C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。車が無いので公共交通機関利用で粘っております。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

尾崎咢堂記念館

 

尾崎咢堂記念館は、相模原で尾崎咢堂を記念している館。

尾崎咢堂とは、「憲政の神様」尾崎行雄(1858-1954) のこと。

 

相模原と言っても左上の 田舎 津久井の方なんで、もう少し行けば山梨県突入である。

ひろいなぁ相模原。

 

尾崎行雄記念財団ホームページ から) 

 

国会発足したばかりの明治期から、大正デモクラシー・昭和のファシズム・戦後の混乱とGHQによる再構築まで、日本国政をフルコースで経験してきた人。

 

選挙区は三重。

第1回目の選挙(1890年)で当選し、1953年に落選するまでずっと衆議院議員の座を保ち続けた。つよい。

高校サッカーでいうと青森山田であろう。

 

 

三重県の人だけど、尾崎家はもともと津久井の人であり、尾崎行雄もここで生まれている。

その尾崎家の屋敷敷地に、記念館を建てましたとさ。

 

外観だと開いているのかどうか結構わかりづらいので、看板で開館を知らせています。

こちとら橋本駅からバスで40分近くかけて来ているのだから、閉館してたらガッカリである。 

 

 

入場料は無料です。

館内に入ると、まずは15分程度のビデオ上映。

尾崎行雄についての概要紹介である。

 

 

 

 尾崎家は、この村の名主だった。

写真の右側に居る、サンタみたいな帽子被っている人が尾崎の父である。

 

この父親、自分の村のことなどよりも天下国家を論じる方が好きだった模様。

時代は幕末で戊辰戦争の頃、新政府軍に所属していた安岡良亮という人物に惚れて付いてってしまい、会津にまで戦いに行っている。

あんまり責任感とか無さそう、部下としてはいいけど上司にすると面倒なタイプ(社員並感) 

 

しかしこの行動が功を奏し、戦後は新政府から東京にて官職をあたえてもらった。

というわけで尾崎一家そろって上京(11歳の時)。

 

 

 

 親父の方はそのあと高崎→伊勢→熊本と転勤が連続。

伊勢の時に土地を買い、ここがのちのち尾崎家の本拠となり、選挙区となる。

 

熊本転勤は16歳の時だが、ここで尾崎は父について行かず、上京して慶應義塾に入学。

ところが1年半で退学してしまった。

能力は高かったが理想も高すぎて教師たちと衝突していたのが原因だという。

これは反抗期だな(確信)

 

 (尾崎のヒット作『尚武論』)

 

そのあとは工学寮に移るも1年で辞め、次に塾講師の仕事を得るがここでは評判が良くなく、尾崎の授業は「幽霊講義」とか言われていた。

きっと暗いトーンで授業をしたのだろう、私の学校にもそういう先生が居て「ゴースト」と呼ばれていた。

 

しかし一転して20歳の時、新潟新聞の主筆(首席記者)に就任する。

明治時代は若くして重要な公職に就く人が多数いたが、20歳で主筆はこの時代でも大抜擢だろう。 

ここで『尚武論』なる論文を出すと結構ウケて、中央政界に出ていく基礎となる。

 

福沢諭吉と尾崎の記念切手) 

 

新潟新聞に推薦したのは福沢諭吉だった。

慶応時代の尾崎は反抗期だったわけだが、有能さは福沢の目に留まっていたらしい。

このあともたびたび力添えを得る。

 

そういうわけで、尾崎と福沢の記念切手がセットにされております。

 

(尾崎先生の像)

 

尾崎の20代は1880年代だが、民権派が「国会開設しろ」と大盛り上がりしている時代である。

尾崎も立憲改進党に所属するなど活動に加わるが、民権派の活動は活発になり過ぎて、中には集会に刀を持ってくるようなおバカさんまで出てきてしまい、政府の監視の目が強まる。

 

「保安条例」なる法規が施行され、危険分子の東京追放が断行。

尾崎は別に過激な事してなかったようだが、民権派の中心に居たので追放の対象に。

この命令の理不尽さに愕然としたので、「愕堂」という雅号を名乗り始める(それまでは「学堂」と名乗ってた)

 

(雅号の印。まったく読めないが)

 

なお「“愕”堂」を「“咢”堂」に改めたのは1912年のこと(54歳)。

りっしんべんを、“愕”の字から取り去った形なのだが、「老いて立身の気持ちが衰えてきたから」という理由。

つまり自虐ネタ。

 

(教科書にも登場するが、近年の「暗記科目やめよう運動」の影響で名前削除の恐れが微レ存?) 

 

保安条例のせいで東京退場にされてしまった尾崎だが、「東京どころか日本から退場してやらあ(意訳)」と欧米視察旅行に出かけてしまう。

ただお金は無かったので、立憲改進党のバックに付いていた三菱の人に支援してもらったらしい。

そんなんじゃ、こっちも愕然ですよ(座布団没収)

 

 

(いろんな書)

 

追放処分が解除されて帰国し、1890年の第1回選挙に三重県で立候補して当選。

以後、1953年の落選まで議員であり続け、日本記録となっている。

 

その間いろいろあり過ぎるので割愛するが、目立つ出来事としては

・1896年、外務省参事官をやっていたが足尾銅山鉱毒問題で田中正造とガチバトルになり危うく殴り合いをやりかける

・1898年に文部大臣になるが、失言して内閣総辞職を引き起こす戦犯になる

・所属政党や会派を20回以上も変えており、「おさき真っ暗」と揶揄される。政党なんてコロコロ出来たり消えたりするが、それでもズバ抜けた回数。

 

 

(演説をレコードにしてみました)

 

変な事ばかり書いたが、一番有名なのは1912年、桂太郎内閣の弾劾決議案。 

首相人事が山県有朋桂太郎ら長州の陸軍閥によって牛耳られており、特に桂は「天皇詔勅を使って政敵を攻撃する」という天皇利用をしていると批判轟々の時であった。

 

決議案の説明のため登壇した尾崎は「(桂は)玉座を胸壁とし詔勅を弾丸とする」とぶち上げ。

玉座を胸壁とし(桂は天皇の影に隠れて)、詔勅を弾丸とする(天皇の発出する詔勅を操って政敵を追い落とそうとしている)、という意味だろう。 

 

国会史上屈指の名演説と言われている。

もっともレコードにされているのがその演説自体なのかどうかは分かりませんが。 

 

 

 (東京市長時代の尾崎。写真はwikiから)

 

その演説より前のことになるが、1903-1912まで東京市長を務めている。

就任直前の尾崎は、妻の病気が悪化しており、また自身のメンタルがだいぶヤバい状態であったので、「息抜きに東京市長にならないか」という誘いを受けて承諾した。

 

息抜きで市長やるって、シムシティ感覚ですかね。

この時は議員と市長の兼任が出来たので、議員記録も途絶えておりません。 

 

 

 

東京市長のときに、アメリカのワシントンへ桜3000本を送っている。

日露戦争の時にアメリカは外債購入・講和仲介など支援をしてくれたので、そのお礼にということらしい。

まぁアメリカはロシアが撃退された後の中国に進出したい思惑があっただけだが。

 

どうして桜かというと、時の大統領であるタフトの夫人が桜好きだったから。

だが桜寄贈の第1弾は、苗に害虫が付いていたので、アメリカの検疫所で全部捨てられてしまった(脱力感)

なのでそれ以降はかなり慎重に苗を選んでおります。

 

 

アメリカからもお礼でハナミズキを貰っているのだが、行方不明らしい。

人のお礼品を無くすとは、それこそ愕z(略)

ちなみに三重にある尾崎記念館には1本だけ残っているそうな。 

 

 

記念館の外に立っている桜は、ワシントンに送ったやつの子孫を分けて貰い、里帰りを果たしたとのこと。

 

 (メガネメガネ)

 

昭和になると軍部の台頭・ファシズムの暴走という風潮になり、5.15事件に代表されるような政治家暗殺事件も続発する。

尾崎は1931年から講演依頼を受けて渡米・滞欧しているのだが、日本にいる後援会の人たちからは「しばらく帰国しないように」と要請。

 

軍拡反対・国際平和主義を唱えていた尾崎なので、日本に留まっていたら間違いなく襲撃されているだろう。

1933年に帰国し、当初神戸港に降りる予定だったが「右派が“歓迎”の準備をしている」情報が入ったので、横浜港に変更して逗子に滞在している。

 

なお不在中に選挙が行われたが、普通に当選した。

強い(確信)。

 

(1953年落選時。wikiから)

 

帰国後も翼賛選挙をこき下ろすなど歯に衣着せないスタイルだったので、特高警察が警護している。監視の役目もあっただろうが。

終戦時にはもう87歳になっており、本人はそろそろ辞めたかったようだが、周囲が勝手に選挙の立候補手続きをしており、出たら当選ということでまだ現役。

 

ただ95歳、1953年の選挙で落選。

その翌年に死去した。

90代まで議員をやるなんて、そもそも国会で発言できるのだろうか(驚)

 

 

というわけで津久井の大スターである尾崎だが、故郷には戻ってこずに最期は逗子で亡くなり、菩提寺は鎌倉の円覚寺である。

記念館のガイドさんも言っていたけど、この辺はど田舎だからね、仕方ないね。

 

 

参考文献はこれ。

 

以上。

 

 

【交通手段】橋本駅からバス40分「奈良井」下車、徒歩15分

      バスの本数は10分に1本程度

【入館料】無料

【滞在時間】40分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.e-sagamihara.com