C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

袋町小学校平和資料館(被爆建物)

広島市では原爆の被害を受けながら残った建物を「被爆建物」として保存しており、その1つです。交番じゃないです。 

1937年に建築された袋町小学校の校舎の一部。被爆後も修理して50年以上使ってきたが老朽化したので、資料館として残しているのだ。 

入館は無料です。

原爆の被害を受けつつ残ったのは、このような鉄筋コンクリートの建物だけで、木造建物は片っ端からやられてしまった。被災直後には生存者がここに集まってきて、家族の安否を尋ねる情報場所となっていたそうです。

壁には黒板・・ではなくて、煤です。校内の至る所で火災が起こり、その煤で一面真っ黒になっていたのだ(復元です)

黒くなった壁には、安否情報がたくさん書かれています。「自宅で待ってます」「うちの子供を見た人いませんか」など。被爆直後の人々のやりとりが記載されており、かなり生々しいです。

先生が自宅の場所を壁に記しています。親とはぐれてしまった子供たちはウチに避難してくるように、という言付けですね。

被災直後の学校の写真です。終末感しかしない。

学校生徒は1600人おり、うち上級学年は疎開して居なかったんですが、低学年160人と先生は残っていたと。原爆投下は朝だったので、ちょうど朝礼を校庭でやっている時間。ほぼ全員が死去したそうです。

校舎の屋外も木っ端みじんにやられている。

授業が再開したのは1年近く経過した1946年6月から。しかし校舎は応急修理をしただけで、とんでもない内装になっている。それでも日常を少し取り戻せたので、子供たちは元気に登校していたそうな。

時間が経過するにつれて、煤だらけの壁も白い漆喰を塗って綺麗にされました。

平成の世になって建物を資料館として保存するとなったとき、「煤一面の壁を伝言板にしてなかったっけ」と思い出した人がおり、 漆喰を剥がしたら未だに黒い壁と書かれた伝言が残っていたそうな。それを復元したのが、さっきの煤の壁ですね。

思い出していなかったら、伝言板は永久に漆喰の下に隠れていたわけだ。思い出した人グッジョブ。 

校庭に置いてあったのを、爆風で吹き飛ばされて風穴を開けられた太鼓。叩き過ぎて壊したわけではありません。

被爆の衝撃で壊された扉は色合いがホラーになっている。

最後にスイス人医師ジュノー博士の紹介。

連合国軍の捕虜の状態を調べるため赤十字から派遣されたが、広島の惨状をみると調査どころでは無くなってしまい、GHQから大量の医薬品を拠出させて被災者の治療にあたったという。ノーベル賞あげて、どうぞ。

 

というわけで、被爆についてまた違う角度から学べる施設なのでした。

しかし資料館の公式HP、公共施設とは思えない胡散臭さ漂う見た目になっているから、PC得意な人にちゃんと教わった方が良いと思うよ(提案)

 

おしまい

 

【交通手段】紙屋町東電停や本通駅から徒歩10分

【入館料】無料

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】50分

【URL】袋町小学校 平和資料館