市立 枚方宿鍵屋資料館
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』だったと思うんですけど、大坂のあたりで船に乗ってたら小舟で近づいてきて「もち買えやー!」「饅頭くいさらせー!」って罵詈雑言吐きながら物を売りつけてくる奴らが居たと。なにそれ怖い。物売りと言うより単なる恫喝である。
んで、この資料館は恫喝商売人こと「くらわんか船」の営業をしていた、鍵屋という舟運&宿屋さんです。そんなとこに泊まったら「逆ディズニー現象(キャストにボコボコにされる)」が生じる恐れもありそうですが、大正~昭和にかけては高級料亭として有名だったそうです。人格が荒れるのは船に乗った時だけなのかもしれない。こち亀の本田かな?
入場料は200円です。
入館すると最初に2Fの大広間に通されました。高級旅館・料亭の一室として使われたようです。誰もいないので体操 床の練習ができそうですが、鍵屋さんの血を騒がせるとまずいので止めておきます。
江戸時代から営業しており、淀川舟運の待合所や宿として使われていましたが、京阪本線が開通して舟運が衰退すると料亭となり、1997年で営業終了しました。意外と最近である。
和風大広間なのに洋風なシャンデリアとか、金龍の欄間とかに、高級料亭の風格・気概みたいなものを感じますね。陸の上ではちゃんとしている。
往時を再現した模型だと思いますが、すぐ裏手が淀川なんですね。待合所の建物からすぐに船に乗り込める。
乗船所と言うだけでなく、物資の交易をおこなう船問屋の営業もしてたんじゃなかろうか。大きな河川沿いにはよく見られる光景です。
というわけで窓の外を見ると淀川の流れが・・見えませんね。大阪府の道路 京都守口線というらしいですが、道路のアスファルトと行きかう車がよく見えます。いやーいい景色だなぁ(白目)
昔は模型のとおり川に面していたようなので、大広間から川が眺められる風情ある光景だったようですが、河川改修で淀川の流路が変わったので、だいぶ離れてしまいました。逆に車の運転手さんたちから視線を浴びることになります。おっすおっす!
船の模型がおいてあります。左の大きいのが「三十石船」といい、30人くらい乗れるので、これに乗って淀川を行き来してました。
んで右にあるのが、かの罵詈雑言配布戦闘機「くらわんか船」。ちっさ!これで「饅頭くらわんか!」と三十石船の乗客相手にイキり倒してくるわけですね。
三十石船さんサイドがキレてしまって体当たりでもかましたら、くらわんか船即死すると思いますが、そういうわけにもいきませんでした。くらわんか船は、海難事故発生時の救助など、公的な役割を役所の委託で担っていたからです。だから「幕府のお墨付きじゃー」とデカい態度を取れてたわけですね。巨人ファンの頭に阪神の帽子かぶせるぐらい平気でやると思う。
1Fに降りると、淀川舟運の話や、ここ枚方宿の歴史が展示されています。
枚方の町は大坂~京都という大都市の線上にあり、京街道(大坂街道ともいう)や淀川が通っているので、陸路・水路ともに使える拠点のようです。
旅籠の数が多くて、枚方宿にあった380軒の建物のうち、70軒が旅籠だったそうな。5~6軒に1軒が宿屋ってかなりの割合では。
つまりは住宅街と言うより繁華街ということです。
江戸時代の異邦人ケンペルとシーボルトが枚方を訪れた記録を残しているんですが、2人とも「若い女中≒売春婦がいっぱい居る」って感想だった。あぁ、そういう町だったんですね。そんな点に目を取られているこいつらもこいつらって感じですが。やっぱ好きなんすねぇ。
鍵屋さんで発掘された茶碗たち。
器に「タカ」と墨書された壺があったらしいが、タカさんなる人物が自分の名前を記したものと解釈されていた。壺に書くんかい。みんなも、自分の持ち物に名前を書くと200年後とかに発掘されて博物館に展示され、ぼけーっとやってきた来館者に「書けってママに言われたのかな?w」とかコケにされる恐れがあるから気を付けよう!
あと枚方で発掘された茶碗は「くらわんか茶碗」と呼ばれていて、くらわんか船でたぶん使われてたんだろう、というのが語源になっているそうです。
九州の波佐見で製造された品が多いんですが、有田焼の本を以前読んだとき「江戸後期から有田では高級品を主に作っており、波佐見では安価な日用品を大量製造していた」と半分侮蔑っぽい文章がありまして、その波佐見焼のようです。
まぁ館内の資料映像でも、くらわんか船では大したもの売ってなかった描写だったんで、安っぽい茶碗使ってても違和感ないですね。やっぱりイキってる態度クソ悪なだけの店員だったんじゃないか、あの船。戦略核兵器を搭載した原子力潜水艦を江戸時代に送って弾道ミサイル「くらわんか」砲撃して木っ端みじんに粉砕し、儒教的精神を叩きこむのが良いと思われる。
おしまい
【滞在時間】40分
【混雑度】★(だれもいない)
【URL】市立枚方宿鍵屋資料館