C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

塩尻市立 平出博物館 & 平出遺跡公園

「日本三大遺跡」で検索すると、静岡の登呂遺跡・青森の三内丸山遺跡が出てきて、もう一つがこの平出(ひらいで)遺跡だそうです。

縄文時代から平安時代まで幅広く豊富な出土品があり、古代研究に大きな貢献をしているそうな。国の史跡にも指定されています。近くにある遺跡公園では、復元された古代の住居いろいろを見学できます。

 

 

アクセス・入館料

アクセス

最寄りはJR塩尻駅です。博物館まではコミュニティバス「すてっぷくん」が出ているのですが土日休日は運休なのだ。なんという無能・・!まぁ平日も1日5本ですけどね。

タクシーだと片道10分、1200円程度です。

徒歩だと片道25分です。往路は登りがあるので少し疲れます。

グーグルマップで塩尻駅~平出博物館を検索すると徒歩30分以上と出るのですが、上の図の通り最短ルートを通れば、そんなにかからないです。

平出博物館/塩尻市公式ホームページのアクセスマップに加筆)

ただ往復50分も歩いていられないので、往路はタクシーで行きました。

博物館見学後、徒歩5分の平出遺跡公園まで移動。そこから塩尻駅までは徒歩20分なのでさほど遠くは無いですね。

 

入館料

博物館は300円です。遺跡公園は無料で見学できます。

 

博物館の展示1 精巧・珍妙な土器の数々

 

博物館の展示室は4部屋あります。大半は縄文時代の土器・土偶ですが、精巧なもの・珍妙なものを多く揃えているのが特徴です。日本三大遺跡と呼ばれるだけあって豊富な出土品数である。

 

珍妙系の代表格がこちら。縄文時代土偶ですが、「ドラえもん土偶」「キティちゃん土偶」と呼ばれています。そういわれると、確かにそうとしか見えなくなります。

平出遺跡の住民は早々にクールジャパンを取り入れていたようです。

これは弥生時代土偶ですが、私は勝手に「カオナシ土偶」と呼んでいます。まぁカオナシにしてはお腹下したみたいな自信なさげな表情してますが。

容器のようなものに顔が取り付けられており、「遺体を一度埋葬して白骨化させた後、その骨を取り出して土器に入れて再度埋める」再葬の儀礼関連だと考えられています。

 

精巧な土器の代表例はこちら。複雑極まりない装飾や、可愛らしい小物など様々です。完成度の高い作品が惜しみなくぞろぞろ並んでいる点は、他の博物館と一線を画している感があります。製造元は格が違いますね。

土器に触ったり持ち上げられるコーナーもあります。けっこう重いので、油断した状態で持とうとすると面食らいます。落とすなよ、絶対に落とすなよ。

 

また時代背景を説明するパネルではキツネちゃん達が登場します。普通にかわいい。社会科見学で来館した児童たちの数%はケモに目覚めてしまうかもしれません。罪深いなあ(嘆息)

 

博物館の展示2 壮麗&先進的な出土品

展示品は縄文土器だけではありません。県宝に指定されている壮麗な作品もあります。

平安時代の儀式に使われていたとされる緑釉水瓶。これは平出遺跡発掘のきっかけになった陶器です。

戦後、地域住民が畑を耕していたら偶然発掘され、関心を持った研究者が本格調査を開始したら出土品がごろごろ出始めたらしい。まさにベンチマークとなる展示品です。

農作業中に鍬で叩き割ってなくて良かったですね。

神々しいオーラを放っている銅鐸は弥生時代のもの。ほぼ無傷の状態で発掘されており、奇跡に近い優品です。銅鐸自体、東日本ではあまり見つかっていないようですが、東海地方では出土しているので当時お決まりだった天竜川遡上ルートでやってきたのでしょう。

おまるではありません。奈良時代の硯だそうです。背中の羽は取り外し可能のようです。

こうした鳥型の硯は平城京などで見つかっているそうですが、数が少なく貴重だそうな。なおアヒルではなくてカモだと思われています。

さらに平安時代には、なんとアイロンがあったそうです。名称は「火熨斗(ひのし)」。フライパンみたいな形してますが、皿の部分に炭火を入れて温め、底の部分で布を押して伸ばしていたとか。

これも全国で10点ほどしか無いそうです。平出の民は先進的ですね。ドラえもん・キティちゃん・おまる・アイロン、時代を千年ほど先取りしています。

 

平出遺跡の復元建物たち

博物館を見終わったので、平出遺跡公園に移動しました。徒歩5分。

遺跡の発掘品を参考に、縄文~平安時代頃の住居が復元されているのです。

  

建物は10数棟あるのですが、内部に入れるものと入れないものがあります。

これは高床式倉庫。床は骨組みの上に板を敷いているだけなので不安定感が凄まじく、底が抜けそうな恐怖を味わうのに適しています。

竪穴式住居はそういう不安定感ありませんが、なぜか禍々しい布が掲げられていて、古代の家というよりフリーメイソンの集会場のようです。入信しないよう、気を確かに保たなくてはいけません。

戦後のバラックみたいなみすぼらしいのが1軒だけあるんですが、これは市民や児童たちが「実際に土葺き屋根を作ってみよう」プロジェクト(名称は適当)で建てたんだそうな。みすぼらしいとか言ってはいけません(戒め)

入り口は高さが全くなくて、身長50cmくらいになるまで体を畳まないと頭ぶつけるので攻略最難関な要塞です。

 

おしまい

 

【滞在時間】博物館60分、遺跡公園30分

【混雑度】博物館:★(誰も居ない)

     遺跡公園:★★(他に数人)

【URL】平出博物館/塩尻市公式ホームページ

 

〇 博物館

〇 遺跡公園

シャトレーゼ白州工場(アイス食べ放題の工場見学)

このアイス、ぜんぶ食べ放題です。

食いしん坊万歳!スイーツは別腹!金は払いたくない!の皆様に大人気なシャトレーゼ白州工場の工場見学。

たいへん太っ腹な工場ではあるのですが、予約やアクセス手段が若干わかりづらいので気を付けましょう。

 

 

予約方法

www.chateraise.co.jp

HPから事前予約が必要です。電話でも予約できます(番号は上記リンク先に載ってます)。

アイスが食べた過ぎて発狂しそうな時でも、甲府盆地の寒さで凍えて行き倒れそうなときでも、当日飛び込みでの見学はできませんので要注意。

 

予約完了すると、こんなメールが届きます。

私は14時予約にしたのですが、ちょっとわかりづらいのが赤線部分。

「ご予約時間30分前後を目安にご来場ください」。

 

結論から言うと、予約した時間の±30分以内に来てね、ということです。

私は14時予約なので、13:30~14:30の間に行けばいいのです。ガイドさんは付いておらず、勝手に来場して、勝手に見学コースを見て、勝手にアイスを食べてね!なので最低限の時間を守れば、あとは融通が利きます。

退出時間もかっちり決められているわけではないので、15時や16時まで滞在していても怒られたりはしません(夏休みとかは制限あるかもしれませんが) 

 

アクセス方法

予約が出来たら、次は工場への行き方を確認します。

よく見ると、なんだか怖いことが書かれています。赤線部分をご覧ください。

ご利用案内 | 工場見学 | シャトレーゼ より)

徒歩、自転車でのご入退場はお断りしております。公共の電車、バスをご利用の方はタクシーやレンタカーにてご入退場ください。

(徒歩など)でご来場された場合、入場をお断りする場合があります。

 

安全面で懸念があるから徒歩では来るな?シャトレーゼ工場周辺ではISISや関東連合でも跋扈しているのでしょうか。そこだけ空間が歪んでいるのかもしれません。

いずれにしろ車以外の入場はお断りされるようです。

小淵沢駅

イカーやレンタカーの方は問題ないですが、公共交通機関オンリーの方は最寄りの小淵沢駅からタクシーで来ましょう。だいたい数台はいるはずです。

距離にして7km、料金は2,500円くらいです。なお帰りは迎車料金になりますので3,000円程度になります。・・「アイス食べ放題でお得だー!」以前に結構な出費になりますね。

 

往復6,000円も払えるか!という倹約家の方には・・あまりお勧めはしませんが、サントリー白州工場へ出ている無料シャトルバスを使う手があります。

www.suntory.co.jp

サントリーの工場とシャトレーゼの工場の距離は2km弱。小淵沢駅から無料バスでサントリーへ行き、タクシーを呼んでそこからシャトレーゼへ行けば、1,000円もしないで入場できるのです。

ただサントリーのバスは(当たり前ですが)サントリー工場見学を予約している方しか乗れません。運行時期も限定されてますので、詳しくはリンク先をご覧ください。

まぁサントリーシャトレーゼ両方まわりたい人は許されるでしょう。タクシーの運ちゃんからは睨まれるかもしれませんが。

 

工場見学

さてタクシーの出費で重傷を負いつつも、シャトレーゼ敷地内に侵入しました。やたら殺風景なところで降ろされました。これ本当にアイスあるの?

正面の建物の右手に階段があるので、それを上ります。

ようやくお菓子屋さんっぽい雰囲気になりました。ここが入り口です。

このフロアはお土産売り場になっているので、あとで来ます。2Fの工場へ向かいましょう。

食料品を扱うところなので土足禁止になっております。

ここでスリッパに履き替えます。靴は備え付けのビニール袋に入れて、持って館内を歩くことになります。

 

靴はきかえゾーンのすぐ次で、シャトレーゼが使用している原料の説明ビデオが放映されております。

水は南アルプスの天然水で、これで北海道産の小豆を仕込み、オリジナルの餡を製造しているそうです。美味しそうです。

しかしこのゾーン、あまり混んでないんですよね。きっとみんな早くアイスが食べたくて通過してしまうのだろう。お子様はこの手のビデオは落ち着いて見ちゃいられないのです。

そんな天然水をイメージしたという真っ青(?)なトンネルを抜けて、工場へ向かいます。

あれ・・先ほどまでのファンタジー感はいったい・・?現実的な廊下があなたをエスコートします。

きっと建築当初は工場見学なんて想定してなかったのでしょうね。

実際に稼働している機械をガラス越しに見ることが出来ますが、撮影は禁止されております。企業秘密。

ここでは小豆を煮て練って、餡にしていく模様を眺められます。ガラス越しとはいえ、餡の良い香りも漂ってきます。こしあんつぶあんの製造方法の違いビデオも流れていて、興味深いです。

あなたに合うシャトレーゼのアイスはどれ?というフローチャート

これらアイスは食べ放題にありますので、行きついたアイスを食べるのも面白いですね。

いちおうシャトレーゼの社史とか事業とかを説明するパネルもあるんですけど、まぁ誰も見やしませんわ(遠い目)

実はゴルフ事業やワイナリー、リゾートもやっているのです。アイスマネーで投機してますね。建物全部アイスで作ったリゾートホテルとか作って欲しい(溶けそう)。

 

食べ放題ゾーン

工場見学の最後に、食べ放題ゾーンに辿り着きます。

結構な人が居まして、ベンチもあるのですが殆ど使われてしまっております。立食です。いつまでも居座られても困るので、あえてベンチの数を少なくしてお客様の疲労を高め、回転率を上げるシャトレーゼ大作戦なのかもしれません。

 

カップアイスやアイスバー。バニラに桃にチョコに小豆、8種類くらいあったと思う。頑張って全部食べましょう。

私は道中のビデオで洗脳されて小豆アイス食べたい病になっていました。

アイスを食べると喉が渇きますが、白州の名水が無料サービスされていますので安心です。「アイス無料食べ放題」と言っておきながら水は課金制だったらなかなか鬼畜で面白いと思ったのだが、とりあえず無料で安心です。

有料ですが、クッキーやシュークリームなど焼きたてお菓子も売られており、これがまた良い香りをフロアに漂わせています。

そして有料のお菓子を買った人には、こちらのテーブルを使う権利が与えられるのだ。無料アイスゾーンからは一段高い位置にあり、食べ放題をしている人々を眺めながら一服つくことができます。こんなところで階層社会を見るとは思わなかったので笑ってしまった。

最後にお土産売り場を見ておしまいです。試食や工場限定品もあります。

帰りのタクシーは、ここの店員さんにお願いすれば呼んでもらえます。電話代は節約できましたね(白目)

 

おしまい

 

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【滞在時間】2時間

【URL】

www.chateraise.co.jp

 

旧 平田家住宅(山梨)

江戸時代の農家住宅です。まぁよくある古民家です。

平田家は名主を務めていた家系で、村ではぶっちぎりで土地を持っていたらしい。絶対やなやつに違いない(偏見)

もとは違うところにあったそうですが、国の文化財に登録されたのでこの地に移築して保存しております。

入場料は210円です。こちらの建物内に受付があるので、そこで支払います。

大きな建物なので資料室か何かあると思うじゃないですか。残念ですが中は倉庫だそうです。展示要素はありません。

お目当ての平田家住宅はあちらですね。江戸時代にはバリアフリーなど無いので、頑張って階段を上がってクレメンス。

階段の手前に、武田信玄vs上杉謙信の一騎打ち、川中島の名場面が再現されています。

なんでや平田家関係ないやろ!と最初思うのですが、実は平田家は武田家臣の末裔だそうです。武田繋がりでこの像おいてあるのね。

しかし信玄、木に被っちゃってて主役どう見ても謙信である。主人の扱い雑すぎやしませんかね。

階段を上って住宅内に入ります。

なお見学にはガイドさんが同伴し、館内の模様をいろいろ説明してもらえます。

館内の様子です。あぁ、暗いですねぇ。照明も江戸時代ですねぇ(煽っているわけではありません)。

フラッシュを焚いたらすごく白くなりました。はっきりわかんだね。

見ての通り土間がとても広くて、建物面積の6割を占めています。

右奥の方にちろっと見えるのですが、馬を屋内で飼っていたのですね。農耕作業で使う馬を家族の一員のように大事にしていたので、屋外では無く屋根の下で世話をしていたとのこと。

囲炉裏には火をくべる時もあるそうですが今回は冷えていました(ちーん)。

まぁ冬場そんなに来客いないから仕方ないですね。春や秋はより古民家らしい雰囲気が楽しめるかもしれません。

炉を囲んでいる居間の部分(イドコ)。ここで家族そろって食事や団らんしたのでしょう。

・・しかし同じ家の中に馬いるからなぁ。お食事時に馬糞の豊満な香りが部屋中ただよっていた恐れが微レ存。お客様の中に馬をペットとして飼われている方がいれば、平田さんと話が合うかもしれません。

動物臭も気にせず飯を食らう豪快な平田家ですが、意外にも防御の備えがされております

土間と座敷を隔てているこの戸、座敷側から見ると取っ手?が付いていて、開きやすいようになっていますが、、

土間側から見ると取っ手が無く、つるっつる。これだと戸を開けづらいですね。

賊に襲撃された際、戸を内側からしっかり閉めてしまえば破られづらくなるそうです。火つけられたら終わりですけどね(当たり前)

 

当時の家具用品も幾つかあり、触って遊べます。

これは米びつ。一番下にスライドして開ける部分があります。下手に開けると中の米がドサドサ地面にばらまかれるので大変危険。今夜のご飯は地面味のライスになってしまう。

道具にも触らせてもらえます。チョウナでござる。建物の柱はごつい木から成っていますが、こういう機具で職人さんは作っていたのです。すごいですねぇ、という展示。

 

そんなところです。

所要時間30分弱。小淵沢駅から徒歩10分なので、電車の待ち時間にふらっと来る・・にはちょっと時間が足りないかもしれませんね。

まぁ小海線だったら2時間に1本とかだからちょうどいいですね。小海線ユーザーの皆様にお勧め。

 

おしまい

 

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.city.hokuto.yamanashi.jp

 

上田市立 丸子郷土博物館

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丸子町は2006年に上田市に吸収された市町村ですが、明治~昭和にかけて生糸生産の一大産地となってアメリカにじゃんじゃん輸出しており、この世の春を謳歌していたのだ。

そんな青春を懐かしもうという地元ネタ資料館です。廃線となった上田電鉄の丸子線の資料も若干あります。

 

 

アクセス・入場料

車でのアクセス

上田駅周辺の市街地からは車で30分弱です。

グーグルマップで見ると南側の道路が入り口かな?と思うわけですが、残念ながら罠です。塀に阻まれて死んでしまいます。

北側に面している道路から入りましょう。駐車場は広いので余裕で停められます。

 

バスでのアクセス

上田駅から鹿教湯線に乗車して1時間弱、「丸子郷土博物館前」下車すぐ。・・なのですが、本数は2~4時間に1本というレアポケモンです(瀕死)

途中の「丸子駅」停留所までは1時間に1本出てるんですが、そこから5km歩くんですね。どうしてそんなところに博物館建てたのか。

 

入館料

100円です。

 

丸子の歴史1 木曽義仲の挙兵の地

丸子が歴史の表舞台に登場したのは、意外にも『平家物語』だそうです。木曽義仲が拠点を構えており、ここから出兵して平家相手に連戦連勝していって京都を奪還するわけですね。まぁそのあとは頼朝勢によってミートローフにされるわけですが。

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義仲が居住していたのは「依田城」。周辺には馬を扱っている牧が多くあり、合戦用の馬を調達するのに適した地だったそうな。

依田城の場所はよく分かってないそうですが(小並)、現地には「義仲挙兵の地」と勇ましく書かれた柱をぶっ立てております。

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(木曽の義仲邸宅跡地の横にある旗挙八幡宮

しかしここで疑問が。木曽義仲は名前の通り木曽の出身なのですが、木曽町に旗挙八幡宮なるものがあり、「以仁王の令旨を受けた木曽義仲がこの地で旗挙げ(挙兵)を行った」とされております。

あれ、2回も旗挙げしてるの?以仁王の令旨は1回きりなんですけどね。なんだか忘年会や送別会を何度も何度も行う職場に似ていますね。

 

同じく木曽にある義仲館の展示やwikiを見ると、義仲はどうも木曽で旗挙げ→依田城に異動して戦力集め→本格的な戦闘行動開始、という経歴なようです。木曽町は木曽での挙兵を、丸子は依田城での挙兵を、それぞれ旗挙げと主張しているわけですね。

しかし旗挙げの地が2か所あるのは混乱します。木曽と丸子で旗あげゲームやって、勝った方がハタ坊を名乗ると良いと思います。

 

丸子の歴史2 製糸業の大ブームと鉄道敷設

明治時代の我が国の産業といったら生糸しか無いわけですが、長野県では諏訪・岡谷に大規模工場が立ち並んで日本経済を牽引していったことが有名です。

しかし明治初期の一時期は、長野県の生糸生産の半数を丸子が占めていました。

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(展示室内に製糸業の機具がいっぱい。ただ暖房は無いので冬場は防寒着必須)

丸子は江戸時代から養蚕が盛んだったそうです。農業では使い物にならない荒れ地や傾斜地が多くあり、農家としては厳しい暮らしだったと思いますが、それらの土地を桑畑にすることで活路を見出したようです。かしこい。

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それら農家は副業として家で細々とやっていたけれど、明治になると依田社や旭社といった企業が設立され、繭の購入や製品検査・輸出を取りまとめて行うようにしたそうだ。集約して合理化したんですね。

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20世紀になるとアメリカで絹産業が興隆して大量生産を始めたので、日本の生糸需要が爆あがりしたそうな。丸子の各社もがんがん輸出。この頃が丸子の全盛期です。

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輸送のために鉄道まで敷きました。1918年に丸子~大屋まで開通した丸子電鉄です。そのあと更に上田東まで延伸されたので、丸子民はこれで上田のアリオまで行けるようになりました。やったね、デリシアより品揃えあるじゃん。

さらに上田電鉄下之郷駅からも延伸があり、1926年に西丸子駅まで開通しました(西丸子線)。2つも路線があるなんて、大都会だな丸子。

 

まぁ今ではその路線、みんな死んでるんですけどね(稲川淳二

位置関係が分からないので(めちゃめちゃ雑に)路線が通っていたであろう場所に線を引いてみました。駅の正確な場所を知りたい方は、グーグルマップにスポット登録されているので検索すると良いです。

右側が大屋~丸子の丸子線、左が下之郷~西丸子の西丸子線。丸子の民は上田に出るのに2通りのルートがあったわけですが、哀しいことに両路線とも1960年代に廃線済み。モータリゼーションの時代には勝てませんねぇ。

 

ちなみに丸子線の方はwikiに、さらに悲しい顛末が書かれていた。

上田東~大屋間は信越本線と並走していたのだが、信越本線を複線化するというので線路を国鉄に召し上げられてしまった上での廃線らしい。

国鉄「どうせ君ら赤字路線なんだから、線路をこちらに譲り渡して廃業したまえ^^」

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まぁ鉄道が廃線となった1960年代よりもはるか前、1930年代の時点で丸子の養蚕は斜陽産業になってしまったようです。お得意先アメリカ発の世界恐慌ですね。

メリケンが生糸買ってくれないからバンバン企業が潰れたり、合併したりして生き残りを図るも、戦後には1社を除いてみんないなくなり、別の会社が入ってきて軽工業の町になっていきましたとさ。

ちなみに画像は「巴型銅器」という弥生時代の宝具だそうです。処刑用武器ではございません。

 

とある地方の町の盛衰を知り、最後は「あぁ・・(嘆息)」となる資料館でした。

おしまい

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰も居ない)

【URL】丸子郷土博物館 - 上田市ホームページ

雷電資料館(道の駅「雷電くるみの里」)+雷電の生家

江戸時代に雷電 爲右エ門(らいでん ためえもん)」という力士が居ました。21年のプロ生活で勝率9.6割以上という尋常じゃない強さを誇り、大相撲界の最強力士と名高い人です。

東御市の出身なので資料館が道の駅「雷電くるみの里」に併設されています。1km離れたところに生家もあるのです。

 

 

アクセス・入館料

高速だと東部湯の丸ICと小諸ICの中間くらいにあって、10分の距離です。道の駅だから駐車場の心配はありませんね。

道の駅だというのにどうしても電車で来たい方は、しなの鉄道滋野駅から2.2km歩けば着きます。上り坂なので30分は見ておきましょう。

道の駅は物販+食事処です。

東御市地ビール「ピエール・ド・雷電」は季節ごとに味を変えている面白い逸品です。全種類のもう。

また10km離れた地点に長野県の金原ダムがあるのですが、ダムカードをここでゲットできます。売店の店員さんに尋ねましょう。しかしなぜか名簿に名前と住所を書けと言われます。ダムカードの転売とか価格釣り上げでも防止しているのかな?

資料館は道の駅の一番奥です。入館は無料。

奥の方にあるからトイレかと思ってスルーしてしまったよ。

 

展示 力士 雷電の凄まじい強さを知ろう

道の駅の一画ということで、規模はあまり広く無いですね。サクッと見れる量です。

雷電の実績がパネルや紙芝居調で説明されているほか、江戸時代の相撲事情も扱われています。

雷電さんが活躍したのは1790~1811と江戸時代の終盤。身長は197cm、体重170kgというサイズ面からして怪物級です。

22歳でデビューしましたが、ルーキーイヤーでいきなり10戦8勝。これは資料館さんサイドによると信じがたいほど凄まじい成績だそうです。サッカーで言うとデビューシーズンで得点王、野球なら個人タイトル2冠、芸能界なら和田アキ子素手で殴り倒すという感じでしょうか。

衝撃のデビューでしたが快進撃は翌年以降も止まらず、江戸では254勝10敗2分けという大正義っぷりを披露。勝率は9.6割を超えるというテレビゲームみたいな強さです。じゃんけんで勝負決めた方がまだ勝てる確率高いね。

当時の番付表がありましたが、当然のように最初に名前が載っています。

雷電の陰に隠れてますが、番付表にはトンデモ力士が他にもいました。

この「大童山文五郎」は、なんと6歳でプロデビューしています。鈴木福くんや芦田愛菜ちゃんが白鵬とか稀勢の里を土俵の上で張り飛ばしているわけです。すごいですねぇ。

ただ大童山文五郎くん、人気は高かったけれど成績は最後までイマイチだったそうな。

伝説的強さを持つ雷電ですが、それ以外にも重要な点があります。書類や手紙を多く残しており、当時の力士の生活を伝える貴重な記録となっているのです。

地方興行の状況や客の入り具合、トラブルなどいろいろ。

また当時の力士は藩お抱えで高給取りだったので民衆からは羨ましがられたそうですが、全国あちこち興行で飛び回っていたのでメチャメチャ多忙でもありましたとさ。

なお雷電が所属していたのは島根県松江藩だったそうです。あれ、長野の人なのに?

松江藩の藩主が相撲大好きマンだったとか、デビュー前に同部屋の知人が松江藩を勧めたなどの理由があるそうです。大スターを逃した地元の小諸藩のスカウト陣は一斉にクビになりました(関係筋の話)

 

雷電の生家を見に行こう

資料館はそんなに滞在時間かからないので、興味と時間があれば近くにある生家を覗きに行きましょう。道の駅から1kmです。入館無料。

しかし生家には駐車場がありません。いちおう家の正面の道路が拡幅されているので、ここに停めよということでしょうか。まぁ1台くらい停めても、すれ違いスペースは確保されているので大丈夫だとは思いますが・・

家の前に「雷電の鋤石」なる石が置かれています。雷電は子供の頃、この石を鋤の先に吊るして歩き、体を鍛えたそうです。

私もマネしようとしましたが、この石めちゃくちゃ重いです。鋤に吊るす以前にビクとも動きません。大の男5人くらい必要なのでないか。雷電は本当に馬鹿力だったか、もしくはクレーン車で運んだものと思われます。

館内です。土間に土俵が敷かれているよ。雷電の実績を見ていたら突然相撲をやりたくなった方も多いと思いますので、その衝動をすぐ行動に移せるようにしてあるのです。観覧客の自然な心の動きを掴んだ内装ですね。

普通の和室もあり、雷電を元ネタにした絵画や酒瓶が並んでおります。パネル展示も若干ながらあり、資料館の展示とは少し違うエピソードなどが説明されています。

2Fにも上がれるんですが・・明かり点いておらず、床がかなりミシミシいいます。というか、2Fどころか建物全体がギシギシミシミシ言っており、だいぶホラーです。

雷電さん、私まで倒すのやめてくれませんかね。

生家は市の史跡として整備されているようですが、整備中の写真が展示されていました・・むかしは廃屋だったようですね。崩壊寸前じゃないか。

この状態から再建して今の形になったわけですね。そろそろもう1回整備しなおした方が良いんじゃないかな(提案)

 

おしまい

 

【滞在時間】資料館20分、生家15分

【混雑度】資料館は室内に数人、生家は誰も居ない

【URL】資料館:道の駅雷電くるみの里 施設のご案内

    生家:史跡 力士雷電生家

 

 【マップ(資料館)】

 

【マップ(生家)】