縮景園
広島駅から徒歩15分程度で来れる。
新幹線や飛行機の待ち時間で、どうぞ(提案)。
このすぐ近くに広島城があるわけだが、広島藩の初代藩主である浅野長晟が作らせて1620年に完成したもの。
城とくればデカい庭園。
みんな好きなんすねぇ。
入場料260円を払ってはいるわけだが、コイのえさが100円で売っている。
でもこの時のコイ達は体調不良ということで、「エサをあげてもあまり食べません」って注意書きが貼られていた。
それでも売るんですね・・
まずは庭園のセンター通りをまっすぐ進みます。
突き当りには屋敷「清風館」。
中には茶室をはじめ幾つかの部屋があり、歴代藩主がここから庭園を眺めていたのが予想される。
日清戦争の際には広島に大本営が置かれており、明治天皇の宿泊所として清風館が指定されていた。
もっとも陛下本人は大本営にずっと籠りっぱなしだったので、結局お泊りはしなかったようだが。
庭園の西部の方へ進んでいきます。
中央の池の方を見渡すと、たいへん絵になる景色。
対抗馬は厳島くらいしか思い浮かばないけど。
池の水は南方面へ向かっていて、かつてはこのまま広島湾まで注いでいったらしい。
ずいぶん距離ないか、それ。
いまは埋め立てられて繁華街になっております。
コイくん、生きてるかー。
西の方へ進んでいくと広島県立美術館に当たります。
裏口と繋がっているようで、セット券も販売されている。
この灯篭は「楊貴妃型灯篭」と名付けられている。
楊貴妃こんな形してたっけ?(すっとぼけ)
そうではなくて、楊貴妃の被っていた冠に形が似ているから、だそうな。
楊貴妃じゃなくても良いのでは、というと「ツッコミがありきたりだ」と返されそうなので、やめておきます。
中央の池を中心に水路が多方へ伸びているので、その水路を超える橋が幾らかあって見栄えが良い。
東屋っぽいものがありますね。
東屋は「超然居」といって、名前はその通り、人里離れた静かな空間を意味している。
少し高い位置にあるので、園内の風景が良く見える。
おかげで完全にお弁当スポットになっていて、私のような俗人では超然世界にうかつに近づけないのでした。
仕方ないので橋を渡って、さらに奥へ。
園の西端にある調馬場。
馬の訓練場かと思うが、なのでストレートに広い道が続いている。
そして人が多いな。
さすが大都会広島。
この日も駅前では右翼の街宣カーが大音量で竹島奪還を語っていたからな。
馬場の横は梅林となっていて、偶然ながら満開の時期であった。
これは観覧客も集まるわね。
しかしここに建っている夕照庵は、夕日に映える紅葉を観覧するためのところであって、梅なんぞには目もくれないのであった。
夕照庵の裏手です。
石で浜辺っぽくできてるけど、水遊びとかする場じゃないからね。
こちらにもコイが泳いでいる。
弱りながらもエサを求めて、浜辺に来たのだろうか。
ただ彼らの頭上で手をグーパーさせても、何の反応もしなかった。
普通の庭園に居る(飢えた)コイなら、必死の形相で手の方に向かって口をパクパクさせるはずなのだが。
やはり弱っているのだろう。
それ以前に、コイを挑発するような行為はやめて、ちゃんとエサ買いましょうね(戒め)。
園の北側へ向かいます。
こちらは明月亭。
月を鑑賞するために建てられたもの。
紅葉を見たり月を見たりと、まぁ忙しいことで。
さらに北側に進んでみます。
あれ、リアル河川に来てしまったよ。
小さな石鹸カタカタ鳴りそう。
この川沿いを歩いても特になにも無さそうなので、戻ります。
ずらずらと。
ふと水路を見ると、赤い。
いや水が赤いのではなくて、土が赤いんだろうけど。
そして水が透き通っているから、こう見えるのであろう。
石碑と献花に出くわしたが、これは原爆の慰霊碑。
大戦中、縮景園は市民の避難場所として指定されており、原爆が投下された時に被災者が大勢逃げてきた。
そのまま亡くなってしまう人もおり、この地に埋葬したと伝えられていたが、1987年に発掘調査をしたところ64人の遺骨が発見されたので、平和記念公園の慰霊塔に納骨をしたうえで、ここに慰霊碑を建てている。
縮景園自体も爆心地から1km程度しか離れていないので、園内は壊滅的な被害を受けた。
戦後は1951年から営業再開したが、復興が完了したのは1970年代になってからである。
園の東方向に向かっておりますが、稲荷神社が建てられております。
5代目藩主が築造させたもの。
縮景園は1620年に出来たものの、規模は小さなものであった。
そのあと歴代藩主がそれぞれ手を加えており、今日の規模となったのは7代目藩主が改造した1783年以降とされている。
広島藩は最初から最後まで浅野家が藩主だったと思うが、まさに浅野家代々による世紀を超えた渾身の作品である。
実際に手を加えたのは庭師だけど。
明治時代になっても浅野家所有となっていたが、1913年から一般開放され、1940年には広島県に寄付されております。
面白い形の橋がありますね。
跨虹橋(ここうきょう)という名がついており、縮景園を代表する要素である。
over the rainbow!(中学生)
この橋、いちおう実際に渡ることはできる。
ただ注意書きにもあるように、かなりツルツルするので勇気が必要。
私も2段目くらいまでは足を掛けたのだが、さらに階段が手前側にけっこう斜めっているので、難易度が高い。
というわけで諦めて横の道を通りました(チキン)
最上段で滑って、大観衆の見守るなか池にダイブではたまったもんじゃありませんからね。
渡った先には、最初に見た清風館の裏側があります。
すごい形で林立しているのは、樹齢300年を超えるソテツです。
冬の間に害虫が付かないように、巻き巻きしているのだろうか。
いずれにしろ荒ぶっていて奇妙な光景である。
園の東方に向かいたいのですが、工事中のため通行禁止の様です。
迂回して向かうことにするが、思いっきり作業用道路ですね。
小高い丘が見えるぞ。
迎暉峰という園内で最も高い地点であり、昔はここから厳島まで眺めることができたという。
工事中で入れませんでしたけどね。
最東端に来ました。
この部分は薬草園である。
籠城戦のときに少しでも食料を確保するため、庭園に薬草園をつくる城はけっこうありますね。
こちらでもソテツくんが荒ぶっています。
入口の方へ戻るとするか。
清風池というゾーンです。
いままでが派手だったので、ちょっとこじんまりしているように見える。
そして池の水も、綺麗とはいいがたい。
さっきの透き通った水を見てからだと特に。
しかし足場は置き石スタイルになってますので、落ちたら死にます(直球)
この辺は牡丹園。
そして入口ちかくまで来て終了。
最後に、正門はいって左手のところにお土産屋&お茶屋があります。
お茶屋ではなんとモーニングを出している。
縮景園で行う朝食、優雅ですねえ。
開園時間は9時だから、サラリーマンはフレックスを使いましょう(推奨)
ただ食べるスペース、そんなに無いけどね。
特に土日は混んでるから、諦めてお好み焼きでも掻き込んでから来よう。
以上
【交通手段】広島駅から徒歩15分
【入場料】260円
【滞在時間】90分
【混雑度】★★★★(すぐ横に人)
【URL】