浅間火山博物館、非常食レストラン
浅間山についての火山博物館です。
しかしすごい霧だ。おかげで『未知との遭遇』のUFOみたいに見えるな。
アクセスは通常もとい9.99割は、車だと思います。私もです。
軽井沢or万座方面から鬼押ハイウェイという自動車専用道路(有料)を通らないと来られない仕組みになっているので。
以前は博物館前にバス停があったそうなのだが、もう無いようです(チーン)
公共交通勢は万座鹿沢口駅or軽井沢駅から、隣の鬼押出し園までバスで来て。そこから徒歩かな。
ただこの周囲はすべて自動車専用道路のはずなので、歩いていいのか限りなくブラックに近いブルーでありますが、まぁそんなに交通量があるほど賑わってな(略)
入館して目前は物販広場になっております。
左手に非常食レストランがありますので、あとで来ます。
火山博物館は「鬼押出し浅間園」という施設の一部として成っている。
岩がゴツゴツの「鬼押出し園」とは名前が似ていても別物。こちらは東急グループ・あちらは西武グループが設立したものであり、双方は仲が悪く、隣り合う施設であるにもかかわらず自身の観光案内に相手のことを載せていないってレベル。
インドとパキスタンみたいなものです。
それにここは嬬恋村なのに、この施設は長野原町の運営なのね。ますます意味分らん。嬬恋村は長野原町に侵略されたのか。キャベツが八ッ場ダムに負けたのでしょうか。
火山博物館は入場料600円。
入り口が岩で装飾されていて、ちょろっとテーマパーク感があり、おらワクワクするぞ。
中はどうせハリボテだろうと思ってたら、案外ちゃんとしていた。
岩石だらけの道のりを進みます。地底に向かう、という演出なようです。
いきなり暗くなって、怪しい通路が現れた。
「心臓の弱い方はご遠慮ください」と物騒な注意書きがされてますが何なのでしょうか。怖いのはやめてクレメンス(本音)
結論を言うとこの通路、ゴーゴーと岩石の動く音がしている以外、特にありませんでした。チープなお化け屋敷特有のプシューって空気浴びせるやつも何も無かった。安心した(本音)
通路を抜けるとボルケーノしていた。火事だ!(違う)
ここがどうも地底のようです。ボコボコとマグマの煮えたぎる音も聞こえます。センターオブジアースや。
振り返ると謎の宇宙船がいる。あれ、ここ地底では?
建物の外観も未知との遭遇だったけれど。火山ミーツ宇宙をテーマにしているのでしょうか。
宇宙船じゃなくて地底探索船というものでした。地中に潜って地球内部を冒険するぜ!ってやつ。映像シアターでその探検模様を楽しむことができます。
5年に1本くらいそういう映画ある気がする。
地中のマグマに突っ込んでいるシーンです。1分くらい続きます。
どうみても『2001年宇宙の旅』の終盤の、あのめちゃめちゃ長いシーンである。
やっぱり宇宙じゃないか。
マグマを抜けると恐竜の時代に来てしまいました。なんだそりゃ。
唐突に登場した恐竜の姿はCGというよりもディアゴスティーニの模型をドアップで写した感が強く、話の豪快な展開と合わせて思わず爆笑してしまった。
こういうのを通して、平成という時代について子供たちは学んでいくのですね。テクノロジーの過渡期です。
奇妙な一連の演出を見終えて、資料ゾーンにたどり着きました。
浅間山の形成・噴火の歴史を扱っております。
ここまで見てきたものは知識として何一つ頭に入らなかったが、ちゃんと復習しよう。
浅間山は過去に盛大な被害をもたらしてきた活火山で、さりげに2019年8月にも噴火した。こわいって。
最たるものが1783年のもので周辺住民1600名以上を犠牲にしている。
そんなわけで絵画でも凄まじくボルケーノしており、浅間山以外の部分はテキトーに線引いているのにたいしてテンションが違いすぎますね。
日本昔ばなしみたいなアニメーションも放映されているが、だいたい生き残れないので悲惨な顛末になっております。
陰ってしまってますが、噴火の跡から見つかった寺院の鐘。
噴火から130年ほどあとの1910年に発掘されたもの。
端が思いっきり凹んでいて、梵鐘というよりサンドバックである。
そんな活発な浅間山については噴火の予兆をすぐにでも察するため、火口にカメラが取り付けられて常に監視できる体制になっております。
・・のだが2009年の噴火でカメラが壊れたらしいので、イメージ映像でお楽しみくださいになっている。
気象庁ではとっくに別のカメラが稼働しているようだけれど、この博物館用のカメラは復元されなかったようですね。節約節約。
展示室を抜けて、上の階に来ました。
あれ、とつぜんチョウチョになったよ。火山はおしまいのようです。
浅間山周辺の豊かな自然環境を示す模型が並んでいるんですが、よくみると妙にグロテスクだよ。
これとか鷹?がウサギを捕らえて岩で打ち殺し、肉を啄み始めているし。
よくわかるようにシルエットでも説明されているんですけどね、いっそう残酷さが増してますね。こんな構図にする必要があったのでしょうか。火山を見に来て動物界のえぐいシーンを刻まれるとは思いませんでした。
博物館おしまい。
さて、なんと施設の中に非常食レストランなるものがあるのだ。その名も「華山」。
いろんな非常食を試せるのかな?楽しみですねぇ。
さっそく行ってみましょう。
あれ、人っ子ひとりいない。
これ土曜の12時くらいなんですが。
というか客以前に店員さんすら姿がありません。
一体どういうことかと、レストランから出てお土産コーナーの店員さんに訊いてみた。すると・・
店員さん「その辺(お土産コーナー)にある非常食を買って、レストラン内に持ち込んで、セルフでお湯注いで食べてください」
それレストランじゃなくて、ただのイートインじゃないか!
もう極限的に食べる気持ちが萎えてしまった。
ちなみに私は幾つか非常食を試したことがありますが・・非常のとき以外は食べる気にならんかな。アルファ米は確かに不味くはないけど・・普段食べたいかって言われると、ねぇ。
そしてレストランの入り口付近、よく見ると「レストランしゃくなげ」って書いてある。あれ、「非常食レストラン華山」が店名のはずでは。
もしや元のレストランが採算取れなくて撤退したから、人件費掛からない非常食イートインスペースにしたわけか。なるほど(脱力)
というわけで、レストランの文字に注意を取られてここで昼食を取ろうと思った人は、だいぶダメージを受けると思うので、よく調べてからこよう。
私は「そば処みのり」という蕎麦屋で食べました。旨かった。
おしまい
【交通手段】軽井沢駅か万座鹿沢口駅からバス、鬼押出し園から徒歩。
【入館料】600円
【滞在時間】60分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【URL】浅間火山博物館 長野原町営浅間園
鬼押出し園
1783年に浅間山が盛大に噴火し、火砕流が爆速で周囲に噴出。
1600人以上の犠牲者を出し、わが国最悪クラスの災害となりましたとさ。
流出した溶岩は冷えて固まり、ゴツゴツとした無骨な地形を跡に残しております。
それを観光地にしたのが、鬼押出し園です。
殆どの方は車で行くと思うんですけど、電車で来る場合は軽井沢駅・万座鹿沢口駅から西武バスですな。1時間~2時間に1本程度。
万座からだと10分で着くが、軽井沢からだと40分以上で1200円もするので、2000円の乗り放題切符がおススメ。
www.princehotels.co.jp(鬼押ハイウェーのHP)
私は車だったんですけどね。
鬼押出しって、西武グループが整備している「鬼押ハイウェー」という有料道路を通らないと行けないようになっていて、もれなく課金されます。300円前後。
鬼押出し園自体が西武グループのものなので、そういうことです。箱根と一緒です。
課金した分で道路の整備をしてるんでしょうけど。山の上だから維持にお金かかるし、(いちおう)別荘地帯だし、遊びに来ている連中は金持ってるから負担してもらいましょうねってことでしょうな。
この程度の金額であれば理解は得られるであろう。まぁでもfull of shitだな
というわけでアクセス料とは別に、入園料で650円なり。
ところでこの日はめちゃめちゃ霧が出てたんですよね。ぜんぜん前が見えません。サイレントヒルかな?
道路も視界最悪なので、ドライバー勢は気を付けられたい。盛大にバスと衝突して半壊している乗用車が実際いましたので。
標高も高いので9月に行ったのに気温10度くらいしかなくて寒いでござる。
お土産ショップではお茶の試飲ができます。トウガラシ梅茶は梅の風味が豊かな中にカプサイシンがピリリとしていて寒い日に良い。
しいたけ茶は、お茶というよりお吸い物レベルの味の濃さであった。もはや食事。
売店のオバちゃん曰く「この程度の霧は珍しくない」とのこと。さすが標高1,000m以上だな。
「幻想的っぽくて良いんじゃないの」とも言われた。見方によってはそうかもしれん。岩場を山として捉えれば天空っぽいし、凶悪なクリーチャーも出てきそう。
あ、この岩たちは例の大噴火で流出してきたものたちです。
園内はグルーっと1周してくる形なんだけれど、3つのコースがあります。
ショート・普通・ロング。ショートは全長1km程度、ロングは2km以上。
そんなたいした距離ではないし道はスロープになってますが、そもそも岩場なんで傾斜はあります。まぁまぁ疲れます。
私は疲れたくないのでショートにしました(弱)
道中に休憩所もあるけれど、形がこれまた岩になってますね。
急な噴火が起こっても、この岩の中に隠れれば安心です。横からの砲撃以外は。
園内最大のフォトスポットらしいですが、当然のように霧で見えず。
奥にみえるぼんやりとした建物は寺院です。
貧乏神神社みたいな適当なものかと思ったら、噴火の犠牲者を弔ったちゃんとした寺院だった。すみませんでした。
御朱印も貰えるようです。
寺院からは眼下が見渡せるのですが、霧のため(略)
境内の鐘は自由に突くことができます。どうせ1突き100円とかだろと思ったら、無料です。西武グループも金取るところとそうでないところの区別は付けてるんですかね。
ショートコースだとこの寺院がピークポイントです。よってあとは下るだけ。
下りてきたら巨大要塞が出てきましたが、これはレストラン。
1000円あれば足りるメニューだったはず。そこまで観光地価格ではなかった。
最後に顔ハメ看板に気づきました。
・・どこにはめる部分置いてるんだ?鬼の股間になってるじゃないか。股から顔だせというのか。鬼押出しってそういう意味だったんですね。
おしまい
【交通手段】軽井沢駅か万座鹿沢口駅からバス
【入場料】650円
【滞在時間】60分
【混雑度】★★★(ちらほら)
【公式URL】鬼押出し園
【すぐ近くのスポット】
木祖村郷土館
木祖村の郷土資料館です。薮原駅から徒歩10分。
木祖は、木曽川の源流があるので木曽の祖、という意味だそうです。
すぐ隣に木曽町があって、読みはともに「きそ」であるから大変ややこしい。どっちかもう少し譲歩できませんでしたかね。
ちなみに県内には他にも、「松川町(伊那)」と「松川村(安曇)」が全く別個で存在しており、私は混乱したことがある。
長野県の各自治体は神聖ローマ帝国の領邦君主ばりにいがみ合っているので、このように名称でも譲れない戦いが生じているのでしょうな。
しかしこの資料館、まず周辺に人の気配が殆どない。
館の名称を刻んだ塀もツタによって覆われていて、まぁまぁ廃墟感を醸している。
当然のように建物の玄関には鍵がかかっていた。中に入れません!
インターフォンがあるので押しましょう。隣に木祖村民センターがあって、そこの従業員さんが駆けつけてきます。
いちおうこの資料館は3月~12月まで、月曜以外開館ということになっている。
実態上は「客が来たら開ける」ってところですね。それもう休館日設ける必要ないのでは。
さて入館です。中は意外と清潔であった。掃除はしているのだな(失礼)
料金は300円です。
木祖村の特産は「お六櫛」。普通に櫛ですが、お六という女性に関わる伝承があるのだ。
妻籠の旅籠で働いていた美しい乙女だったが、“頭の病”を抱えていた。神社に詣でたところ「ミネバリの木で櫛を作って毎日髪を梳かせ」とお告げがあったのでその通りにしたら、病気は治りましたとさ。めでたしめでたし。
(板をのこぎりで切って櫛の歯を作っているところ)
まぁその伝承に基づくお六櫛がヒットしたので、周辺の村でも真似して製造してたら、本家に勝る勢いで産業化したってことですかね。
あと、お六がかかっていた「頭の病」ってなんだろう。精神病や脳卒中は櫛なんぞで治らんから、偏頭痛とか脱毛症だったのかしら。ストレス多そうだね、お六。
櫛を削るのこぎり。
さっきの写真でも見たが、割と大きなのこぎりで、わずか10cm幅の板を削って100本もの歯を作るのであるから高等技術である。
薮原宿は木曽路の主要な宿場町の1つであったので、善光寺や御嶽参りの人々が通行し、土産物で買っていったそうな。木曽路を歩くのは外国人に今ウケているから、お六櫛の再ブームもワンチャンあり?
櫛の神様というのもいて、薮原神社内にある八品社に祀られている。
もしや何処かの達磨寺や招き猫寺みたいに、使い終わった大量の櫛が並んでいるのではと期待して実際に行ってみたのだが、まあそんなことはなく普通に神社であった。
木立の中にあるので、涼しげで厳かな雰囲気のところであります。 資料館から徒歩10分ちょいの位置。駅からは20分くらい。
その薮原神社では毎年7月に祭りが行われ、獅子舞が登場するらしい。
19世紀初頭に掛かれたこの図絵にその模様が書かれているのだが・・獅子舞、巨大すぎやしませんかね。
いったい中に何人いるのでしょうか。もはやパビリオンではないか。
木曽川の支流で味噌川ってのがあるんですけど、その流域に植生する「味噌川草」は薬草として使われている。
シーボルトら西洋学者の手にもわたって世界に紹介され、「ネペタ・シュブリスシリス」という学名が付けられた。あれ、味噌川要素は無かったことにされてしまった。
唐笠連判状は、何らかの重大ごとを役人に秘めつつ皆で決断するものだと思いますが、この連判状は何に使われたか分らんそうです(脱力)
ヤマセミのはく製。すごい髪型しているな。ボウイの氷室?
これで館内はおしまいです。
最後に、これは正確には郷土館と関係ないのだが、すぐ隣りに木祖村商工会の建物があって森林鉄道の車両が置かれているのだ。
木材を伐採して車両に積んで運び出すもの。
貴重なものとは思うが扱いはだいぶ雑な感じで、窓ガラスは割れているし内部はこのありさま。バイオハザードで遺棄された町の有様かな?
なお森林鉄道は今でも木曽の上松町で走っており、乗ることができます。
というところでした。
たぶん年間5人くらいしか来客無い気がするので、いつ廃止になるか分らん施設ですから、興味がある方は今のうちに行っておこう。
おしまい
【交通手段】薮原駅から徒歩10分
【入館料】300円
【混雑度】★(だれもいない)
【滞在時間】30分
【URL】
高瀬資料館(島崎藤村『家』のモデル)
島崎藤村の姉の嫁ぎ先。
藤村はよく遊びにきていたようで写真やら手紙やら言い伝えやら沢山残っており、小説『家』では重要な舞台としても登場する。つまり”聖地”です。
『夜明け前』にも出てくるそうだが、私はそちら未読なのでスルーでお願いします(歎願)
そういうのを展示する資料館としてオープンしているのだ。木曽福島駅から徒歩20分ほど。入場料は200円。
資料館として建てられたわけでなく、民家が敷地内に資料室つくってやっているわけななので普通に人が住んでいる。
入り口の門をくぐると縁側があり、チャイムを押せば館員さんもとい高瀬家の方が対応してくれます。
ちなみに館内展示やパンフレットみるかぎり高瀬さんはハシゴの「髙」が本名みたいですが、資料館は常用漢字の「高」で書かれているので、そちらで表記します。
資料室はこちらの蔵で、もともと建っていたのを内装チェンジした模様。
『家』という小説では、主人公の姉の嫁ぎ先である”木曽の橋本家”の人々が主たる役割で登場するのだ。まんま高瀬家のことである。
冒頭では裕福な地方の大家族としてわいわい楽しげにやっているけれど、話が進むにつれて陰惨な展開になってくる。事業は失敗・当主は芸者と浮気して家出・跡取り息子は東京で放蕩した挙句に仕事もうまくいかず、最後は病で若死。
姻戚をモデルにその家の没落と離散を描くって、よく高瀬家の人は許してくれましたね。普通ならぶっ飛ばされて出禁である。
(資料室内にある高瀬家&藤村の写真)
まあ構想についてはあらかじめ高瀬家の当主である兼喜氏(2の人)に話して、了解を貰っていたのかもしれない。
当時の小説は自費出版が当たり前だったそうだが、藤村に資金を出してくれたのも高瀬家であったそうな。文学への理解があったんでしょうな。
あ、写真の1の人が藤村ね。
兼喜氏も『家』に「幸作」というキャラで登場している。ただこの幸作って、当主役ではなくて若い手代なんだよね。ポジション合ってなくない?
しかし小説内の当主である橋本達雄は、困窮する我が家を尻目に芸者と浮気出奔するウルトラ畜生なので、そんな位置に資金繰りの恩人を置けないわな。
当時の写真は館内に何枚もあるのです。
こちらはもう少し若い時分のもので、後列の左から三番目が藤村。
先ほどの写真と比べると、みんな目線が分けわからん方向に向いているので、まだカメラ慣れしていない時代だと思われます。
手紙のやり取りもよくやっており、藤村からの年賀状が届いている。
「島崎春樹」ってのは本名ですな。直筆の書類は他にもあって、掛け軸や詩文も寄せられていた。
藤村関係以外にも展示物はあって、目立ってたのは1927年の大火事ですかね。
このあたり一帯が盛大にファイアーして焼け野原になったという事件。
写真は火事以前の高瀬家です。木造だね。
それが火事でこんなんになりました。白い枠で囲われている左下が高瀬家の位置。蔵以外のこっとらんな。町も木造家屋は全滅状態である。
現在の高瀬家は蔵やコンクリートの堅牢な建物からなっているが、火事の教訓から出来たもの。
ただし高瀬家は神道ということなので、敷地入り口には神社の鳥居を象った装飾が施されている。記事冒頭の写真に写ってます。
高瀬家自体がかなり歴史ある家柄で、先祖をたどると藤原氏・九州は肥後を支配していた菊池家につながり、大坂の陣にも参戦している。その頃はさすがに大名ではなくて、木曽の一士官。
というわけで、大坂の陣の布陣見取り図や兵法書など、高瀬家に関わるオリジナルグッズも展示されております。
資料室おしまい。庭を見ます。けっこう広くてバスケコートくらいは作れそうである。
庭からは中央線の線路が見られる。電柱ですが。
もとの高瀬家の敷地はあの線路を含めて向こう側まで続いていた。さっき資料室で兵法書を見たけれど、高瀬家では砲術や弓矢の指南をしており、向こうの土地ではその訓練を実施してたそうな。自宅で大砲ぶっ放すのか。
しかし藤村らの時代に、その土地の真ん中を突っ切る形で中央線の線路が作られてしまった。今だったら用地補償とかあるけど、当時はお上の命令絶対なので強制没収である。あらあら。『家』でも少し触れられております。
おしまい
【交通手段】木曽福島駅から徒歩20分
【入館料】200円
【混雑度】★★(他に2~3人)
【滞在時間】45分
【URL】公式サイトは無いので 木曽おんたけ観光局のページ
木曽観光文化会館(まつり会館)
ちょっとした資料室+休憩所っていう場所です。
入場無料。福島宿の古い家屋が並ぶ「上ノ段地区」にあります。散策にへばり疲れた観光客用です。
グーグルマップだと入り口が分かりづらいのだけれど、東側の道路から入るのが正解です。西側からは高低差があってダメですので要注意。私は西側から最初いってしまって施設が見つからず、彷徨ってしまいました。
「自動茶屋」って看板出てるんだけど、中にあるのは自販機だけで、売店はない。どうしてこの名称にしたのか。正直に「自販機」って書きたまえ!
売店らしき建物自体はあったのだが、行ったのは土曜の昼間だったのに、開いていなかったのだ。だから、たぶんずっと開いていないのではないか。
入館して早々出くわすのは神輿。でかい。
この地域にある水無(すいむ)神社の例大祭で使われる・・もとい放り投げられるものである。
神輿を投げる?
祭りの1シーンです、神輿が担がれていますね。担ぎ方が明らかにおかしいし、上段の2人は立花兄弟のスカイラブハリケーンでもやるのだろうか。
7月22日・23日に行われる例大祭は「みこしまくり」と呼ばれ、神輿を地面にブン投げまくって全壊するまで続けるという意味の分からん内容である。
どうして長野県は 巨大なご神木を引きずり倒して挙句に死者が出る祭り とか 全長12mの木組み船2艘を正面からぶつけ合う祭り とか、破壊的な神事が多いんですかね。
祭りの様子は動画でいくらでもあげられてますが、本当に神輿を地面に叩きつけてるよ・・
もちろんですが日ごろの鬱憤を晴らすためにやっているのではなく、ちゃんと宗教的な由来があってこの形式になっております。
水無神社は飛騨国一宮 水無神社を勧請したとされる。飛騨の方の神社が戦火に巻き込まれて焼けそうになっていたところ、宗助・幸助という2人の木こりが御神体を脱出させて木曽まで持ち込んだのだ。
その途中、奪い返そうという連中が現れてもみ合いになり、御神体が転がり落ちてしまったのだがそれが木曽方面に向かっていった。神は木曽を選び給うたのだ。
という伝承をモチーフに、神輿ぶん投げ祭りが誕生したと言われている。いやそれにしても飛躍しすぎではないか。御神体は偶然に落下したのであって、投げつけたわけではないのだぞ。
「そーすけ・こーすけ」という奇妙な掛け声が祭りのあいだ叫ばれているが、それもこの話から来てるんですね。
映像や写真を見る限り、祭りの参加者は昔の方が多かったみたいだが、にしてもこの人口密度で神輿投げるの危なくないですかね。「ケガする方が悪い」って言われる時代かもしれませんが。
祭りの模様は館内でビデオ放映されていますが、なぜか音声も字幕も英語なのよね。日本人は自分で調べろってことでしょうか。もしくは祭りに出て「最後は君の眼で確かめよう」ってことでしょうな。
もうひとつ展示されていたのは、木曽踊り。「なかのりさん」ってやつ。
一地方の祭りで歌われる民謡でありながら、レコード化されて全国的な知名度を得た。
・・だそうです、知ってますか皆さん?私は初めて知りました。
木曽福島にある中善酒造が「なかのりさん」っていう酒を売っているのは知っていましたが。「なかのりさん」旨いよ、おすすめ。
というわけで「みこしまくり」と木曽踊りが2大展示なんだけれど、それでもまだ展示スペースが余っているので、昔の道具とかテキトーに置くことで場所が埋められております。ビール瓶よりも適切な展示品ってなかったんですかね。
おしまい
【交通手段】木曽福島駅から徒歩20分
【入館料】無料
【混雑度】★(誰もいない)
【滞在時間】30分
【URL】木曽おんたけ観光局HP