川口市郷土資料館
川口市は合併を繰り返してきており、郷土文化が異なる地域を含んでいる。
この鳩ケ谷は川口の中央部から離れており、川口というより鳩ケ谷の郷土資料をメインで扱っている。
1Fで入館料100円を払い、展示室のある2Fへ。
展示室の電気思いっきり消えてるけど、入室すれば点灯するので心配しないように(冷や汗)。
展示室。
古代は一般的な内容。
修羅の国 足立区。
江戸時代になると、日光御成道という街道が整備される。
一般人が日光街道を使うのに対して、この道は徳川将軍のための道だった。
鳩ケ谷は日光御成道の宿場町として発展したわけである。
ただ将軍は江戸を出た後、昼食はとなりの川口宿で取るのがいつものパターンだったので、あまり長時間この鳩ケ谷には留まらなかったと思われる。
まーた川口(に負けたの)かぁ、壊れるなぁ
模型はタッチパネルが付いている。
「本陣」をタッチすると、模型上の本陣が光る仕組み。
この方式なら断線しないから、郷土資料館あるあるの「ボタンを押しても光らない模型」状況は防げるはずである。
旅館組合による料金設定が書かれている。
談合ダメ、ゼッタイ。
地図。子供のお絵かきではありません(念押し)。
近代になると、川口も鳩ケ谷もともに周辺の小さい村を合併し、町として大きくなる。
ライバル関係かな。
川口は鋳物業が売りで、工業都市っぽくなっていき、
鳩ケ谷は織物業がさかんで、商家が多かった様子。
染物組合における統一の料金表。
やっぱり談合してるじゃないか。
当時の街並みを撮った本。
ずいぶんと広い道である。
郷土資料館前の道とは大違いだね(ニッコリ)
見るからに行政臭い箱ものの鋳物会館のほか、公的施設が幾つかありましたとさ。
忘れずに農機具も置いています。
そして竹の釣り竿も名産であった。
金属製を使わない勢がやはり居るのだろう。
2階を終えて3階へ。
このフロアは郷土的な人物2名を扱っている。
一人目は小谷三志(こだにさんし)。
富士山信仰である富士講をもとにして、新たに「不二道」なる宗教を始めた人物である。
あやしい(直球)
三志先生がお書きになられた経典の数々。
不二道の特徴は、従来の富士講をより実践道徳に変えたところにある。親孝行とか。
それ以外には、「男女から天地まで一貫させた陰陽論的な世界観を作り、陰陽の立場を逆転させた」。
あっ、ハイ。
さらに富士山とは別に、伊勢川上というところに聖地を設けたそうです。
これもう分かんねえな。
富士山信仰なので、登山の回数も多い。
三志先生はその一生で138回も登頂しており、1年で最高10回登ったこともあるという。
登って降りて、またすぐ登ったりしてたんだろうか。
教祖が亡くなったあと、不二道は分裂するなどして衰退していき、1955年頃には終了のお知らせ。
なお明治政府は宗教統制が強かったので、不二道の信者たちは土木作業による社会貢献・布教という、非宗教的な装いで活動を続けていた。
信者にも土方のオッサンが多かったのだろうか。やったぜ。
もう一つの部屋は、明治~昭和期に活動した彫刻家 大熊氏広について。
靖国神社にある大村益次郎の像を製作したが、その像は日本初の本格西洋銅像だったんだと。
他にも皇族・政治家・実業家たちの彫像を製作しており、つまり強い(確信)
ただ作品の大半は戦災で失われたり、個人の所有なので、もうないです(失望)。
ただ練習用に作った作品や、ひな型のようなものは残っているので、それを見てねという趣旨である。
スケッチもあります。
彫刻家たるもの、人体構造を分かっていないといかんのだろう。
うまい(小学生)
東京都港区にある有栖川宮記念公園に建っている、親王像のひな型。
一番目立つのは、この鳳凰。
平等院鳳凰堂の屋根にある像を、模倣して作ったらしい。
というわけで、鳩ケ谷誇らしいを押し出している資料館なんだけど、館名はあくまで「川口市立」。
浦和という地名を残した浦和博物館みたいに、ここも「鳩ケ谷資料館」と名乗れなかっただのだろうか。
きっと合併の時に鳩ケ谷市が川口市に負けたんだろう(迷推理)
以上。
【交通手段】鳩ケ谷駅から徒歩10分。赤羽駅等からバス20分
【入館料】100円
【滞在時間】45分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】