C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

深田久弥 山の文化館

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日本百名山ってどこかのしかるべき機関が選定してるのかと思ったら、登山大好きおじさんが1人で全部選んだものだって。俺の考える最強の山100個。なんじゃそりゃ。
しかしそれが人口に膾炙して名のあるタイトルになっているのだから、よほどの山岳ガチ勢が精魂込めて選んだのかもしれない。その人 深田久弥(きゅうや)が石川県大聖寺出身で、記念館が建っているので見に行きました。

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大聖寺駅から徒歩20分と、ちょっと距離あります。

建物は山長という織物会社の事務所で、「山」という漢字が入っていること以外に深田久弥と特段関係はなさそうですが、国の登録文化財に入るくらい立派なものだそうです。明治末期の建築。

入館料は350円です。

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展示室。ちなみに暖房は完備されているので凍死しなくても大丈夫です。

深田さんは東京帝大卒業、出版社勤務を経て、感情豊かで哀愁漂う抒情的小説作品を執筆。川端康成井伏鱒二らと同世代で、鎌倉の文学者集団の1人として名をはせる。若き日の太宰治が遊びに来たり、中島敦が『山月記』の原稿を持ってきたから出版社に掛け合って掲載させてもらったり。国語の教科書で見た「そこのトラ太郎は我が友の中の誰かではないか?」という名文(うろ覚え)は、深田先生の助力無くして世に生まれなかったのです。

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しかし深田久弥さん、次第にそういう小説を書かなくなり、代わりに山の文章ばかり書くようになります。ちっちゃな頃から山好きで頻繁に登山に出掛けており、その結果、高校は留年し大学も中退し、入ってくる収入は片っ端から山岳関係の書籍購入につぎ込んでいたのでいつも貧乏しました。妻子持ちなんですけどね。奥さんの許容メンタル強すぎる。薬師堂に祀って称えた方が良い。

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(左が深田久弥、右が前妻の北畠八穂

ところで小説を書かなくなったのには理由がありまして、深田本人が書いてたんじゃなくて、別の人が書いていたからですね。。。は?

右の写真は、”1人目の”奥さんの北畠八穂。深田の名が売れる前から同棲していて、〆切前日になっても深田がぜんぜん執筆しないものだから、代わりに構想を練って文章まで書いてやったら、深田がそれをまんま出版社に放り込んだという。んで、その評価が良かったと。だから次回作も深田は書かずに遊んでばかり。奥さんは家事をやりつつ小説執筆、深田が校正を加えて出版。しかも奥さんは重病抱えていて寝たきりの期間があり、深田の実家は「長男を障害持ちにやりたくない」と結婚に反対していたので、同棲開始から11年も籍を入れませんでした。

 

ティム・バートンの映画で『ビッグアイズ』ってのがあって、奥さんが絵画を描いて、それを旦那が自分の作品だって売り巻いて世界的に有名な画家になる。2人の結婚生活が破綻した後、奥さんが「本当は自分が描いた」と主張、旦那は奥さんをキチガイ呼ばわりし、最後は法廷闘争になる。

まさかハリウッド映画と同じのを石川県大聖寺で見ることになるとは思いませんでした・・

 

んで、こちらの結婚生活も破綻します。そのきっかけは、深田が不倫してよそに子供を作ったのがバレたからです。son of a bitchを地で行く漢、深田久弥40歳 危急存亡の秋。この畜生度に比べればアンジャッシュ渡部も可愛いものである。「糟糠の妻捨てた選手権」でミスチル桜井・GLAY TERUと競えるんじゃないですかって書こうと思ったけど炎上しそうだから止めておきます。

 

この後、深田は不倫相手の女性と再婚。深田が収入を書籍に投じまくっても文句を言わず支えてくれた薬師如来はこの人になります。てか前妻もめちゃめちゃ支えてくれているし、こういう畜生に限って女性運がすごい良かったりする。

そんなんだから小説は全然書けなくなりますわね。一方で前妻ゴーストライター北畠さんは自身の名で作家デビューし、児童作品を主に手掛けたそうです。同棲時に深田名義で発表した作品を北畠名義に変えるよう訴訟寸前までいったり、当時の生活を赤裸々に暴露したりなど暴走気味な部分もあったようですが。

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しかし再び良き伴侶を得た深田氏は、ヒマラヤ山脈の1つジュガール・ヒマール山麓に挑戦したり(天候不良で登頂はできず)、シルクロード横断したりと人生を大変謳歌した模様。

日本百名山の次は「世界百名山」まで着手しましたがNo.41まで行ったところで逝去。登山中に脳溢血という山男すぎる最期を迎えました。

 

というわけで、百名山よりも違うことの方が記憶に残りそうな人物ではありましたが、この辺の話は当館の展示にはありません。『百名山の人 深田久弥』って本で読みました。観光を終えて帰宅後に読んだけれど、まさかこんな泥沼バトルしてるとは思わんかったよ。むしろ当館は「糟糠の妻を捨てた稀代のクソ野郎」「このクソ人物がすごい!」みたいな売り出し方をすれば、私のような畜生人物好きが集客できて良いのではなかろうか。

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最後に図書室の紹介です。山岳に関する本をひたすら収集しており、『山と渓谷』という雑誌は初回1930年から全号そろっているそうな。地元の山岳ピーポー集って山について熱く語るのだろうか。ついでに貞操の重要性も話し合うと良いでしょう。

 

おしまい

 

【滞在時間】40分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】深田久弥山の文化館

 

新潟市 新津鉄道資料館

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新津って場所は「鉄道の町」を推してるそうで、蒸気機関車の整備をする機関庫だとか車両製造工場とか国鉄施設が作られたそうです。製造工場は今でも元気です。

この敷地も以前は「新潟鉄道学園」という国鉄の研修施設だったそうで、1987年に国鉄が爆発四散して施設も廃止されたそうですが、その跡地に鉄道資料館を設けたという話。外観が学校っぽいのはそのためですね。

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敷地の入口にはさっそく機関車くんと新幹線くんがいます。資料館に入館すれば中にも入れる・・と思うんだが、コロナのためか新幹線は閉鎖されてました。外観から雰囲気だけお楽しみください。機関車の運転席は換気良好(厳寒)なので入れました。

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敷地の奥の方にも鉄道車両がたくさん並んでいるんですが、どれも入れないのが残念ですねぇ。

アクセスですが、鉄道資料館なのに最寄りの新津駅からだいぶ離れてます。バスは本数少ないので当てにならない。タクシーだと1,500円程度だった気がします。

wikiを見ると、立地の悪さに地元経済界も文句を言っていたそうですが、入館者は右肩上がりで年間4万人も来るそうだ。でもみんな車で来るんでしょ?各地の鉄道をモータリゼーションで死の淵に追いやった張本人の力に助けられて、利用廃止された古い車両を眺めに行くとはなんという皮肉!でも便利だよね。

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古い学校みたいな外観だから中もぼろいのかと思ったら(失礼)、2014年にリニューアルオープンしたので、けっこう綺麗です。入館料は300円です。

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入館して最初に驚いたのがこれ。本日のイベントを掲示するホワイトボードが入口付近にあるんですけど、イラスト上手すぎ。車窓に人の顔まで描かれているし。絵に気を取られたおかげでイベント内容が全然頭に入らなかった。なんかやっていたのだろうか(痴呆)

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最初の展示室は、古い資料とともに新津駅や新潟の鉄道事情を振り返るコーナーでした。この古地図は1900年作成のもので、未開業の路線も書かれているそうですが、新津駅は1番上の方にあります。1897年開業。もともと会津街道と羽越街道ってのが交差する地点なので交通の要所ではありました。

まだ新潟駅は無くて、沼垂(ぬったり)という駅が終点になっています。ぬったりヌッタリ。なおwikiによると、鉄道誘致に当たり新潟駅vs沼垂駅の争いが勃発し、新潟派は沼垂駅賛同者を襲撃したり、駅に爆破物を仕掛けたりしたそうです。これだから鉄オタは・・(違う)

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1920年代頃の新津駅と、1913年頃出来たばかりの新津機関庫)

新潟は戦争してましたが、新津駅には磐越西線羽越本線信越本線と3路線が交差し、鉄道拠点となりました。当時は蒸気機関車なので、水・石炭などの補給が必要。その補給拠点として、新津機関庫も1913年発足。自然と鉄道関係者が集まるので、新津は鉄道の町になっていきましたとさ。

あれ?1つ前の記事で行った、石油の世界館では「新津の町はみんな石油産業の人だった」って展示があったんですが。油田は潰れちゃったから新津の人々の記憶から無かったことにされたのだろうか。アブラカダブラ。

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1941年には車両工場も誕生し、検査や修繕を担うようになりました。現在でも工場は残っており、首都圏を走る通勤列車の大量生産に勤しんでいるそうです。

なお新潟県は古い国鉄車両ばっかり回されてくるから、この工場で作った車両が県内で初めて使われたのは2014年だったと。「欧米で売られる衣服はバングラデシュで作られるが、バングラデシュの人々には高すぎて着れない」って話を思い出したけども悲しいからやめておきましょう。グローバル化が悪い!トランプ大統領は正しい!Make Niigata great again!!

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そんな新津駅ですが、戦後になると特急列車が停車しなくなったり、上越新幹線のルートから外されたりと、主要駅としての機能はなくなっていきます。鉄道が機関車から電車にシフトしたことで機関区拠点としての意味が薄れたり、そもそも新津自体の人口減で駅利用者が少なくなったとかですかね。石油産業の町だったしね。

そう思うと、懐かしの鉄道グッズがいっそう哀愁漂わせてきますな。左の大きな時計は新津の操車場に設置されていたものです。

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鉄道博物館おなじみ、シミュレーターがありました。運行路線は中央線快速です。なんで新潟まで来て東京の列車運転せなあかんねん!とか旅行者は思うかもしれませんが、国鉄の研修施設だったから、そのお下がりか何かじゃないですか?

それに、磐越西線とかだと駅間5分も10分もあったりするから1プレイが長すぎる。長蛇の行列形成と運転手の睡眠死まちがいなし。

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パンタグラフ。ボタン1つで上がったり下がったり。ただ金網フェンスを重機でぶち壊したんかってくらい物凄い爆音がなるのでビビります。がっしゃーん。

あと、リアルに通電してはないと思うんですが、ジジジジジジジガガガガガガガガ、と威圧的な重低音も発するので、軽い気持ちで上げ下げボタンを押すと恐ろしい目に合うから気を付けましょう。

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お召列車の模型。天皇や皇后はこの列車に乗って移動したそうです。機関車には菊の御紋が取り付けられます。この紋章は実際に使われたやつかな?

事故や運転ミスなんて起こしたら不敬罪で銃殺刑ですから、乗務員ならびに車両や線路の保線屋さんは大変な神経を使ったでしょう。まぁそれは通常業務からしてそうなんでしょうが。

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お召列車の乗務員には記念に日の丸がプレゼントされたそうです。陛下のサイン入りかと思ったら、国鉄のお偉方の筆だった。いらんわオッサン。

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雪の話。1936年新潟市国鉄の鉄道局が設置されましたが、その目的はとにかく雪・雪・雪だったそうで、雪の研究とその対策に心血を注いでいたらしい。世界的な豪雪地帯ですからね。

いかつい顔したこの車両は「ラッセル車キ204」。行く手をふさぐ雪にその尖った鼻を突っ込んでかき分けていくのだ。

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しかし1963年の「三八豪雪」には誰も勝てなかったでしょう。あまりの大雪で民家どころか駅舎も屋根まで雪に埋もれてしまったらしい。2Fの窓を玄関代わりにする、なんてレベルですらない。

しまいには自衛隊まで出てきて火炎放射器で雪を溶かそうとしたけど、歯が立ちませんでした。1月半ばの雪なのに、列車の運行再開は2月半ばまでかかったらしい。災害大国の本領発揮である。

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長くなりましたが、ここまでが1F部分でした。

2FはNゲージプラレールだけ。もう疲れたので大丈夫です(死亡)

 

おしまい

 

【滞在時間】90分

【混雑度】★★★(館内にちらほら)

【URL】

www.ncnrm.com

 

石油の世界館

新潟市内で「石油が湧いて出た」ニュースが2021年秋ごろに出てましたね。数年前には住宅街で突然噴出したこともあったらしい。自宅に油田が湧くなんてロマンですねぇ、よーしパパ、オイルマネーで庭にブルジュ・ハリファ建てちゃうぞー(高さ828m)。

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まぁ庭から出た原油なんて不純物混ざりまくりでろくな製品にもならなそうですが。実際なんの役にも立たないので、湧き出られた側の新潟市さんは処分費用であうあうしているそうです。

現地は旧 新津市にあたるところで、明治~昭和終盤頃まで実際に原油発掘が行われていた新津油田。廃田?済ですが、地中に残った油が何かの拍子に出てきてしまってるんでしょうか。油田の跡地は「石油の里公園」となり、石油の世界館はメイン資料館として立っているわけです。

新津駅からコミュニティバスが出てるんですが壊滅的に本数が無いので、往路は最寄りの矢代田駅・帰路は新津駅までタクシー使いました。矢代田駅は閑散としているのであらかじめタクシー呼んどかないと冬は凍死します。新津駅は何台かいる。矢代田からは1,000円、新津だと3,000円くらい。たぶん(記憶喪失)

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入館料は無料でした。

ただ受付の館員さんから「展示、開館当初から全然変えてないんだよねぇ。開館30年前なんだけど」。つまり”1990年代の日本国における石油知識”がこの空間に保管されてるということでしょうか、貴重ですねぇ!(巨大あくびをしながら)

でもwikiを見たら「サウジの国営石油会社サウジアラムコが資金援助をし、2000年に改修リニューアルオープン」って書かれてるんですが、そのオイルマネーはいずこへ・・。和式トイレを洋式に変えたりして全額使いきってしまったのだろうか。

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それでは石油のお勉強をしていきましょう。最初は地球の歴史です・・さかのぼり過ぎてませんか?そんな壮大なものから始めてたら、人類誕生前にこの博物館の展示室使いきるんじゃなかろうか。

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石油ってのは太古の昔に存在した植物プランクトンや藻類が死んで海底に積もり積もり、固まって岩になるんですって。それが右の写真「根源岩」。

その岩が地下3,000~5,000mまで沈んでくと、地熱で温度が高まるので溶けていき、ドロドロの原油となって地底に貯まるんだとさ。ここまでざっと数万年。日本だと旧石器時代だから、意外と最近ですね!やはり地球の歴史から始めるのは過激であり、来館者が石油にたどり着く前に眠気で死んでしまう恐れがある。数万年後に石油になってお会いしましょう。

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地下数千メートルに埋まっている石油まで地面を掘っていくわけですが、これら「ビット」をドリルの先端に付けて、ごりごり地中を進むわけです。みるからにゴツゴツいかつくて大変良い。

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地中の圧力はすごい高いので、石油にたどり着くと一気に噴射してきます。ドバーっと。櫓の最上階にいた人は死んだでしょう(確信)。彼もまた石油の一部となったのだ。

なお石油の採取を続けると、地層の石油在庫数が少なくなる=圧力が低下して噴出してこなくなります。だからガスや水を地層に注入して圧力を維持し、石油が噴出し続けるようにしますが、それでも地層にある石油のうち半分程度しか採取できず、残り半分は地中にとどまったまま「採取不能」となり、油田閉鎖となるそうです。

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さっきから石油石油言ってますが、石油ってのは石油製品全般を示す言葉で、灯油・重油軽油アスファルト天然ガス、これらぜんぶ含まれるそうです。

地中に埋まっているやつは「原油」。様々な成分を含んでいるので、採取後は成分ごとにわけたり余計な物質を除去したりして、それぞれに製品化していきます。

左の写真は灯油。白灯油とも言いますが、名前のとおり白っぽい透明です。逆に重油はドス黒。

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産地ごとに原油の違いがあるそうです。粘っこかったり、サラッとしていたり。

この筒の左にはドロドロ系・右にはさらっと系が入っており、揺らして違いを見てみようというコーナーですが、筒の内側がそもそも真っ黒すぎて中身が見通せず、何の成果も得られませんでした。

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隣の展示室で映像が始まるよ!と館員さんに教えてもらったので見に行ったよ。新津油田の歴史映像です。

採掘自体は江戸時代からやっていたそうですが本格化したのは19世紀末になってから。国内髄一の産油地帯となり、石油産業に関係しない人は居ないほど、新津は石油の町になりました。朝はタンクを運ぶ荷車がガラガラと道を通る音に始まり、町は石油臭と製油所から出る煙に包まれたそうです。それ住環境としてはだいぶ辛くないですかね。

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新津油田開発のゲームチェンジャーとなったのが、博物館エントランスにでかでかと置かれているこの掘削機。千葉県で井戸掘削に使われていたのを、新津油田用に改良したら生産効率がものすごい上がったとさ。おめでとう。
それは良いけどスズメバチの巣なんてあったら石油掘ってる場合じゃないと思うんですが・・

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部屋の中央に、当時の街並みを再現した模型があります。かなりのスケールあるし細かい作りで素晴らしい。しかしどの建物も土を被ったような茶色をしてるんですが、石油成分と煙害の影響か?

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映像が終わったので、部屋が明るくなっています。あれ、他に観客が居たのか・・と思ってよくみると人形だった。後姿は結構リアルにできてるというか、君みたいなハンチング帽を被ったオッサン、よく博物館で見かける気がするよ。

昔はこの人形が解説セリフを読み上げていましたが、音声再生機能が壊れてしまったので、単なる置物になったそうです。サウジアラムコに直してもらえばよかったじゃないか。やはり中東は給与の遅配があるので、資金援助と言いつつアフリカの出稼ぎ労働者に和式トイレを改造させて終わったのかもしれない。人権侵害。

 

おしまい

 

【滞在時間】45分

【混雑度】★★(他に数人)

【URL】石油の世界館 新潟市

 

谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館

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(画像はwiki 迎賓館赤坂離宮 から)

赤坂離宮ってあるじゃないですか。国賓級のお客様の接遇に使われる迎賓館で、東京オリンピックでも米国大統領夫人とかフランス大統領とかが来館した、日本外交の顔となる建築物。

西洋風の本館と、和風の別館からなるそうですが、和風のほうを設計したのが金沢出身の谷口吉郎さんということだ。時代を代表する設計士。国宝級。勇者ロトの末裔。

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その和風別館「游心亭」を再現した空間が、この金沢建築館にあるということです。赤坂まで行かなくとも迎賓されてしまうのだ。これであなたも私も国賓級。マクロン大統領やバイデン夫人、トルクメニスタン副首相やウズベキスタン共和国大統領とかと肩を並べたことになります。

(写真は、館内で流れていた赤坂離宮のビデオ)

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金沢駅からバス停「広小路」で降りればいいんですが、金沢は多くのバスがあるうえに、「広小路」停留所って交差点挟んで4か所くらいあるので、けっこう混乱します。

たぶん正解は、北鉄バスの「金沢周遊 左周りルート」の広小路バス停。これが1番近いのではないか。

あと北鉄バスは、観光周遊系だと1乗車200円で済むのですが、通常のも多数走っており、こちらは220円とか変な端数でる上にsuica使えないから難儀します。観光都市なんだから地元交通機関もアップデートされてくれよな、頼むよ。

なお博物館はクレカもアプリも使える先進的キャッシュレス対応であった。感涙。

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入館料310円を払うと、まずは谷口氏の生涯説明展示になります。

慶応との関りが深くて、幼稚舎校舎の設計依頼を受けたのを皮切りに、学生ホールとか日吉の寄宿舎など何棟も手掛けているようです。本人は東大卒ですけどね。

櫻井翔ファンの皆さんはLove so sweetに「慶応幼稚舎」「塾生にあらずんば人にあらず」って歌詞が出てくるからご存じでしょう。

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明治村の帝国ホテル中央玄関。画像はwikiから)

谷口さん、他にも帝国劇場・ホテルオークラ東京国立博物館と有名な建物いくつも手掛けているんですが、特に重要なのは明治村じゃないでしょうか。

谷口氏が、高校時代の知人である名鉄副社長に「各地で明治の建築物が取り壊されているので、そうした物件を移築保存したい」ことを相談したら、名鉄が所有していた犬山市の広大な土地を提供してもらえたそうな。明治村行かれたことある方は分かると思いますが、あんな凄まじく広い面積、副社長パワーとはいえよくポンと出せたもんだな。名鉄おそるべし。

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ちなみに館名にも入っている谷口吉生さんはお子さんですが、慶応の学部からハーバードの院を出て、父と同じく設計・建築士になっており、ニューヨーク近代美術館の設計やってたりする。親が日本の顔なら、子はアメリカの顔ともなる建築物かい。恐ろしい子

当博物館も、吉生さんの手掛けたものだそうです。

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事前学習を終えたので、そろそろ迎賓館再現ゾーンに行きましょう。

和風別館である「游心亭」は、来賓を和食料理でおもてなしする会食会場だそうです。公的でお堅い行事は本館で執り行い、そのあとこちらに移動して、もう少し落ち着いた空間で交流を深めるという感じでしょうか。まぁ外交の場であることは違いないですが。

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室内には入れないので外から眺めます。よく見ると掘りごたつになってるんですね。47畳あるそうで、ゆったり上品な雰囲気です。ドナルド・トランプやドゥテルテくらいなら普段の暴言奇行を控えておとなしくなるかもしれないが、プーチンだけは表情変えずに毒を先端に塗った刃で背後から首筋を斬りつけにきそう。

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広縁のガラス窓からは明るく日光が差し込み、また室内側からは庭が見渡せます。本物ではすぐ外に日本庭園が広がり、足元まで池が来ていて錦鯉が泳いでいるそうです。

当館ではさすがに庭園までは再現されていませんが、日本海へそそぐ犀川を挟んで金沢市街地の景色が飛び込んでくる情景です(枯れた枝が邪魔だとか言わないようにしながら)

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もう1部屋あります。見るからに茶室ですね。畳ゾーンの天井・部屋中央部の天井・一番奥側の傾斜天井と天井だけで数種類あり、空間に変化を持たせているのが特徴だそうです。

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端っこの方に駅のベンチみたいなのがあるんですが、観客席だそうです。

海外からの来客だから日本茶自体に馴染みがないので、お茶たてるところをここに座って鑑賞するそうな。茶席自体が舞台装置となっている。

座布団も編み笠っぽくて風流ですが痔持ちの来賓にはきついかもしれない。帰ったら母国のかかりつけ医に相談してほしい。

 

というわけでした。

展示量自体はあまり多くないけど、値段も安いし、雰囲気や視覚的に楽しめるから良いんじゃないでしょうか。おしまい。

 

【滞在時間】30分(常設展のみ)

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.kanazawa-museum.jp

 

歴町ふるさと館

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大聖寺の町を歩いていたら突如鉄道車両が現れてビックリした。

「歴町ふるさと館~マッチング~」。マッチングと言うとマッチングアプリな時代ですが、街コン開催場としては難易度高すぎないか。通常の街コンに飽き足らなくなった婚活の猛者たちが一風変わったものを求めてやってくるのかもしれない。そんなことしてるから結婚できな(略)

開館中とあるが、人の姿が全く見えません。扉は開いているから入場しても怒られないでしょう。

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車両の横にずらーっと並ぶパネル展示。密度が濃い。内容は地域の代表的な建築や人物に関するものですが、”代表的”と言っても「インターハイ県予選で毎年ベスト8には入る高校のエース」くらいだから地元民じゃないと分からないかもしれない。

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そのパネルの中に、車両についての説明がありました。

1971年廃止された北陸鉄道 加南線で走っていたモハ3751系だそうです。ちなみに写真は加南線だと思いますが、写っているのは別の車両です。

この地域は温泉が多くて、山中・山代は有名ですが、粟津温泉片山津温泉ってのもあり、それぞれを鉄道で結んでいたと。ただ起点となる大聖寺駅が特急止まらない駅にされてしまったもんで、乗換客が激減して滅びたと書いてあった。やはり国鉄は諸悪の根源。

ただwikiの加南線の項目を見たら、「北鉄社内は労使紛争で経営力がガタ落ちしており鉄道すべて廃止する話すらあった」とのこと。内ゲバ自滅は草を禁じ得ない。な~む~

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だらだら見てたら突然ガイドさんが現れた。車両の中に居たらしい。言ってよ。

中に入れてもらいました。なんだか色んなものが飾ってあって、車両の動態保存というよりは市民ギャラリーみたいである。鉄道要素は吊革くらいではないか。

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すぐ外を大聖寺川が流れているんですが、以前は船での川流しをやっており、その待合所としてこのスペースを使っていたんだそうな。待ち時間つぶしのためか、漫画ドラえもんドラゴンボールがずらっと置かれているよ。

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(右の写真はhttps://www.tabimati.net/midokoro/detail_kanko.php?p=1407より)

大聖寺は城下町なので時代掛かった建築物も多く、川べりには桜も咲き誇るので、春の川流しはなかなか風情があったようです。船も雰囲気出してます。

しかしこの川は氾濫もするということで流路の付け替えが行われ、流水の大半は北側に新設された河川に流れ込んでます。よってこの川に流れ込む水は少ない→土砂が貯まる→川が浅くなり船が通れなくなった、ってことで川流しは終了してしまいました。悲しいなぁ。

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加南線が開通する前に、温泉を結んでいた馬車鉄道。他にもいくつか模型ありますが、全部自分たちで作ったらしい。「そういうの作れる人が仲間内にいた」とガイドさん。普通いないよ。

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こちらは大聖寺城。この城は江戸時代には無かったので、戦国時代のものを想定して作ったようです。当時は小早川家の山口宗永って人が治めていましたが、関ケ原で西軍側に付いたところ、東軍側の前田家にボコボコにされて崩壊。江戸時代に再建を試みたようですが、幕府より一国一城令が出ており認められませんでした。後ろに座っているクマ太郎もしょんぼり。

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この城の背後、崖っぽくなってます。

ガイドさんから聞いた話でうろ覚えなんですが、東軍の軍勢が迫った際、大聖寺城に籠っていた人々が大勢ここから身投げしたとか。だからその付近には今でも霊が化けてでますよ~ひぃぃぃぃ。

他にもこの城には幾つも怪談があるそうで、有志がまとめて1冊の本にしました。怨霊で町おこしをするんじゃない。

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壁一面にいろいろ貼ってあるんですが、これも全部怪談だそうです。呪いの怨霊列車にするのはやめてさしあげろ。

モハ3571系(この車両)を見にやってくる鉄道好きがたまにいるそうですが、かつて浴客を運んでいた列車が、まさか怪談展覧会場になっているとは予想もつかないでしょう。

 

おしまい

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】なし