松本市美術館
得体のしれないオブジェが立ち並んでいるのは松本市の市立美術館。
水玉模様で分かる人は分かると思うが、草間彌生が松本出身なので、この人の作品を多く展示している。
草間だけを大きく扱った常設展があるし、ほとんど毎年ペースで拡大展も行われている。
松本の市街地を歩いていると突然こんな光景が表れるのだから、何も知らずに行った人はまずビビるであろう。
美術館に行くにあたって自伝を読みましたので、以下はこれを参考にしてます。
厳密な引用をしているわけではないので、正確なことを知りたい方は実際に読んでみてクレメンス(責任転嫁)
草間の作品は幼少期に見た幻想が元ネタという話。
実家は裕福な種苗業で、家の周りに花畑があったそうな。
普通ならメルヘンでハイジな方向に行く気がするのだが、草間の場合は「スミレの一本一本が人間の顔をして話しかけてくる」という幻想体験をしている。
そのスミレの顔が可愛らしければよかったんでしょうが、たぶんオッサンだったんじゃないか。花畑で無数のオッサンに取り囲まれて凝視される。ああ、そりゃ怖いわ。
これらパックンフラワーも、ただの植物ではなく独自の顔もとい意思を持って蠢いており、人間をも脅かす存在だという表現なのかもしれない。
同じく松本にルーツがある岩崎ちひろは、幼少期に花壇に親しんだために可愛らしい画風になったが、この差はどういうことなんでしょうか(困惑)
さらに草間の家庭は、父親が放蕩者・母親はヒステリーという「混ぜるな危険」の限界家庭であり、幻想について相談できる相手が居なかったのが辛かった模様。
その恐怖を払拭するお助けグッズが、草間の代名詞である水玉。
とにかく水玉で画面を埋めまくれば、自分も嫌いなものも何もかもその中に埋没して消滅するから、消えてしまえば怖くなどないのだ。はっは。
1mmくらいは分かるが、残りの5億光年くらいはよく分らん。
まぁひとまず、水玉は草間にとっての「怖いもの」を埋め尽くして消す手段という面があると思っておこう。
博物館も水玉だらけですが、これも怖かったのかな?
水玉は至る所に描かれております。大盤振る舞いだな。
自販機の飲み物にはさすがに付いておりません。
ゴミ箱やベンチにも。
内部は美術館なので撮影出来ませんが、入場受付に置いてあるこのオブジェだけ撮ることが出来た。
『考えるかぼちゃ』というタイトル。かぼちゃ好きねぇ。
花は嫌いなのにカボチャは平気なのかという疑問が浮かぶが、草間曰くカボチャは「醜い」ので許すということらしい。もっとも醜いだけでなくて、飾らない容姿や逞しさが加点ポイントだそうな。
美術館では常設展のほかに企画展もやっているのだが、草間の作品は常設展でやっているのでその分のチケットだけ買えば足りる。
常設展のみだと410円、企画展を含めると800円程度かな。
(常設展示室。美術館HPより。特集展示「草間彌生 魂のおきどころ」 | 松本市美術館)
展示室はこのように絵画を飾る通常のものがまず1つ。
大判ものが多くて、さらに草間は紙の隅々まで描き込みまくっているので、高いところに展示されている絵の上部部分まで細かく見ていると首が攣ります。
ソファに座って休み休みしながら見ませう。
(画像は美術館HPから 特集展示「草間彌生 魂のおきどころ」 | 松本市美術館)
展示のメインは2004年~2007年までつづけた『愛はとこしえ』。
連作物で10点以上あったと思う。
タイトル通り「love is forever」を表現しているんでしょうけど・・これは一体なんなんでしょうか。
中央にはムカデのような感じで目玉が並んでおり、毛虫なのかミミズなのか鼻のか眉毛なのか分らん物体が至る所に置かれている。
どういうこと、どこに愛の要素があるの?汝のムカデを愛せよってこと?
なおこの絵はまだ描かれてる要素が多い方である。
他には、無数の目玉しか書かれてない絵・人の顔っぽいものがひたすら並べられている絵というのもあった。
観客の大半は( ゚д゚)となるか、「へぇすごいわねえ(棒)」という感想を残し、2分くらいで次の部屋に進んでいった。
(画像は美術館HPから 草間彌生 魂のおきどころ | 松本市美術館)
ただ展示品は絵画だけではなく、巨大なオブジェも何点か。
この部屋は一本の通路で両側が鏡張りになっており、白い水玉をあしらった赤い棒がたくさん生えている。鏡にそれが映って無数に広がっていく趣向。
棒は草間作品によく登場するのだが、これ陰茎の象徴らしい。
裕福な家庭でお嬢様として育てられた草間は、男性と関わる機会がほとんどなく、ある意味男性恐怖症であった。なので水玉の出番です。
そんな嫌いなものをわざわざ沢山生やして、さらに鏡で増殖させなくても良い気もするが。まぁ陰茎の花畑を皆まじめな顔して通っていると考えるとコミカルである。
あなたもこの無限空間の中に一つの水玉として埋没し、消滅して、それで宇宙を形作るのだ。陰茎とともに。
他にも鏡だらけのミラーボールルームとか、ドでかいカボチャのオブジェとか様々置いてあるので、草間ワールドに興味のある人には有意義な時間になるであろう。
常設展示は他にも、地域出身の書画や風景画など複数の部屋があり、全部見ると結構な量になる。私は疲れてしまったのでその辺かっとばしてしまったが。すまんな。
ところで前掲の自伝には、草間がアメリカで行ったパフォーマンスなども書いてあるのだが、中には凄まじく破廉恥なものも。
ニューヨークの大都会の中で全裸にしたモデルを登場させるとか、公然と乱交パーティーを開催するとか。そんなんだから警察のお世話にもしょっちゅうなっているのだが「お前らは芸術を分かっていない」の一言で全てぶった切る強者ぶり。「日本の画壇は私のことを理解していない」と大変お怒りであったが、これはちょっと擁護できんな(こなみ)
おしまい
【交通手段】松本駅から徒歩15分、バス5分
【入館料】410円(常設展)
【滞在時間】120分
【混雑度】★★★★(すぐ横に人)
【URL】
白馬三枝美術館
白馬のバスターミナルやスキー場から少し離れた位置、閑静なペンション地帯にある美術館。
自然あふれる白馬や安曇野地域を描いた風景画をメインに展示しています。
「三枝」の読み方は「さえぐさ」です。桂三枝ではないのね。
白馬駅からは徒歩25分ほど。八方バスターミナルからも20分くらいですかね。
白馬の施設はどこもホームページがあまり充実してないかそもそも無かったりするので、開館しているかどうかは施設に問い合わせるか現地を見るまで確証がないというスリル仕様になっているが、ここのHPはちゃんとしている。
でも庭に草木がかなり生い茂っているせいで遠目からだと暗く陰って見え、「あれ・・閉鎖済み?」と一瞬慌てた。
おお、こわいこわい。冬場(12月~3月)はやってないようなので気を付けよう。
建物は2棟あって、別荘っぽく開放感ある方には入館受付やカフェが備わっている。
撮影禁止なので写真はないが、アンティーク家具がぞろぞろ並んでいたり、小さいワンコが寝そべっていたりとカジュアルに楽しめる要素が豊富。
ワンコは全く吠えなくて人懐っこい感じだったので、犬好きな人はそれだけで時間を忘れるでしょう。
中廊下をわたって、こちらの展示棟に入ることになります。
入館料は700円。
以下、絵画を幾らか貼りますが、それは展示されていた画家の代表作や私が気に入っている作品であり、必ずしもこの美術館にあるものではないのでご了承。
(山下大五郎『田植えの頃』)
安曇野の自然風景は様々で、水田・山岳・里山・渓流などパターンは幅広く、更にそれが季節ごとに違った趣を見せるので、ドはまりする画家が少なくないのだ。
その代表格として挙げられるのが山下大五郎。
日本各地を回りまくって風景画を描き残しているが、1977年に安曇野を訪れるとその風光明媚な光景を大絶賛して、以後10年ほど晩年にいたるまで毎年のように安曇野に通い続けた。
特に水田が気に入ったようで、それだけで何十点も作っている。
田んぼ一杯にたたえられた水は透明感に溢れ、北アルプスの山々が運んできた清らかさが表れており、大変すがすがしい。
見た目さらさらしているけれど、油絵なので実物を近くで見ると割とこってりしており、その光沢が水に輝きを与えている。
さすが北アルプス。南アルプスの天然水やいろはすでは、この色は出せないのだ(ドヤ)
(山下大五郎『安曇野冬近し』)
こちらは冬間近。11月くらいかな?
まだまだ緑は残っているけれど少し乾燥しているような黄色のパサつき具合で、山の上は霞んで雪も積もってきているから、乾いた冷たい風が山から吹きおろし始めているような感覚を覚えさせる。
10年も安曇野に通ってるだけあって、作品はその付近の美術館が所蔵しているようです。
北アルプス展望美術館がかなりの数もっていて、私が行った時も飾られていた気がする。ただそのときはモンスターマスクばかりが印象に残って、他のことは忘れてしまったが、それはゾンビのせいです。
(中村善策『信州は初雪』)
他に気になった画家は中村善策ですかね。
大戦中に安曇野に疎開してその虜になった風景画の巨匠。ただ山下大五郎ほどは安曇野沼にハマっておらず、信州全体や出身地の北海道を相手にしている。
みずみずしくて明るく、さわやかなタッチが見ていて楽しいと思います。
ただ初雪の時にこんなに花咲いてますかね?
まぁ雪国は「降らないと思ったタイミングで降る」「冬が開けたと思ってダウンジャケットをクリーニングに出したら雪が降る」のが常ですので(経験談)、そのやられた!感を再現しているのかもしれません。
(足立源一郎。作品名は分からん。 安曇野山岳美術館のHPから)
「山岳とはそんな明るく甘ったれたものではない」とでも言いだしそうなのは足立源一郎。登山派であり、頻繁に山に登っては絵をかいていたそうな。
館内の説明で「山中に絵の具の跡を見つけたら、それは足立の残したもの」とあった。ちょっと汚さないでもらえますかね。
北アルプスの山岳を真下から見上げ、急峻さや険しさ・ゴツゴツ感を荒々しく威厳を持って描きあげている。
上に貼った作品は安曇野山岳美術館の所蔵らしいのだが、殆ど同じようなのが展示されていた。版画かな?
という感じで安曇野大好きマン達の絵画を、別荘地の静かな環境でのんびり見られるのでしたとさ。
白馬といえども夏は暑いので、美術館にたどり着く前に溶けて無くならないよう気を付けて訪問しましょう。
おしまい
【交通手段】白馬駅から徒歩25分、八方バスターミナルから徒歩20分
【入館料】700円
【混雑度】★★★(ちらほら)
【滞在時間】45分
【URL】
ぶどうの早川園(ぶどう狩り)
夏だ!海だ!ブドウだ!
という風には普通ならないと思うのだが、意外とブドウは8月から旬を迎える品種がある。
善光寺駅からだと徒歩10分弱。
奥まった山の中にあるのかと思いきや、交通量が少なくはない道路沿いを歩いていると、突然ぽんと現れる。
とりあえず到着したら、目の前に見える受付にてブドウ狩りをしたい旨を伝えればよい。
ベテランっぽいガイドさんが登場してスタート。
びっしりブドウに覆いつくされた空。
早川園の特徴は、世界中から集めた品種40以上が育てられていて、お馴染みのものから珍しいブツまで様々に取り揃えているところ。
とはいえ旬はそれぞれ違うので、一度に40品種全てを食べられるわけではないですが。
あと他のブドウ園はどうか知らないのだが、ここは食べ放題・取り放題ではなく、ガイドさんの指示に従って一定量のブドウを狩るシステムになっている。
品種数が多いので、客が自由にやると何を取っていいか分からず彷徨い続けてしまうから、食べごろのブドウを案内してくれるのだ。
大食い選手権は出来ませんが、後で分かるように十分なボリュームを貰えるので、ブドウジャンキーとか飢餓状態以外の人は特に心配しなくてよい。
ひと房まるまる狩り取るのかと思っていたのだけれど、そうではなく数粒だけ切り取って持っていく。
いろんな種類のブドウを楽しむためである。
切り取りチュートリアルとして、まずはブラックビートとシャインマスカットの2種を数粒ずつ取ります。
次は実践編で、ブドウ棚に実っているものから、ガイドさんお勧めのを切り取っていく。
狩っている瞬間の写真を撮るべきだったんですけどね、やるのに夢中で忘れていました。めんごめんご。あとは自分の目で確かめよう(90年代の攻略本)
しかし思ったより形も味も多様だ。
上の写真に写っているのは「マニキュアフィンガー」という品種で、指のように細長い形状をしており、果実は硬めでカリっとした食感が楽しめる。
狩る時間はせいぜい10分程度。10種類弱のブドウを取ったかな。
その場で食べられるよう洗って盛り付けてもらえるので、それまで机について待ちましょう。
ガイドさん曰く「スイカ風味のもあるし、紅茶風味のもあるし、ミルキーはママの味ってのもある」。 最後テキトーなこと言ってんなぁと思ったら、本当に”ミルキー風味のブドウ”があるそうな。リッシバーバという品種がそれらしいが、今回は旬じゃなかったのか食べられなかった。またそのうち。
番号札代わりです。
そういや狩っている時はガイドのおっちゃんが食べごろのブドウを吟味しつつ進んでいたのだけれど。
ひと房切り取って味見→「あ、これイマイチだな」と、その房ごと園の隅っこの方にブン投げて捨てていて、豪快過ぎて笑ってしまった。
やってきました。2名で参加したので、盛り付けも2名分です。
さあ食べよう・・の前に、係員さんからの料金請求。
目の前にブドウ出されて手を出しかけた瞬間だから払わないわけにはいかないわな。タイミングが完璧すぎる。
1人総額900円でした。
狩ったブドウの重量で金額が決まるそうだが、だいたいそれ位の金額になるようガイドさんは案内をしている模様。
しかしここで問題。このように盛り付けられてしまうと、一体どれがどの品種なのかサッパリ分からないのだ。
狩っている間は一応品種の説明もあったのだが、既に頭から抜けおちて「全部うまい」になっている。アホの子か。
ちなみに私は皮むくの面倒なのでそのまま食べていたが、普通にいける。むしろパリッとした薄い皮がジューシーな実と相まって良い食感になっていた。
種も殆ど無かったかな。
狩っている間はスイスイ取ってしまうけれど、いざ食べると量が結構多かった。
ぜんぶ食べきれない場合でもお持ち帰り用タッパーがあるので利用しよう。
狩ったもの以外にも欲しいブドウがあるときは、係員さんに言えば別途料金で対応してもらえるんじゃないかな。
気に入った品種があれば房ごとお買い求めしてどうぞ。どの品種なのか覚えていればの話ですが(失念者談)
ガイドさんに訊いたところ、9月~10月くらいが最も旬なブドウ品種の多い時期らしい。
その時に行けば、もっと様々な品種を食べられたかもしれませんね。
混んでるかもしれないけれど。
おしまい
【交通手段】善光寺駅から徒歩10分
【料金】900円前後
【混雑度】★★★(ちらほら)
【滞在時間】40分(狩り+飲食)
【URL】
窪田空穂記念館
くぼた うつぼ と読むらしい。
建物の入り口がどこか分からない。
石畳っぽいのが奥の方に続いているけれど、見た感じ物置な気がするなぁ。
物置じゃなかった、入り口だった。
暗くて遠めからじゃ見えなかったが、ちゃんと開館中って札が下がっている。
入館料は300円です・・が、消費増税後は310円になるそうです。
内装はけっこう新しい。床の黒光りと控えめな照明により厳かな気品を漂わせており、サンダルで来た人は後悔するかもしれない。革靴+スーツで出直そう。
展示内容は窪田空穂の半生の説明+書や書画+愛用品てなところ。
(18歳の空穂さん。右側)
1877年、松本の富農に末っ子として生まれた窪田空穂。
18歳で松本の旧制中学を卒業すると、親の反対を押し切ってほとんど家出みたいな上京をし、東京専門学校(早稲田)の文学科へ。
よほど文学の研究をしたかったそうだが、なのにわずか1年で挫折して帰郷。
親の意向で近隣の家に養子入りするのだが、やはり田舎暮らしが気に食わないのか1年で抜け出し、また上京して早稲田に復学する。
なんだか1年おきに脱走してますね、この頃の空穂が尾崎豊の『卒業』を聞いていたかどうかは定かではない。
これだから末っ子は・・(偏見)
ドロップアウトしかけた早稲田を、今度はちゃんと卒業する。
そのときの写真。
前から2列目、左から2番目が空穂です。
なお最前列、左から2番目は大隈重信です。
(空穂が結婚相手に送ったラブレター)
大学を出た後は代用教員のアルバイトを一時期やっており、そのときの教え子と結婚という大変不埒な行為をしている。
教え子との恋愛が上手く行かず悩み苦しんで、長編小説1本書いちゃった人も居るのに、だいぶ恵まれていますな。
そのときのラブレターが展示されていますが、書いた本人は100年以上も先に渡って自分の恋文が人にこのように見られるとは思わなかっただろうなぁ。
そしてこの手紙、けっこう長い。歌人は言葉巧みに女性を喜ばせるのでしょう。
とはいえ生活が安定していたわけではなく、就職した新聞社は経営悪化により2年でクビ。次に国木田独歩の立ち上げた独歩社に移るが、これも経営難で解散した。
2つ立て続けにやらかしているあたり、空穂さんあまり企業研究しなかったように見える。
あとジャーナリストって肩書で和装は、フォークとスプーンでザル蕎麦を食べるくらい違和感があるのでちょっと再考したほうが良い。
しかしここから挽回。
友人の誘いで『皇族画報』という企画雑誌を始めた。皇族の日常生活・儀式・服装から髪型まで扱う写真付きのファンブックだ。
それ需要あるのかと思いきや、当時は日露戦争のため国民のナショナリズムが高揚していた頃であり、企画は大当たりする。
ちなみに皇室専門誌は今日でも存在していて、皇族に関する情勢・最新情報を扱っている。K室さん情報があるかどうかは()
これから日章旗を掲げて黒塗りのドでかいトラックに乗り込み、日曜の昼下がりに大音量で市中を街宣して回ろうという皆様には必見の書となっております。
いや、そういう人はむしろ読んでないだろうが。
また読売新聞では現在でも「読者からのお悩み相談室」的なコーナーがあるが、その回答者を担当していたこともある。
「夫の帰りが変に遅い」「姑にいじめられる」「桑田の解説がおかしい」等、毎日ひっきりなしに来るお悩みに対して、「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり」とお得意の詩歌を生かして親身な回答をし、読者から好評を得ていたそうだ。
記者としても軌道に乗り出したが、詩歌の方では与謝野鉄幹(与謝野晶子の夫)に気に入られ、鉄幹が1900年創刊した雑誌『明星』に掲載される。
花形は与謝野晶子であったが、男性の歌人としては空穂も人気が高かったそうだ。
しかし与謝野夫妻の詩歌とは音楽性の違いがあったようで、寄稿は1年で止めてしまう。
(ファーストアルバム『まひる野』)
1905年に初の詩歌集『まひる野』をリリースし、『明星』への寄稿と合わせて、歌人・文学者として地位をあげて行った模様。
1910年前後は短編小説の本数が多くて、『炉辺』『旅人』という文集にまとめられた。
私も幾らか読んでみましたが、故郷や実家に関するネタが多いですね。
松本の田舎は嫌だ!って2回も脱走しているのに、ふるさとは意識から離れないばかりかむしろ「百姓気質が自分の血肉になってしまっていることを知った」みたいなことを述べている。
百姓気質ってのは、都会の洗練された自由な雰囲気とはかけ離れ、享楽を禁じ、ただ課せられた農作業を毎日こなすことを美徳とする農村の人々を示しているそうです。そんな自身や実家の人々をユーモラス&残酷に著している。
脱走騒動の前後で両親がともに亡くなっているので、そのへんのコンプレックス染みた点も題材。
なお小説自体はもう廃盤されるなどで、たぶん全集しか残ってないんじゃないか。
岩波文庫本が出るほど需要も無さそうだしなぁ。
こちらはゆかいな仲間たちの似顔絵だそうです。
高村光太郎(右下)、1980年代ならどの漫画にも1キャラはいそうな顔してるな。
左上の茨木猪之吉さんはアゴのしゃくれ角度がおかしくありませんかね。
ツラが長いことを強調するために2人だけ横顔にしているあたり、空穂画伯の悪意を感じますな。
(早稲田で教壇に立つ空穂氏)
数年間は小説メインだったわけだが、そのうち詩歌をまたやりたくなり、書き途中の中編小説『養子』を未完のままブン投げた。最後まで書け。
そこからは詩歌で地位を確立。ただ私は歌とんちんかんなのでその辺はスルーしました。まつもとや、ああまつもとや、まつもとや。
古典の研究でも名をはせるようになり、47歳で早稲田の教授に迎えられ、定年まで勤めた。
退職後も古典研究は続け、源氏物語の現代語訳をつくった。
もっとも1960年頃の口語訳が、現在も”現代語訳”なのかどうかは分かりませんが。
源氏物語の訳は谷崎潤一郎とか瀬戸内寂聴とか色んな人がやっているので、誰か全部よんで相違点一覧とか作ってほしい。
晩年の空穂。
本に囲まれて暮らしているが、某植物博士のお宅と比較すると、かなりスッキリしている。まぁ普通はこうだよね。
あとは遺品いろいろ。
使っていた机は意外と控えめ。
トランプ。大学の教え子とババ抜きでもしてたのかと思いきや、一人占いが好きでずっとハマってやっていたらしい。
源氏物語の読み過ぎで、女御の世界に入り込んでしまったのだろうか。
少女漫画とか渡したらハマっていたかもしれない。
さて、館内はおしまい。
記念館の対面に、窪田家の生家が現存しているのだ。
こちらだけなら入場無料である。
旧家だけあってご立派な佇まい。
館内には児童用の図書が幾らかと、あとは涼み場・遊び場となっている。
土間と入り口。
写ってないけど、土間のすぐ右手に一段高い畳の部屋があって、商家の窓口みたいな感じだった。
ここ農家なんですけどね。
お座敷。
庭には近くの水路から引いてミニ泉水となっている。
空穂の小説の中でこの庭は頻出する。東京では明治の時代でも自宅に池なんてなかなか持てないだろうから、思い出深かったのかもしれない。
まあ「子供のころに折檻された」だの「親が死んだ」など、実家はろくな登場の仕方していないわけだが。
襖には書画がばりばり貼られておりますが、景観条例的にこれで良かったのかな?
庭は奥の方まで続いていてパターゴルフくらいなら出来そうである。
おしまい。
※参考にした本
・『窪田空穂全集第4巻』角川書店
【交通手段】松本駅からバス(本数僅少)か、北新・松本大学前駅から徒歩20分
【入館料】300円
【滞在時間】60分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】
日本浮世絵博物館
大規模な城下町 松本にはお金持ちも一杯いたわけで、そういう豪商が趣味で浮世絵コレクションしたのを、この博物館では展示しています。
オーナーである酒井家は18世紀から収集を始め、19世紀には浮世絵鑑定業に乗り出し、さらに浮世絵専門雑誌の創刊・国際博覧会の開催まで行っている。
お金持ちは仕事だけでなく道楽でも食っていけるのだ。
市街地からは車で20分ほどの距離になるが、松本駅からタウンスニーカーというコミュニティバスが出ており、その「西コース」という路線で来ることができる。
なお西コースは短い用と長い用があり、博物館へは長い用になるので注意しよう。
1時間に1本。所要30分くらい。
貴重な美術品を展示しているにも関わらず、館内は撮影可能という珍しさ。
金持ちの余裕は違うのだ、伝統芸術を広めることが主たる使命なのだから。
(橋本貞秀『魚を獲る美人』)
展示品は40点ほどあったと思いますが、企画でコロコロ中身を入れ替えているようです。
夏の時期なので、団扇に描かれた涼味のある絵をこのときは展示しておった。
こんな精巧な絵が載った団扇なんてもったいなくて使えませんが。
(橋本貞秀『東都両国ばし夏景色』)
この橋本貞秀って人の作品が何点かありましたね。
江戸末期~明治にかけて傑出して有名だった浮世絵師で、日本が初めて参加した1867年パリ万博にも出品しているくらい。
特徴としては、このように全体を俯瞰して用紙を何枚も使って描く大規模パノラマ絵。
夏の両国の祭り模様を扱った風物物ですが、しかし橋の上の人口おかしくないですかね。コミケかな?
人を描くというより、延々と〇を並べまくっており、雑なんだか難しいんだか。
まさか実際にこんな混雑具合が起こっていたのだろうか。
もはやパニック映画だな。バイオハザード2である。
あまりの混雑からなんとか抜け出して屋形船に出られた人も、こっちはこっちで大渋滞。
この部分だけ切り取って「壇ノ浦の戦いです」って言っても外国人には通じると思う。
沈没してドザエモンになった船乗りもいます。
やっぱり人混みにはいかないほうが良いね(こなみ)
(歌川国芳『曲独楽 奥山伝司』の一部)
あとは夏関係あるかどうか知らんが、大道芸を描いた作品集が面白かった。
1840年代、驕奢を禁じていた天保の改革が失敗に終わったあとに両国や浅草でパフォーマンスものがニョキニョキ発生したようだ。
しかしこの独楽とヒモの動き方は反物理的すぎますね。
(2代目歌川国貞 『大阪下り早竹虎吉 江戸の花木舞渡り』)
1本綱の上で悠長に傘をさしている芸人の図。
綱は左右に居る子方2人が上から引っ張っているだけで、下には支えがない。
その子方も足を木に引っかけてバランスをとるという危ういことこの上ない仕組み。
(落合芳幾『大阪下り桜綱駒寿 木枕渡り』)
これは積み上げられた赤黒の木枕の上を傘さして渡って歩く無謀な行為をする方々。
後ろの人は、ご丁寧にも渡り終えた枕を後ろ足で蹴り崩して観客の恐怖感を煽る演出になっている。
なお地上からの高さは180㎝以上あったそうです。
現代でも面白く見られそうなサーカスですね。
(歌川国貞『籠細工 関羽』)
最後の絵は、竹で編んだ籠目を用いた人形をモデルにしています。
1810年代に浅草寺で見世物となったこの関羽は、高さ6.6mもあって見物客も大盛り上がりだったそうな。
6.6mって、さすがにそれは鬼神軍神の関羽でも巨大すぎやしませんかね。4mくらいまでなら「あぁ、いつもの関羽だな」妥協できるかもしれませんが。
ということでした。
絵よりも絵の題材についてばかり書いてしまったが、当時の風俗を記録するのも浮世絵の重要な役割なので、その辺を楽しんでもなに気にすることはない。
おしまい
【入館料】1000円
【滞在時間】60分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】