神奈川Cスポ探索日記

神奈川Cスポ探索日記

神奈川県内の観光スポット、って言えるかどうか微妙なスポットを巡っています

横浜人形の家

 

【長文注意】 

横浜人形の家は、大量の人形を展示する家、もとい4F建てのビルである。

 

 

 

笛長いなー

 

もともとは大野英子さんの人形コレクションを展示する施設だった。

元町で真珠店を経営していた大野さんは、世界各国に営業にいく度に現地の人形を購入し、その国の風俗文化を持って帰ってきたという。

 

 

 

そのコレクションがそもそも5000体くらいあったらしい。

うち2600体を、大野さんの没後に遺族が横浜市へ寄贈。

1979年にビルの一室にて、人形の家の前身施設がデビューする。

 

 

 

入場口に改札ゲートがあったけど、今は使ってないっぽい。

 

 

 

最初の部屋。

 

2600体ですら相当な数なのだが、人形の家の職員達は飽き足らなかったのか、さらに独自の収集を始める。

当然のように展示スペースは足りなくなり、よって今のところに移ってきた。

 

 

詳しくはこちら。

 

hamarepo.com

 

 

 

人形の家っていうからファンシーなものを予想してたら、のっけから日本人形で先制攻撃を受ける。

 

 

 

この辺の人形は通称「青い目の人形」。

大正時代にアメリカでは日本からの移民が増えすぎて日系人排斥運動があったが、それに対抗する親睦運動の一環として、アメリカから日本へ人形が送られてきた。

 

日本のお子ちゃま達にとって青い目をした外国の人形は予想外デス。

太平洋戦争中は敵国の人形と言うことでかなり処分されてしまったが、隠して生き延びたのもあるらしい。

 

 

 

やってきた人形にはパスポートやビザの付録付き。

 

 

 

一方で開国期の横浜では、お土産になるものとして「横浜開国人形」が登場。

横浜で働く日本人や外国人を人形にしたものである。

 

 

 

菜っぱ隊は市中の治安維持を担当する、菜っ葉っぽい色の羽織を着た人たちである。

葉っぱ隊ではないし、葉っぱ1枚では治安は守れないので、要注意。

 

 

 

次の部屋は、日本各地と海外の人形を大量に展示するコーナー。

 

 

 

まずはオセアニア

パプアニューギニアの人形は、最後に泥を塗って仕上げるらしい。

臭そう(直観)。

 

 

 

先住民。

 

 

 

南米は土着民のほか、植民した白人が登場する。

 

 

 

このパラグアイ人形は福の神であるらしく、手に入れたいもののミニチュアを作って括り付ければいいらしい。

ただし口にタバコを加えさせないと、願いはかなわないという。

ニコチンが必要な神様なのだろう。

 

 

 

完成度にだいぶばらつきがあるのが、南米の人形である。

 

 

 

アメリカは先住民たちの人形。

なんかメキシコっぽい(適当)

 

 

 

カナダは人形も寒そうである。

 

 

 

 

中国やインドなどの宮廷文化のあったアジアは、絢爛豪華な感じ。

 

 

 

パキスタンは婚礼の様子だが、花婿はいったい何をしているのだろうか。

 

 

 

ヨーロッパ。

 

 

ジョージアはだいぶ本気出してる感があるけど、ベラルーシは違う方向に本気を出している。

 

 

ラトビアは手のひらサイズ。

 

 

 

チェコのキューピーは目が怖い。

 

 

そんな中、スペイン王室は空気を読まないレベルで派手にぶちあげている。

 

 

 

アフリカ。黒すぎ(問題発言)。

 

 

スペイン王室の後だと、落差を感じずにはいられない。

 

 

 

 

突然のこけし

ここからは日本の人形になる。

 

 

 

名馬の産地である東北は、馬。

 

 

 

バランスつよそう

 

 

 

箱根の七福神は、マトリョーシカ風。

一番小さい人形にされてしまった神様は無念であろう。

 

 

 

京都は祇園祭で雅な感じ。

 

 

兵庫のはリズム天国に出てきそう。

 

 

 

部屋の真ん中にあるのはドールハウス

 

 

 

大庭ひろこという日本人主婦が、6年かけて製作した模様。

 

 

 

細部にわたって物凄い精緻さである。

 

 

庭には池も。

 

 

 

壁にもいろいろ。

 

 

さすがにこれは手描きじゃないと思うが。

 

 

阪神関係ないやろ(デトロイト・タイガース

 

 

 

いきなり暗くなってしまったが、各国各地人形の次は、懐かしの人形である。

 

 

 

リカちゃん人形。

 

 

 

バービィは艶めかしいので、男児には与えない方が良い。

 

 

めちゃめちゃ懐かしい人たち。

 

 

上の階へ。

 

 

さらに古い時代になった。

 

 

ミッキーはともかく、ミニーマウスは中国でも訴訟モノの出来。

 

 

人形置き場。

 

 

このネズミの人形には猫が隠れているらしい。

服の模様とかには居ないようだが。

 

 

 

逆さまにしてスカートをひっくり返すと、猫の人形になる。

ハレンチだなあ。

 

 

 

 

ここからは工芸品としての人形。

 

 

いつも通り、やたら反射してしまっているが、御殿。

 

 

 

内部も金ぴか。

 

 

調度も細かい。

 

 

これらはからくり人形。

 

 

動いているところのビデオ付き。

 

 

 

人間国宝平田郷陽による人形。

なんと木彫りである。

 

 

 

木彫りにはどうみても見えないエロさ(ボキャ貧)である。

 

 

動きの豪快さを表現している。

 

 

 

西欧の人形。

 

 

 

着せ替え用の服装は、相当な気合の入れよう。

 

 

ノアの箱舟

 

 

最後のやつ、つがいじゃないけど、乗せてもらえるのだろうか。

 

 

学校の様子。

 

 

先生はもうちょっと作りこんだ方が良さそう。

 

 

 

ボーリングのピンとして使っていたらしい(動物虐待)

 

 

 

人形の作り方。

ビデオ付き。

 

 

 

日本人形は、だいぶ年季の入った道具で型を作る。

 

 

西欧はこんな感じ。

 

 

 

各部品が引出しに入っている。

目ん玉とかも触れます。

 

 

 

常設展だけでも結構なボリュームだが、さらに企画展もある。

この時はシルバニアファミリーだった。

 

 

様々なファミリー形態。

 

 

「日本ドールハウス協会」という組織があるらしく、そこの協賛みたいな形。

英検のような検定試験もやってるようで、木工の製作試験からドールハウスの歴史の筆記試験まで。

 

 

 

ドールハウスwithシルバニアファミリーというお題で、個人の製作したハウスを展示している感じだった。

 

 

既製品も使っていると思うが、調度品など手作りしているものもある模様。

「ケーキひとつ作るのに3時間かかった」と、この作品の製作者コメントに書いてあった。

ドールハウス ガチ勢である。

 

 

 

シルバニアファミリー展おしまい。

 

 

 

出入口付近に戻ると、もう一つ企画展があった。

清水真理という人形作家の個展である。

 

 

 

しかしこちらは見た目が大変なことになっていて、シルバニアファミリーとの落差がナイアガラレベルである。

子供たち泣きだすんじゃないか(困惑)。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】元町・中華街駅から徒歩5分

【入館料】常設+企画展で700円

【滞在時間】120分

【混雑度】★★★(写真撮ると他人が映り込む)

【URL】横浜人形の家

 

 

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開高健記念館

 

茅ヶ崎開高健記念館は、作家 開高健を記念する館である。

金・土・日のみ営業。

 

 

 

開高健は1950年代~1980年代に活躍した作家である。

28歳の時に芥川賞を受賞したことに始まり、ベトナム戦争の激戦地に取材に行ったり、アマゾンの奥地で釣りをしたりと、尋常じゃないレベルの活動をしている。

 

 

 

大阪出身であるが、東京都に移り、そのあと1974年に茅ヶ崎に来て1989年に没するまで住んでいた。

その邸宅を遺族が茅ヶ崎市に寄贈して、記念館となっている。

 

こういうパターンおおいな、茅ヶ崎は。

 

 

 

表札は当時のままなのだろうか。

開高健と、妻の牧羊子の名前になっている。

 

 

 

玄関。

 

 

 

玄関の対面にはベンチと彫像があるが、真意は不明。

 

 

 

入口にはインターホンがあるが、とくに押さずにそのまま玄関を開けてよい。

 

受付で入館料を払う。

となりの、茅ヶ崎市ゆかりの人物館とセット券で300円。

 

 

 

館内は茅ヶ崎市お得意の撮影禁止(静かなる怒り)。

というわけで画像は神奈川県のHPから拝借。

 

 

 

 

まず入館すると、NHK開高健のインタビューをした10分間のビデオを見る。

これで開高健の基本的な思想を知るわけである。

 

 

要約すると、「危険と遊びは男に必須」だったと思う。

まぁだいたいどういう人かは分かりました(察し)。

 

 

 

館内の展示品は「開高健がどんな人物だったか」を把握させることを目的としている。

右にあるのは、バカでかい魚を釣った写真。

動物の剥製が幾つかあったが、狩猟で仕留めたものなんだろうか。

 

 

 

相当な釣りキチであったようで、上述のようにアマゾンにまで釣りに行っている。

キャッチアンドリリース」という言葉を定着させたのは、開高であるという説がある。

同じく釣りキチで、ペンネームに魚の名前まで入れてしまった井伏鱒二とは釣り仲間であった。

 

 

 

「本当の戦場を見に行きたい」という別のキチ〇〇的発想で、ベトナム戦争において政府軍側に戦場ジャーナリストとして随行

最前線まで行ったら反政府ゲリラの猛攻撃にあい、危うく死にかける。

 

なおその戦闘では、200名の従軍者のうち17名しか生存しなかったという。

そのときに被っていたヘルメットが、記念館内に保管されている。

 

 

また相当のお酒愛好家であり、館内の展示室の一つは酒瓶だらけである。

NHKインタビューの時も、昼間からワインを飲みつつ質問に答えていた。

 

 

 

なお作家としてデビューする前は、サントリーの宣伝部署におり、上掲のトリスのキャッチコピーを書いている。

 

 

(お酒に囲まれて上機嫌の開高氏)

 

酒豪なうえに美食家でもあり、飲食に関するエッセイや、ワインをネタにした小説も書いている。

そういう人の宿命か、享年58歳と亡くなるには若い年齢である。

 

 

 

建物の奥の方には、開高健の書斎が没後そのまま残されている。

この神奈川県HPの画像だと見えないが、ウイスキーグラスも置いてあった。

 

 

飾ってある品も釣り関係。

 

 

 

 

以上。

 

 

【交通手段】茅ヶ崎駅から徒歩15分

【入館料】200円(ゆかりの人物館とセットで300円)

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】30分

【URL】開高健記念館

 

 

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横浜検疫所 旧細菌検査室

 

横浜検疫所の旧細菌検査室は、野口英世が検疫業務を行っていた施設である。

 

 

 

明治時代に海外との人・モノのやり取りが増えるにあたって、病気も持ち込まれてしまうので、横浜市金沢区長浜に検疫所が設けられ、渡航者が伝染病に感染していないか検査を行っていた。

 

 

 

当初の建物は1895年に建てられたが、1923年の関東大震災で倒壊し、その翌年に再建された。

1952年には検疫所の新庁舎が完成し、この建物は使われなくなって長年放置されたらしい。

 

 

それがなぜ残されたかというと、野口英世が若かりし頃にこの細菌検査室で勤務していたから。

1899年に22歳で検疫医官補として赴任し、5か月間勤務。

野口英世の研究施設のうち、国内で唯一現存する施設であるという。

 

 

 

当時の細菌検査室。

横浜港に入港した「亜米利加丸」というド直球な名前の船に病人がいたが、野口はその患者がペスト感染者であると見抜き、すぐに隔離した。

 

当時のペストは猛烈な病気(ボキャ貧)だったため、野口の判断が無ければ大被害が生じていた可能性があるというもの。

 

野口はこれら仕事で評価を上げ、5か月の勤務後にペスト大ブームの中国に渡ることになる。

 

 

 

当時のお写真。

我々が知る野口英世の姿とはだいぶ離れている。

 

なお野口はこの検疫所に来る前は、北里柴三郎の伝染病研究所に勤務していたが、研究所の本を横流しした容疑があり、クビにされるところを北里の計らいで検疫所に仕事をもらったという経歴がある。

 

まぁ野口は浪費癖で有名だからね、仕方ないね。

 

 

 

準備室。

研究に要する培養液を作ったり、機材を洗う部屋。

 

 

 

隅の方に展示があるが、遠くて読めない。

 

 

 

 

 

 

こちらは細菌検査室。

ドアが閉められているので、ガラス越しにみる。

 

 

 

当時はこんな感じで、野口くんも勤務していたと思われる。

 

 

 

 

この広い部屋は動物実験室だった。

実験用のモルモットとか、ウサギとか大量に飼っていたらしい。

 

 

 

いろいろ当時の医療器具があるが、別に野口先生が使っていたものではないのであしからず。

 

 

 

 

かばん。

 

 

理科の授業を思い出す天秤と分銅。

 

 

 

ワクチンを打った人は、証明書がもらえたようだ。

 

 

 

あとは野口先生のお仕事一般についての展示。

 

 

 

猪苗代の野口英世記念館も、ちゃっかり宣伝されている。

 

 

 

上述の通り、1952年に検疫所の新庁舎が完成したことで、この建物は次第に使われなくなり、荒廃して行った。

それが上記の写真。もはやホラーである。

 

しかし野口英世がらみと言うことで保存要望が集まり、長期間の放置プレイのあと再度整備され、1997年に一般公開となった。

 

 

 

最後の部屋は、地下冷暗所。

当時は冷蔵庫が無いので、床下の収納室で冷やしていた。

 

 

 

おそらく荒廃時の写真。

ヒエー。

 

 

 

そして当時はこっち側が玄関で、現在の入り口は昔の勝手口だったようだ。

 

 

冷暗所側の出入り口はこんな感じ。

まぁ逆側とほとんどかわんないな(適当)

 

 

以上。

 

 

【交通手段】幸浦駅か能見台駅から徒歩10~15分。

【入館料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】

www.nagahama-hall.com

 

 

茅ヶ崎市文化資料館

 

茅ヶ崎市文化資料館は、茅ヶ崎の郷土資料館である。

 

 

 

 

もう外観から悟れる昭和建築。

たまげたなぁ。

 

 

 

 

この資料館は常設展が1F、企画展が2F。

残念ながら常設展では撮影禁止であるので、写真なし。

 

 

入場無料なんだから撮影禁止にする意味がよく分らんのだが、ゆかりの人物館も撮影禁止だったし、なんか茅ヶ崎市ってケチくさ(検閲により削除)

 

 

 

一方で2Fの企画展には撮影禁止の張り紙なし。

じゃあ合意の上でってことで(ゲス顔)

 

 

 

2Fから下を見た図。

ちなみに常設展では、お馴染みの縄文~平安文化の土器とか動物とか。

そしてそのすぐ隣に初期のチャリンコとか学校の机とか置かれている雑食っぷりであった。

 

 

 

市内の文化財パネル。

青っぽさが時代を感じさせる。

 

 

 

 

さて、企画展でやっていたのは「七堂伽藍跡」遺跡についてである。

 

遺跡の位置を示す地図を置いたが、平安時代にデカい寺院があったらしいので、その発掘調査をしているというもの。

 

 

 

この遺跡は戦前の1941年に初めて注目されだしたらしい(ローカル的な意味で)

 

郷土史家らが集まって盛り上がっていたのだが、戦時中だし、そのあとは戦後だしでなかなか行政は文化財に注力できず、また調査資金を出してくれる財産家もいなかった。

 

 

 

1957年には上掲の石碑まで建てて機運は盛り上げられたが、本格調査は行われず放置プレイ。

熱烈支持者の1人である塩川氏は「なんとかしてクレメンス」という意味の文書まで残している。

 

 

 

淡々と放置プレイがなされた七堂伽藍跡だったが、1978年ついに調査が入ることに。

最初に注目された1941年から37年も経っている。

その間に飽きてしまった人も居たのでは(震え)。

 

 

 

発掘された皆さん。

長期間放置されたので、あまり碌な形で残っていない。

 

 

とりあえず考古学者の先生が掘ってみたところ、瓦などの建築用具・灯明会(とうみょうえ)で使う皿の発掘から、平安時代の寺院だと推定がされた。

 

これまでは何となく「寺院っぽい」という話だったが、裏付けが取れたわけである。

 

 

 

なお発掘には地元の高校生も参加したとか。

正確には「駆り出された」のだろう、きっと。

 

 

 

こんなダンジョンみたいな溝もあったらしい。

 

寺を建てる土地の地盤改良もされていたようで、土を敷いては転圧して、また敷いてという作業の跡がある。

 

 

 

最初の調査が1978年だったわけだが、次の確認調査がなんと2000年であり、それは10年かけて行ったという。

茅ヶ崎市はよほど長期計画が好きなんだろうか(白目)。

というか、郷土史家たちはそろそろ訝しみ始めていいと思うの。

 

 

 

寺院の柱を立てる礎石の模型。

 

 

こんな感じで柱を立てていた模様。

 

 

 

石の上には柱の模型があったけど、ぺらっぺらっすね(物理)。

 

 

 

奥の方に、「七堂伽藍跡を史跡としてどう盛り上げたいか」を子供たちが考えたコーナーがあった。

この工作は、史跡をどう整備したいかを表したものである。

 

 

 

よくみると中は迷路になっている。

史跡にたどり着けないかもしれない(方向音痴)

 

 

 

ゆるキャラの発案。

七堂伽藍は広域的にみると「下寺尾遺跡」なので、「下」を取ってしもかわら君である。

 

ただお腹に「下」って、うーんこの(小並)。

 

 

 

あと写真スポットを設けるという、もっともな案。

 

でもその前に、文化資料館内を撮影可能にしてくれないか(真摯)。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】茅ヶ崎駅から徒歩15分

【入館料】無料

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】

www.city.chigasaki.kanagawa.jp

 

 

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氷室椿庭園

 

氷室椿庭園は、茅ヶ崎にある椿の庭園である。

 

 

 

氷室と言ってもマリオネットの方ではなく、三井不動産の元副社長である氷室 捷爾(しょうじ)さんの庭園を遺族が茅ヶ崎市に寄付して、一般公開されている。

 

 

 

庭園は思いっきり住宅街の中にあるので、自転車でも来れます。

 

 

 

椿の育成小屋。

 

 

 

氷室夫妻は椿の育成もとい改造も行っていたらしく、「氷室雪月花」などの新品種も作り出していたそうな。

自分の名前を技名にする系のロマンチストである。

 

 

 

肝心の椿。

 

 

 

シーズンは冬から春らしいが、このときはまだシーズンでは無かったらしい。

 

まぁこの方がすっきりしていて写真は撮りやすい(趣旨崩壊)

 

 

 

奥の方に建物があった。

 

 

 

この建物は氷室夫妻の別荘であるらしい。

 

 

 

以前は和室の一般利用が出来たそうだが、見ての通りだいぶ老朽化しているので、いまは利用できない模様。

 

 

 

迷い猫さがしてますのノリで情報を募集している。

情報が無いと文化財登録が出来なくて予算が付かずに老朽化する一方だと思われる。

誰か教えてくれよなー、頼むよー(哀願)。

 

まぁ庭園内を整備している用務員みたいな人はいたので、出来る限度の保存はしているようだ。

 

 

 

ちょいと開けたスペース。

 

 

 

池らしい(錯覚)

 

 

 

個性的な木。

 

 

 

椿以外の木もあるので、椿アレルギーの人でも安心である。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】茅ヶ崎駅から徒歩15分

【滞在時間】20分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【入場料】無料

【URL】

www.city.chigasaki.kanagawa.jp

 

 

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南湖院記念 太陽の郷庭園

 

これは南湖院の第一病棟である。

現在は老人ホーム 太陽の郷の敷地内に保存されている。

 

 

 

南湖院の概要については、茅ヶ崎ゆかりの人物館の記事で書いたので、そちらを参照。

 

南湖院の敷地のうち、半分程度を売却し、残った部分を老人ホームとして高田畊安の子孫が経営している模様。

 

南湖院の建物はほとんど解体されてしまったが、1899年に建築された第一病棟だけは記念として保存され、2015年に茅ヶ崎に寄贈されて一般公開となった。

 

 

 

 

なおグーグルマップで南湖院までの経路を検索すると、西側(西浜高校側)から入るようルートが出るが、それは罠である。

 

東側(西浜中学側)にしか入り口は無いので、要注意。

 

 

 

 

正確には病院ではないと思うのだが、昔のなごりで表札を残しているのだろうか。

 

 

 

 

 

奥の方へ進むと、第一病棟が見えてきた。

 

 

 

海側に見える大層な施設は、老人ホームである。

 

 

 

正面から第一病棟を見た図。

 

 

 

最低限の補修くらいはしていると思うが、時代を感じさせるためにわざと荒廃させているのだろうか。

もしくは予算の都合(以下略)。

 

 

 

この第一病棟は、高田畊安の母の名を取って「竹子室」と名付けられており、高田先生にとってよほど思い入れのある建物と考えられることが保存の理由の1つかと。

 

 

 

 

ドアのガラス越しに、中を見た図。

 

現時点では建物内には入れない。

整備が完了したらオープンする予定らしい。

 

まぁしかし2015年に寄贈されてもう2年経つわけなので、おそらく内部公開時期は「未定(すっとぼけ)」である可能性。

 

 

 

建物の西側を見ると、こんな感じ。

グーグルマップの案内で西側からきてしまうと、あの門にあたって入れないことになる。

 

 

 

近くに野外トイレがあるが、よほどの覚悟がないと利用でき無さそう。

 

 

 

高田畊安の慰霊碑。

 

 

 

もうひとつ古い建物があったが、これは院長室だったらしい。

1926年の建築とのこと。

人物館では特に言及はなかった気がする。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】茅ヶ崎駅からバス5分「団地中央」下車、徒歩5分

【入場料】無料

【滞在時間】20分

【URL】

www.city.chigasaki.kanagawa.jp

茅ヶ崎ゆかりの人物館

 

 

茅ヶ崎ゆかりの人物館は、茅ヶ崎にゆかっている人を紹介する館である。

 

 

 

開館は2015年2月と、ずいぶん新しい。

2棟からなっており、正面にあるのが展示館。

左側のがイベント用の多目的館である。

 

 

 

入場料は200円だが、となりの開高健記念館と合わせると300円。

 

常設展は無く、すべて企画展である。

半年ペースで内容を変えている様子。

 

残念ながら館内は撮影禁止なので、以下wikipediaとかで拾った画像を切り貼り。

 

 

 

今回の企画展は、戦前の結核病医師である高田畊安(たかた こうあん 1861-1945)と、彼が茅ヶ崎に建てた結核専門病院「南湖院(なんこいん)」についてである。

 

高田は東京帝大の医師であったが、兄を結核で亡くしており、また自身も結核に感染しながら大磯での療養で一命をとりとめている。

こうした経験から、結核の専門病院を都内に新設する。

 

 

(療養の様子)

 

しかし結核は空気感染なので、患者が集まってくることを近隣で嫌がられる。

また患者の療養のためには良い自然環境が不可欠なので、当時ど田舎(直球)だった茅ヶ崎に分院として「南湖院」を建設する。

 

 

そのあたりの「南湖(なんごう)」という地名に由来するのだが、高田先生は濁音がなぜか嫌いであったらしく、「なんこう」と呼ぶことにした。

 

 

(1926年頃の南湖院の空撮写真)

 

高田先生はもともと国内での結核治療の第一人者であったため、南湖院にはけっこう上流階級の患者が来たそうな。

 

最初の患者は妻の祖母だったが、この人は勝海舟の妻であった。

ほかにも国木田独歩本人、平塚雷鳥の親族、高名な作家・詩人・官僚など。

 

 

 

そういうわけで南湖院は知名度を高め、病院の規模も拡大。

最初は5000坪の土地でやっていたが、最盛期には5万坪もの巨大敷地を有していた。

 

衛生面では細心の注意が必要となるため、施設も最先端の設備を揃えていた。

洗濯機や乾燥機はわざわざドイツで購入し、徹底した飲料水検査や独自の下水処理施設の整備、看護学校の設立。

治療に関係あるからという理由で、なぜか気候観測所まで建てている。

 

 

 

 

なお高田先生はクリスチャンであり、病院でも礼拝を毎週やっていたのだが、イエスを「医王」と呼んでおり、「医王堂」というところで祀っていたらしい。

ちょっとずれてるかな(宗教性のちがい)

 

なおクリスマスには「医王祭」というお祭りを開催し、これには地域住民の他、総理大臣や高名な医学者なども多数参席していたという。

つよい(確信)。

 

 

 

南湖院には地方からも患者が受診に来たが、なかには入院するための財力の無い者もおり、そういう患者は周辺にある下宿に滞在した。

医療従事者も多く居るから、自然と企業城下町みたいになり、ど田舎(直球)だった茅ヶ崎は発展していくのである。

 

ところが1927年に鉄道省によって茅ヶ崎海岸が海水浴場に指定されると、地元住民は病院の存在を疎い、反対運動を始める。

これだから田舎は(偏見)。

 

 

 

 

高田先生は地元の説得を続けるも、1945年2月に死去。

5月には海軍により南湖院は接収され、8月に終戦となると今度は在留米軍の駐屯地とされ、以後1956年まではキャンプ・チガサキとして利用される。

 

当然ながら病院は解散となり、医院の病棟はダンスホールや映画館として米軍に使われる。

 

最終的には高田家に返却されたわけだが、その頃にはすでに結核医療技術は発展しており、南湖院のような専門病院は不要となっていた。

残された広大な敷地は、貸別荘としてしばらく利用されたが、結局は土地の半分を売却し、残りは老人ホーム敷地となっている。

 

 

ちなみに南湖院のなかで一番古い病棟はこの老人ホームの敷地内に保存されており、見ることができる。

だいぶ文章が長くなったので、詳細は別記事にて。

 

 

 

というなかなか激動の歴史を展示館でみたあと、となりの多目的館へ。

 

ただこちらはイベントスペースであり、めぼしい展示は無し。

南湖院で診療を受けた有名人についての紹介パネルがおいてあったポロポロおいてあったくらい。

 

以上。

 

 

【交通手段】茅ヶ崎駅から徒歩20分

      茅ヶ崎駅からバス5分「東海岸北五丁目」下車、徒歩5分

【入館料】200円(開高健記念館とセットで300円)

【滞在時間】20分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.city.chigasaki.kanagawa.jp