神奈川Cスポ探索日記

C級スポット探索日記

旅行ブログです。地域別カテゴリは最下段から。

袋町小学校平和資料館

 

 

広島市にある被爆建物の1棟、袋町小学校の記念館にやってきた。

ぱっと見て交番かとスルーしかけるが、被害を受けた建物である西校舎の一部だけこうして残しているので、小規模に見えるだけである。

 

 

建物自体は1937年に建てられた、わりと近代的な鉄骨コンクリート造。

そもそも原爆の威力に対して生き残れたのは鉄骨造だけであり、一般的な木造住家は跡形もなく吹き飛ばされたか、爆発後の火事で片っ端から焼失している。

 

 

入館は無料です。

下駄箱で靴を履き替えるよ。

 

 

内部は綺麗な感じだが、戦後も学校として使っており、いろいろ修理したからである。

当時は地下1F&地上3F建ての建物でありました。

 

 

館員さんの説明に沿って、館内をうろつきます。

さきほどの下駄箱に戻って、そこに掲げられた空撮写真を見る。

 

被爆直後にアメリカ軍が撮影したものだそうな。

原爆の威力を記録するためであろう。

 

 

写真の中で目立っているのが、このT字型をしている「相生橋」。

なかなか珍しい造りだということで、注目したのはアメリカ軍の方。

これをターゲットに原爆を落とせば間違えなかろう、ということで利用されてしまった。

 

 

被爆後の校舎の写真。

周囲の木造建物は木っ端みじんにされており、たいへんな終末感である。

広島の中心地にあると言うことで、在校生徒は1600人のマンモス校

3年生以上の生徒は疎開していたが、親元を離れて生活するのが難しい低学年の子供たちは残っていた。

 

 

原爆が投下された午前8時15分は、学校では朝礼をやっていた時間である。

校庭に出ていた生徒と教職員160名のほぼ全員が死去。

遅刻して屋内にいた生徒など、生存したのは数人だけであった。

 

 

階段横の壁が、なにか黒板みたいになっているが、これは煤だそうだ。

爆発により火災が至る所で発生し、煤で建物中が真っ黒になったという。

 

 

たださすがにこれは復元であり、現物ではない。

被爆直後に撮影された校内の写真をもとに、再現されたもの。

 

壁一面が真っ黒になったので、これを黒板代わりにして、家族や生徒への伝言が書かれている。

 

 

住所と地図が書かれているが、学校の先生が自宅の位置を知らせているもの。

生徒たちの避難場所として使ったのだろう。

 

これら煤だらけの壁は、戦後に学校が再開するにあたって漆喰で白く塗りつぶされ、その存在は人々の記憶から消え去った。

 

 

やがて時代が進んで平成の世の中になり、建物も老朽化してきたと言うことで、西校舎は一部を資料館として残して、あとは取り壊されることになる。

資料館にする際に「そういえば伝言板にしてた壁があったな」と誰かが思い出し、研究チームが入って漆喰を剥がしてみたところ、かつての壁が姿を現した。

 

それが↑の写真の、ガラスで保護された部分ですね。

 

(かつての壁@でかいver)

 

半世紀以上経過しているので、煤はかなり落ちていて、だから書かれた文字も薄れて肉眼では読めなくなっている。

 

研究チームが赤外線やらハイビジョンカメラやらハイテク機具を駆使した結果、ようやく読み取れるようになりました。

家族と離れてしまった子や親、生徒を探す教師による伝言が多々記されております。

 

 

なお学校は戦後翌年には再開されている。

ただ建物はご覧の通り崩壊気味で、窓も見た感じガラスが無く吹きっさらしではなかろうか。

 

 

という伝言板の話がこの資料館のメインでありました。

順番が前後するが、その伝言板前の階段を登ります。

 

 

と思ったら、2Fへの階段は折り鶴で満杯で通れませんでした(こなみ)

 

 

階段の天井が一部すすけているが、これは被爆当時のまま残しているらしい。

年月が経ってさすがに色は薄れており、当時はこれよりも凄まじいほどの黒だったそうな。

 

 

地下におりますね。

 

 

校庭に置いてあったのを、爆風で吹き飛ばされて風穴を開けられた太鼓。

 

 

被爆の衝撃で壊されてしまった扉。

色合いが怖いっすね。

 

 

こちらの部屋では、伝言板発掘作業を映したビデオをみることができます。

10分程度。

 

 

あと被爆物としてお馴染みの時計。

8:15で時間が止まったというのがよくあるパターンだが、これはもはや文字盤すら読めない。

衣服の中に仕舞ってあったそうだが、熱風で溶けまくっている。

 

 

最後にジュノー博士の紹介。

連合国軍の捕虜の状態を調べるため赤十字から派遣されたスイス人医師だが、広島の惨状をみると調査どころでは無くなってしまい、GHQから大量の医薬品を拠出させて被災者の治療にあたったという。

ノーベル賞あげて、どうぞ。

 

というわけで、被爆についてまた違う角度から学べる施設なのでした。

しかし資料館の公式HP、公共施設とは思えない胡散臭さ漂う見た目になっているから、PC得意な人にちゃんと教わった方が良いと思うよ(提案)

 

 

以上

 

【交通手段】紙屋町東電停や本通駅から徒歩10分

【入館料】無料

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】50分

【URL】

www.fukuromachi-e.edu.city.hiroshima.jp