城願寺 ビャクシンと土肥一族の墓所
城願寺には、源頼朝の武将であった土肥実平一族の墓所と、巨大なビャクシンがある。
位置的には湯河原駅のすぐ北側なのだが、湯河原駅には南側にしか改札が無いので、ぐるーっと回って行くことになる。
まあ10分もあれば着くが。
民家が並ぶ中、とつぜん鬱蒼とした参道。
湯河原町郷土資料館の記事でも書いたが、土肥実平は源頼朝の立ち上げ時から付き添いをし、房総への逃避行や平家との戦で功が大きい武将である。
山門。
参道の階段を登りきったところ。
左側には鐘と、何重だかの塔(計算放棄)
写真撮ってください的な枠。
「ビャクシンパワー」と書いてあるが、後ろに何もないんですがそれは(困惑)
この日は平日だったので、土日には恐らくビャクシンの前に置いてあるものと思われる。
湯河原のパワースポットはあと2つあるらしい。
まぁしかしパワースポットって、言ったもん勝ちな気がするが。
ちなみにこの枠で写真を撮って、該当の店に提示すると、いろいろお得なサービスがあるらしい。ひもの割引になるとか。
ただし12月半ばまで。
で、グーグルマップにも名前が載っている例のビャクシンはこれ。
すぐ隣にも大きめの木があって紛らわしいが、これではないので注意。
根元がやたらツイストしているのが、本物である。
たしか郷土資料館によると、由来としては
1.この場所には小さな持仏堂があった。
2.源頼朝に付き添って土肥実平が出征するとき、ビャクシンを植えていった。「I'll be back」と言ったとか言わなかったとか。
3.平家を討伐して本当に帰ってこれたので、持仏堂を改修した。これが城願寺のはじまりはじまり。
というわけで、伝承が正しいとすると、この木は12世紀から存在するわけである。
たまげたなぁ。
これは七騎堂である。
源頼朝らが石橋山で敗れて房総に逃げ落ちる時、頼朝を助けて従ったのは7騎いたので、彼らを記念する堂である。
7騎のうちの一人は、土肥実平である。
実は8騎いたんだけど、船で房総へ逃げる時に「8だと縁起悪いから誰か降りろ」と頼朝が命令し、土肥実平が同じく付き従っていた息子の遠平を降ろしたという話になっている。
やっぱ権力者ってクソやな(適当)
はぇーすっごい。
本堂。いつの建築かは分からんらしい。
たぶんリフォームしているせいで古く感じないが。
土肥実平が持仏堂として建立したこの寺は、
・戦国時代に曹洞宗として復興
宗派変えすぎなんだよなぁ。
寺院の生き残り戦略だし、まあ他宗教になっているわけではないから、多少はね?
お墓の奥に進むと、土肥一族の墓所がある。
これ。
墓というか、供養塔である。
6つ並んでいるが、中央左が土肥実平で、中央右が息子の土肥遠平。
遠平くんは頼朝によって船から降ろされたが、平家にやられずに生き延びたらしい。
実平の左・遠平の右にあるのは、それぞれの妻であるとのこと。
一番右奥の四角いのが気になる。
そもそも土肥実平は平家討伐後は息子ともども広島に転勤しており、そのあとの行動はいまいち判明していない。
死後は分骨されて、この寺にも納骨されているという伝承ではある。
ヤマトタケルや空海ほどではないが、「どこでも実平」的な感じがする。
以上。
【交通手段】湯河原駅から徒歩10分
【料金】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】