神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

C級スポットを主に巡るブログです。C級スポットとは、「メジャーな観光地(A級スポット)・ちょっと変わった観光地(B級・珍スポ)ですらない、楽しめるかはその人次第の場所」という意味です。と言いつつ、普通の観光地にも行きます。地域別カテゴリは最下段から。

旧開智学校

 

松本城の近くにある旧開智学校です。

国宝に指定されるという話が最近決まってタイムリーな記事になってしまった。

マイナーな観光地だったのにこれで有名になると嫌だな(人混み嫌い並感)

 

 

開智学校っていうのは1873年開校した小学校ですね。

いまでもすぐ近隣に残っている。

 

この建物自体は1876年に完成し、1963年まで校舎として使われ続けた。

明治初期に建築されたにも関わらず高度な技術を誇り、学校教育の導入にも深く関係しているということで、建築・文化史的な意味で国宝に指定されたようです。

 

 

近代化を図る明治時代ということで、西洋の建築スタイルを取り入れた「擬洋風」となっている。

 

・・のだが、全体として確かに西洋っぽいものの、ところどころ中華くさい装飾も施されていて「洋風?」と首をかしげたくなる。

ローストチキンを頼んだらバンバンジーが出てきた感覚。

 

 

龍とか雲の形を見ていると、次は仙人が出てきそうアルヨ。

最上段には天使が一応いますけどね。

 

 

近代化を急ぐお偉いさん方は「西洋風な建築にするように」とお達ししたのだろうけれど、当時の建築家が西欧建築を見る機会なんて殆ど無いから、「ぼくの考えたヨーロピアン」というイメージを基にした建物は割とあったそうな。

開智学校が同様な過程を踏んだかは知らないが。

 

 

入口は向こう側ですよ。

入館料は300円です。

 

 

廊下を渡って校舎内に入りましょう。

 

 

最初の展示室。

どでかい瓦が並べられているな。

 

 

この鬼瓦は学校開校から11年目に屋根に取り付けられたものだが、現在は開校当時の瓦を復元して設置しているので、それにあたって取り外された。

200kg以上もあるそうな。

デカすぎるので、幾らかパーツ分けされて製造された跡が見受けられる。

 

 

自由にお触りできます。

明治時代の改革精神に触れて、あなたもザンギリ頭をブッ叩いて文明開化しませう。

 

 

風見鶏もセットで展示しております。

 

 

次の部屋は講堂っぽくされている。

企画展用の部屋になっていて、このときは県の歌「信濃の国」について扱われていた。

 

この曲は6番まであるんだけれど、なぜか4番だけメロディが変わるという引っ掛けがある。

4番のメロディを歌い間違えると「貴様、長野県民ではないな!」と引きずりだされて石打ちの刑になるとかならないとか。

 

(作詞をした浅井洌さん)

 

歌詞では長野県を代表する自然風景や文化がまんべんなく盛り込まれ、名前通りに信濃の国ご紹介ソングになっている。

小学校で歌われる曲ということで、狙いをもって書かれているんでしょうねぇ。

 

・・と思いきや、作詞をした浅井洌は「深く考慮もせず、ただ地理歴史の事柄を書いただけ」とインタビューで述べている。

郷土愛ちゃんと持ってクレメンス。

 

 

この天井なんだが、なんと和紙を5層に重ねたものを使用しているそうな。

雨漏りしたら一斉に死亡しないのだろうか。

この辺の和洋折衷感が、擬洋風である。

 

 

第3展示室です。

ちなみに展示室めっちゃいっぱいあって時間かかるから、余裕をもって来ましょうね。

 

 

学校教育が始まった時点での、都道府県別の就学率ランキングである。

松本の辺りは筑摩県となり、そのあと長野県へと合併されたが、圧倒的な就学率で上位ランカーとなっている。

さすが教育県。

 

 

当時はノート無いからミニ黒板を生徒は使ってましたね。

 

 

学校生徒の心得。

「朝早く起きましょう」「先生に挨拶しましょう」など小学生らしいことが決められている。

 

 

しかし「瓦や石や鉄砲の玉のようなものを投げてはいけません」って、そんなの投げる奴がいたんですかね。

めちゃめちゃ痛そう。

フーリガンの街 松本。

 

 

次の展示室は建物関係ですね。

 

 

開智学校の設計平面図。

 

学校教育が始まったばかりで、どんな設備が必要かなんて分からない時代にもかかわらず、開智学校には早い段階で様々な教室が設けられていたそうな。

 

 

主要な学校の部屋数一覧だが、開智学校の部屋数は他と比較して圧倒的に多い。

教室の多さもそうだが、事務室・職員室・試験用の講堂などさまざま。

 

これだけ多様な設備を用意できた理由として、松本城下の経済力が挙げられている。

城下町だし街道もあるしということで、豊かな商人や職人がおり、彼らの財力が貢献したという話。

やっぱ金ですねえ(下衆)

 

 

しかし児童の体育衛生に関するこの文書は、やはり前時代らしいキチガイっぷり前衛的精神を見ることが出来るよ。

 

 

児童の体育面での育成方針について、開智学校の教師が書いたものなのだが。

「暑気に打ち勝つ精神を身につけねばならない」「避暑は心身が惰弱になる」と見事な脳筋指針となっている。

現代でやったらPTAブチ切れですわ。

 

 

11月に至っては「襟巻やショールを使用する者が出てくるが、誠に面白くない」「寒気に抵抗する精神が見たい」。

最早あんたの趣味になってるじゃないか。

 

 

次の展示室も、建築関係ですよ。

 

 

この人が棟梁の立石清重。

独学で西洋建築を学び、官公庁や個人宅など計100件以上の建物を残した。

こんな顔しているが大したものだ(侮辱罪)

 

 

過去の開智学校の写真。

これは1892年頃のもの。

 

 

現在と同じような外観をしている。

天使と竜がいますね。

 

 

一方、廃校直前の写真。

 

 

あれ、天使も竜もいないよ。

すごいシンボルぽかったのに、1897年にはクビにされてしまったんだそうな。

老朽化でもしたのだろうか。

 

いま現在の外観は、建築当初のものを復元した姿になってるんですね。

 

 

 

この部屋では「特別学級」を扱っている。

特別学級と言うのは、いわゆる「ひまわり学級」。

 

当時の言葉で言うと「成績不良」や「栄養不良」である「劣等児」たちを教育するためのクラスである。

もう表現がド直球すぎてNHKでは流せないレベル。

 

 

成績不良生徒の調査簿。

わかりやすいねぇ(棒)

 

 

卒業しても「特別学級を証しました」と書かれてしまう。

ああ逃れられない。

 

 

特別学級とは別に「林間保育」も行われていた。

「虚弱児」の健康増進のため、森林で数日間教育を行うというもの。

また表現が直球ですね。

 

昼寝の時間があって、地面の上に板とござを敷いて寝たらしい。

体バッキバキになりそうだな。

 

 

貧困家庭にうまれて子守奉公に出されている子供たちのための教室も開かれたよ。

思いっきり子供を背負って授業を受けている不思議な風景である。

 

 

そんな子守学級を卒業した生徒の答辞。

コーヒーでもこぼしたのかな?

 

文章を読むと「人並に学校へ出ることが出来ず」「不幸せな者でありますが」と辛辣な言葉が書かれている。

これ子供に読ませるんかいな。

 

 

1F最後の部屋ですよ。

 

 

当時のテスト問題。

小学生の問題だもの、普通は解けるよね?

 

 

・・最後のやつ、これ暗算でやるの。

ちょっと小学3年からやり直してきます(挫折)

 

 

 

んで、なにか狂気を感じさせるポスターが飾ってあったのだが。

どうも戦時中に生徒が書いた絵らしい。

書いたというより、書かされたと言うべきか。

 

 

こわいって。

非国民は見つけ次第、密告せよ的なものだろうか。

現代の中国や北朝鮮かな?

 

 

やっと1Fが終わったよ(げっそり)

まだまだ2Fへと続きます。

 

 

2F最初の部屋では音楽の授業だ。

当時の歌の本。

 

 

一部、黒塗りされているんですけど、一体どういうことなんでしょうか。

放送禁止用語でも書かれていたのかな。

そんなものを子供に歌わせていたのか。

 

 

音楽の授業は1872年学制の当初から導入が決まっていたものの、誰もやり方が分からんので(こなみ)、しばらく放置プレイだった。

それを長野県出身の伊沢修二の働きかけにより、唱歌の授業が始まったそうな。

やっぱり長野がナンバーワン!

 

 

学校教科書を使ったクイズ問題があるよ。

当然、上級編でしょう。

 

 

なーんだ?

馬かな?

 

 

んなアホな。

あんなどん詰まりの首しているキリンがおるかい。

 

 

え?なにこれ。

 

 

いったいどこをどう見れば、この答えが出てくるのか。

難易度高すぎ、というより斜め上に行き過ぎでござる。

 

 

そして何故か積み木。

1セット1000円って、わりと高いな。

開智学校の木材でも使っているのかしら。

 

 

 

ぜんぶ縦に並べてみました。

 

 

隣の部屋は、明治天皇が松本に行幸をした際、休憩所として使った場所である。

そんな気配を微塵にも感じさせないほどの、普通の部屋ですが。

まぁ休憩所として使ったのはほんの1日だろうし、そのあとは普通の部屋として使っていただろうから仕方ない。

 

 

大層な扉を抜けて向こう側へ。

すっかり忘れていたが、ここって擬洋風建築だよね?

堂々と和風である。

 

 

ずいぶんハッキリした木目だなと思ったら、これペンキで塗っているらしい。

これは偽装工作ですよ。

 

 

広々とした通路に、いろいろ飾り物。

 

 

生徒の机。

背もたれと椅子が繋がっており、椅子の位置を変えられないキツイ仕様となっています。

あと隣の人が消しゴム使ったりで机ゆらしたら、もろに影響を受けるタイプ。

 

 

 

でもスマホ置き場があるよ。

すごい先進的だね!

 

 

外から見たんじゃ分らなかったが、ステンドグラスが正面玄関にはめられていたらしい。

建築当時は国内でまだガラスが製造されていなかったので、わざわざ輸入したそうだ。

イカラ。

 

 

習字は手本レベルで達筆。

これが小学生の字ですか・・(完敗)

 

 

とうとう最後の部屋です。

ココまで来るとさすがに展示物も尽きてきたか、スペースのありすぎる仕様となっている。

 

 

視力検査。

右側のは動物や昆虫の名前を使っており、難易度たかそう。

 

 

開智学校についてまとめた書物があるけれど、凄まじく分厚い上に巻数あり過ぎじゃないですかね。

調べ過ぎである。

 

 

1巻8,000円以上で、全21巻。

総額159,705円ですよ、どうでしょうそこの奥様。

 

 

階段を下りておしまいです。

盛大な教育博物館なのでした。

 

 

以上

 

【交通手段】松本駅から徒歩30分。バス10分

【入館料】300円

【滞在時間】60分

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【URL】

matsu-haku.com

安曇野ビンサンチ美術館

 

安曇野市にあるビンサンチ美術館です。

この辺は避暑地だけあって美術館の数がとても多い。

最寄りは穂高駅や有明駅ですが、徒歩で来るのはまず無理だから、駅前で自転車でも借りましょうね。

 

 

高原地帯の美術館らしく、コテージ的な建物である。

軽井沢とかと似たようなノリ。

 

 

表札?が山らしく木製なのと、カラフルでオシャレである。

入館料は500円です。

 

 

外装通りのログハウス。

というか、普通の住居みたいである。

 

この美術館は、現代アーティストである北山敏・早苗夫妻の作品を扱っている。

扱っているというか、北山氏自らが運営しているし、この日も普通に本人が居た。

 

 

室内には何枚か、絵画が額縁に飾られて置かれています。

 

 

その絵画の横に、こんな張り紙が。

「ミクロ×宇宙 C」。

なんでしょうか?

 

 

Cはコーヒーのことらしい。

さっきの絵は、コーヒーなんだと。

 

・・何を言っているか分からないと思うが、コーヒーを1滴プレパラートに垂らして、顕微鏡で数百倍に拡大してみると、あの絵みたく宇宙な光景が広がっているそうな。

それにCGを足しあわせて、作品にしている。

 

顕微鏡で、プレパラートを見せてもらえるけれど、まさに予想外の風景である。

 

(北山氏の作品集。公式HPからAmazonへのリンクが出てますよ)

 

前衛的すぎていまいち飲み込めないのだが、この絵もコーヒー水滴の拡大図をベースにしているそうだ。

どこからどこまでCG処理部分か分からないが、背景の青と黒や、飛び交う光の一部はコーヒー成分なんじゃないか。

いずれにしろ、コーヒーで描けてしまうとは、新しい世界である。

 

(作品画像が館内TVで放映されています。)

 

使われているのはコーヒーの他、ワインや醤油、樹液なぞもあった。

「この作品は何で作ったでしょう」というクイズも館内ではできるが、まず当たりませんね。

 

 

模様をネクタイや衣服にも載せて、販売しているよ。

配色が新世界すぎて目が痛くなりそうである。

サラリーマンへのお土産にどうぞ、ぜったい職場では使えないけれど。

 

 

北山氏はもともと大学で結晶科学を研究するなど理系屋さんだったそうで、顕微鏡を用いたアート作品という発想もその経歴ならではというところ。

とにかく片っ端からプレパラートに載せて覗いており、1万以上のサンプルを試したそうな。

よく途中で諦めませんでしたね、私なら5つ目で止めていると思う。

 

(公式HPより。色的に樹液だろうか?)

 

北山氏曰く「海外では人気も出て作品集も販売できているけれど、日本の画壇は私の作品をあまり評価していない」と、おこの模様。

伝統を重んじる国ですからねぇ、現代芸術家はつらいよ。

作品のように虹色の人生とは行かないものである(どや顔)

 

 

 

テラス席に出てみます。

美術館はこの建物だけでは無くて、敷地内に数棟たっているのだ。

山は広い。

 

 

美術館の飼い犬。

人懐っこい性格で、来客とじゃれるのが好きらしい。

しかし私は犬が苦手なのだ。

あまり興味を持たれないよう、そそくさと移動する。

 

 

 

隣にある展示棟です。

 

 

別棟と言いつつ、けっこうサイズがある。

さすが芸術家はお金持ってるなぁ(僻み)

 

 

この棟には2つの部屋があって、片方ではビデオが流れている。

 

 

動物たちによるファンシーな人形劇である。

これも北山夫妻の手による作品。

 

 

さっきの犬の写真集まで売られている。

メスだったのか。

まぁ私にはあまり関係ない(怯)

 

 

もう一部屋ではバッグや衣服などが売られている。

アート・人形劇の次はアパレルか、範囲が広いなぁ。

 

 

カバンはさっきのネクタイほどは、前衛的ではない。

安曇野に来る客層って自然を求めているはずだから、形容しがたい色がギンギラ貼り付いているバッグを並べてパリス・ヒルトンしても、間違いなくマーケティングミスになるであろう。

 

 

敷地内の庭園を歩けますよ。

 

 

ところどころに絵画が置かれている。

これは普通の作品であった。

 

 

しかし敷地、ひろい。

庭園というか、もはや山林である。

境界が分からず、あやうく敷地からはみ出して、隣の民家に突っ込むところだった。

 

 

ギャラリーもといショップも建っています。

 

 

中には誰も居ませんよ。

スペースにゆとりのあった本館と異なり、こちらは商品が所狭しと陳列中。

 

というところまで見て、本館に戻ろう。

 

 

戻ったら「お茶好きなの飲んでいいよ」と嬉しいサービス、やったね。

紅茶やコーヒーを飲みつつ、「今飲んでいる水分が絵画になっているのか」と思いをはせましょう。

わびもさびもありませんが。

 

 

こんな感じで、ノーマルな美術館とは異なる趣なのでした。

あ、ビンサンチってどういう意味なのか、聞き忘れた(無能)

 

以上。

 

 

【交通手段】穂高駅や有明駅から5km強(上り坂)

【入館料】500円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】45分

【URL】

vinsanchi.com

 

 

八王子市夢美術館

 

八王子市にある「夢美術館」という大変メルヘンな名前の美術館に行ってきた。

この美術館では展示内容が1~3か月ペースで変わるようで、このときは↑のチラシの内容をやっていたよ。

 

とっくに終わっているので、宣伝にも何にもなりませんね、この記事(無能)

 

 

美術館は八王子駅から徒歩15分くらい。

ビルとかタワーマンションばかりがある通りであり、美術館らしき建物は見当たらない。

 

正解は、ビルの2Fに入居、である。

 

 

メルヘンチックな建物を予想して来たのに、よくみる都会的な光景で裏をかかれたでござる。

28F建ての高層ビルであり、上層階はUR都市機構が管理する賃貸住宅だってさ。

なんだかとても現実感がしますねぇ。

 

 

テーマとしては「暮らしの中の美術館」ということらしい。

高層ビルの購入費用を捻出するために仕事尽くしで、荒んでしまったタワマン住民の心を癒すためなのだろう(適当)

 

2Fへはエレベーターで上がりますよ。

 

 

ここが入口。

入館料は600円ですが、企画展ごとに変動があるようです。

 

(画像は公式HPから)

 

さてこのときの展示は「判じ絵」に関する物。

判じ絵」とは江戸時代に庶民階級で流行したもので、↑の絵がそれ。

 

”がまがえる”が”茶”をたてている → 茶釜

と言う風に読む。

まぁ、なぞなぞである。

 

(画像は公式HPから)

 

こちらは桜の花。

だけれども、真ん中が消えている。

「さくら」の真ん中が無いので、「さら」と読む。

 

(画像は公式HPから)

 

これは「菜」が「屁」をしているので、「鍋」。

え、「なへ」じゃないのかって?

不足している濁点はイマジネーションで補うのですよ。

 

しかしきったない絵である。

庶民や子供が遊びでやっていたものだから、下品な方が受けが良かったのかもしれない。

とくに「屁」をブチかましている判じ絵は沢山あった。

江戸時代だからこそであって、文明開化後の明治じゃ受け入れられなかったのではなかろうか。

 

(画像は公式HPから。「歯」+さかさまの「猫」=「はこね」

 

こういうナゾナゾ自体は平安時代からあったが、庶民のレベルまでそれが落ちてきたのは江戸時代になってからだそうな。

寺子屋など教育の仕組みが発生して、庶民でも文字が読めるようになったのが原因かもしれない。

 

判じ絵を商売とする連中も居たようで、朝に判じ絵の問題を各家に投げ込んでおいて、夕方になって解答を売るというやり方だった。

でも全然売れなかったんだと(寂)

「答えは知りたいけれど、金出してまで買わんわ」って感じでしょうね。

新聞のクロスワードパズルの答えが課金制だったら、現代でもそうなるわ。

 

(『年頭状絵かんがへ』。画像はおたより本舗HPより)

 

判じ絵なんて簡単じゃないか」と思った人は、この文章を読んでみましょう。

年頭の挨拶状らしいが、ぜんぶ判じ絵だけで描いている。

 

 

 

上述の引用元ページによると、この行には

「かいれき(改暦)のぎょけい(御慶)もうしおさめそうろう(申し納め候)」と書いてあるらしい。

うーむ、一番上の貝とか牛とかところどころは分かるが、そこからこの文章を捻りだすのは無理ゲーである。

 

単なる謎々に留まらず、当時流行していた和歌や花柳界ネタなど、様々な知識が無いと読み解くのは難しいそうだ。

判じ絵なんて簡単だ」とか言ってすみませんでした。

 

逆に言うと、当時流行っていた言葉や文化が映し出されているので、判じ絵は庶民文化研究の手掛かりになったりするよ。

 

山東京伝による引き札。『煙草展覧会図録』より)

 

さっき「判じ絵の答えは売れなかった」と書いたけれど、判じ絵自体は人気です。

浮世絵師である山東京伝が、自分の店の宣伝のために引き札(広告チラシみたいなもの)を判じ絵で描いたら、めちゃめちゃ人気になって、店よりも引き札の方に注目が集まる展開になった。

出版費用かかってるんだから、店の方にも金を入れてクレメンス。

 

小野恭靖『文字遊びの今昔』より)

 

あと判じ絵の一種?だとかで「どん字」という遊びがある。

文字と絵のコンビで考えよというもの。

 

例えばこの絵では「次」という字が書かれており、その下で鉢巻をした人(おっさん)が作業をしている。

 

答えは「男世帯(男一人の世帯)」。

「次」という漢字は、「姿」という字から「女」を削っている。

んで絵の方でも男一人で家事をしているので、男一人の世帯と言うわけ。

わからんわ!

 

そんな感じの、判じ絵展でした。

 

(公式HPより)

 

さて、この美術館では伝統的な芸術と言うより、若者受けしそうな内容を扱うことが多いらしい。

過去には水木しげる展や押井守展も開催されている。

 

2019年7月からは「横山宏のマシーネンクリーガー展」を開催するよ。

一体なんのことだか分らんが、公式HPに乗っている画像みるかぎり、SF系の立体作品らしい。

ガンダム世代は拝見して、どうぞ。

 

以上

 

【交通手段】八王子駅から徒歩15分

【入館料】600円程度

【滞在時間】60分

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【URL】

www.yumebi.com

 

 

碌山美術館

 

安曇野市にある碌山美術館です。

日本近代彫刻の始祖とも言われる 荻原碌山を記念しております。

穂高駅から徒歩15分。

 

 

荻原碌山。画像はWikipediaから)

 

荻原碌山(1879-1910)は穂高出身、アメリカやフランスに渡って当時最新の芸術スタイルを習得。

フランスでは『考える人』でお馴染みロダンと友達になり、盛大に影響を受けたとされる。

 

帰国した後は、新宿中村屋(同じ穂高出身の相馬愛蔵が創業)の手伝いをしつつ、西洋的な彫刻作品を製作していたが、当時の”彫刻界のお偉いさん”達は和風スタイルにどっぷりハマっていたため、碌山の作品は生前なかなか評価を得られなかった。

30歳にして病死。

近代彫刻のパイオニアとして認識されたのは死後のこと。

 

 

碌山の死後、作品は実家の穂高に移され、「碌山館」として細々と公開されていた。

戦後に碌山研究が進んでくると、より規模のある美術館として運営したいという声が強まり、1958年に開業したそうな。

 

入場料は700円とお高めだけれど、「伊豆よりマシ」くらいに思っておけば良いんじゃないの。

あと中は結構ボリュームがあるから、ぎりぎり妥当な価格と言えるだろうか。

 

 

敷地内にはショップ・休憩所の他、展示室が4棟もある。

広いよ。

これは途中で疲れるパターンだな(確信)

 

 

最初の展示棟は「碌山館」という建物。

教会チックなスタイルなのは、碌山がクリスチャンだったから。

 

穂高の辺りでは相馬愛蔵や井口喜源治らがキリスト的な活動をしていたので広まっているが、純粋に宗教的な活動というより、西洋的な価値観を習得するための一環であった感がある(って、井口喜源治記念館のおっちゃんが言ってた)

 

 

中に入ると、暖炉にじゃんじゃん薪をくべているよ。

信州の冬は寒いから、薪ストーブを設置している建物は結構みるな。

 

(公式HPより)

 

展示室内は撮影できませんので画像は引用。

ここでは碌山本人による作品をずらーっと並べております。

若くして亡くなってしまったので、そこまで点数が多いわけではない。

 

相馬黒光安曇野市HPより)

 

碌山を理解するには「女」というキーワードが一番手っ取り早い。

先述している新宿中村屋の創業者 相馬愛蔵には黒光と言う妻があった。

黒光と言うのはペンネームね、本名は良(りょう)

 

この人妻である黒光に、碌山が横恋慕していたという話である。

芸術の動機、不純すぎやしませんかね。

 

(『文覚』1908。画像は公式HPより)

 

当然ながら叶わぬ恋であり、家政婦は見た的な展開にはならんのだが、そのどうしようもない憤懣というか苦悩というか男子高校生のようなエネルギーを、彫刻製作に注ぐようになる。

 

帰国後の第一作目となったのが、この『文覚』。

モデルとなった文覚と言う人は鎌倉時代の僧侶なんだけれど、もともと武士だったのが、人妻に横恋慕して仕舞いには殺人沙汰まで起こしてしまい、悔やんで出家したというエピソードがある。

まんま自己の状況に被ってるじゃないか。

 

とにかく『文覚』は凄まじい目力と眉間のシワであり、視線が黒光の旦那か己の内心かどこに向かっているのかは分からんが、展示室内で異様な存在感を放っている。

あと筋肉。弱いヤーさんなら一目で逃げだしそう。

 

(『デスペア』1909。画像は公式HPより)

 

次にデスペア。もう分かりやすく絶望である。主体は碌山では無くて女性になっているけれど。

碌山が愛慕する相馬黒光は、旦那に浮気されていたので、黒光の悲しむ姿は碌山の絶望感を3割増しにしたものと思われる。

 

黒光の次女が、嫌なことがあるとこんなポーズで泣いていたので、その姿をアイデアとした。

どんな泣き方してるんだよ・・

 

そしてこの彫像、お尻の方から見ると、たいへん卑猥なポーズになっている。

というわけで製作の時、モデルとなった女性には大変に嫌がられ、出展した展覧会でも「卑猥すぎる」として評価されなかった。

 美術館内には遠足で来ている子供たちもいたけれど、先生方はこの像を見て焦ったんじゃないですかね。

 

(『女』1910。公式HPより)

 

そういう曲折を経て、最終的にたどり着いたのがこの『女』。

手を後ろに縛られていて、相変わらず悲惨な感じは出ているものの、天を見上げて体を起こそうとしているポーズは、険しいはずの表情が少し緩んでいることもあり、何らかの希望の見出しを思わせる。

 

てなわけで最高傑作と言われており、重要文化財にもなっております。

なお作品がお披露目された時、色んな人が「これ黒光じゃね」と思ったらしい。

もう本当に分かりやすいな!

 

スターピースに達したところで、碌山先生の次回作にご期待くださいとなるのだが、残念ながら完成した直後に病死してしまった。

 

 

苦悩に満ちた男子高校生 荻原碌山

お気に入りの言葉が彫ってあり、「love is art,struggle is beauty」。

まさに言葉通りの体現である。

ちなみにこの言葉自体はなにかの引用だったと思うが、忘れた。

 

(『坑夫』1907。公式HPより)

 

作品は女関連だけじゃないですのでご安心ください。

彫刻家は人体を表現するにあたって解剖学など学んだりするというが、碌山もそれをやっている。

この『坑夫』はフランス留学時代のもので、頑健な骨格と筋肉、意志の強い目線と口元とパワフル満載である。

 

当時の同窓生である高村光太郎が絶賛し、日本に持って帰るよう薦めたので、ここでも展示されている。

碌山は捨てようとしてたらしいが。

 

 

そんな感じの碌山館でした。

外に出て側面を見ても絵になる。

 

 

高村光太郎による、碌山への歌碑。

内容は「とにかく碌山は苦しみ、最後は喀血して死んだ」と悲惨極まりないものになっている。

さすがに葬式では読んでないよね?

 

 

ヘンテコな机。

これも碌山スタイルかな?

 

 

次の棟は杜江館。

 

 

コンクリートうちっぱなしで堅固感満載である。

中では碌山のデッサンのほか、美術館建設の経緯が展示。

 

 

庭を抜けていきます。

 

 

こちらは第一展示棟。

碌山とゆかりのある芸術家の作品を展示している。

 

(公式HPより)

 

碌山フレンズである高村光太郎をはじめ、碌山から影響を受けた人たちの作品。

ほとんど知らない人ばかりなので割愛しますね(疲労

 

 

最後の展示室である、第2展示棟。

 

(公式HPより)

 

現代作家の企画展など。

第1展示棟と合わせて、碌山オンリーではなく関連する芸術家も扱う、守備範囲の広い美術館と言えるであろう。

 

・・まぁこちらも殆ど分からないので、書けることがありませんが。

 

 

最後は休憩室であるグズベリーハウス。

グズベリー」は「セイヨウスグリ」ともいうベリーで、ジャムに使うらしい。

なぜこの名前が付いたかは知らん。

 

 

ログハウスな内装。

横の方ではブロンズ像の作り方なぞが説明されている。

カフェはありませんので、自販機で買ってくださいね。

 

 

という、けっこうな規模の美術館でした。

木に括り付いている不思議な蛇口をみて、終了です。

 

※参考文献

荻原守衛碌山美術館』(朝日新聞社

 

 

以上

 

【交通手段】穂高駅から徒歩15分

【入館料】700円

【滞在時間】60分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

rokuzan.jp

 

 

松本民芸館

 

松本市からバスで20分ほど、松本民芸館に来ました。

丸山太郎と言う地元の民芸品収集家のコレクションを飾っているところです。

 

 

門をくぐって、庭を抜けて建物の方へ。

 

 

庭木がいっぱい植わっているのだが、行ったのが3月だったので片っ端から枯れており、空き家のような物悲しさになってしまっている。

一瞬、敷地内に入るのをためらってしまった。

き・・きっと春とか秋は綺麗だと思うよ(震え声)

 

 

入館料は300円です。

 

 

この人がコレクターである丸山太郎さん(1909-1985)。

松本で問屋を営んでおり、その傍らで日本や世界各地の民芸品を集めていた。

 

民芸館の開設は1962年と、けっこう古い。

晩年に松本市へ一式寄贈されている。

市役所、仕事増えちゃったけど、管理がんばってクレメンス。

 

 

最初の部屋では陶器がぞろぞろ。

 

 

どんと存在感を放っているのは、塩尻市の焼き物である洗馬焼。

江戸時代末期から登場して質の高さを誇ったが、明治時代の近代工業化により他の地域の陶器が安く手に入るようになると廃れていってしまった。

いちおう現在でも焼いているところはあるようだが、かなり細々としているようである。

 

 

 

この、ドバーっと豪快に垂れ流しているのがいいですね。

綺麗に仕上げようとかあまり考えてない、逆に潔い感じである。

 

(1958年時点の全国窯元マップ)

 

長野県には結構な数の窯元があったそうなのだが、近代化の波にどれもこれも乗り遅れて、じゃんじゃん廃れていったようだ。

お隣の岐阜・愛知県にある多治見・瀬戸が産業化させて陶器をガンガン輸出していたのと正反対である。

 

というわけで、窯元マップをみると関東甲信越は全滅状態ですな。

 

 

しかし丸山氏いわく「近代化して安い品は出来ても、良い品が作れているとは言い難い」「美よりも価格優先の時代になり、もう元に戻ることはないだろう」。

 

これを酒に言い換えると、月桂冠や獺祭は*UCKであり、手作りでやっている地酒を応援しましょうということです。

うん、その通りだと思う(ただの酒飲み)

 

 

クシがぞろぞろ。

 

 

この辺は日本の櫛。

用途によって結構な数に分かれるようである。

 

 

こちらはエチオピアとかタンザニアなどアフリカンな櫛だけれど、とたんに呪術臭が全面的ですね。

 

 

パイプたち。

タバコと違って上流階級感が一気に増してくる。

 

 

この辺は韓国、李氏朝鮮の品々。

 

 

チマチョゴリん。

 

現代ではどうなっているのか知らないが丸山氏の時代では、韓国の民芸品だと李氏朝鮮のものが安く手に入ったそうな。

コレクター達はより古い時代の物を求めていたそうだが、その隙を突いていろいろ手に入れたらしい。

優秀なバイヤー感、さすが問屋の経営者だな。

 

 

この人は日本だけでなく海外の品まで手を伸ばしているのだが、その理由として「古いからという理由だけで高く買う奴がいるせいで、民芸品の価格が上がっている。でも海外の品はまだ値上がりしてないのが多いから、そっちにする」と言っている。

 

あれ、さっき「安さを求めまくるやつはクソ」的なこと言ってませんでしたっけ?

 

 

煎餅みたいなのが置いてあるよ。

 

 

食べ物では無かった、積み木だった。

しかも煎餅ですらなかった。

「ぱんけい樹」とは上手く言ったものである。

 

 

棚の上には沖縄のシーサーくん。

ばかそう(直球)

 

 

2Fに上がってきました。

 

 

まずこちらの小部屋の方を見るか。

窓の外から、槍ヶ岳など信州の山々が見えるそうである。

 

 

うむ、いちおう山は見えるが、それより手前の畑の殺風景感が気になってしまう。

 

 

ここはアフリカの枕ゾーンです。

 

 

西アフリカの枕だそうだ。

 

・・よくこんなんで眠れるな、西アフリカ人。

一晩どころか数時間で後頭部ぼろぼろになりそうである。

寝返りなんか打ったら、眉間に枕が衝突して死にそう。

 

 

これは南アフリカ

足はこんなに必要だったのかな?

 

 

お次の部屋へ。

また国内の民芸品に戻るようです。

 

 

佐賀県のお馴染み伊万里焼。

国内初の磁器でござる(佐賀藩

 

 

沖縄の抱瓶(だちびん)。

たしかヒモを括り付けて首からぶら下げ、中には酒を入れておくもの。

 

つまりいつでもどこでも酒が飲めるというわけだ。

やっぱり沖縄人って駄目やな(自分のことは省みないようにしながら)

 

 

酔っ払った船はこうなります。

 

 

丸山太郎は制作もしているそうで、幾らか作品が展示されている。

 

いやあ、酷い絵だな(直球)

 

 

と思ったら、あれ?

これも丸山氏の作品だよ。

 

 

これは文鎮だそうだ。

 

 

菓子箱。

なんだ、真面目にやればちゃんと作れるじゃないか。

最初の絵は何だったんだ、左手で描いたのか?

 

 

お神酒に差してある飾り(「口」というらしい)も収集している。

守備範囲が広いんだか、転々バラバラなんだか。

 

 

本来の用途はこういうやつです。

 

 

けっこう地域によって差があるようである。

神様に捧げるものだけあって、気合をいれてデザインされているのだろう。

 

 

ここはガラス部屋。

 

 

松本民芸ガラスというもの。

丸山ほか、民芸収集家によるアドバイスでガラスを製造していた会社が松本にあったそうな。

1961年から製造会社を興して始まったけれど、わずか10年で(お察しください)

 

 

というわけで品不足を補うため、海外の品も入れています。

しかしこのグラス、いったいこれで何を飲めというのか。

チカチカ光る怪しいカクテルなら似合いそうである。

 

 

メキシコのミルク入れ。

ステンレスに慣れた身としては、なんだか奇抜さを感じる。

 

 

2F最後の部屋は屋根裏っぽさを醸し出している。

 

 

石像が並べられている。

十王像といって、現世や地獄に居て、人間を裁く方々。

閻魔大王はその一人。

 

 

10王なんだけど、8体しか像が無い。2つ足りない。

うち1つは、2王を1個の像にまとめてしまっていた。

省エネのためだろうか。

 

 

もう1つに至っては、写真だけでお楽しみください状態である。

記念撮影の時に居なかった人ですかね。

 

 

1Fに降りてきました。

あと2部屋あるよ。

 

 

この部屋は、再び信州の陶器です。

長野県だけで20か所もの窯元があったそうである。

 

これは松代焼。

松代藩と言えば真田家である。工業振興の一環として盛り立てられたそうな。

 

 

これも松代で、「ひよこの水やり」というタイトルが付いている。

下のところに水が出て、それをヒヨコが飲むのだろうか。

 

 

最後の部屋にやってきました。

 

 

得体のしれないものが出てきたが、スペインの薬味壺。

スペイン人ってこんなに薬味使うのか。

ワサビやネギでも食べるのかな?

 

 

イランの壺は4つ口がある。

そんなに作って、いったい何に使うんですかね。

 

 

カンボジアの壺。

見ているだけでも伝わるザラザラ加減が良い。

 

 

 

松本だるま。

養蚕が盛んであったが、その豊作を祈って作られたという。

 

目が入っていませんが、不作だったのかな?(煽り)

 

 

すごい情けない顔してますね。

これは不作になりますわ(決めつけ)

 

 

あなたどこの人ですかね。

 

 

というわけで結構な規模の民芸品が楽しめるのでした。

松本の市街地から離れている割に、まあまあ客数が居たのが驚き。

 

 

参考文献です。

 

 

以上

 

 

【交通手段】松本駅からバス20分

【入館料】300円

【滞在時間】50分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

www.city.matsumoto.nagano.jp

 

 

茂原市立郷土資料館

 

 

茂原市の郷土資料館です。

茂原駅から徒歩20分、茂原公園と言う割と規模が大きな公園を突っ切って一番奥にあるよ。

 

 

中は郷土資料館のほかに美術館もあります。

美術館では地元の芸術家の作品展のほか、コミュニティクラブが作った品物の展示もしてた。

地域密着型の様です。

 

 

美術館があるので、建物の周辺にはこのように奇怪な屋外展示が並んでおります。

千葉大出身の武荒信顕という彫刻家による「あなたと」という作品です。

あなたと一体何をしたいんでしょうかね。

 

 

さて館内へ。

入場料は無料です。

右側にあるのが美術館ゾーン。

 

 

反対側にあるのが資料館です。

 

 

その入り口付近に農機具が積み上げられているけれど、展示室に収まり切らないからここに置いているのかな?(煽り)

 

 

最初の資料は、天然ガスの話です。

ちょっとこれは意外な展開。

 

 

なんでも千葉県の東部は国内有数の天然ガス田であるそうな。

県内で最初にガスを掘りあてたのは1891年大多喜でのことで、20世紀になって本格的なガス利用が進んだようである。

 

 

国内生産量でみると、千葉県は2位にあたるそうな。

すごいぞ千葉県。

トップの新潟の方に目が行ってしまうのはご了承ください。

 

 

この千葉東部のガス田には3685億㎥のガスが眠っているそうな。

生産量にして800年分。

なんだ、エネルギー大国だったのか日本は。

これは安泰ですわ。

 

まぁ日本の天然ガスの年間輸入量は1000億㎥超えてるんですけどね。

ガス田、3年でおしまいである(チーン)

 

 

ただこのガス田の本当の強さは、ガスではなくヨウ素にあるのであった。

レントゲン造影剤とか防カビ材・医薬品で用いられるのだが、なんと千葉県だけで世界の生産量の2割をカバーしている。

ガス田じゃなくて、ヨウ素田に改名した方が良いんじゃないか。

千葉県の学生たちは、ヨウ素を扱っている企業を就活で狙うべきである。

 

 

この写真はガスを掘っているところではなく、貝塚の発掘現場です。

ガスの話はおしまい。

ここからは通常通りの郷土資料になります。

 

 

土偶の皆さん。

 

 

顔がすごい簡単に作られてるなあ。

 

 ゜l゜ 

  U 

 

 

(ー|ー)

 

 

ちゃんと縄文土器もありますよ。

土器はやっぱり縄文中期。

 

 

貝塚で見つかった人骨。

 

 

これも人骨。

 

 

人骨置きスギィ!

 

 

この辺は養蚕の道具です。

かいこかいこ。

 

 

突然近代になったな。

明治時代に登場した人力車のようである。

 

茂原は街道筋にあったので交通手段の発展も起こり、1890年代には自転車や乗合馬車が出現。

列車は総武鉄道が敷設されて両国~大原が1900年代に開通した、今の総武線外房線

ちなみに総武鉄道という会社は埼玉でも登場するけれど、あれは別物で、のちの東武野田線である。

 

 

そんな近代化著しい仲、この古びた箱モノは「人車軌道」の車両。

人が手で押して動かす列車である。

 

 

茂原駅から約9km、長南という土地まで敷設された。

長南ではカマス(藁で出来た袋みたいなやつ)や莚(むしろ)の製造が盛んであり、それらは軍隊で必要としたため、軍の助力を受けて建設したそうな。

 

そういえば先ほどの総武鉄道も、軍の拠点がある地点を経由するような形で敷設されているので、鉄道と軍の関係の深さを知るわけである。

 

 

しかし人車軌道、こうやって2人一組で列車を押して進むのだが、車内の定員は8名なので相当な重労働である。

茂原~長南の9kmを、片道50分。歩くよりはマシか、くらいである。

 

1909年に開業したが、1921年に乗合自動車が出てくると、当然のように人も物資輸送もそちらを使うので、1925年には終了した。

当たり前の展開だが、むしろ16年間よく持ったな、という感じである。

 

 

こちらは鋤と鍬のコーナーです。

なんでか知らんが、やたら弥生~古墳時代の物が発掘されているらしい。

 

ここで問題ですが、鋤と鍬、どっちが「くわ」で、どちらが「すき」でしょうか。

 

(画像はWikiから)

 

鍬 ← くわ でした。

受験生は「くわは秋」と覚えましょう。

 

・・漢字はいいけど、鍬と鋤の形の違いもよく分かりませんな。

とりあえず鍬は上の写真のように、柄に刃が取り付けられているものだそうな。

 

 

鋤は、柄と刃がストレートに繋がっているものを言うのだと。

スコップだな。

 

 

4又の鋤が発掘されたので展示しているよ。

ちなみに「四又鋤」で検索すると、ダークソウルの攻略サイトばかり表示されます。

それどう考えても、農具として扱ってないでしょ。

本来の用途を上位に表示してクレメンス。

 

 

これは弥生時代の琴。

九州などでは珍しくないそうなのだが、東日本で完全な形で発掘されたのは、ごくわずか。

すごいぞ茂原。

これからは「ヨウ素と琴のまち」として覚えましょう。

 

 

多少綺麗にはしているのだろうが、板はしっかりしている。

 

 

最後に昭和な部屋です。

縄文→近代→弥生→昭和、とトンでもない飛び方してますね。

 

 

凄まじく懐かしいアイテムも載っています。

今の子供にやらせてみても、たぶんそれなりに熱中すると思う。

 

 

以上。

 

【交通手段】茂原駅から徒歩20分

【入館料】無料

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】40分

【URL】

www.city.mobara.chiba.jp