神奈川Cスポ探索日記

神奈川Cスポ探索日記

神奈川県内の観光スポット、って言えるかどうか微妙なスポットを巡っています

吉兆庵美術館

 

吉兆庵美術館は、和菓子店である源吉兆庵が開いている陶磁器等の美術館である。

 

 

 

吉兆庵は1947年創業の歴史ある和菓子店であり、その菓子の器として蒐集された品を展示している。

 

 

 

入館券は600円。

なお吉兆庵は岡山で創業した企業であり、岡山にも美術館を持っている。

ここで入館券を買うと、その券をもって岡山の美術館にも入れるのである。

(距離的に)たまげたなあ

 

 

 

主な展示品は、北大路魯山人の作品である。

この人は北鎌倉に星岡窯を所有しており、晩年は鎌倉で暮らしたという。

 

 

 

魯山人は癖のあり過ぎる人物だったが、それは出生からである。

明治維新後の士族没落期の士族に生まれてしまい、実親に捨てられ、最初の里親にも捨てられ、次の里親は父が行方不明になって母も病死。

その里親の子夫婦の元で一時期育てられるが夫が早くに死亡、妻の実家に行くと虐待されて、次に養子に行ったところでようやく落ち着く。

 

このとき魯山人6歳だが、そりゃこんな風になりますわ(遠い目)

 

 

 

館内は撮影禁止ですので(以下省略)。

この美術館、3Fまであるので、ゆっくり見ていると案外ボリュームがあったりする。

 

 

 

魯山人先生は、食器を「食事の着物」に例えており、自分でメニュー考案してその器を自分で作っていた模様。

器だけでは飽き足らず、他の食器から部屋の行灯や机など、もはや空間全体を自らの作品で彩っていた。

 

 

魯山人の言葉として、「1日3食それぞれすべてに心血を注ぎ、1食ごとに快哉を叫ぶようでなければ生きているとはいえない」みたいなのがあるらしいと館内の展示。

生きるために食べるのか、食べるために生きるのか、これもうわかんねえな。

 

 

 

箸置き。

 

気難しい魯山人先生だが、食事中にテンションが上がると、割りばしで即席の筆を作って作品をその店に置いてあげたりもしたらしい。

 

一方で風呂上りにベストなタイミングで冷えたビールが出てこないと、それだけでブチ切れてしまうという。

ビール瓶で殴られてしまうのかしら(時事問題)。

 

 

 

展示品は魯山人以外の作品もある。

特に吉兆庵は岡山創業なので、備前焼

 

備前焼は釉を使わずに焼き固めるので赤みが強く、土の感じがかなり残って素朴な味わいがあるとか。

また「窯変」という、窯のどの辺に置いて焼いたかで模様も色も変わるという現象があり、よってどの器も違う個性を持つんだってさ。

 

 

 

一風変わったものもあり。

これはボンボニエールといい、砂糖菓子入れ。

糖尿病まったなし(危機感)。

 

 

 

あとは宮川香山の眞葛焼きも展示されるときがある模様。

宮川香山は横浜だからね、眞葛ミュージアムもあるし。

 

 

 

 

以上。

 

 

【交通手段】鎌倉駅から徒歩10分

【入場料】600円

【滞在時間】40分

【混雑度】★★★(一部屋に数人)

【URL】

www.kitchoan.co.jp

 

 

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豊島屋本店ギャラリー鳩巣

 

鎌倉の鳩サブレで有名な豊島屋本店の2Fには、鳩のギャラリーがある。

 

 

 

お客さんの大半は鳩サブレ目当てなので、店内は混雑していてもギャラリー自体は空いてたりする。

 

 

 

ギャラリー名は「鳩巣」

やっぱ(鳩)好きなんスねえ

 

 

 

 

ライトアップが激しいので、写真がテカテカするでござる(安カメラ並感)

 

 

 

 

まず目につくのは、鳩をモチーフにした工芸品。

 

 

 

外国のハトと思わしきものたち。

 

 

 

これも白鳥では無くて、鳩である。

 

鎌倉の鶴岡八幡宮は白いハトが居ることで有名なので、鎌倉民にとっては白い鳥=ハトなのかもしれない。

 

 

 

鶴岡八幡宮に詣でるハトの皆さん。

 

 

 

別のケースには、西岸良平の『鎌倉ものがたり』がずらーっと並んでいる。

映画化するそうなので、企画モノかもしれない。

 

 

 

鎌倉ものがたり』は1984年から連載している超ロングな漫画である(ボキャ貧)。

この作品の鎌倉では、妖怪や幽霊が跳躍跋扈したり、江ノ電が異界へ繋がったりするなど、ずいぶんとんでもないことになっているらしい。

 

田舎を馬鹿にしすぎなのでは(白目)。

 

 

 

いきなり文字が多くなるが、鳩サブレ誕生の経緯を説明したものである。

公式HPでも読むことができる。

 

 

 

明治時代、豊島屋の初代である久保田久次郎が外人から貰ったビスケットの美味しさに感動し、日本にはまだ存在していないこの菓子を作ろうと思ったのがきっかけだという。

 

試作品を知人の船長に食べさせたところ、おフランスのサブレーなる菓子に似ていると言われた。

ちなみにビスケットはバター:薄力粉=1:2だが、サブレーは1:1なんだってさ。

 

 

 

サブレーの由来は分かったが、なぜハトなのかというと、この久保田久次郎が鶴岡八幡宮を信奉しており、ハトは八幡神の使いである。

そして鶴岡八幡宮の境内にはハトが沢山おり、子供たちが親しんでいたため、ハトをモチーフにお菓子を作ろうと思い立ったと。

 

 

 

ついでだが、ハトは1万年前ほどから人類によって飼育化されており、人間との関わりは深い模様。

強い帰巣本能・優れた方向感覚から、遠方に連れて行っても家に帰れる。

よって伝書鳩としての役割が有名だが、第二次世界大戦では小型カメラを装着させて偵察として飛ばした軍もあり、案外最近まで使われていたのだった。

 

 

あと食用にもなるけど、雑食なので、野生のハトは美味しくないと思われる(残当)。

 

 

 

 

ハトリョーシカ。

 

 

なお久保田久次郎さんは頑張って鳩サブレを作ったものの、時代を先取り過ぎて明治時代の日本人はサブレに馴染まず、当初は人気なかったらしい。

評判が上がり始めたのは鳩サブレ売り出しから10年後のこと。

 

 

 

なぜかネコ。

 

関東大震災では店舗が倒壊するなど壊滅的被害を受けたが、めげない久次郎どのにより鳩サブレはヒット商品に。

 

 

 

なんて書いてあるか分らんが、初代の時代のものかと思われる看板。

 

 

そんなんで発展した豊島屋も、戦争の被害は甚大。

お菓子工場は軍需産業の下請けとして使われてお菓子製作どころではなくなり、戦争中は当然の事、終戦後も物資が限られる。

久次郎は鳩サブレ復活の夢を見つつ、それが叶う前に亡くなったという。

 

かなしいなぁ(哀悼)

 

 

 

ところで鳩サブレばかり有名な豊島屋だが、それ以外にも良いお菓子は沢山あるので、そっちの方もみてくれよなーたのむよー。

 

 

 

白黒の器。

ハトの色をベースに豊島屋が作ったのかと思ったら、この店舗敷地で発掘された焼き物だった。

 

 

 

 

なお鳩サブレのライバルとして、ひよこサブレなるものがあるらしい。

歴史的には明治時代からある鳩サブレの方が古いのだが、ひよこサブレ発祥の地である福岡ではサブレといえばひよこであり、また東京にも進出して着々と鳩サブレの隙を窺っている模様。

 

 

以上

 

 

【交通手段】鎌倉駅から徒歩10分

【入館料】無料

【滞在時間】20分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.hato.co.jp

 

鎌倉市 川喜多映画記念館

 

川喜多映画記念館は、鎌倉市にある映画館兼記念館である。

 

 

 

 

記念されているのは、川喜多長政・かしこ夫妻。

外国映画を日本に紹介する輸入業者の先駆けであり、また日本映画を海外に広めたことでも有名な、国際的映画人である。

 

 

 

顔はめ看板。

 

夫の長政氏の経歴はなかなか激動である。

まず父親は陸軍に属していたが、中国に教官として赴任中、同じ日本の憲兵に襲撃されて銃殺されている。

長政氏5歳のときのこと。

 

機密漏洩をした容疑で憲兵が逮捕に行ったところを父親が抵抗したので銃殺、ということになっているが、はてさて。

 

 

 

しかし大変優秀な長政くんは都内の進学校を出た後、中国&ドイツ留学をし、さらにドイツの映画会社に勤務。

1928年(25歳)に帰国してから映画輸入会社を起業すると、培った海外経験を生かして良作な洋画をどんどん見出して、あっというまに国内最大の輸入業者になった。

この会社が、現在の東宝東和である。

 

 

 

 

第2次大戦中は陸軍の依頼で中国に渡り、日本軍支配地域における映画配給会社の経営に携わる。

軍としてはプロパガンダ映画を広めるためだったかもしれないが、長政殿は日中友好を志して、製作スタッフから日本人を締め出して中国人だけで固める異様采配を実行。

 

ただでさえ地元の中国人に敵視される中、日本軍にまで睨まれて、いつ死んでもおかしくないハードモードを自分でいくスタイルである。

 

 

(画像はイメージです)

 

 

まぁなんとか生き延びて終戦を迎えると、今度はGHQから「軍国主義に加担した」として公職追放

そんな長政氏に向けてエールを送ってくれたのが、大戦中に彼に助けられた中国人らであった。

そういう声が世界各地で起こったおかげか、1950年には公職追放を解かれ、映画界に復帰した。

 

 

 

本業の映画輸入屋さんに戻ったが、今度は日本映画を海外に売り込んだりした。

最たるものが、ヴェネチア映画祭への『羅生門』出展で、この作品は最高の金獅子賞を取っている。

 

 

 

なお映画人としては、妻の川喜多かしこの方が知名度は高い模様。

長政が経営する東和にタイピストとして入社したはずが、無名な洋画を長政に買い付けさせて、それが国内で大ヒットするという千里眼っぷりを披露。

以後は長政とともに世界各地で映画を開拓し続け、また映画財団等の文化事業にも深く携わった。

 

 

ちなみにこの夫婦の娘である和子も、映画製作や映画会社経営に携わるなど、家族そろって映画屋さんをしている。

 

以上、川喜多家の紹介おわり。

 

 

 

ようやくここから記念館そのものについてだが、内部は撮影禁止。

拾ってきた画像ですが許してくださいなんでも(以下略)

 

 

常設展的な要素としては、川喜多夫妻のエピソード紹介。

企画展的な要素の方が多くて、このときはひたすら昔の映画のポスターが貼ってあった。

 

 

 

館内には映画館もあって、和洋問わず古典的な名作をメインに上映している。

1本1000円。

 

 

 

そして記念館の奥に、なにか建物が見える。

 

 

 

これは川喜多邸の別邸で、海外からの来客を迎える場として使われていたという。

建物自体はかつて和辻哲郎が居宅として使用していたものを、川喜多夫妻が引き取って移築したらしい。

 

春と秋の年2回だけ公開される模様。

 

 

以上

 

 

【交通手段】鎌倉駅から徒歩15分

【入館料】200円

【滞在時間】30分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.kamakura-kawakita.org

 

 

鏑木清方記念美術館

 

鏑木清方記念美術館は、日本画鏑木清方を記念する美術館である。

 

 

 

鏑木清方(1878-1972)は、東京生まれ。

15歳の時に学校をやめて画業に専念しはじめ、17歳の時には父親が経営する新聞にて挿絵を担当するなど、若くして画才を発揮している。

 

 

(代表作の『築地明石町』)

 

父が人情本作家であり、また浮世絵師系の画家に師事したことから、浮世絵チックな日本画家である。

特に女性をメインに据えつつ風俗文化を描くようなスタイル。

 

 

 

樋口一葉のファンだったようで、一葉の肖像とかも書いているが、一番有名なのはこの『一葉女史の墓』。

樋口一葉の墓に、一葉の『たけくらべ』の登場人物がもたれかかっている。

 

 

(『朝涼』)

 

美人画に描かれているのって「美人(古典)」だから、うーんこのって感じになるが、いろいろ通り越して幻想的・退廃的になってくると別の趣がある(適当)。

 

 

 

退廃的といえば、最たるのはこの『妖魚』である。

漂うラスボス臭。

 

 

 

 

そんな鏑木清方くんは東京に住んでいたが、大戦の空襲で住家がダメになると、鎌倉に越してきて最期はここで亡くなった。

その自宅跡地に、この美術館が建てられたのである。

 

 

 

小町通りはめちゃめちゃ賑やかだが、一本小道に入るともう静かなのが鎌倉な感じ。

この美術館も、そういう静かな環境にある。

 

 

 

館内撮影禁止なので、以下は美術館公式twitter等から拾った画像で許してください何でもしますから。

 

館内は常設展+企画展構成であり、企画展にのみ入場料がかかるのだが、館内の要素の大半は企画展なので事実上みんな課金することになる。

 

上の画像は、わずかな常設展要素である、鏑木清方の書斎である。

 

 

 

 

たいそうな中庭。

立ち入れず、外から眺めるだけなのが残念至極。

 

 

 

企画展では、お正月シリーズだった。

この羽子板は、鏑木清方の作品をもとにして、永井周山という押絵師が製作したもの。

 

 

 

羽子板の上に、立体的に人物が浮かび上がるようにしている。

これで羽根つくのむずかしくね?(羽根突きガチ勢)

 

 

 

あと面白かったのは、双六。

文芸誌の付録として、何種類か製作されている。

上記のは、小野小町とか常盤御前とか出てくる美人双六である。

 

 

双六は他にもあって、「軍国おんな双六」では、戦争に行った家族を待つ女性が主人公である。

サイの目次第では出征した家族が死ぬなど、戦争の厳しさを教えてくれる。

 

あと「出世双六」みたいのもあって、これはサイの目が良いと出世していくが、目が悪いとどんどん落ちぶれて掃き溜めにハマり、特定の目が出るまで脱出できない。

子供心に人生の厳しさを叩き込む、鏑木清方の理念が表れている(大嘘)。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】鎌倉駅から徒歩10分

【滞在時間】30分

【入館料】200円

【混雑度】★★★(一部屋にだいたい数人いる)

【URL】

www.kamakura-arts.or.jp

 

 

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市ケ尾横穴古墳群

 

市ケ尾横穴古墳群は、横浜市市ヶ尾にある横穴墓である。

 

 

横穴墓とは、段丘とかに文字通り横穴を掘って、そこを墓とするものである。

5世紀後半から九州で始まり、8世紀頃には終焉した。

市ヶ尾の古墳は6世紀~7世紀にかけて作られたものであるという。

 

 

 

646年大化の改新の一連で「薄葬令」が出された。

身分ごとに作って良い墓の規模を決め、人馬の殉死を禁止するなど、葬礼を簡素化するものである。

これによって大規模な古墳は作られなくなり、その代わりに横穴墓が増えていったという。

 

 

 

ベンチ兼地図なのだが、古墳なみの年代物のようなやられっぷり。

 

 

 

入口は右下。

まずは左奥のA群から見に行く。

 

 

 

こんな感じ。

 

 

 

A群には12の墓がある。

 

 

 

塞がれてしまっている穴もあれば、

 

 

 

ガラス越しに見られるのもあり、

 

 

そして中に入れるものもある。

 

 

 

 

中は当然だが、なにがあるわけでもない。

 

 

 

ガラス張りの箇所にもパターンが幾つかあって、ここは窓の上に人感センサーが設置されている。

 

 

近づくと内部の照明が点灯する。

 

 

 

中には副葬品としてこんなものがあるらしいんだけど、暗くてよく見えないのよね。

 

 

 

あと穴の内部は3か所に分けられている。

一番奥の棺桶安置場所が、玄室。

そこに至る廊下部分が、羨道。

入り口部分が、前庭。

 

 

 

横穴墓は家族の墓であり、亡くなった家族は共通して1つの穴に葬っていた模様。

 

 

 

A群から、B群へ向かう。

 

 

 

こちら。

 

 

 

基本は先ほどと同じだが、こちらは人感センサーの他に、窓にワイパーが付いている。

内部と外の気温・湿度差で窓に水滴がガンガン付着しているので、右上の黒いのを動かして自分で拭けということ。

 

 

 

こちらの窓は人感センサーがなく、窓の上のボタンを押して明かりをつけろとのこと。

予算尽きたのかしら。

 

 

 

ただそのボタンが破壊されていたり、クモの巣だらけだったりしたので、無事スルー。

 

 

 

横穴墓からの景色図。

 

 

でも目の前おもいっきり山林で、まったく見えないのですが(困惑)。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】市が尾駅から徒歩10分

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】横浜市青葉区 青葉区の文化財/市ケ尾横穴古墳群

 

 

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つる舞の里歴史資料館

 

ここは大和市にある歴史資料館である。

 

 

 

入口。

しかし屋根の材質が、下鶴間ふるさと館の古民家と同じ気がする。

あちらは江戸時代の建築で、こちらは平成になってからの開館なのだが。

 

 

 

中は古民家っぽい。

なぜかキンチョールの看板。

 

 

 

事務室側。

 

 

 

ご自由にご覧下さいの資料ゾーン。

TVのうしろにヤマトン@スライムverが潜んでいる。

 

 

すごろく。

 

 

 

資料ゾーンの横には、なんだか盛大な建物が。

 

 

トイレだった。

 

 

 

その盛大なトイレの前には、蔵っぽいものがある。

 

 

 

こちらは資料保存室となっており、中には入れない。

写真は公式HPから。

 

しかし平成年代につくられたせいか、やたら内装は凝っており、こちらが予算状況について不安になってしまう。

 

 

 

盛大なトイレの前には、展示が色々。

 

 

 

まずは鶴間の変遷。

現在でこそ鶴間は町田市・相模原市大和市の3市に分かれているが、15世紀までは1つの郷だった。

 

 

 

それがこんな感じで、3分割されてしまったらしい。

つまり鶴間民は、欧米によって国境を線引きされてバラバラになってしまった中東の民族と同じだということだろう(論理飛躍)。

 

 

 

次は鶴間の名の由来について、2説書いてある。

その②説では、「鶴間地域を通る境川が大きく蛇行している形が弓の弦(つる)を思わせる」ため弦間→鶴間という。

室町幕府の目録に「弦間郷」という名で記載されているらしいので、この説が有力な気はする。

 

 

 

 

地名に関しては伝説が書いてあるが、いずれも「鶴が飛んだから」みたいなノリになっている。

 

 

 

そしてここから本格的な展示コーナー。

 

 

 

動物たちとの大きさ比べ。

鹿も象もでけえなあ(当然)。

 

 

 

木の冷蔵庫。

上の段に氷を入れて、下の段に冷やすものを入れるらしい。

 

 

 

隣に三菱の箱があるが、特に説明は無し。

 

 

 

明かりシリーズ。

 

 

こちらは電話シリーズと、余ったスペースにタイプライター。

 

 

おなじみ、石器の皆さん。

 

 

 

ただ貸し出し中の道具が結構あるので、イメージでお楽しみください。

 

 

 

林間都市計画について。

戦前、中央林間のあたりは雑木林であったが、小田急が江の島線を開業することに伴い、その一帯を都市開発しようとした。

分譲住宅の購入者には3年間小田急の乗車券が与えられ、また都市内に松竹撮影所のほか、力士育成所(強そう)なども作ろうとしたという。

 

 

 

しかし当時はまだ都心までの通勤時間が長すぎたり、住宅分譲価格が高すぎて、計画はポシャッてしまった。

開発が進むのは、1984年に東急の田園都市線が乗り入れてからで、中央林間の開発は東急によって進められることになる。

 

 

なお小田急は自社路線が通る中央林間一帯の開発を計画しており、鶴間はその中に入っていなかった模様。

鶴間民からしたら「小田急ェ」じゃなかったろうか。

 

 

 

模型。

大和市にあった深見城である。

 

 

 

まあ城といっても山城だし、築城時期も廃城時期も城主すらも不明であるという。

現在はその近くに下水処理場が建てられている。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】つきみ野駅から徒歩10分

【入館料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】大和市/つる舞の里歴史資料館

 

 

下鶴間ふるさと館

 

下鶴間ふるさと館は、大和市にある古民家展示施設である。

 

 

 

 

 

施設敷地への入り口はこちら。

公衆トイレかと最初間違えてしまった。

 

 

 

 

建物は1856年に建築されたものだが、なんだか新しめに見える。

屋根とか特にツルツルした感じ。

 

 

 

横にある蔵は1918年の建築だが、こちらは入れない模様。

 

 

 

というわけで母屋の方に入場。

土間がコンクリート打ちっぱなしなんですが、江戸時代って現代的だったんやなぁ(すっとぼけ)

 

 

 

まずは郷土資料館おなじみの模型。

「とりあえず模型」的な思考が行政にはあるのだろう。

 

 

 

矢印が付いているのが、下鶴間ふるさと館である。

左側にある大きめな道路は、「矢倉沢往還」。

 

 

 

矢倉沢往還は、江戸の赤坂から相模を経て、静岡の沼津へ至る、昔からの主要道である。

その街道の殆どは、現在の国道246号となっているので、相当な大動脈であったことが伺える。

 

整備されたのは江戸時代だが、道自体は平安時代から存在していたらしい。

南足柄の矢倉沢というところに関所が設けられていたため、それで矢倉沢往還

 

 

 

下鶴間は矢倉沢往還の宿場町として栄えた土地であった。

そしてこの建物は街道に面する商家だったという。

 

 

 

今の246号は少しそれた位置にあるため、建物が面しているのはこの狭い道路。

ただ狭いわりに交通量は結構あるので、当時は大街道であったことを否が応でも思い起こさせてくれる。

 

 

 

模型横の広大なスペースは、テナント募集中。

展示品入れ替え時期だったのだろう。

 

 

 

見取り図。

 

 

 

商家の店部分。

 

 

 

置いてあるのは主に薬。

 

 

 

毛生え薬は当時からあったらしい。

まーた髪の話してる。

 

 

毒掃丸

ネーミング(直球)がよろしい。

 

 

 

正露丸の展示解説。

日清・日露戦争で陸軍は大量の脚気による死者を出したが、それがビタミン不足だということが分からず、なんの効果もない正露丸を患者に服用させていたとのこと。

一方で海軍は脚気の原因が米食にあることを把握しており、麦食に変えたので脚気被害者は殆ど出なかった。

補給線という考えも無かったし、やっぱ日本陸軍ってクソやな(便乗)。

 

 

でもこの展示って、下鶴間自体に関係あるのかしら(当然の疑問)

 

 

 

なお当時の陸軍軍医だった森鴎外は、現在でも戦犯にされている模様。

 

 

 

 

ちょうちん。

 

 

 

ごりごりと粉末にする道具。

薬関係の展示が多いから、薬メインの商家だったのだろうか。

 

 

 

なんど。

通常は物置スペースだけど、この建物では居室としても使う。

 

 

 

座敷にも展示品いろいろ。

 

 

 

送り状というもの。

強制送還とかではなく、住所を移すときに発行する。

住民票の移転手続き書類みたいなものか。

 

 

 

なんとピストルである。

往来が多いと、悪いものも現れたんだろうか。

こわいなー、とづまりすとこ。

 

 

 

この座敷の床の裏側に、なぜか漫画みたいな落書きがあったらしい。

写真の真ん中にある板がそれなのだが、逆光で見えなくて申し訳ナス。

 

 

 

神棚。

建物がやたら新しめな中、これだけは時代相応な感じがする。

 

 

 

奥座敷。

 

 

1月なので破魔矢破魔弓が飾ってある。

 

 

 

奥座敷からみえる景色。

広い庭ですねえ(適当)。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】鶴間駅からバス5分「下鶴間」下車。徒歩1分。

【入場料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】大和市/大和市下鶴間ふるさと館

 

 

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