神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

C級スポットを主に巡るブログです。C級スポットとは、「メジャーな観光地(A級スポット)・ちょっと変わった観光地(B級・珍スポ)ですらない、楽しめるかはその人次第の場所」という意味です。と言いつつ、普通の観光地にも行きます。地域別カテゴリは最下段から。

桐生明治館

 

桐生明治館は、桐生市の相生にある明治時代の洋館です。

相老駅から徒歩10分程度。

地名は「相生」なのだが、駅名は「相老」 。

 

しかしこの辺の東武線は1時間に2本しかないのに、うち片方が特急と来てる。

早くて便利で快適な、東武特急をご利用ください(棒)

課金は500円~となっております。

 

 

入場料は150円です。

ロマンあふれる外観であるが、周囲に建物が無いので突然ポツンと現れる感じ。

 

 

この建物は1878年に、群馬県の衛生所および医学校として建築された。

というわけで、門には両方の名称が書かれております。

 

 

庭にはさざれ石。

岐阜県揖斐川町のものらしい。

桐生関係ないけど、どうしてコレ置こうと思ったの?

 

 

入館して1Fの展示室から回ります。

 

 

篠原涼子肖像画@鉛筆。

桐生の出身で、桐生市観光大使に任命されているらしい。

 

1878年 設立当初の写真)

 

この部屋では明治館の経歴を扱っています、篠原涼子ネタはこれだけですので、それ目当てに来ないように(戒め)

 

明治館は先述の通り、群馬県の衛生所&医学校として創建された。

場所は県庁がある前橋。

この時代は外国船の往来・人口の都市への流入などで伝染病が問題となっており、その対策として、西洋医学の導入が図られていた。

 

(当時の文書。ボロボロすぎて読めませんが・・)

 

1878年に始まったはいいが、なんと半年後には衛生所が廃止されている。

早すぎやしませんかね。

 

医学校の方も、経費が掛かる割に受講生が集まらず採算性が悪いということで、こちらも1881年に閉校された。

わずか寿命3年。いったいどういう計画でこの施設をつくったのか、責任者への尋問不可避。

 

 

(相生に移築されたあとの明治館。1980年代頃?)

 

そのあとは群馬県女学校、小学校、物産陳列館に県農会など使用主体が転々と変わっていく。

女学校も4年程度で潰れているので、計画性の無さが光る。

 

1927年になると、相生村が役場としてこの建物を欲しくなった。

それで前橋から移築してきて、現在の場所にやってきたのである。

 

(相生村議会の当時の文書)

 

当時の相生村議会の文書が残っているのだが、それによると、建物の移築については全会一致で賛同されたらしい。

しかし移築の工事費を予算計上するのを忘れ、あとでバタバタと追加することとなった。

 

移築決定をしておいて費用計上しないとは、まるで買い物に出かけて財布を忘れたサザエさんである。

この建物、ろくな計画や人々に出会えてないですね(呆れ)

 

 

次の展示室。

ここからは過去の品を置いていて、あまり説明はない。

 

 

 

椅子には普通に座れます。

 

相生村が桐生市に合併された後も、この建物は市の出張所として機能していた。

ただ1980年代になるとさすがにガタがきたのか、1984-1986まで修理工事がなされ、そのあと明治館として開館するに至った。

おめでとうございます。

 

 

人力車と自転車。

 

 

自転車はウルトラ初期のものであり、刀鍛冶や鉄砲鍛冶が製造していたらしい。

応用できる技術があったんですかね。

 

しかしこれ漕ぐの難易度たかいなぁ。

 

 

蓄音機と棚。

 

 

棚には植物の名前が振られている。

読めない。

 

 

ピアノ。

 

 

隣の部屋。

 

 

ここにもピアノ。

なんでこんなにたくさん置いているのかは分からないが、たぶん余ってたんだろう(適当)

 

明治以降、日本の主要な輸出品は生糸だったが、桐生は絹織物の産地であり、富裕な商家や農家がいたと思われるので、そういう人々が舶来品としてのピアノを買って叩いて「文明開化の音がする」ってハシャいでいたのかもしれない。

 

 

 

2Fへ。

館内は1980年代の修理で取り換えられているものもあり、この階段はとっかえ品だそうです(明治当時のものではない)

 

 

2Fのバルコニー。

 

一見すると良い感じなんですけどね、ところどころ床板がグラついていて恐怖感がするわけです。

数人が一か所でジャンプしたら間違いなく床抜ける。

 

 

手すりにはこんな模様。

 

 

会議室だそうだ。

 

 

 

奥にも部屋がありますが、これといった展示品は無し。

 

 

時計はなぜか3時で止まっている。

電池かえてあげなよ(憐憫)

 

 

 

貴賓室。

 

 

建物の中央にあり、内装も他とは違うのだよってなってますね。

 

 

 

大正天皇および昭和天皇がこの建物を訪問したことがあるそうで、両天皇ともに奥の赤いイスに座られたそうだ。

格式高いイスですので、一般の来訪者は座るどころか、この部屋の中に立ち入ることすら禁止されています。

 

 

手前には机があるんだけど、これ漆塗で貴重な品らしい。

椅子に見とれて足元うっかりしていると、普通に蹴り飛ばしそうになるので気を付けよう。

 

というか、蹴るようなところに置かないでクレメンス。

 

 

あとこの部屋の説明版、天皇来訪のことが書かれているんだけど、桐生に来ることを「ご来桐」って言っている。

 

そんな表現あるのか?

果たして篠原涼子は知っているのだろうか(反語)

 

 

 

この部屋は企画展示室です。

何年か前だったか『花燃ゆ』という大河ドラマを放映しており、その舞台として群馬が登場していたらしい。

 

ぜんぜん知らんかった。

ドラマが大爆死したことは知っていたが。

 

 

最後の部屋は、また資料室。

この明治館の創設をした、楫取素彦という人について。

 

 

楫取素彦(1829-1912)は長州藩の出身で、嫁は吉田松陰の妹だそうな。

1876年から初代群馬県令に就任している。

 

この人は保健衛生や教育の重要性を早くから認識しており、様々な学校の創設に関与する。

明治館のもととなる衛生所・医学校を設立したのもこの人。

 

まぁ前述の通り、その衛生所は設立から半年で、医学校は3年で廃止されてしまってますがね。

 

(設立した学校に揮毫したりしてます)

 

女子教育にも注力したので、群馬県女学校を設立。

これまた4年で廃校。

 

 

(前橋にある迎賓館 臨江閣)

 

群馬県の県庁を決定したのも、この楫取。

高崎と前橋のどっちかだったが、楫取の判断で前橋に移した。

 

なお今では高崎には新幹線が通って県内ぶっちぎりの最大都市となり、前橋についてはお察しください。

駅前とかみると一目瞭然である。

 

(楫取が編纂を部下にやらせた「修身説約」)

 

あれ、もしかして楫取クンって、実はダメな人?

理念は立派な気がするが、事業の計画性とか先見の明とか、感じませんな(直球)

 

道徳の教科書として「修身説約」っていう本を部下に編纂させて売り出したら、なんだか「学問ノススメ」ばりに流行したって、説明展示に書いてある。

そんな本聞いたこと無いけど、本当なのかしら(疑)

 

 

あと縮緬機業会社という企業の開業式に立ち会って「この会社の発展が永遠に続くことを願う」って祝辞を述べているんだけど。

その会社、開業した翌年に業績不振で営業停止している。

というわけで、跡地には何も残っていません。

 

楫取くん、”持ってない”ですねぇ。

というか楫取氏を特集しているようで割とディスっているこの展示たち。

どういうことなのかしら明治館。

 

 

展示室みおわったので、階段を下りて出口へ向かいます。

 

 

しかしこの階段、急斜面すぎである。

だから手すりを触りたいのだが、手すりの方に行くほど幅が狭くなっており、うかつに近づけない仕様となっております。

「絶対に手すり触らせないマン」が建築したのだろうか。

 

なおこの階段は、明治当初のものだそうです。

 

 

出口の辺りにこんなの置いてあった。

要は「美しいものには、おまえら触れてくれるな」ということであろう。

退館する来場者を最後にさりげなくディスっていくスタイル、強い(確信)

 

 

以上。

 

 

【交通手段】相老駅から徒歩10分

【入館料】150円

【混雑度】★(だれもいない)

【滞在時間】45分

【URL】

www.city.kiryu.lg.jp

旧古河庭園

 

北区にある旧古河庭園です。

西ケ原駅上中里駅駒込駅から来ることが出来る。

入園料は150円。

 

 

園内はこんな感じです。

左上が正門。

 

 

もともとこの土地は陸奥宗光が所有していたもの。

陸奥古河鉱業の創業者である古河市兵衛と懇意の仲であり、陸奥の息子である潤吉が古河市兵衛に養子入りしていた。

 

陸奥が死去した後、古河潤吉がこの土地を買い取り、別邸として使っている。

実父の暮らした土地なので、思い出補正な感じで取得したのだろう。

ただ潤吉自身も病を患っており、土地購入から6年後くらい、35歳で死んでしまうのだが。

 

 

バラのガーデン。

 

 

ただ花はありませんが。

 

バラ自体は1年中開花できるらしいのだが、ずっと咲かせていると体力を消耗して花も残念レベルになってしまうので、ちょん切って力を温存させているそうな(園内のガイドさんが言ってた)

私が来園する数日前に伐採したらしい、タイミング悪さの極み。

 

 

乾杯という品種があるそうな。

呑兵衛が命名したに違いない(確信)

 

 

この土地を買い取った古河潤吉が死去したあと、古河鉱業の社長を継いだのは創業者 市兵衛の実子である虎之助。

「実子が居るのになんで養子とったんだ?」と思ったが、古河市兵衛にはなかなか子供が生まれなかったので潤吉を養子にとっており、そのあと56歳の時に側室との間で出来たのが虎之助。

 

側室って・・時代ですねぇ。

 

 

潤吉が35歳で若死にしてしまったので、社長を継いだ虎之助はまだ20代後半であった。

しかしこの人の時に業績はじゃんじゃん上がり、鉱業のみならず電気工業・銀行・商事など事業を多角的に広げていった。

第一次世界大戦の軍需景気も大きかったと思うが、古河が財閥としてのし上がった時期である。

 

 

 

というわけで調子よかったので、こんな屋敷たてました。

先代 潤吉が別邸を構えていた頃は敷地も建物も小規模だったのだが、虎之助は周辺の土地を大量に買い足して、著名な建築家ジョサイア・コンドルを招き、別邸では無くて本邸として整備している。

 

 

そうして1917年に竣工したこちらの洋館だが、自由見学は出来ない。

管理運営を大谷美術館という法人が担当しており、その見学会に参加するという形になる。

 

見学会は事前予約制だが、空きがあれば当日参加も可能。

この日は雨降りのせいでかなり空いていたのだが、紅葉の時期とかは予約だけで満員の可能性もあるそうな。

 

 

(大谷美術館HPより。黄色い網掛は筆者による)

 

しかし事前予約の方法、とてつもなく面倒くさい。

なんと往復はがきによる申し込みである。

このご時世に!

 

おそらく大谷美術館さんサイドとしては、洋館の歴史の長さを感じてもらいたいがために、申し込み方法から明治時代のやり方を取ることにしたのだろう。 

 

 

見学会は別料金でございまして、おひとり800円です。

ただ見学ガイドさんが各部屋についてかなり細かく説明してくれるので、面白みはあります。40~50分ほど掛かった気がする。

撮影禁止なのがアレだが。

 

「800円払いたくないけど、どうしても中に立ち入りたい」というド根性ガエルな方は、館内の喫茶室だけは無料で入れるよ。

どうせそこで注文することになるけど。

 

www.otanimuseum.or.jp

 

 

 

洋館から出て、庭園の方へ。

 

 

 

庭園は洋風らしくカッチリ左右対称になっていて、さすがこれを作ったジョサイア・コンドル、手がこんどr(以下略)

 

 

 

その先は和風庭園が続きます。

ただ洋風庭園からいきなり和風庭園になるのは風流っぽくないので(適当)、緩衝地帯としてこのツツジ軍団が植えられているそうです。

 

 

和風庭園はコンドルではなく、当時のスター造園師 小川治兵衛に任せている。

 

 

通常、庭園を造るときは、その土地に既にある風景や資源を利用するらしい。

敷地の向こうに山が見える土地であれば、それを庭園の一要素として含めて構成を考えるのだが、この土地には使えそうなものがない。

 

それに庭園として欲しい”池”には水が必要だが、水を引いてこれそうな川も周辺に無いから、わざわざ井戸水を掘って使用しているそうな。

 

とまぁ色々あるが、つまり使える要素がこの土地には余り備わっていないので、造園師が苦労したという話です(思考放棄)

 

 

洋館が1917年に竣工したが、こちらの庭園は1919年完成である。

2019年で100周年です、おめでとうございます。

 

一方、洋館が完成して住み始めた古河虎之助だが、居住開始してからあまり碌なことが起こっていない。

 

 

 

1919年と言えば第一次世界大戦終戦した年だが、これにて軍需景気が終了し、日本の景気は一気に不況へ突入。

そのため古河財閥の業績も低飛行になり、足尾銅山では労働争議が勃発して労働者の一部がこの邸宅まで陳情のために押し寄せてきている。

 

さらに虎之助も父同様、子に恵まれず、養子をもらっていたのだが、この子が6歳にして死去。

悲惨な事件が連発しすぎて虎之助さんメンタルをやられてしまい、酒におぼれ、療養のために一時休職してハワイへ。

 

 

ワイハで復活し、一般人に復帰した虎之助さんは、子を失った経験から慈善活動に意義を見出し始め、孤児院「明徳園」を設立。

また関東大震災の時、この西ヶ原は軽傷で済んだそうだが、近隣は避難民でごった返していたため、敷地を開放して人々を受け入れ、医療団を組織して治療にあたらせたり、さらには仮住居まで建てて家を失った500人もの人を、最長で半年程度も住まわせてあげてたそうな。

 

すごいぞ虎之助!

読売のウサギも見習ってどうぞ(種目違い)

 

 

(庭園東部の林地地帯へ)

 

でもやっぱりこの土地で嫌なことが多かったからか、また労働争議の中で窮乏する労働者の姿を見たからか、虎之助はこの豪勢な土地を離れて、より質素な住居へ引っ越している。

結局、手をかなり掛けた割りに8年ほどしか住んでいなかった。

 

そのあとは古河財閥の迎賓館として利用。

 

(茶室があるが、申し込まないと入れない模様)

 

戦後になると財閥解体の流れで、古河家は巨額の課税をされてしまい、所有する財産を片っ端から売り払う羽目となった。

この土地も大蔵省に引き渡される。

 

もっとも、1952年まではイギリス軍人の宿舎として接収されてしまっていた。

ただイギリス人はアメリカ人と違って、庭園を破壊してプールやテニスコートを建てるUSAプレイ(愚)はやらなかった模様。

 

(門の外から茶室をのぞき見)

 

接収が解除されたあと、大蔵省から古河家に払い下げる動きがあったのだが、古河家が期限までに契約保証金を出さなかったため、一時中断。

 

んで手続きが止まっている間に、「古河に払い下げるのではなく、都市公園として整備し開放してほしい」と近隣住民および東京都から強い要望があり、大蔵省は古河との交渉を打ち切って東京都に無償貸与。

 

東京都が公園として整えて、1956年からオープンさせました。

ただし有料です。

いっとき無料にしたことがあったのだが、近所のお子ちゃまとか、あまりお行儀のよろしくない方々が入り込み過ぎて敷地内が荒れてしまったため、やっぱり有料制に戻した経緯がある。

 

 

(違う方面から茶室敷地を見た図)

 

ところで洋館に関しては、東京都への貸与リストから外されていた。

良く分からんが、権利関係が揉めまくっていて、貸し出せる状況ではなかった様子。

 

なので洋館以外の庭園部分に関しては東京都が整備していたのだが、洋館には手を入れられないので、長きにわたって放置され蔦が這いまくり、DQNによりガラスも割られ、「お化け屋敷」呼ばわりされていたそうな。

 

(茶室の裏にある書庫)

 

洋館はボロボロの状態だったのだが、1982年に都の名勝指定を受けて以降、7年ほどをも掛けて修理がなされ、1989年から大谷美術館のもと公開が始まって現在の状態へ。

めでたしめでたし。

 

揉めてた権利関係が解決したから名勝指定をされたと思えるが、一体何を争っていたのだろう。

あと大蔵省と古河家が払い下げ交渉をしていた時、「古河が払い下げを受けてから、大谷某へ敷地を譲渡する」という事実が発覚し、それは古河が大蔵省へ申告していた内容と違ったので大蔵省がガチギレして交渉を打ち切ったという話もある。

その大谷某って、大谷美術館の人かしら。

 

 

 

参考文献はこちらです。

 

 

以上。

 

【交通手段】西ヶ原駅上中里駅から徒歩5分

【入場料】150円

【混雑度】★★★(ちらほら)

【滞在時間】90分

【URL】

www.tokyo-park.or.jp

三日月村

 

藪塚にある三日月村というテーマパークへ。

歴史民俗資料館のすぐ横に裏口があるので、ここから向かうことにする。

 

 

階段を登り始めると、いきなり気になる石碑がある。

「パイプ塚」?

 

 

矢印の方に行ってみると、あったパイプ塚。

 

 

巨大な石碑に色々書いてあるが、要約すると「タバコは文明社会の娯楽品であり、喫煙者に安らぎを与えてくれ、税金でも貢献してるし、最高や!」ということ。

 

んで、なぜパイプ”塚”なんですかね。

塚ってことは何かを供養しているんだと思うけど、特に建設理由について言及はなかった。

タバコに費やした健康と金でも供養しているのかな?

 

 

「タバコ有りて人生愉し」

楽しそうで何より(小並)

 

 

当然のように喫煙所もあるので、タバコを吸いながら石碑の前で思いをはせてください。

何に対してかは知らん。

 

 

パイプ塚を放って、本来の目的地へ。

 

 

思いっきり後ろ墓地なんですけど。

冬の殺風景と相まって、夜には来たくないところですね。

 

 

看板に導かれるように進む。

 

 

ここが裏門のようである。

 

 

案内が貼られているが、ぜんぶ手描き。

うーむ、香ばしい気配が漂ってますねぇ。

 

 

入村料、大人648円。

なんだその細かさは!

確かに600円に対して消費税8%載せたらそうなるけれども。

 

むしろ1円玉のお釣り大量に用意しないといけないから、三日月村さんサイドの負担を増やしているだけでは(名推理)

 

 

門をくぐったものの、村の本体はまだ先にあるようです。

 

 

んで道中でくわした建物がこれ。

なにこの廃墟。

 

 

近づいて見てみると、飲食店チックな看板が。

どうみても営業はしていない。

もう放棄されてから何年か経っているのではないか。

 

 

側面から見た図。

いちおう物は置いてあるので、倉庫か何かとして機能はしているのかもしれない。

 

 

煮売屋。

おでんでも売っていたのかな?

 

 

トイレが裏にあるのだが、案内がやたら多い。

 

 

手前の木にも貼ってある。

そんなに無くても分かりますって。

 

 

その近くには、これまた謎の看板があるし。

不可思議土蔵?

怪異現洞?

怪異現”象”と掛けてるのかしら。

 

 

 

道の先にトンネルがあるのだが、怪異現洞ってこれのこと?

怪異が起こるような洞を通らないと、三日月村へは辿り着けないのかしら。

どういうテーマなのよ・・

 

 

ここにもトイレって案内が出てる。

そんなにこの付近で漏らす人が多発したのだろうか。

 

 

怪しいトンネル内は特に何も起こらず、地上へ。

 

 

またご案内が出てますが、どこまでも手描きですね。

経営状況がたいへん心配になる。

 

 

ようやくたどり着きました、三日月村

しかしこれは・・

 

 

建物のボロさ加減・人の無さ・更にどんよりした天候と、まるで打ち捨てられた廃村である。

SIRENに出てきそうだな。

 

 

今さら説明だが、三日月村は小説&ドラマ『木枯し紋次郎』の世界をテーマとして1970年代にオープンした(細かい年は知らん)

主人公である木枯し紋次郎は「上州新田郡三日月村の出身」ということになっており、その新田郡にある藪塚本町が誘致したもの。

 

 

昔はそれなりに来客があったのだろうが、テーマパークも経営難で閉園が相次ぐ時代だし、見ての通り厳しい状況なのは間違いない。

 

このゾーンは飲食店らしき建物が幾つかあるのだが、見事にシャットダウンしている。

 

 

何はともあれ、入村料を払う。

648円なので、650円出して、2円のお釣り。

やっぱりどう考えても不便である。2円のお釣り要らないって。

 

そして村内の通貨は「文」である。

1文=100円。

文の価値たかいなー、下手するとドルに勝つんじゃない(棒)

 

 

お土産屋。

村内で買い物をするには、いちいち受付で”両替”をする必要があり、現金精算は原則できないルール。

面倒だな(直球)

 

 

しかし色々な意味で期待大である。

まずは手前の神社へ。

 

 

特段変わった様子はないが、後ろにある小屋は割と崩壊寸前である。

 

 

絵馬もそこそこ吊るされてるが、絵馬自体の質のせいなのか、年月が経っているからなのか、外側の面がベロンベロンにめくれている。

こんな絵馬みたことない(困惑)

 

 

これは「居付き茶屋」。

経営者一家が居住しつつ、茶屋をやっているので「居付き」と言われている。

 

茶屋と言えば看板娘な気がするのだが、案内板によると、居付き茶屋では経営者の妻や娘が店番をすることは禁じられていたらしい。

客によるヨイデハナイカ~を防ぐためだろうか。

 

 

しかし茶屋の中に入ると、思いっきり女性いますが。

書いてることとやってることが全然あってないんだよなぁ(白目)

 

 

娘さん、手にはキセルを持っている。

もしや、さっきのパイプ塚ネタってまだ続いてるのかしら。

 

そして建物内が薄暗いことや村内の過疎っぷりを鑑みると、この娘さんがやってるのはただのタバコでは無い気が・・

 

 

ここは一応ファミリー向け施設なので、そういう怪しい設定は無いと思いますが。

と言いつつ、ファミリーでここに来るのは結構なチャレンジになるし、カップルは信頼関係次第ではそのままフェードアウトの可能性もあるでしょう。

 

囲炉裏のやかんも、もはや囲炉裏と一体化している。

 

 

 

建物から出ると、水車小屋。

飛騨高山の職人にわざわざ依頼したもので、釘を一本も使わない高度な技法で製作された模様。

開業当時はマネーがあったんですねぇ。

 

 

 

2F建ての建物があるぞ。

そして誰かが顔を出している。

 

 

ここは旅籠の様です。

2Fから乗り出しているのはモロにマネキンではあるが、ここまで従業員以外の人類を見ていないので、本物の人かと最初思ってしまった。

 

 

 

旅籠を逆側から見た図。

 

 

さっきからこうやって、ちゃんと説明書きは付いてるんですよね。

江戸の世界観を真剣に作ろうとしてた形跡はうかがえる。

 

 

しかし厩舎に居る馬はとんでもないパチモン臭がやばい。

目が適当すぎる。

 

 

 

旅籠の中では男女が怪しいプレイをしているので、ちょっと見たらそそくさと立ち去りましょう。

なお内部には入れません。

2Fになんて上がったら、きっと床が抜けてしまうだろう(確信)

 

 

集落っぽいゾーンから離れて、林道っぽくなった。

 

 

ガードレール代わりに木柵が設置されているんだが、木柵自体が老朽化してボロボロ。

哀愁漂うなあ。

 

 

これは炭焼き小屋で、炭を製造するところ。

この窯も、専門の職人に作ってもらったそうな。

 

 

こちらの家は、木枯し紋次郎さんの実家だそうです。

 

 

おや、誰かいるぞ。

 

 

誰だか分かりませんが、たぶん木枯し紋次郎さんなんでしょう。

帰省中のところすみませんね。

 

 

自己紹介を実家の障子にデカデカと書いている。

ちょっと最後の方、あやうくスペース足りなくなるところだったが、要は20年ぶりの帰省らしい。

 

 

もっともご家族は誰もいないようですが。

それでも案外ととのっていますね。

 

 

と思ったけど、壁とか穴あき放題だった。

上州の冬はこれだと(絶対)死ぬ

 

 

掘っ立て小屋かと思ったら、「立場」という臨時の休憩所であった。

 

 

だが中を見ると、とても休める状態ではなさそうですね。

せめて用具小屋かと思ったが、それ以前だった。

 

 

階段をのぼっていきます。

 

 

「見返り峠」という地点に着たので、振り返って見たのですが、笹や雑草に覆われて何も見えませんな。

これ冬だから良いけど、夏場はやばそう。虫的な意味で。

 

 

登り終えました。

ここは「おもしろ不可思議ゾーン」となっており、子供向けのからくり屋敷など3種類のアトラクションがある。

 

それら、まさかの別料金。

アトラクション自由利用ができるフリーパスは大人1620円であり、個別課金だとカラクリ屋敷は1回500円となっている。

ソシャゲー並みの高価格だな。

 

なお入門ゲート付近に張り紙が出ていた「不可思議土蔵」と「怪奇現洞」もアトラクションだったと知る。

 

 

残念ながら課金するほどの気力は持ち合わせていないのでスルー。

一方、こちらの「木枯し紋次郎記念館」は無課金で入れます。

 

 

記念館には「かかわりーな」と名称が付けられております。

木枯し紋次郎のセリフ「あっしとは関わりのないことでござんす」から来ている。

 

「関わり無い」と言われているのに、記念館を立ててしまうとは、木枯し紋次郎さんの意向に沿わないことを三日月村はやってますね(迫真)

 

 

とりあえず入ります。

入口ゾーンは囲炉裏があるだけ。

 

 

展示室へ進む。

 

 

作者である笹沢左保の著作ずらずら。

残念だが一冊も分らんのだ、悪いな。

 

 

こちらは直筆の原稿があるようです。

 

 

字うっすいなぁ!

もともと字が薄い人なのか、経年劣化か、慢心・保存環境のちがい。

 

 

映像で木枯し紋次郎さんの戦闘シーンが流されております。

 

 

敵を叩き斬ったあとの紋次郎さん。

これはドラマ版かと思うのだが、主演の人は撮影のため毎日竹藪に連れていかれたり、崖から落ちてアキレス腱断裂するなど過酷な目にあっている。

 

 

映画版は(故)菅原文太が出演していた。

菅原もそうだが、笹沢先生もグラサンでヤーさん感だしてますね。

 

 

衣装グッズ。

 

 

なんだこのキャラは。

 

 

笹沢先生のお写真。

 

 

こちらが書斎だそうですが、ずいぶんこじんまりとしているようで。

 

 

そういえば三日月村の開園にあたり、笹沢先生は「江戸の町を再現したい」と渋めのものを希望していたようなのだが、出来上がったものはアトラクションもあるファミリー向けテーマパークだったので、ご要望をスルーされてガッカリしたかもしれない。

 

さらに園内は道を未舗装にして江戸っぽい雰囲気を出していたのだが、来客から「雨の日にぬかるんで靴が汚れる」とクレームがあったので、アスファルト舗装された(脱力感)

 

 

お気に入りのバーを再現したとかどうとか。

 

 

これフラッシュ焚いてます。

実際のこのゾーンは真っ暗で全然みえません。

 

 

となりには映像ルームがあるんだけど、TVに思いっきり幕が垂らされてて、どうみても映像がはじまる気配はありません。

さっきのバーといい、電気は節約中なんですかね。

 

 

この通路を通れば入口に戻るので、記念館はおしまい。

 

 

そして出口近くへ到着。

もっとも裏口から来てしまったので、本来の入り口はこちらなわけですが。

 

 

ここにある茶店は数少ない生存店で、ダンゴとかならあります。

私は「群馬県民以外が食べると死ぬ」という焼きまんじゅうを食べました。

 

 

茶店内にアイルーみたいな化け物が居たんだけど、なんなんすかね。

みそおでん?

 

 

というわけでした。

しかし土日に行ったんだけど、他の客は数人しか見なかったな。

この感じでは冗談抜きで経営的にいつまでもつか怪しいので、気になる人は今のうちに訪問しよう。

 

まぁ仮に潰れても、あっしには関係のないことでござんす(どや顔)

 

 

 

ところで、このキャラ。

 

 

これに似てるよなぁ・・

 

 

以上。

 

【交通手段】藪塚駅から徒歩15分

【入村料】648円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】90分

【URL】

www.mikazukimura.com

 

 

太田市立藪塚本町歴史民俗資料館

 

群馬県の藪塚にある資料館です。

藪塚本町とは2005年まで存在した町だが、太田市に併呑されております。

入館料は100円。

 

 

階段を上がって2Fの展示室へ。

 

 

展示室の全景。

 

 

安定の縄文土器からのスタートですね。

 

 

縄文中期の土器。

この時代は温暖な気候が続いていたので、だいたいどこの地方でも人々はアロハな気分になって複雑な造形をした土器を製作していたものだが、この地域のそれは随分と質素である。

 

 

細々したものたち。

 

 

土偶

目の辺りをかなり殴られてアザが出来ている人をモデルにしたようです。

 

 

いずれにしろ顔が怖い。

 

 

こわい気分を宥めるために、キャラクターが作られております。

しかし「縄文ちゃん」という命名のセンスは如何なものか(キリッ)

 

 

縄文後期につくられた「異形土器」。

左下はまるでダムカレーの器のようだ。

 

 

右下にあるやつは、たしかに異形。

なにを表しているのだろうか。

 

 

剣だそうですが、バラバラにされちゃったようですね。

 

 

これらは瓦塔。

五重塔のミニチュアで、寺院跡でみつかる。

塔を立てる金が無かったから、ミニチュアで我慢したのだろうか。

欲しい車や家があるけどプラモデルで済ませる現代のサラリーマンを思わせる。

 

 

時代が進んで、古墳時代頃。

 

 

これは鷹匠(たかじょう)埴輪と言うらしい。

文字通り、鷹の調教師を表している。

古墳時代から既に鷹狩は存在したそうだ。

 

しかしメキシコ人にしか見えないな。

 

 

埴輪の首ぞろぞろ。

こわいって。

 

 

ニワトリの埴輪もありますが、こちらも首が取れています。

そういうの好きなの、この資料館?

 

 

緩和剤として、今度は男の子キャラが掲示されています。

 

 

 

ケースに入りきらなかった物は、床に直置きしている様子。

蹴ってしまいそうで割と気を遣う。

 

 

これは棺桶。

縦にしていると何かのオブジェに見えるが、実際は横にして使っていた。

 

 

同じく古墳時代頃から登場した甑。

 

 

竈を炊く風景の再現。

やり方は分かったが、のっぺらぼうなのでやっぱり怖い(3度目)

 

 

このケースでは、礫石経(れきせききょう)を展示しています。

 

 

石にお経を刻むことで救われる的なアレ。

ずいぶんと簡易なやり方である。

ほんの数文字しか書けないから、逆にご利益あるのか不安。

 

 

「いろはにほへと」の「にほ」だけ書くなど、ただの文字練習に使われている石もあります。

 

 

衣装コスプレ用かと思ったら、ただ展示しているだけだった。

 

 

この辺は奈良時代の話。

藪塚は上野国新田郡に位置しており、その郡庁について。

 

郡庁とは、郡司が政務や儀式を執り行うところだそうな。

郡衙というのもあるが、こちらは役所である。

ややこしいな、同じ場所でやりなさいよ(思考放棄)

 

 

この新田郡庁、相当なサイズがあった。

通常は一辺50mの四角形の敷地を使うのだが、新田は一辺90m近くもあり、国内最大級の郡庁なんだと。

 

現代であれば「田舎は土地が余っているだけでは(嘲)」となるところだが、古代はどうせどこも土地が余っているので、巨大な敷地だったということは、その敷地を使える財力や権威があったのだろうか。

 

 

郡庁跡では土器もいろいろ見つかっている。

この時代の土器は裏面に「どこで使われていたか」を墨書されていることが多く、ここの土器にも記されている。

 

ただ書かれている文字は「新田」ではなくて「入田」。

資料館の解説だと「入田は”にゅうた”と読み、”にった”と音が似ているので、新田のことを指している」とのこと。

本当それ?

 

吉見町役場 東山道のページから) 

 

どうして新田郡そんなに強かったのかと言うと、ここが「東山道」と「東山道武蔵路」という2つの主要道路の交点であり、交通の要衝だったからだそうな。

当時は橋を架ける技術が無く、川が多い東海道は困難な道とされ、東山道が主要道となっており、東山道武蔵路武蔵国方面へのルートとして機能した。

 

だが10世紀頃に架橋技術が発達すると、武蔵国に行くルートとしては東海道の方がメインになり始め、東山道武蔵路はだんだん廃れていき、鎌倉時代頃には廃道になってしまいましたとさ。

 

 

それで新田郡が廃れてしまったのかは分らんが、廃止された寺の瓦がポンポン掘り出されているので、お察しください。

 

 

奈良時代の、唐三彩の陶器。

破片ですが。

栄えていた頃は、こういう高級品を買う余裕もあったのだろう(遠い目)。

 

 

破片をもとに、復元してみたよ。

シャレオツ。

 

 

新田郡家(郡衙)での日常再現イラスト。

文字は木簡に書いていたわけだが、書き損じがあったり、使用終了した木簡を再利用するときは、文字を刀で削って消し落としていたというもの。

 

 

しかし文字を削るときに「データ消去」って、未来人ですかね君は。

 

 

民俗道具もありますので、てきとーに見ていってください。

 

 

そしてこれは資料館オリジナルの、発掘体験コーナーである。

 

 

砂の中に土器の破片が埋まっているから、掘り出して組み合わせて完成させてね、というもの。

完全に砂場遊びになっている。

猫のフンとか出てこないかしら(畏怖)

 

 

なぜかタイマーが置いてあるが、制限時間内に発掘・組合せ完成させろということだろうか。

 

 

砂を扱うので衣服に付着してしまう恐れがあるが、注意書きでは「発掘作業は汚れるものなのです」と半ば逆ギレ気味に書かれている。

タイマーと合わせて、なんだかプレッシャー掛かりますね。

 

 

「これはなんの土器でしょう」クイズ。

 

 

土器を触って、何の土器か当ててみましょう。

 

 

選択肢はこちら。

 

 

 

土器の裏には数字が書いてあり、これが答え。

6番なので、須恵器である。

 

このクイズ、めちゃめちゃ難しい。

特に須恵器と瓦の違いがなかなか分からない。

資料館いきまくってる癖に正答率ボロボロの取材陣であった。

 

 

最後に温泉のパネルでも見ますか。

この藪塚には温泉がある。

 

 

大正~昭和時代頃の写真。

情緒がありますねぇ。

 

ところでこの資料館の展示品は、今井館という温泉旅館の主人が蒐集した品をベースにしているそうな。

親子二代でコレクションしてきたのを、藪塚本町に寄贈したとのこと。

それで資料館一つ出来てしまう程の量なのだから、相当である。

 

 

藪塚温泉太田市いわく「新田義貞隠し湯」らしい。

まぁ「○○さんの隠し湯」なんて日本全国にあるので、エイプリルフールくらいのノリで聞いておけば良いと思う。

なお新田義貞さんでお馴染み新田家は、新田郡の出身です。

 

 

一つ上の写真と、同じ場所で撮った現代の写真。

実際来てみれば痛いほどわかるが、歩行者は誰もいないレベル。

2004年と2007年には温泉偽装問題も発生し、一層のダメージを受けた模様。

 

ところで取材陣は資料館を出たあと、ここで日帰り温泉に入るつもりだったのだが、どの旅館も休館等で入ることが出来なかった。

日帰り対応をしているのは(筆者が見た感じでは)2館だが、片方は臨時休館。

もう片方は公式HPやネットでは情報が殆ど無く、当日電話で聞いたところ「やってない」とのこと(臨時的なのか恒久的なのかは未確認)

 

ということで、藪塚温泉日帰りを考えられている方は、事前確認を怠らないように(戒め)

 

 

以上。

 

 

【交通手段】藪塚駅から徒歩10分

【入館料】100円

【滞在時間】40分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】

www15.plala.or.jp

 

 

ホキ美術館

 

千葉市緑区(南の方)あすみが丘という住宅地を歩いていると、突然コンクリート造の巨大建造物が現われる。

ホキ美術館である。

 

 

2010年に開館した、けっこう新しめな施設。

「ホキ」ってなんだ?と思ったが、美術館の館長が保木さんということ。

 

 

美術館の入り口に向かっていくわけだが、道のかたわらに鉄骨が突き立てられている。

とても多い。

あれ?もしかしてここ、怖いところ?

 

 

ヒヤヒヤしつつも、入り口に到着。

 

(画像はwikipediaから)

 

館内は撮影禁止なので、いろいろ引用しつつ進めていきます。

入口すぐにあるのはショップ。

館内で展示している絵画をもとにした絵ハガキを売っております。

 

風景画や静物画なら良いんですけどね。

裸婦とかガンガンに描いてあるやつもあるので、それを実際にハガキとして投函する勇者は我が国にどれくらい居るのだろうか。

 

wikiから。館内のレストラン)

 

ショップの奥に受付があるので、そこでチケットを買うのだが、1800円。

たっけー!箱根とか観光地ならともかく、千葉の緑区でこれは衝撃のお値段である。

 

館内のレストランはランチコース3000円ほどだし、上流階級を客層として据えているのだろう。

あすみが丘なんぞにリッチなマダムが居るのかどうかは分かりませんが。

 

(美術館で配布されるポスター)

 

さて、ホキ美術館は写実絵画を専門とする美術館である。

写実絵画とは、文字通りに写実的に対象を描いたものであるが、その写実のレベルがハンパないことにまず驚く。

 

このポスターに載っている人物、ぜんぶ絵画。

写真ではありません。

 

 

 

アップにしてみた図。

 

うん、どっからどう見ても写真ですね(遠い目)

 

(三重野 慶 『言葉にする前のそのまま』)

 

このときは人物画の企画展をやっていた。

やっぱりどう見ても写真である。

人体もそうだが、水の揺れとか、光の反射具合とか、水底の石の立体感とか。

これどうやって描いたの、3Dプリンタ?

 

ちなみにこの作品は、数年前に美術館内で行われた人気投票で1位を獲得したとか、書いてあった気がする(うろ覚え)

納得なのだが、投票理由の大半は「モデルの表情と服の濡れ具合」じゃないですかね(名推理)

 

山本大貴『静寂の声』)

 

人物画で一番驚くのは、髪の毛。

垂れたり束ねたり流れたりの自由な動きまで、精緻に表現されている。

コップの模様・本の印字など小道具も、油断はされていない。

 

あと画像だとちょっとインパクト薄れるが、この作品の実物はモデルの右腕とかギターの質感がリアルすぎて感動する。

後ろに掲げられているのはマチスの絵。

マチス君、作画もうちょい頑張りましょうね(無礼)

 

野田弘志『聖なるもの THE-IV』)

 

人物画だけでなく、静物画や風景画もあります。

 

 この作品を製作した野田弘志は写実絵画の巨匠だそうで、「余計なものをすべて排除して、描く対象の本質・存在そのものを表出したい」みたいなことを言っている。

私のような芸術オンチが理解するにはキャパオーバーだが、巣の底にしっかりと置かれている卵に、なにかしら質量の大きさは感じるであろう。

 

対象を写実的に描くことは19世紀まで当たり前であったが、カメラが登場すると絵画の存在意義が薄れていき、その中で「芸術は爆発だ」に代表される抽象芸術が生まれていったそうな。

一方で斜陽の写実絵画に入れ込む野田のような人間もおり、「絵で描かなくてもカメラで写せばいいじゃん」なミーハーをぶちのめす為の(?)作風や思想を鍛えていって、今日に繋がっている様子。

 

 

館内にギャラリーは8つあるので、真剣に見ていると2時間くらいは吹き飛びます。

そして内装も気合入れて造られており、解説パンフレットまで配布されている。

 

 

入り口付近にあった大量の鉄骨は柵の役割 & 隣接する昭和の森公園の木立をイメージしていたらしい。

写実的な表現ですねえ(適当)

 

展示室の床はゴムチップ製であり、長時間歩行しても疲れが足に来にくい配慮がされているなど、工夫は様々。

建築マニアは、絵画そっちのけで内装ばかり鑑賞しそうである。

 

 

というわけでした。

ところで美術館の外観、私が入ってきた方向とは反対側から見ると、こんな面白い形しているらしい。

まったく気づかなかったので(無能)、画像はwikiから拾っております

 

以上

 

【交通手段】土気駅から徒歩20分

【入館料】1800円

【滞在時間】2時間

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

www.hoki-museum.jp

根城

 

八戸にある戦国時代の城、根城(ねじょう)です。

八戸市博物館に隣接している。

 

 

一帯は「根城の広場」として整備。

西端に根城の本丸があり、館などが復元されている。

 

博物館は東端にあるので、博物館⇔根城の行き来をするには敷地内を端から端まで横断することになる。

もうちょっとどうにかならなかったですかね(疲労

 

 

本丸部分以外は公園な役割りなので、無料です。

 

 

城なので、ちゃんと堀の跡とかあります。

 

 

ここは薬園ゾーンであり、薬草が栽培されているらしいが、季節柄ありませんな(寒風)

 

 

こちらは果樹園。

籠城の際の食糧対策として、城内に果樹が植えられるのは一般的だそうで、発掘調査から根城にも植樹がされていたと考えられている。

 

なお季節柄(略)

 

 

寒いので、さっさと西端へ向かいましょう。

徒歩で5分程度ですがね。

 

 

模型。

敷地マップを兼ねている様子。

 

 

積雪障害おこってますけど、大丈夫ですかね。

 

 

ようやく入口が見えてきた。

 

 

本丸との間には堀が設けられているので、この通路で渡りましょう。

じゃないと死にます(雑)

 

 

門をくぐって、入場。

ここからは課金ゾーンであり、250円。

 

 

それでは根城の本丸にあったとされる建物へ入っていきます。

 

 

最初に出現するのは、納屋。

 

 

竪穴式住居ではありません。

いくら東北でも、こんなところに住みません(問題発言)

 

 

続いて見える大きな建物が、主殿。

 

 

通路脇を通って、裏口から入るようです。

なお右手の建物は事務棟なので、間違えて撃ち入りしないように(迫真)

 

 

主殿に入る前に、厩があります。

特にこのスペースは、当主の馬をつないでおくところ。

 

 

馬くんもいます。

でも日本の馬って、こんなに大きくないよね(真面目な指摘)

 

 

主殿にはいります。

板敷なので、スリッパを履いてあがりましょう。

直足だと、この時期は寒さで死ねます。

 

 

インスタ勢対策?

そもそもこれインスタ?(SNS音痴)

 

 

入ってすぐにある部屋は、詰めの間。

来城したお客さんに応対する人が控えておく場所。

食事いっぱい並んでいるから、すごいリビング感がしますが。

 

 

廊下を通っていきます。

 

 

茶の間。

お客さんをもてなすところ。

 

 

つづいて控えの間。

囲炉裏以外に、茶の間との違いが無いようにみえますが・・

 

 

 

二の間。

藩主がイベント対応中、変事に備えて誰かがここでスタンバっておく。

藩主は隣の間で酒飲んでいるというのに、部下は大変ねぇ(憐憫)

 

 

そしてここがメインの広間。

イベント・儀式を執り行うところ。

 

 

ここでは正月に行う「武事はじめ」なる儀式を再現しているんだそうな。

一人だけ鎧被っている人は正月早々から猛りすぎているのではなくて、年男だから藩主から色々お祝いしてもらっているのである。

 

 

重宝の間。

廊下にしかみえませんが、広間の裏にある部屋という扱い。

 

北畠顕家と南部師行 供養塔の魚拓)

 

ここでは根城を建設した南部師行に付いて説明されている。

八戸市博物館の記事でポロポロ書いたので、そちらをご覧ください。

 

なお南部師行さん、北畠顕家とともに最期は足利軍に対して突撃していき、玉砕している。

 

(祈祷の間)

 

別に両者とも東北で勢力を保っていたから、特攻する必要はなかったような気もするのだが、京都から逃げおおせて吉野に籠った後醍醐天皇が無計画に「突撃せよ」と言い出したので、仕方なく。

やっぱり上司がアホやとダメですね(直球)

 

 

主殿は終わって、また外の施設を見ます。

ここはまた厩だが、こっちはお客さんの馬をつないでおくところ。

 

 

中にはちゃんと馬(模型)がスタンバってます。

 

 

その厩の隣には杭が打たれまくってますが、ここにも厩がありました。

夜や冬の間に馬を飼う場所らしい。

さっきの厩と違って、暖房設備でもあるのかな?

エコキュート

 

 

これはただのトイレです。

 

 

こちらは?

 

 

 

番所」と名付けられている建物だが、現代では用具置き場になっている模様。

 

 

主殿の裏側を通ります。

途中にあるのは、鍛冶工房。

 

 

職人たちが、弓や鎧を作ったり直したりする作業場。

 

 

確かに道具があちらこちらにおいてある。

 

 

これは?

 

 

野鍛冶場といい、壊れた鉄道具を直すところ。

他の施設が屋内のところ、この作業場だけ物凄い寒そうである。

よく鍛冶職人、一揆おこさなかったな。

 

 

作業の風景。

説明版によると「強い風は炉の熱を逃がしてしまうので、板の壁で防いだ」。

それなら尚更、屋内作業場を用意してあげた方がよかったのでは(白目)

 

 

と思ってたら、屋内の鍛冶工場あった。

 

 

ただ入り口がなぜかとても低い。

かなり背をかがめて、やっと通れるレベル。

腰が痛い(老人)

 

 

普通に鍛冶場である。

じゃあなんで野外の鍛冶場を備えたんだ?

夏用?

もしかしてイジメ?

 

 

入口に近い方に戻ってきました。

やたら柱がまた打ってあるが、奥御殿があったところで、当主の家族が住んでいた。

当主自身は「常御殿」というところに住んでました。

 

復元された建物があれば、そうでない建物もあるんだな。

調査が完了していないか、もしくは予算不足のせいかと思うのだが、悲しいかなたぶん後者でしょう

 

 

最後の施設は、板蔵。

 

 

当主や家族が使う道具を仕舞う、私的な用具室ですね。

一般的な道具は納屋にしまったのだろう。

納屋よりもこちらの方が設備が良い。

 

 

以上。

 

【交通手段】八戸駅からバス15分

【入場料】250円

【混雑度】★(だれもいない)

【滞在時間】40分

【URL】

www.hachinohe-cb.jp