文観測施設を兼ね備え、近代科学以前としては最高傑作と呼ばれるもので、世界で唯一それを復元したのです。
塔の中に入れます。動力源は水車です。ゴゴゴゴ、バシャーっと凄まじい音を立てて回っております。
2F部分には天球儀が設置され、自動で回転しています。これを確認しながら天体観測をしていたようです。
1F部分では時刻を示す板を持った人形たちが、歯車に乗ってクルクル回らされています。当時の中国では、1日を100等分した「刻」(=14.4分)という単位を用いていました。
かなり原始的な技術ながら、1日で2分の誤差しか生じなかったそうです。すごい!天才!時計野郎!
御柱祭・黒曜石・ウナギのほか、また新たな属性を諏訪に与えるミュージアムでした。おしまい。
【滞在時間】40分
【混雑度】★★(他に数人)
星ヶ塔ミュージアム 矢の根や
諏訪の北東にそびえ立つ霧ケ峰山塊では、縄文時代の必須アイテム黒曜石が大量に見つかっています。縄文人が立ち入った痕跡が多く残り、またここで採取された黒曜石は北海道や東海地方でも発見されているので、意外にも縄文人はモンスターハントだけでなく交易をしていたという証になっているのです。
なので諏訪と言えば、諏訪大社とウナギと黒曜石なのだ(個人差があります)。その採掘品や遺跡を扱うミュージアムです。
この資料館ですが、「しもすわ今昔館おいでや」という施設の1つになっています。施設内にはもう1つ時計のミュージアムがあって、それと合わせて入館料600円です。
下諏訪駅からは徒歩15分程度です。
ミュージアムの名前にもなっているのは星ヶ塔(ほしがとう)遺跡。標高1,500m、35,000㎡という山奥の膨大な土地の中に、200か所ほどの採掘跡が残されています。
年代は縄文前期(5700年前)~晩期(3000年前)と、2700年間にもわたって採掘されていたのです。あんなとこまでよう行きますわな。
星ヶ塔というのは素敵な名前ですが、地面に散らばっている黒曜石を見た江戸時代の人が、これを星のカケラに例えたことが由来だそうです。
ただ当時は星の欠片のことを「ホシクソ」と呼んでいたらしい。あのさぁ(呆れ)。急に黒曜石が鹿のフンに見えてきた。
採掘跡が館内で再現されていました。黒く見えるのが黒曜石です。2~3mほどの穴を掘ると出現するので、ハンマーで削り落として地上に運搬していたようです。
当時のハンマーがこちら。そのへんで採れる石です。これを手に持って、埋まっている巨大な黒曜石をコンコン叩いて削り落とすのです。削り痕から、鹿の角も使っていたと考えられています。
削り取られた黒曜石たち。ここから加工して、棒の先端に付けて槍にしたり、弓矢の矢部分に用いたようです。
ガラス質で切れ味鋭いのでナイフ的な役割が多いです。海外では現代でも医療用メスとして使われているらしい。
黒曜石は交易品として様々な地方に輸送されたので、その返送品かどうか分かりませんが風変わりな出土品がありました。
左の石板は東北地方で見つかる形式のものですが、諏訪まではるばる運ばれてきたのです。用途は不明。見た目が禍々しいから魔王でも降臨させるんじゃないですか(適当)
右は独鈷石といい、これまた用途が分からん品ですが、資料館では「縄文ダンベル」と呼んでいるそうな。縄文人も鹿を素手で殴り倒すためにライザップしてたのかな。
規模的にあまり大きくないミュージアムなので、これでおしまいです。
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に数人)
【URL】星ヶ塔ミュージアム 矢の根や – しもすわ今昔館おいでや
おんばしら館よいさ
諏訪大社 下社春宮そばにある資料館です。名前通り、御柱祭について展示しています。
下諏訪駅から徒歩20分。入館料は300円です。
御柱祭りは当ブログで何度も関わっているので蛇足ではありますが、下記の特徴があります。
・6年に1度開催され、諏訪大社を構成する上社本宮・前宮、下社春宮・秋宮の計4カ所の柱を立て替える珍しい神事。
・柱となる大木は近隣の山で切り落とされ、人がそれに乗った状態で坂を猛スピードで滑り落ちたり、担いで大きな川を渡ったりして大社まで運ぶ。
・たまに人が死んでいる。
祭りの進め方は上社と下社で異なります。この資料館は下社の近くにあるので、展示内容は下社についてです。
まずは柱にする用の木を用意するのですが、開催1年前にもう伐採しておくのだ。樹齢100年越えの大木ですが、1年間置いておくことで水分が抜けて少し軽くなるそうです。それでも8トンほどありますが。
祭り当日になったら、柱に縄を付けてずりずり引っ張って、山から大社を目指します。
祭りの模様がビデオ放映されていました。
これが最大の見どころ「木落とし」。柱の上に乗って傾斜のキツい坂を滑走するわけですが、ほとんどの人が振り落とされます。柱に轢かれたり、地面と柱の間に挟まれたりしないよう気を付けよう(どうやって)
(右の写真は下諏訪町HPより おんばしら館 よいさ | 下諏訪町)
なんと、この「木落とし」アトラクションが館内にあります。死と隣り合わせになる感覚は味わえないかもしれませんが、まぁまぁ面白いです。
しかし、これ別料金200円取られるんですよね。なんでじゃい!
(H28御柱祭HPより http://www.onbashira.jp/shimosha/ticket/)
本番の木落とし、観覧するにはチケットが必要です。最安値のB席だと3,000円、SS席は7,000円となっております。良い商売してるなぁ神社さんよぉ(チンピラ並感)。
部外者が柱の近くにひょこひょこ近づいて、巻き込まれて爆死ってのを防ぐためかもしれません。
そこそこのお値段ですが、6年に1回開催のプレミアムだし、年に100回くらいやってるCATSでも1万円取るんだから、別に良いんでないの。
無事に死者もでず、柱が坂を下り切ったら、次は「里曳き」。これは一般的な祭りですね(安堵)
担いでいるのは神輿ではなくて「長持ち」です。町内会だけでなく企業もそれぞれ1台ずつ所有していて、持ち出してくるんだそうな。長持ちを担ぐ練習は、下諏訪町では幼稚園の頃から行うらしい。英才教育。
んで最後に柱を大社の境内に立てる「建御柱」をやってハッピーエンド。。。ですが、実はこの部分が最も危険なのだ。1980年以降、御柱祭では5件の死亡事故が起こっているのですが、うち3件はこの「建御柱」絡みなのです。
木落としが派手過ぎて感覚がマヒしてますが、地上数mの位置まで人を乗せて柱を立てているので、よく考えなくとも危険な行事である。落下したり、柱が倒れて下敷きになったり。それでも続けるんだから懲りないですねぇ。。
しかしなぜこうまで危険なのかと思っていると、館員さん曰く「下社の神様は女性(八坂刀売神 )。女性は命を賭して新たな命を出産するので、下社の祭りは同じように命を懸けている」とのこと。下社の神様に現代医療の進歩を教えてあげたらどうかしら。
(上社の御柱)
じゃあ上社は安全なのかと言うと、こちらの木落としは下社ほど坂の傾斜が厳しくなく、距離も短いんですね。なので迫力は下社の方が強いかもしれません。
その代わり、柱がY字になっていて、枝の部分に人が乗ってるんですよねぇ・・君らは柱があると乗らずにはおれんのか。インドの列車か。んでこれが横倒しになるとまたカオスなことになるので、危なっかしいことに変わりないのであった。
そういえば諏訪大社の神事では女性も活躍しています。「神聖な場所は女人禁止」「土俵に立ち入るな」なんて古めかしい規則はなく、里曳きでは花笠踊りがメイン種目だし、木落としにも参戦するのです。勇ましい(白目)。
歴史的に諏訪の産業である製糸・精密機械は女性労働力を必要としていたので、それが大きいという話を聞きました。
そんな御柱祭、次の開催は2022年です。前回2016年は186万人もの動員数だったそうな。大社が位置している下諏訪町・諏訪市・茅野市の人口あわせても13万だから、もう溢れんばかりである。
上の記事によると、6万人減ったとあるのは人気が下がったからではなく、あまりにも人が来すぎてしまうので御柱祭さんサイドが抑制策を採ったから。コミケの入場制限か。
下社のすぐ近くにあるので、予習にはうってつけの資料館でした。おしまい。
【滞在時間】40分
【混雑度】★★(他に数人)
【URL】おんばしら館 よいさ | 下諏訪町
今井邦子文学館
下諏訪の女流歌人 今井邦子(1890-1948)をあつかう資料館です。下諏訪駅から徒歩15分。
建物はその実家で、江戸時代には茶屋をやってたのを復元しました。面している道路はかつての中山道だそうな。
入館料は無料です。
主たる功績としては、女性のみによる歌誌『明日香』を創刊し、多くの女性歌人を輩出したことがあります。
諏訪には当時の有名歌人 島木赤彦が居たのですが、この人に師事して短歌雑誌『アララギ』に参加。万葉集など古典の研究・女性参政権の主張・恋愛や育児、家庭をテーマにした作品多数など、多方面で活動していたようです。
・・・そんなことより見てほしいのは、この写真。あれ、なんだか、めちゃめちゃ綺麗な清楚系メガネ淑女じゃないですか。
しかもこの写真、40歳の時だそうです。
若い時の写真がこちら。左が(おそらく)20代後半、右は30代前半。
いやぁ、これだけでも来たかいがあったな!短歌とか全然わかんないけど(中並感)
父は国家官僚であり、完全なる箱入りお嬢様かと思いきや、なかなか難しい人生を歩んでいます。
・19歳の時に親に結婚を強制されそうになったので家出して上京
・父危篤のため帰省して看病するも、死後また家出して上京。新聞記者になり、結婚して2児の母に。
・夫の浮気が発覚して通算3回目の家出。「懺悔奉仕 光泉林」とかいう不安な名前の団体に10カ月身を寄せる。なおこの団体は今でも存在していて、大自然に感謝しつつ社会奉仕しているそうですが、主な活動は「便所掃除」とのこと。
17歳の時の写真がこれ。左側の人です。なんだか別人である。
しかしこんだけ美人なのに10年後に浮気する夫ェ、、と思いましたが、美女を嫁にしておきながら3年ちょっとで六本木ヒルズの多目的トイレに駆け込んでしまう殿方も最近登場していたので、まぁ人間の欲望にキリは無いのでしょう(唐突なまとめ)
・・で、なんでしたっけ。あぁ、短歌か。
館内にもいくつか作品展示されていますが、この3つは作品集に載っていない未発表のものだそうです。ファン垂涎じゃん。
「ふるさとは 初雪降ると聞くころを あ*をかかげて大根ほすなり」
↑ の*は、文字が潰れていて判読不明だそうです。一体何を掲げて大根ほしてたんでしょうね。アゴ?
原稿です。師匠である鳥木赤彦に添削してもらっています。
鳥木はコメントで「総体的に良い」と言っているんですが、そのわりにがんがん修正されてて笑った。「がんばりましたね」って言いながら40点/100点つけられているようなものである。
あとは遺品や出版した作品が並んでました。何故かレコードまでありましたが、万葉集の朗読をしていたそうです。
展示室は2Fにありまして、1Fはこの和室だけ。特に何も置いてないです。
下諏訪町はこんなにスペースを余らせるのではなく、今井邦子について真剣に調査を行い、もっと多くの写真を出せ 展示品を充実させるべきだと思います。
おしまい。
【混雑度】★(だれもいない)
【滞在時間】20分
【URL】今井邦子文学館(旧松屋) | 下諏訪町
諏訪市博物館
諏訪市の博物館です。諏訪大社の上社本宮の正面にあります。・・つまりアクセスは悪いのです。上諏訪駅からバス20分~50分かかります。市街地の方に建てて欲しかったでござる。
バスでの所要時間は、系統次第で相当かわるのです。1番早いのは「かりんちゃんライナー」の20分(帰路は40分)ですが、土日は運行してないです。
市内循環線では40~60分。な、長い。。。駅からの距離は6.0kmなので、これでは徒歩とあまり変わらないのではないか。
博物館の手前には足湯ゾーンがあります。れっきとした温泉です。歩いて来られたガッツなお客様はここで休むと良いでしょう。
(画像は公式HPより フロアガイド | 諏訪市博物館)
入館料は310円。展示室内は撮影禁止なので公式HPの画像を引用します。内装は綺麗でムーディな雰囲気になっています、意外に(失礼)。
展示内容は信仰ネタを中心とした郷土史・民俗史です。2部屋あります。
(右の画像はイメージで、塩尻市自然博物館のものです)
そして世界のチョウチョの標本2,000点が特別展示室に飾られています。・・なんでチョウチョなんだ・・。諏訪大社を学びに来館した罪のない一般客に猛烈な不意打ちをかましております。
ちなみに日本には240種の蝶がおり、諏訪にはそのうち130種も生息しているそうです。
(画像は諏訪市HPから 諏訪市の縄文時代 | 諏訪市)
さて展示ですが、まずは縄文時代ですね。当時の必須アイテム黒曜石が諏訪では豊富に採れるので、人類の痕跡は多くみつかっております。
土器も個性豊かで、ハッスルハッスルしている注口土器っぽいものや、( ゜o ゜)な器など色々あるのです。
撮影禁止せずにもっと露出させれば良いと思うのですが、博物館Facebookを見たら事務連絡botと化していたので、諏訪市民は市議会でもっと問い詰めよう(提案)
また諏訪湖では湖底に遺跡が見つかっているのです。曽根遺跡という名称で、数万点もの出土品があるそうな。
普通に考えれば地盤変動かなにかで水没したのでしょうが、「筏上で生活していた」説も出ています。曽根遺跡キナギタウン説。夢があるので、これでいきましょう(適当)
ここから先は諏訪大社を中心に歴史上の出来事を展示しているのですが、、あんまり面白いもの置いてないんですよね。
武田信玄が庇護したとか、信長が焼き払ったとか、大社周辺にお寺ができて門前町として栄えたとか。ありがちな上に写真が無いので、書きづらいでござる。
地域の伝承をアニメ化したビデオとかあったかな。
あとは諏訪大社の御柱祭についてのビデオが放映されています。丸太に乗って傾斜30度以上の坂を滑り落ちる即死イベント「木落とし」のほか、上社では幅40mもある川を渡河する「川越し」が行われます。
「川越し」は「木落とし」ほど絵的な派手さはありませんが、4月初旬に行われるので、水温は雪解け水のせいでメチャメチャ冷たいそうです。地味に殺していくのはやめてさしあげろ。
という感じでした。おしまい。
【滞在時間】50分
【混雑度】★★(他に数人)
【URL】諏訪市博物館