神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

旅行&学習ブログです。記事はたまにリバイスしてます。地域別カテゴリは最下段から。

高山陣屋

 

飛騨国は1692年から幕府の直轄領だったけれど、その役所が高山陣屋

古い街並みの入口にあたる部分にあるので、結構賑わっている場所ではある。

毎日午前中に、朝市やってるしね。

 

 

高山は戦国末期から金森氏が治めていたが、豊富な木材と鉱山資源に目を付けた幕府が「お前のものはおれのもの」宣言をして金森氏を山形県へダイナミック転勤させ、ここを直轄領とした。

金森氏はこれより山の方にある高山城に住んでいたのだが、幕府の連中は登るの面倒だったのか、金森氏の姫君が使っていたこの屋敷を役所に用いることに。

そして無用の長物となった高山城は「メンテ費用が掛かる」と文句を言われ廃城になったのだ、ナムナム。

 

 

では御姫様の屋敷でも覗きましょうかね。

ここは玄関です。

 

 

正面に波を延々と描く模様があるのだが、海の波のように永遠の平和が訪れることを祈っているんだそうな。

無限ループってこわくね。

 

 

ここが殿様・・じゃなくて郡代さまの執務室です。

幕府直轄領は「代官所」、規模が大きいと「郡代」と呼ばれる。

代官所のトップはお代官さま、郡代のトップは郡代さま。

現在でも自治体の部署のトップは国家官僚の出向者だったりするが、江戸時代からやってるわけ。

 

 

その高貴な仕事部屋の前には白砂ゾーンがありますが、ここが時代劇お馴染みの「白洲」。

民事訴訟について郡代さまが独断と偏見でご裁定なさるのだろう。

全員死刑!(民事訴訟です)

 

 

こちらは地役人の執務室。

郡代さまは江戸から遣わされてくるエリートである一方、地役人は地元の役人だ。

エリート官僚に仕える地方のたたき上げ。

まぁ地元の人間の中ではかなり高い家柄なんだと思うよ。

 

 

ほかに町役人や、寺院からの僧侶が出向して詰めてたりしたけど、身分が違うので部屋はちょっと狭めなのです。

僧侶は、宗門改めの際に必要となるらしい。

仏教信者のフリして実はキリシタンな、ファッション仏陀を見破って叩きのめすのだ。

 

 

身分が違うので、執務室への入り口も他の役人と異なり、小さく設けられている。

茶室の躙り口かな?

 

 

休憩室。

地役人の部屋に近いので、彼らがたぶん使ったのだろう。

郡代さまは邸宅が隣接しているので疲れたらたぶんそちらに戻っていたのかな。

身分の低いものと同じ部屋で駄弁ることは沽券にかかわるのだ。

 

 

書役(しょやく)という、書類作成担当者が詰める部屋。

ぺーぺーの若造が経験を積むために勤めたりしたのだろうか。

 

 

あとトイレ@EDO styleと、

 

 

風呂場もあります。

 

 

廊下を渡った先は、郡代さま一家が住んでいる邸宅。

最初の頃の郡代は、年に数回江戸から出張してくる程度だったが、7代目の郡代から一家そろって移住してきたらしい。

地方創生。あとは江戸~高山まで片道13日かかったそうだから、年に数回の出張が面倒になったのかな?

 

 

お客さんを迎える座敷です。

 

 

郡代専用の休憩室。

下っ端役人とは全く違って庭を愛でられる仕様。

マッサージチェアとかも置いとけばイイと思う。

 

 

庭のご様子です。

殺風景っぽく見えるのは天気が暗いからだと思います。

 

 

床の一部があけられていて、お茶を点てられる設計でもあった。

現在ではお茶はやらないので、砂を突っ込んで波をまた描いてみました。

世界人類が平和でありますように(呪文)

 

 

お客様の控室です。

 

 

その控室の真横が、郡代のリビングになっている。

襖一枚隔てているだけなんですけど、部屋でごろごろしている郡代のそんな近くにお客様通して良いのだろうか。

あくびもゲップも出来ませんね、郡代の名に懸けて。

 

 

邸宅の一部には女中部屋も。

 

 

台所や土間。

 

 

家来を大集合させて会議を行う大広間。

 

 

んで、また白洲があるよ。

たださっきと比べると規模が大きく、石が敷き詰められていて、よりシラス感が増している。

こちらは刑事犯罪を犯した人物を裁くので、より容赦ない雰囲気だ。

 

 

罪人を取り調べる時は、あの台の上に座らせるそうな。めちゃめちゃ痛そう。

事情聴取もとい拷問である。

はやく取り調べは可視化しましょうね。

 

 

という風に邸内を見てきて、ルートは蔵へと続いて行く。

もとは高山城にあった米蔵で、城を潰す際にこの蔵は陣屋のところまで引っ張ってきて再利用したそうな。

なので陣屋より古く、築400年以上は経っているスグレモノである。

 

 

しかし内部は撮影禁止なのよね。

展示室が8部屋ほどあって、陣屋の歴史や模型が置かれていた。

陣屋だけでも結構な規模なんだけれど、この展示棟も相当内容が濃いので、前半で体力使いすぎると後半死にます(経験談

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩15分

【入館料】430円

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【滞在時間】60分

【URL】

www.pref.gifu.lg.jp

 

飛騨高山まちの博物館

 

古い街並みの一帯を制圧しているのは高山市の博物館です。

「まちの博物館」という名称だけれど、高山市全般を対象とした郷土資料館と考えて良い。

 

 

商家の建物を博物館として再利用している施設が近辺に幾らかあるけれど、ここも同様です。

矢嶋家と永田家という2つの商家の土蔵をぶち抜いて利用しています。

使えるものは使う、リサイクル精神です。

 

 

しかし市立博物館なのに展示室内は撮影できないのよね。

けち臭いなぁ(直球)

 

館内は15もの展示室があり、高山の歴史のほか美術品・工芸品・街並み・暮らしなど多岐にわたって紹介しています。

なおさら写真撮れないのが痛いですね、これは痛い。

全部は扱いきれないので、気になった部分を書きます。

 

(金森長近。画像はwikiより)

 

高山発展の礎は、江戸時代の高山藩を率いた金森家ですね。

初代の金森長近は18歳で信長に仕え、長篠の戦で戦功をあげるなどし、福井県越前大野城を貰っていた。

高山の付近には姉小路家という大名がウロウロしており、身の程知らずにも秀吉に挑んでしまったので、秀吉の命で遣わされた金森長近がこれを倒してそのまま高山に居付き、城下町を整備した。

有能。信長の野望では打率2割8分くらいの能力だから、全然知らんかったよ。

 

(金森頼時。画像はwikiから)

 

そのあとも金森家は基本的に有能なのだが、6代目頼時は出羽の上山に転勤させられ、高山藩は終了し、幕府の直轄領となる。

高山には豊富な鉱物・木材資源があり、これに目を付けた幕府が土地をボッシュートしたという説が濃厚。

 

ここで面白かったのが、頼時くんの異動話。

行先の山形県 上山にはてっきり城があるものだと思ってたのだが、この土地も幕領になっており、戦国時代には存在した城は潰されてしまっていた。

おっと住むところがないぞ!おかげで慌てて屋敷を建築するなど、大変バタバタな引っ越しになってしまった。

転勤先の住居を紹介するどころか、壊した後の家をあてがう幕府。これはぐう畜ですわ。

 

 

(『図説・大原騒動―飛騨百姓一揆の史実と伝承』amazonに出てます)

 

幕府直轄領になった飛騨の国。

1771~1788の間に勃発したのが「大原騒動」。

大原紹正・正純という親子が2代続けて飛騨のトップを務めたのだが、ともに失政やらかして百姓一揆ひきおこしているのだ。

親子そろってアホですねぇ。息子は八丈島に流されたよ。アディオス。

 

(屋台会館にあった屋台たち)

 

歴史の話から離れて祭りの話です。世界遺産にもなった高山の屋台。

もともと町民でワッショイしてたけれど、戦後になって高山が観光地になってきた。

町民だけで祭りやるなら屋台は多少ボロくても良いかもしれんが、観光の目玉となるとそうもいかない。

町内会だけで出費すると持たないから、困ったときの財政出動ということで、現在では行政9割 町内会1割で負担している。

有名になったらなったで、お金が掛かるものだねえ。

 

なお祭り当日が雨の場合は、屋台ださないようです。

え、本当?じゃあ税金返しなさいよ(高山市民ではありません)

 

本膳料理の最初の膳。画像は飛騨高山 料亭『洲さき』 | 宗和流本膳 より。以下同じ)

 

あと本膳料理の説明ビデオが館内で流れていた。

冠婚葬祭の時に出る料理コースで、戦前までは全国各地で見られたが、珍しくなっている。

↑の画像元の料亭「洲さき」のHPによると、ボリュームが尋常じゃない。

まずこれが「本膳」なのだが、まだ序の口に過ぎない。

 

 

これが2つ目の膳。

私はたぶん一つ目の膳でもう腹満杯だと思うのだが、さらにこれを食べるのか。

だいぶ時間を掛けないときつそうだな。

 

 

3つ目の膳。

ここでは御吸物をみんなでわけあうので、さほど強敵ではない。

 

 

しかしフィナーレがこれですよ。

ここにきてタイ1匹まるまるかよ。

古代ローマの美食家たちは、食事を食べては吐き、食べては吐きで、腹のボリュームをコントロールしながら大量の美食を食べていたそうだが、私もここまで来るとトイレに駆け込みそうである。

あ、食事中に汚い話ですみませんね。

 

もちろん、これら大量の料理を2時間とかで食べるわけではない。

なんと10時間程度も掛けるんだそうな。1日食事と睡眠だけで終わってしまうがな。

しかも酒まで出てくるからね。もう最初の1時間でへべれけになって記憶に別れを告げたオジサマ方が頻出しそうである。

 

まぁそれだけ冠婚葬祭を重要なものとして、手間暇を盛大に掛けていたんでしょうね。

こりゃ現代人には難しいよ、伝統も廃れてしまうわけですわ。

 

 

さて最後に、企画展でこんなのやっていた。

ヒアリがやってくる」って、「日曜日にガチャピンが遊びに来るよ」くらいの明るいノリに聞こえますが良いんでしょうか。

行政はもっと危機感を持ちましょう(市民の声)

 

 

ここだけ撮影禁止のマークが無かったので、撮っても良いようです。

ヒアリでも展示しているのだろうか、いやー楽しみだなぁ。

 

 

と思ったら、なぜか犬がいる。

説明展示を見ると「大陸から移動してきました」と書いてある。

あれ、これってヒアリ特別展じゃなくて、「海外から流入してきた生き物展」ですか?

なんだ、ちょっとガッカリした。生のヒアリが見れると思って楽しみにしていたのに。

本当に居たら居たでビビりますけどね。

 

 

 

まぁちょっと考えれば、こんな観光地にヒアリ持ち込んだら大問題ってことくらい分かりますよね(戒め)

ショックなハートは、ハトでも見て落ち着けましょう。

これまた大陸から5世紀頃に持ち込まれました。

 

 

しかしブタの写真はけっこう悪意があるのを選んだね。

目に黒線はいってるみたいで怪しいじゃないか。

 

 

クロゴキブリも大陸から来たが、伝染病を媒介するクソ性能をお持ちです。

さっさと滅んで、どうぞ。

 

 

なんでニホンジカが居るんだ?と思ったら、日本→海外へ出て問題を起こしている者どもも扱っているようです。

狩猟用として欧米に持ち込まれたが、現地の鹿と交配してしまって種の保存的に面倒なことになっているようです。

 

 

ようやく最後にヒアリ登場。

お写真だけで御勘弁ください。

生体を持ってきて逃がしたら大変なことになってしまう(大原騒動)

 

 

テーマが色々あったので、見る人の関心分野次第で、様々に楽しめる博物館でしたとさ。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】無料

【滞在時間】60分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.city.takayama.lg.jp

高山祭屋台会館

 

2016年に「山・鉾・屋台行事」って名目で日本各地の祭りが世界遺産に突っ込まれましたが、その1つは高山からエントリーされています。

その名も「高山祭」。まんまだな。

豪華な屋台を担いで町内を賑やかに練り歩く、いたって平穏な内容です。

奇祭でもかなまら祭りでもないので、そのへんは期待しないでね。

 

 

高山祭は春と秋に行われるけれど、春は日枝神社、秋はココ桜山八幡宮の開催となっております。

だから資料館が桜山八幡の敷地内にあるのね。

 

入館料は900円と言うハイプライスですが、隣の桜山日光館へも入ることが出来ます。

なんという抱き合わせ商法。

 

 

ついでに音声ガイド機器もセットで付いてきます。

 

 

入館しますが、さっそく屋台がこれでもかというほど並んでますね。

桜山八幡では11の屋台と神輿1台を保有しており、全部は展示しきれないので、期間ごとに入れ替えております。

これらを秋の祭りでは総出動させてドンちゃんやるわけ。

 

 

屋台を見る前に、手前の侍っぽいのが気になりますが、これは祭り行列に並ぶ時の衣装だそうな。

桜山八幡の氏子たちはみんなこれを持っていて、祭りの日に着用して参加する。

ご立派だけれど、着るのも歩くのも不慣れだと大変そうなので、要練習ですな。

 

 

高山祭自体は、戦国終盤に高山へ入ってきた金森氏の時代に始められたそうな。

当初はごく普通のお祭りだったようだが、19世紀に入ると城下町が発展して金持ち商人も登場し、彼らがじゃんじゃんマネーを突っ込んで派手な屋台を作り出したのだと。

そうそう、金持ちはそうやって社会貢献しましょうね。

 

 

各屋台のところに音声ガイドの案内があり、1台1台解説を聞くことが出来ます。

ぜんぶ聞いていると結構な時間になるので、お連れの方がいる時は顔色を伺いながら進みましょうね。

この屋台は最もスタンダードな形式の「金鳳台」と呼ばれています。

ちなみに屋台は20人くらいで動かすそうです。

 

 

こちらは布袋尊の人形を乗っけた屋台なのだが、からくり仕掛けが施されていて、布袋尊の周りに違う人形が登場して踊るパフォーマンスが出来るんだそうな。

しかも演出の最後には紙吹雪まで出るんだと。

すごいな、星野源かよ。

 

 

こちらは屋台では無くて神輿です。

車輪が無いので、全て人力で持ち上げないといけません。

重さはなんと2トンもある。

運ぶには男手80人必要で、神輿を担ぐ以上は同じくらいの身長の人を揃えないとならないのだが、1950年代からなかなか集まらなくなってしまったので、本番で使われずこうして封印の憂き目にあっている。かなしいなあ。

 

 

とりあえず11台ある屋台のうちの3台は見られたのでした。

全部みたい人は周回プレイ頑張りましょうね。

 

 

あとはちょっとした資料室。

 

 

ここに展示されているのは、屋台の台車です。

3台付いている車輪のうち、2つは普通のものであるが、1つは横向きになっている。

屋台を方向回転させるとき、この方がやりやすいということで、高山の職人オリジナルで作られた。

 

従来は4つ車輪があったのを1つ減らしてこうしたので、発案した職人本人は祭りの日が近づくにつれ「バランス崩して横転したらどうしよう」と心配になり夜も眠れず、当日は怖くて家に引きこもって布団被っていたらしい。

懸念も問題なく、むしろ画期的な発明だったわけですが。

 

 

あとは屋台彫刻の下絵が置いてあったかな。

 

というわけで、豪華な屋台がどかどか出演する世界遺産高山祭、皆様も一度ご見学ください。

私は混雑嫌いなので、youtubeに上げられるのを待つとします(貧弱)

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】900円

【混雑度】★★★(ちらほら)

【滞在時間】40分

【URL】

www.hidahachimangu.jp

 

 

松本市歴史の里

 

松本市周辺にある文化財的な建物をまとめてここにぶっ込みました、ってのが歴史の里です。

5つの建物と1つの展示棟を備えている。

結構な規模なので土地も広いところが必要となり、観光地となっている松本城周辺には置く場所が無いので、立地場所は松本駅からバスで25分とだいぶ偏狭なところです。

周り一面、田んぼだしな。

 

 

右前にみえる受付で入場料を払います。

400円。

 

 

最初に入るのは、長野地裁の松本支部として使われていた裁判所の庁舎です。

1908年建築から1977年まで使用され、あやうく死刑(解体)にされるところだったが、明治時代に造られた裁判所としては最高レベルの完成度と言うことで国の重文にもなっており、移築されて余生を送っております。

 

 

表にある門も、明治時代からの付属品らしいよ。

裁判所らしい威厳・権威を思わせるカッチリした外見である、犯罪者ぶっ飛ばすぞ!的な。

いや裁判官がその意識はまずいと思うけれど。

 

 

裁判所があるので、受付に併設のお土産ショップでは、判決後に法廷外で弁護士連中がおもむろに見せつけるアレが売られております。

正式名称「びろーん」なんですかね、あれ。

なおモノはハンドタオルですので、用途はいろいろ。

日々の入浴で使うのも、混浴温泉に出かけて「全面勝訴」を頭に巻きつけて仁王立ちするのも、各自の責任でご自由に。

 

 

建物の中には、この裁判所の履歴のほか、日本の裁判所の変遷が展示されています。

移築されて資料館としてオープンした当時は「日本司法博物館」って名称だったらしいが、2002年に松本市が資料館を受け継いで歴史の里を開いた際にその名称は無くなってしまった。

どうして名称変えたのだろう。「日本全体の司法を扱っていると主張するのは、さすがにおこがましい」と松本市サイドが考えたのだろうか。

さすが教育県・長野。謹厳実直、慎み深くあれ。

 

 

なおこの施設のパンフレットを見ると「学都・松本」って書いてあるのよね。

「教育県・長野」でも良いと思うのだが、そんなことを松本人に言ったら「ここは長野ではない!松本だ!!」って大日本帝国陸軍の教官に軍靴で頭を殴打されるくらいの勢いでキレられると思う。

松本と長野の関係は、トルコとクルディスタンのようなものだと思えば良いであろう(?)

 

 

さて廊下を抜けて、戦前の法廷に来ました。

壇上に居るのは裁判官や検事、書記官です。

弁護士や証言者は下段にいます。

 

裁判官・弁護士・検事らは出廷する際には「法服」を着ている。

もともとは各々好き勝手な格好をしていて良かったが、大審院判決に上 ユニクロしまむら で来られても困るので、1880年代後半頃に法制化された。

聖徳太子の服装をモデルに、西洋の法服スタイルを取り入れて作ったそうなのだが、西洋要素はどこ?ってくらい聖徳太子にしか見えないのは帽子のせいだと思う。

 

 

戦前の法廷と異なるのは、検事が裁判官と一緒に上段に居て、「オレは裁く側だ」雰囲気を出しているところですね。

被告は潔白を主張するはずが、検事に対して許しを乞うみたいな図になります。

司法と行政は制度上分離したはずだが、江戸時代の「お上が民を裁く」ノリはまだまだ無くなってませんね、というところ。

 

 

戦後の裁判所の配置図はこれ。

弁護士と検察は同じ下段にいて、裁判官だけが上段に居ます。

これで訴える側と訴えられる側は対等、というこってす。

 

 

なお証言台には人形がいないので、アナタが立てます。

シナリオまで用意されていて、証言台の下部にあるボタンを押すと音声が始まる。

Aを押すと証言者のセリフまで勝手に読まれるが、Bの場合はアナタが演技することになります。

リアル逆転裁判を楽しみましょう。「異議あり!」って訴えられる側になりますが。

 

 

さっきの法廷は、地方裁判所にあたるところ。

この庁舎には簡易裁判所にあたる「松本区裁判所」も併設されており、その部屋がこちら。

ちと狭いね。

座席の配置は現代のものになっています。

 

 

ここは書記官の部屋ですが、パネルに占領されています。

日本各地の裁判所建物について扱っている。

 

 

1895年に造られた司法省の建物。

これいまだに法務省の庁舎として残っている。

リフォームくらいはしたのかな。

 

 

裁判所は東京に大審院が1つ、高裁にあたる控訴審が主要都市に7つ、地裁が48、簡易裁(区裁)は300設けられたそうな。

なかでも横浜や神戸など外人の多そうな地域には洋風の近代的な庁舎が建造された。

横浜の庁舎は立派だねぇ。

 

 

一方で長野市の裁判所は・・これ誰かの家ですかね?

新しい裁判所をポンポン建てる金なんか無いから、大名屋敷や寺院の建物を転用して使っていたそうです。

長野の庁舎はまだ威厳がある方かもしれない、奈良県のはイササカ先生の家とあまり変わらないような外見だった。

 

また都会では洋風レンガ建築だが、田舎では和風木造。

レンガ持ってくるの高いし面倒だから、もう伝統の和風でやったのだろうか。

 

 

ここは検事局の執務室。

裁判所の中に、判事の部屋と検事の部屋が同居してたんだね。

訴える側と裁く側が一緒にいるって当然問題なわけですが戦前は御咎め無く、戦後になってから分離された。

 

 

検事の部屋ってことで、取り調べに使われた道具たちが置かれています。

 

 

これは逃げる犯人の袖に引っ掛けて転ばせて捕まえるための道具らしい。

 

 

その割に、先がやたらと鋭利じゃないですかね。

逃げる背を後ろから突き刺しに行くようにしかみえないのですが。

 

 

取り調べの場面。もとい公式リンチである。

被疑者には人権などないのであった(ちーん)

 

 

裁判所だけで結構なボリュームでしたが、あと幾つも建物があるんだな(疲労

次は裁かれた者たちが集まる、刑務所ですよ。

このスムーズな流れ。まるでベルトコンベヤーですね。

 

 

松本にある少年刑務所の旧牢獄です。

1953年に建造され、1990まで使われていた。

結構最近だな。

 

 

独房の様子。

寝床のすぐ横にトイレって、嫌だねぇ。

 

 

こちらは3人部屋だそうです。

このスペースに3人・・たいへん♂臭い夜になると思われる。

トイレなんて最悪だね、一人が”かました”臭気を他の2人も吸わねばならんのだ。

これは受動喫煙(即死)ですわ。

 

 

使われていた当時の仕様のままだから、扉閉めて外から鍵かけたら、中からは開けられないよ。

セルフ アズカバンにならないよう気を付けて遊びましょう。

 

 

仁義なき友達によって閉じ込められた時は、扉横にあるこのスイッチを押そう。

 

 

スイッチを押す前。

 

 

 

押したあと。

扉の外側に、牢の番号が書かれた札が飛び出し、これで看守が分かるようになっている。ファミレスの呼び出しボタンですね。

これを発見した施設の人か他のお客さんに救出してもらったら、閉じ込めた友達のところへやり返しにいこう。

というか、独房に友人を閉じ込めて居なくなるようなやつと友達付き合いするのは、止めようね。

 

 

向こうの壁に星印シールが付いているのだが、囚人はあの星よりも扉に近づくなということを意味している。

 

 

扉には監視窓が付いているんだけれど、星シールより手前に入り込まれると死界になって囚人が見えなくなってしまうのだ。

 

あとこの刑務所、全国で唯一、中学校が併設されている。

「中学校にろくに通えず義務教育をしっかり学べていない囚人」を対象に、意欲のあるものを選抜して、全国の刑務所からここの学校に送り込んでいるのだ。

オダギリジョー主演でドラマ化もした、ということである。

 

 

あと数軒ありますけど、疲れてきたのでパーッと流して紹介します。

この古民家は「宝来屋」という宿。

飛騨・高山方面から岡谷・諏訪方面の養蚕工業地帯へ出稼ぎに来る女工が多かったのだが、その移動ルート上の最難関である野麦峠の麓にあり、一夜の休憩所となっていた。

 

 

私読んでませんが「あぁ野麦峠」という有名な作品があり、女工の厳しい生活をドキュメンタリー調で綴っている。映画化もされている。

なおグーグルで「ああ」って打っただけで野麦峠サジェストされるので、現代でも知名度はあるのだろう。

 

 

内部はザ・古民家です。

多い時は宿泊する女工、一晩で100人にもなって、このスペースに雑魚寝していたらしい。

とてもじゃないが収まり切らんだろう。どんだけ積み重なってたのよ・・

 

 

この建物は、かつて存在した昭和興業という養蚕業の工場です。

 

 

長野県の諏訪・岡谷では養蚕業が全国的にも盛んであったそうな。

飛騨方面からさきほどの野麦峠を超えてきた女工たちはここを目指してきた。

飛騨は木工や鉱山があるけれど、零細農家の女性には厳しい環境だから、こちらまで出向いてきたのだろうか。

 

 

これらの設備、なんとお触りOKです。

機材のすみずみまで触って、生糸の作り方を調べましょう。

 

 

そしてこちらの展示館では、ミニ展示を3本置いている。

「あぁ野麦峠」の作者 山本茂実に関するもののほか、川島芳子とシベリア抑留関係。

 

 

川島芳子清朝滅亡寸前に生まれた皇族で、血統的には中国人です。日本の川島浪速という人のところへ養子に出されたので、日本風の名前。

 

女性でありながら男装・一人称は「僕」という、ボクッ子先駆けの存在であるが、大陸の日本軍と関わりを持ち、ラストエンペラー溥儀の満州への脱出に関わったり、上海での戦闘「上海事変」勃発の工作を担うなど、経歴けっこう真っ黒くろすけ。

そんなんだから戦後、中華民国政府により「敵国日本に協力した」かどで処刑された。

 

 

この人。

養父の川島浪速が松本出身なので、この人も女学生時代に松本に住んでいたことがある。というわけでここで展示されているのです。

男装の麗人」と呼ばれて小説にもなり、一大ヒロインとして描かれた有名人。

 

最初のうちは持てはやされたが、次第に清王朝の復活を求めて日本を批判したりしだしたので、軍からウザがられて遠ざけられ、料亭の女将という閑職にさせられた。

そこからアルコール・ヤク厨になり、昼夜逆転した堕落生活を送ったそうな。

戦後も更生の機会なく処刑だから、悲しいなぁ。

 

「なんで清朝の皇族が日本人の養女になるの?」「どうして男装?」などの疑問は、関連書物がたくさん出ているから読めばいいと思うよ。

 

 

そして戦争繋がりなのか分らんが、唐突にシベリア抑留ネタが展示されています。

どうしたのこれ?

松本市の帰還者から寄贈されたのだろうか。

 

 

その中に、田中三喜雄という人の漫画が入っている。

実際にシベリア抑留されて死にかける体験をしたのだが、帰国してからその悲惨な有様を、のんきな絵柄で表現するというブラックユーモア溢れる作品を残した。

ただ知名度は殆どなく、グーグル先生も知らないようです。

 

 

個人的には、この1コマ即落ち桃太郎が非常に好きです。

おわってしまったがな。

 

 

最後に1軒、木下尚江という明治期の社会運動家の住家があるのだが、もう疲れた頭で小難しい話は無理なのだ。

中は普通な和室だったよ。それだけです(なげやり)

 

 

以上。

 

【交通手段】松本駅からバス25分、大庭駅から徒歩15分

【入館料】400円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】90分

【URL】

matsu-haku.com

飛騨民族考古館

 

THE古民家って感じの佇まい。

古い街並みをそのまんま資料館にしましたシリーズです。

このシリーズ何軒かありますが、全部制覇しましょうね。

 

 

江戸時代に高山で御典医やってた一族の住家だそうな。

土間においてあるのは蒸し風呂。病人を中に入れて、一緒に薬草も突っ込んで病人ごと蒸せばあら体調元通りという品。

 

 

足元には仏像おいてあってお賽銭はいってますけど、これ本当に客が投げ込んだんだろうか。

入場料500円と意外にしたからね。

資料館側がパフォーマンスで置いている、と私は思っております。

 

 

見慣れぬ地蔵だなと思ったら、地蔵じゃなくて「石人像」というらしい。

中国は明の時代の物。

お医者さんわざわざ中国から取り寄せたのか?

でもこの資料館1972年にオープンしていて、そのときの創設者のコレクションを陳列してもいるらしい。そっちの持ち物だろうか。

 

 

壁に貼られているのは一角のツノ。

粉末にすると解熱剤に。

高山どころか日本周辺では手に入らないので、オランダの商館から伝わったそうです。

 

 

土間土間ど~ま~の次は、奥の土蔵内へ。

 

 

土蔵までの通路にあった、昔の井戸。

 

 

覗いてみると、まぁ深い。

スマホ落としたら一生取り戻せないので、撮影時は気を付けましょう。

意外とひやひやする。

 

 

土蔵の中は綺麗に展示室となっております。

 

 

石棒、長いですねえ。

いったい何を意味しているのでしょうか、まったく分かりません(すっとぼけ)

 

 

土偶だそうですが破片と化してしまっているので、もう破片という展示で良いと思います。

 

 

床にはまたトラップがあります。

さっきの井戸と言い、客の持ち物を没収しようといろいろ仕掛けてくる屋敷である。

覗いたら小銭が落ちていたけれど、賽銭箱じゃないのよこれ。

 

 

また石人か?と思ったら、こちらは日本の古墳時代の像であった。

石人石馬は九州では聞きますけどね、飛騨にも石で埴輪っぽいもの作る風習があったんでしょうか。

 

 

集合体恐怖症だと発狂しそうな見た目している「ハマグリ石」。

江戸時代の伝承で、「夜になるとうめき声を上げる」「背負って運ぼうとするとだんだん重くなって動かせなくなる」という怪異のおまけつき。

ちょっとそんなん飾らないでくださいよ(震え)

 

 

普通の陶器もありますので、これで心を鎮めましょう。

 

 

土蔵から戻ってきて、最後に座敷へあがります。

 

 

鎌とか手裏剣とか物騒なのばかりですが、おたくは戦う医者なのかな?

イルハンマーも使うのかしら。

 

 

なかなかマヌケなポーズですが、これも江戸時代の陶製置物ですね。

猫じゃないです、虎でした。

 

 

そんな感じの民俗道具+古民家の資料館でした。

建築的な話は分からないのでスルーしたのだが、この建物には吊り天井とか忍び窓という珍しい仕様があるそうだ。

展示品のボリュームの割に入場料高い感があるので、分かる人にはそこも注目してもらって、少しでも元を取りましょう。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩15分

【入館料】500円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】30分

【URL】

kankou.city.takayama.lg.jp

 

 

桜山日光館

 

高山の桜山八幡宮の敷地内に、桜山日光館というのがあります。

日光東照宮のミニチュア模型を飾っている資料館であるらしい。

なぜ高山で日光なのか。高山民はすごい日光いきたいけど、遠いから模型で満足しろという趣旨なのかな?

 

この施設、同じ桜山八幡宮の中にある「高山祭屋台会館」とセットとなっております。

つまり日光館に入りたくば、屋台会館の券を買わねばならんのです。抱き合わせ商法。

合わせて900円。2館分と考えれば高くはないと考えるべきか。

 

 

入館しますが思ったより広い、というか模型がデカい。

日光東照宮の中にある建造物を片っ端から1/10スケールにしてみました。

まるで東武ワールドスクウェアである、あれも日光の方にあったな。

 

 

入館して最初にデカデカと主張するのは五重塔くん。

本物は高さ35mだから、1/10にしても3.5mはあるよ。

1650年に小浜藩が寄贈したそうな。←という解説展示もちゃんと付いている。

 

 

経典を納める場所「輪蔵」。

黒地に金の装飾は、他の建物と比べるとシックな方だとあとで分かります。

 

 

表門。牡丹や獅子などの彫刻が多数施されており、木材の組み込み方とか、仁王像セットとか難易度高いけれど、ちゃんと作ってある。

しかしこれもまだまだ序の口であった(RPG並感)

 

 

鐘楼。下部は難しくなさそうだが、上部は彫刻の数も種類も多く、さほど大きな建物ではないがさりげなく絢爛豪華さをアピールしている。

 

 

上部を拡大してみました。

金の龍が一番目立つけれど、花柄の装飾とか足場の下のポツポツしたやつ(ボキャ貧)とか細部まで寸分の狂いもなく配置されている。

 

 

神厩は、神社の馬(神馬)の厩舎だが、東照宮は例の三猿が施されているので有名だ。

 

 

しかし肝心の三猿、観客から直接見えない位置に装飾されているのよね。

なのでわざわざ鏡越しにみるしかないのですが、遠すぎて見えないよ!

神厩の向き、こっち側に変えてもらえませんかね。

東照宮内での配置の通りに、各模型を置いて居るので、向きを変えたら本家順守では無くなってしまい東照宮ガチ勢が怒りだすかもしれない。

 

 

建物以外の小物っぽいのも再現されているのです。

手を洗う「御水舎」。

本物の柱は水に濡れても腐らないよう花崗岩で出来ているですが、これもそうなのだろうか。

 

 

鳥居もあります。

これは難易度ひくそうだね(無礼)

 

 

一番のメインはこれですね。

東照宮の建造物で最も有名な陽明門。

 

 

これまでの建造物と一線を画して純白が用いられており、神々しさ・ありがてぇありがてぇ、を感じさせます。

施されている彫刻は500を超えており、1日ボケーっと眺められることから「日暮御門」とも呼ばれている。

これに比べたらさっきの鳥居なんて一瞬で出来るわな。

 

 

門の上部をアップしてみましたが、装飾があり過ぎて何が何だか分からなくなっております。

 

今さらながら、なぜ東照宮の模型をここで作ったかと言うと。

飛騨の木工職人は古代から腕が良くて有名で、大正時代に長谷川喜十郎という大工が日光社寺の修理委託を受けており、東照宮の建築図面をこのとき作ったので、それを持ち帰って模型製作に生かしたんだと。

ただこれら盛大な模型たち製作に携わったのは合計33人の職人、計15年も費やしたらしい。

ガンプラオタクの大先祖と言ってよい(適当)

 

 

陽明門に隣接する回廊です。

羽目板になっているが、全て1枚板をくり抜いて作られているそうな。

1つ1つ模様が違うので、これまた見ていて飽きない仕様です。

陽明門と合わせると3日間くらい潰れるんじゃないの。

 

 

板を拡大してみました。

 

あと江戸時代の高山藩主である金森家のうち、3代目重頼は将軍秀忠の信頼が厚く、秀忠が東照宮に行く際のお供をしょちゅうしていたそうな。

そんなんで高山藩でも東照宮を城内に勧請して祀ってたのだが、1692年に高山藩は天領となったので城は廃止になり、東照宮の面倒は桜山八幡宮が見ることになったのだと。

寺の面倒を神社が見るんかいな。あなたの隣人を愛せよ(宗派が違う)

 

そんなのが、高山と東照宮の繋がりです。

桜山八幡はこの地域最大の神社なので、連動して東照宮へも民衆の愛着があるでしょうね。

 

 

 

陽明門でお腹いっぱいなので、もうあんまり見る気がしませんが、こちらの拝殿も大層豪華です。

 

 

そういえば東照宮のどっかにいる(適当)眠り猫。

こいつだけソロデビューしており、展示室入り口に飾られております。

しかも実物大の大きさ。

ちょっと扱いが違うので、三猿たち怒って良いんじゃない?

 

 

というわけで飛騨高山に来て東照宮を堪能できる施設でした。

もうこれで日光に行く必要は無くなったな(満足)

あそこいつ行っても混んでるからね。みんなこの高山ワールドスクエアで家康欲を消化してクレメンス。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】900円(屋台会館とセット)

【滞在時間】30分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

www.hidahachimangu.jp