C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

ひだ宇宙科学館カミオカラボ

「1秒間に何個のニュートリノが、あなたの体を通過しているでしょうか?」

正解は数百兆個だそうです。今ブログを書くことで貴重な時間を潰しているこの瞬間にも、私の身体中に数百兆ものニュートリノが入り込み、そして出て行ってるんですね。多すぎだよ、もっと恐縮して遠慮してほしい。あと私の時間を返してほしい。

 

物質を通り抜けるニュートリノ。その大半は宇宙から飛来するので、他の惑星や天体の内部を通過してきた物もあり、そうした個体を調べることで宇宙空間の状況や成り立ちが分かるかも~というシロモノらしい。ロマンだねぇ。

ただ分からないことが沢山あるので、「ニュートリノワクチンで6G宇宙電波に接続」とか一般人に恩恵のあるレベルの成果は、我々の生きているうちには見られないかもしれません。

www-sk.icrr.u-tokyo.ac.jp

ニュートリノ観測施設スーパーカミオカンデ岐阜県神岡町にあります。

観光地の高山市から車で1時間、長野県松本からは2時間かかる山間部にあり、かつては鉱山の町として栄えましたがイタイイタイ病の原因物質を流出していた場所でもあり、すでに閉山。跡地に東大の宇宙線研究所がカミオカンデを始めとした観測施設を構えています。

時期限定で一般公開しているようですが、コロナのせいで今は非公開。

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なのでカミオカンデしたい方は、道の駅スカイドーム神岡に併設されている観光施設カミオカラボに行きましょう。スーパーカミオカンデの一般向け説明展示やニュートリノ絡みのゲームがあります。入場無料。

ただ館内暗めなので、私のように低スペックデジカメだと写真がイマイチになることに注意。

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スーパーカミオカンデニュートリノ観測施設ですが、人体を勝手に通り抜けまくる物質ですから観測も難しいはずです。

サイズとしては、フェムトメートルより小さいそうです。1フェムトメートルを髪の毛の太さに置き換えると、1メートルは太陽~木星までの距離になるそうです。つまりニュートリノ観測とは、「太陽から木星の間に、髪の毛を1本落としておきますから探してくださいね」ってことです。前澤さんが次宇宙に行ったら見つけてきてもらおう。

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しかしスーパーカミオカンデは見つけてしまいました。もう前澤さんは必要ないから宇宙空間を漂ってもらおう。

施設内部に「光電子倍増管」という観測装置が11,000個もビッシリと設置されています。カミオカンデ内部には5万トンの巨大水槽が備わっており、水中をニュートリノが通過する際に光を発するので、その光を1000万倍に拡大させて観測します。

カミオカラボの中に、実物大の「光電子倍増管」が展示されています。

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スーパーカミオカンデ内部の模型。鉱山跡をくり抜いて、そこに観測施設を設置しています。地表からは深さ1,000mに達するそうです。

地表だとニュートリノ以外の物質も飛んできてしまいますが、地下に潜ればそうした物質をカットできます。トイレどうするんかね(雑念)

 

こうして未知なる物質ニュートリノの観測・研究をカミオカンデでやっとりますが、初代カミオカンデ(1983年)の次にスーパーカミオカンデを開設(1996年)しているので、「次はハイパーかな?」と思ったら、本当にハイパーカミオカンデが建設中であった。2027年から運用予定だそうです。

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とまぁ、お子様には難しい内容ですが、家族連れ客はターゲットにしたいため、遊べるゾーンも用意してあります。

ボード上に穴が開いていて、発射台からニュートリノ(ボール)を転がして何個入るか競う対戦ゲーム。なんでニュートリノ掴めるねんというツッコミは置いといて、穴が絶妙なサイズしているので意外に入りづらい。思惑通りにいかないという科学の掟をお子様に叩き込みましょう。

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過去1年間のニュートリノ観測データが見られます。オバケじゃないです、ニュートリノ君です。かわいいキャラですが、データはぜんぜん可愛くないです。何が示されているのか全く分からん。

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ガラスの壁に、カミオカンデ歴代研究者のコメントが書きこまれています。

ニュートリノ研究でノーベル賞を受賞した2人 小柴博士と梶田博士もあります。戸塚洋二博士も受賞が期待されながらその前に亡くなってしまいましたが、「陽子よ崩壊せよ」と1人だけラスボス感満載です。

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館内によく分からん絵画がありました。ニュートリノというより水爆実験に見えますが、これが戸塚博士の陽子崩壊でしょうか。中央でぶっ壊れているのがカミオカンデと思われます。

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なんでおみくじがあるんですかね。1回100円。まぁ入場料の代わりとして引いときますか。

結果は末吉と微妙。運気を上げるには髪を赤か緑に染めるのが良いそうです。職場でニュートリノみたいに素通りされそうなので遠慮しときます。

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最後にお土産売り場を見ましょう。

ニュートリノ饅頭」とか食べ物系が欲しかったですが残念ながらありませんでした。パズルはなかなか難しそうなので鬼畜系パズラーにお勧め。「陽子崩壊」とか「重力波」と書かれたマグカップも中二感あって良さげ。エヴァグッズと並べると字体的に相乗効果が見込まれます。

 

おしまい

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★★★(館内に数人)

【読んだ本】

ニュートン別冊 物理学をゆるがすニュートリノ

『スッキリがってんニュートリノの本』遠藤友樹ほか ←タイトルの割にかなり分かりづらかったのでお勧めしない。ニュートンの方が初心者向け。

【URL】

www.city.hida.gifu.jp

 

伊賀上野城

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「こうずけ」でも「うわの」でも無く、普通に「うえの」と読みます。

1608年に藤堂高虎が建て、今の天守は1935年に復元されましたが、公式HPによると「白鳳城」「伊賀のランドマークタワー」と呼ばれているそうです。2つ目はちょっと背伸びし過ぎで背筋断裂しないかヒヤヒヤしますが、高層階には三菱地所野村證券のオフィスがあるのかもしれません。遠き日の戦国武将の雄たけびが、今日では部長の怒号に代わり、伊賀の街を賑わせます。

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天守から旧城郭あたりを見下ろす図)

真面目に説明すると、伊賀上野城は1585年に当時の城主 筒井定次が築城。この筒井君、筒井順慶の養子ですが悲しいことに無能だったようで、もともと大和国に領地があったのに国衆にバンバン反乱されたため伊賀国へ左遷。関ケ原では東軍に付いたため生き延びましたが部下の統率が全然とれておらず、重臣の1人が幕府に讒言したことでお家取り潰し。その後、大坂の陣で豊臣側に内応したと疑われ、切腹。どこをどう切り取っても残念と言わざるを得ない一生でした。

そんな筒井君の築いた旧城郭は天守から見下ろせますが、今では緑生い茂り、生き物が暮らす豊かな森になっています。緑の丘の素敵なお城!シルバニアファミリー

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(た伊賀ー君と言うらしい)

伊賀国を継いだのが藤堂高虎ですが、外国から来たのでマスクして縄の中で自主隔離中です。

筒井定次が築いた城を拡張し、来る豊臣家との大坂の陣に備えました。家康は藤堂高虎を非常に信頼していて、自身が死ぬ間際の枕元に呼ぶレベルだったそうですが、伊賀をvs大阪(豊臣)の前線ラインと考え、そこに高虎を配置したと言われています。

高虎は建築の名手で、江戸城大阪城の改築・修築、日光東照宮の造営、あと家康に命じられて日本各地あちらこちらで城づくりに携わっています。

伊賀上野城は1611年に竣工しましたが、翌年の暴風雨で天守崩壊。そのあと大坂の陣終戦したので、伊賀の戦略拠点としての地位も低下し、天守は再建されず屋敷が作られただけでした。まぁ藤堂家は伊賀とともに伊勢も拝領しており、港湾都市の津が本拠になっていたということです。

天守が復元されたのは1935年まで下ります。

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入場料600円を払って城内に入るわけですが、その前に底が見えない深い井戸がありました。

単なる井戸ではなく、城外四方へ通じる抜け穴を兼ねているそうな。包囲されたときに食糧を運び入れたり、城を奪われたときにこの穴から侵入して奇襲する目的があったと。超重要機密なので一般藩士には非公開だったそうです。

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防衛機能も備わった城ですが、明らかにくせ者がいますね。そこめっちゃ歩きづらくないですか。侵入経路考えなさいよ。

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もう1人いたんですけど、こちらは足場が無いのでSASUKEのクリフハンガー状態。指すごい辛そう。侵入先で修業しないで欲しい。ケインコスギはだいたいここで落ちます。山田さんは1stステージで落ちました。

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藤堂高虎豊臣秀吉から賜ったという兜。ちょっと首を回すだけで側近が巻き込まれて死ぬタケコプター仕様です。上司との距離感はわきまえましょう。

館内展示は知名度があるためか藤堂家多めです。最初に築城した筒井家も思い出してあげてください。

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高虎が治めていた伊賀・伊勢・伊予の市町村で「高虎サミット」を2年に1回開いているそうです。そんなに話すことある?オリンピックより高頻度だぞ。次回はSDGsに配慮した高虎・withコロナにおける高虎・脱炭素高虎を議論してもらいたい。

なお高虎は近江の出身でその辺りの大名にも使えていますが、だいたい同僚を刺し殺したり上司と給与でモメて出奔したりしているので、出身地の甲良町しか参加していません。

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ぜんぜん話が変わりますが、伊賀の焼物です。山を隔ててすぐ北側にある信楽が焼物で有名ですが、伊賀でも同質の土が取れるようです。作庭建築で有名な小堀遠州は高虎の養女を嫁にしているので藤堂家と繋がりが深く、その遠州の指導のもと作られた焼物が「遠州伊賀」(写真左)。

ただ伊賀焼は江戸初期に興隆→その後100年衰退→過去の伊賀焼や他地域を模倣した「復興伊賀」が登場(写真右)→また沈滞という経緯を辿っています。江戸時代のタピオカ、またはウーパールーパーと言えるかもしれない。

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あとは最上階にのぼり、伊賀の街並みを眺めておしまいです。山の中に街があるのがよく分かる風景ですね。盆地なので夏は40度近くまで上がるのに冬は大雪になるそうです。この環境を生き延びたものが忍者になれるのだ(適当)

 

おしまい

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★★★(城内に人がちらほら)

【読んだ本】

天正伊賀の乱』 和田裕弘

【URL】

igaueno-castle.jp

 

松本市 安曇資料館

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© OpenStreetMap contributors

長野県中部には、安曇野と安曇(あづみ)という2つの地域があります。ややこしい。

安曇には上高地白骨温泉穂高岳乗鞍岳などの山岳があります。あれ、意外に有名な観光地が多いですね。なおワサビは無いようなので、「安曇野にワサビを食べに行こう」として間違えて安曇に来ても、そこにワサビはいません。眠ってなどいません。

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(右の写真は松本市ホームページから)

松本から岐阜県高山市をつなぐ国道158号の途中で、道の駅 風穴の里がありますが、ここから5分ほど歩いたところに安曇資料館があるのです。

道の駅にはレストランや売店があり、安曇の名物で長野県3大漬物の1つだと言う「いねこき菜」を使ったおやきが食べられます。なお「長野産3大漬物」について検索してみたところ、何もヒットしませんでした。あとの2つは何だろう、気になるなぁ(野沢菜をつまみながら)

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安曇資料館は入館無料ですが、土日祝日しかやってません。あと12月~4月は冬季休館。私が行ったのは11月末でしたが、雪がぱらついてましたからね。さすが山岳地帯。

この地区はもともと安曇村でしたが、2005年に他3村と一緒に松本市に吸収されました。統合されて薄れていく地域の歴史を、資料館は残す意義があるんでしょうね。あぁ寒い。

 

安曇村上高地をはじめとした優良な観光資源を持っているので財政的に余裕ではと思うわけですが、(公財)日本都市センターのレポートだと、むしろ資金基盤が怪しいので合併したかったようです。

市町村合併にありがちな紛争も、ググった限りでは特に無かったらしい。仲が悪すぎて隙あらば隣村の水路に毒を投げ入れる長野県民にしては希少な例である。当時の松本市の人口が21万に対して、吸収元4村あわせても2万しか無いから、21-2=33-4ということで力の差がありすぎてVやねん松本市ということだろう。

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最初の展示は屋外にあるんですが、上高地の清水屋ホテル(現 ルミエスタホテル)で使用されていた水力自家発電設備です。山を流れる沢を利用し、ホテルの電気すべてをまかなっていたらしい。電気代と、その分だと水道代も沢の水があるから掛からないと思われる。立地パワーが生む優位性で同業他社をタコ殴り!

しかし1960年代の災害で水の流れが変わり、発電できるほどの水量がなくなってしまったので、普通に電力会社と契約しましたとさ。

なおルミエスタは、1泊30,000円~と良いお値段する高級ホテルです。

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館内でも結構なスペースを割いて展示されているのが「雑炊橋」。

道の駅から東へ5㎞ほど、国道158号に沿って流れる梓川に掛かり、江戸時代には松本市街地から北の安曇野・大町へ向かうのにこの橋を使っていたそうです。松本城から20㎞あるんですが・・ホントにそんな遠回りしてたんだろうか。松本城下民に聞いたら違う答えが返ってきそうですが、市町村紛争が再発しそうなので止めておきます。

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(1987年 現在の橋を立て直したときの写真)

この橋には伝承があって、梓川を挟んで南側にお節さん・北側に清兵衛さんが住んでいた。2人は川に橋を建てて会いに行けるよう、雑炊を食べて倹約し、貯めたお金で橋を架けましたとさ。めでたしめでたし。

なお橋が架かった時、お節さんは88歳、清兵衛さんは農作業中にクマに襲われて既に死んでおったのじゃ(完)

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戦国武将 三木(姉小路)秀綱の物と伝わる刀だそうです。秀吉の配下として飛騨高山に城を持ってましたが、内応を企てたところ逆にボコボコにされ、松本方面へ逃げる途中で落武者狩りにより戦死。

つまり戦利品ということでしょうか。なお秀綱を捕えた側の農民は悪病にかかって酷い目にあったそうです。そんな祟られそうな品を展示するんじゃない。

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風穴に関する展示なんですが、2009年の特設展なのね。時を止める系資料館。

洞窟や地中の穴を利用して作る天然の冷蔵庫・保管庫って感じでしょうか。

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ここの風穴は現在でも使用されているそうですが、もとは蚕の卵を保管するのに使われたそうな。涼しい場所で保管し、桑の葉が成る時期まで孵化を遅らせ、餌をたくさん食べさせた蚕は品質が良くなり、人気殺到になったとさ。

それを最初にやったのが加賀の前田家で、全国各地に風穴拠点を構えていたので、当地にもあります(中には入れない)

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見学用の風穴も資料館の近くにあるので、中に入れます。
風穴と言うと群馬県の荒船風穴(富岡製糸場の絡みで世界遺産になった)がありますが、あれは今や単なる穴ボコになっている一方、こちらはしっかり上屋が付いて現代でも使えそうな蔵という感じです。

酒瓶がおいてあるのは私が飲んだわけではなくて、松本市内の酒造がここで酒を保管・熟成させているのです。低温熟成させることでまろやかな味わいになるそうな。酒飲みたくなったからさっさと出よう(終)

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★★(ほかに数人)

【URL】安曇資料館 松本市ホームページ

 

伊賀流忍者博物館

忍者ってめちゃめちゃ超人的イメージがありますけども、その本来の姿を研究する珍奇な方々も居て、国立の三重大学では国際忍者研究センターなるものを立ち上げ、「忍術書に書かれている忍術を現代科学で分析するとどうなるか」ってのを真面目にやっているそうです。関連書籍『忍者学講義』を読んでみたんですが、食べ物とか薬とか早く歩く方法とかが分析されてました。

ninjacenter.rscn.mie-u.ac.jp

個人的には「“狼煙(のろし)はオオカミの糞を燃やすと良い”と忍術書に書いてあったのでやってみた→吐き気を催すくらい尋常じゃない臭さで、臭気計が振り切って測定不能になった」「臭すぎて正常な思考が失われた」の回が面白かったですね。

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伊賀流忍者博物館では、そうした“現実ベース”の忍者について紹介されています。忍者ネタは子供にも人気なので、お子様向けのからくり屋敷・忍者ショーもあります。

伊賀上野駅から徒歩10分程度。入館料は大人800円、中学生以下500円。ただ忍者ショーは別料金みたいです。そこは現実ベースにしなくて良いですよ。

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入場すると、最初はからくり屋敷に入ります。壁に見せかけた隠し扉とか、回転させると抜け穴に通じるとか、屋敷のあちこちにあるギミックで遊べます。お子様方が至るところではしゃぎ回っているので、大きな忍者の皆さんはぶつからないよう注意力を研ぎ澄ませる修練になります。

館内暗かったので私のぽんこつカメラが全然通用しなかったのですが、唯一まともに撮れたのが右の写真。板敷の床下に刀を隠していて、お茶を飲んでいる時でもすぐ取り出して客人を斬れるようにしてあります。保険の外交員が来た時に使ったのでしょう。

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忍者屋敷にはいろんな防衛要素てんこもりですが、串刺し用落とし穴もあったようです。これ自分の家に備えておく必要あるんですかね。怖くて夜トイレに行けないよ。

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からくり屋敷を抜けると、博物館ゾーンになりました。

忍者について扱った書物が江戸時代に幾らか出回っており、たぶん眉唾物も結構あるんだと思いますが、この博物館は“三大忍術書”の1つ、17世紀に伊賀忍者の末裔 藤林保武が忍術を体系的に著した『万川集海』を保有しているので、それを一次資料としているようです。

この書物、伊賀忍者の間では「主君であっても見せてはならない」と厳格な情報規制の扱いを受けていたそうですが、18世紀に江戸幕府に思いっきり献上されているのであった。代々受け継がれてきた秘伝のスープのレシピが日高屋へ売られた、くらいの無常観がある。

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展示を幾つか見ましょう。まずは「忍者そんなことやってない」編から。

水の上を進む「水蜘蛛」。世間に定着したイメージは左の図ですが、実際は右のとおり、浮き輪代わりにしていたようです。足には水かき代わりの下駄をはいているので少しは早く動けるようです。しかし水上をスイスイ進むスマートさから、ぷかぷか~ですからね。海外のNINJA大好き兄貴たちの夢が崩れてしまう。

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苦無(くない)は飛び道具として敵に投げつけるイメージがありますが、書物にはそんなこと書いてなくて、穴を掘ったり、縄をつけて木登り用品にしたそうです。こりこりと壁を地道に掘り続ける忍者の図。町の工務店かな?金属製品は当時高そうだからポイポイ投げるわけにはいかんよね。

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おなじ理由で手裏剣も、たぶん安くはない武器なので簡単に投げるのためらわれるはずなんですが、いちおう書物には載っているようで様々な形があります。テトラポットからおひさまマークまで。その日の気分で好きなものをどうぞ(ここでニッコリするとサイコパス感がでる)

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しかしこれらは目標物に刺さる気がしないのですが。武器というより装飾品では。忍者の間でデザインセンスを競っていたのかもしれない。現代のJKがTikTokやるのと同じノリで手裏剣を投げていた可能性isある。

なお刃先にはトリカブトの毒を塗り、相手の頭部を傷つければ勝ち!みたいな感じらしいですが、手裏剣を手に持った時に自分の指切っちゃったらどうなるんですかね。投げる前に過失自殺して終了になるんでしょうか。

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それより忍者の武器として実戦向けなのが手甲鉤ですかね。これで殴られたら絶対痛い。でも忍術とか全然関係ない。結局最後は火力である。

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このままだと「将来の夢は忍者!」というお子様の希望を打ち砕いてしまうので、忍者の凄い技能も見ておきましょう。

なんと猫の目をみると現在時刻が分かるのだ。猫の瞳は暗いところで丸くなり、明るいところでは細くなるので、その大きさでだいたい何時か把握する。建物内では使えなさそうなので、屋内任務の時はロレックスでも付けていたのかもしれない。

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あと忍者は様々な忍術や敵情に関する知識を持つ必要があるわけで、記憶術は優れていたようです。どうしても覚えられないときは、覚えたい事柄を思い浮かべながら自分の体を傷つけることで記憶したらしい。突然のメンヘラ化はやめてさしあげろ。

 

ということでした、おしまい。

 

【滞在時間】1時間

【混雑度】★★★(他の客がちらほら)

【URL】

www.iganinja.jp

【読んだ本】

「忍者学講義」山田雄司

 

吉野ヶ里歴史公園

 

吉野ケ里遺跡は邪馬台国だった!!・・・かもしれないところの1つだそうです。

 

邪馬台国が登場する『魏志倭人伝』の中に「倭の村の様子はこんなんじゃった~」って記述があるわけですが、吉野ケ里で発掘された村の様子がそれに一致するのだ。1980年代調査時は大いに盛り上がり、マスコミが殺到するわヘリコプターは飛んでくるわ、見学会をやったら2日間で1万人来るわの大騒ぎだったらしい。ワラスボの売上も5倍増くらいになったかもしれない。

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(最初にワラスボ食べた人はよほどの猛者か、酔っていたに違いない。写真はwiki

 

アクセスですが、この公園かなり大きいので入場口が幾つかあります。

電車民は吉野ヶ里公園駅から東口、もしくは神埼駅から西口。メインゲートは東口ですが、公園を西→東へと無駄なく横断したい方は西口入場もアリ。ただ店やレストランは東口に集中しており、たぶん西口には何もない。

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© OpenStreetMap contributors

あと吉野ヶ里公園駅、駅名のわりに公園に近くなくて体力無い勢には大打撃である。

吉野ケ里町のコミュニティバスが数時間に1本。北口の案内所にレンタサイクル(電動は無いかも)、タクシー会社直通の無料電話機あり。この日はかなり暑かったので私はタクシーにしましたが、片道700円程度でした。

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東口ゲートに到達。2001年開業と比較的新しいこともあって、施設はきれいです。入場料は460円で中学生以下は無料。国営公園なので料金は全国統一なんですな。

写真撮り忘れたけど東口にあるレストランでは古代米「赤米」や、当時の人々も食べたと思われる有明海の魚貝類を使ったメニューがあるよ。なぜかチャンポンもあるけどそれは長崎だよ。

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では公園に入っていきますが、敷地が相当巨大ですので、全部回ると半日はかかるだろうし足の逝去が予想されます(軟弱)

公式HPを見ると、西口の方は遊具場、北の方は木と林と森。遺跡として重要なのは東側一帯のようなので、青矢印のとおりに回ることにしました。

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東口ゲートを通ると環濠集落の入口。吉野ケ里は弥生時代としては国内最大級の遺跡ですが、その周囲をぐるっと囲む形で環濠が掘られてます。幅は5~6m、深さは3m。この規模を掘るには、大人10人で1日1mしか進めないそうです。環濠の総延長は数㎞あるようなので、大人数を動員できるパワー系権力者の存在を伺わせます。

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集落に入って南側に行くと「弥生くらし館」。館内では遺跡の概要ムービーが流れているので、このあと回るスポットの予習として見ておくといいかも。

勾玉づくりなどの体験プログラムが行われているようですが時間の関係でカット。

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西方向へ向かうと集落「南の村」。親の顔より見た竪穴住居と高床倉庫が並んでいます。集落は他にもありますが、あとで見るような厳重な警備が敷かれていないので、吉野ケ里の一般弥生人男性が生活していたようです。

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竪穴住居では、室内に入って飲食ができます。これは他地域の竪穴住居にはない区別化要素ですね。普通は飲食禁止だからね。まぁ土煙がこもる暗い室内で食べる食事はどうなのか知りません。弥生人も使ったと思われるコンセントがありますが、現代人は使用禁止とのことです。

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北に向かうと、環濠と柵で囲まれている「南内郭」に当たります。さっきの集落と違い防衛機能が備わっているので、吉野ケ里における高貴な身分の方々が居たようです。

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環濠集落の入口と同じく、ここにも鳥居がありますが、たぶん現代オリジナルと思われます。神社じゃないから一礼しなくて良いよ。

公園HPによると古代では鳥が信仰対象となっており、鳥をかたどった木製人形・姿の描かれた絵画がよく見つかるそうな。稲を加えて飛び立っていく鳥の姿がなんか神のお使いみたいに見えたんですかね。そいつ稲を盗んでるんだと思うんですが。

そんなんで、鳥をモチーフにして鳥居を建ててみたんでしょう。

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大層なやぐらも建っており、一帯を見渡すことができます。周囲は佐賀平野なので障害物もなく、遠くまで見渡せたのかもしれません。現代でも高い建物が無いので、観光に来た福岡県民あたりから「弥生時代と変わらないじゃん」などと煽られてしまいそうであり、鳥栖市民は佐賀県民にもかかわらず福岡に同調しそう。

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南内郭の中にはさらに柵で防護されている区画があります。吉野ケ里の指導者たる「王」の邸宅です。勢力範囲はこの公園内だけでなく、周辺地域一体まで含む「クニ」の支配者なのです。

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王の屋敷はどこが違うのかというと、なんとベッド付きなのだ。いや写真では分かりづらいですが、左下に布が敷いてあるところは他の床より一段高いのです。高級ホテルのようだ。ハイアットリージェンシー吉野ケ里。

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なお王の家のすぐ横には王の妻の家が作られているので、王は妻に逆らった瞬間に家庭内別居を突き付けられる恐怖と戦うことになります。妻問婚なのかどうかは知らないよ。心なしか、王の家より大きい気がするよ。

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遺跡展示室がありました。何が嬉しいかって、冷房があることです。公園内に日陰があまりないので暑い日はだいぶ死ねる。

館内では吉野ケ里に関する具体的な解説を見られます。自販機もあります。

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遺跡で見つかった人骨たち。刀傷や矢傷を受けているものが多く、また右の写真の骨は首が無いそうです。稲作の始まりは良い土地を巡っての争いの始まりでもありますが、吉野ケ里でも大乱闘、粉砕玉砕大喝采が多かったことを示しています。

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そんな争いの日々でも弥生人はオシャレには気を遣っていたようで、頭にガラス製菅玉を巻いてみたり、腕にシルバーじゃなくて貝の輪っかを巻いてみたりしています。頭にガラス、太陽を浴びて額の温度だけ90℃くらいになりそう。

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さらに北へ進むと、また柵で囲まれた「北内郭」があります。住居があった南内郭と異なり、巨大な楼閣や祭殿をはじめとした祭祀施設で占められています。

 

ちなみに楼閣とかやぐらとか本当に当時あったの?と疑問が浮かびますが、発掘された柱穴のサイズや設置間隔から建物の階層や規模が分かり、あとは中国の古代建物記録を参考にしてどういう用途の建物なのか推定しているそうです。楼閣の姿は、奈良で発掘された土器に描かれたものをベースに設計されましたとさ。

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楼閣は2階層になっており、中層階(左の写真)では宴会じゃなくて政事の最中です。最上階では巫女さんがお祈り中です。

邪馬台国の模様を再現しているようです。魏志倭人伝では「一人の女王が居て、その下に長官やら次官やらが居る」って記述があるそうですが、女王たる卑弥呼はお祈りする仕事をしていて、その下の階で幹部連中が政務を執っているという感じ。

 

さて、「吉野ケ里=邪馬台国」説ですが、北内郭・南内郭などが根拠になっているようです。

魏志倭人伝「女王が就任して以来、その姿を見た者は少ない。楼観・城柵があり、守衛が付いている」旨の記述があるらしい。ここまで見てきた環濠・やぐら等の防衛機能から、城柵や守衛は当てはまりそうです。楼観はさっき見た楼閣ですかね。んで祭祀者たる女王は北内郭に籠り、それ以外の重臣たちは南内郭で生活。それなら一般人は普段会わないね。

そんなんで、吉野ケ里の姿は邪馬台国の記述と合うところが多く、発掘当時は盛り上がったとさ。

 

ところで邪馬台国畿内説と九州説に分かれていて、九州説=吉野ケ里かと思いきや、九州説もさらに分化してるんですね。糸島・太宰府・大分の宇佐神宮・熊本、など様々。ありすぎだよ。もう大川隆法先生に頼んで卑弥呼の背後霊を召喚して訊くしかないのではないか。それで全然違う場所いわれたらどうしよう。「群馬」「港区」「テノチティトラン」とか。

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もう疲れたので終わりにしたいですが、最後に「北墳丘墓」を見ます。

BC1世紀に作られ、大規模なので権力者の墓と目されますが、100年にわたり13の棺が埋葬されています。棺は甕棺という北九州特有のもので、甕の中に遺骸や副葬品を入れて葬るスタイル。だから2000年たっても風化せず、保存状態のいい人骨や道具が発掘できるそうです。新鮮で活きのいい人骨。

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墳丘墓を見終わったら東口に戻りますが、ナイスタイミングで園内バスが来ていた。20分に1本と、けっこうな頻度で走ってます。広い園内を行ったり来たりしてHP尽きたら乗りましょう。

 

おしまい

 

【混雑度】★★★(他の客がちらほら)

【滞在時間】3時間

【読んだ本】

邪馬台国時代のクニの都 吉野ケ里遺跡」七田忠昭

【URL】

www.yoshinogari.jp