渋沢栄一記念館
まるでパルテノン神殿のようだ、まぁ柱がでかいと全部そうみえるけど。
ずいぶん大きな博物館だと思ったのも束の間、入館すると資料室が左手にぽつん。
正確にはこの施設はコミュニティセンターのようであり、体育館が併設されている。
その中の一角に、資料室があるというわけ。
だから「記念館」ではなくて、そのまんま「資料室」と名乗った方が正しい。
これは景品表示法違反ですな(訴訟)
渋沢栄一の半生については渋沢史料館の記事で書いたので、ここでは気になったものをピックアップするにとどめます。
彼は藍玉の取引をする商家の生まれでしたね。
渋沢家が作成した、藍玉農家の番付。
藍玉農家が渋沢家を来訪したとき、この番付を見せて、「誰誰のところは良い藍玉を作るので大関、お前のところは微妙だから小結な!」とかやっていたようである。
記念館さんサイドによれば「優秀な農家を表彰することで、他の農家も奮起させた」旨の説明があったが、見方を変えれば大手卸売業者による中小製造元いじめとも捉えられますな(公正取引委員会)
藍玉農家を裁くということで、行司は渋沢家。
「栄一郎」が渋沢栄一。
番付作成時は23歳だった。
この地域では獅子舞イベントを毎年やっており、渋沢栄一も12歳の時に演者としてプレーした模様。
獅子舞といいながら、頭は竜の形をしているらしい。
獅子=龍(新説)
ふっかちゃんばかりが持てはやされる深谷市ですが、違うキャラもいるようです。
その名も「出世ぼーや」。
うーん、既にフラグがたってないかい?
渋沢が設立・経営に関わった会社の一覧ですが、多すぎる上に大企業ばかりなので、平民の私は委縮してしまいます(こなみ)
(財界を退いた後だというのに、東京市vs東京ガスの料金バトルの調停に引きずり出される渋沢氏)
いろんな企業・業種に関わりすぎたので、いずれかの分野で何か問題が起こるたびに、意見を求められたり、調停を任されたりするのであった。
これじゃあ休む暇どころか引退している暇もありませんね。
偉い人なので、とにかくサインもとい揮毫を求められた模様。
あちらこちらにありますな。
きっと記念館側は他にも隠し持っているだろう。
新聞記事。
なんと渋沢栄一が1000円紙幣になっていた可能性があるらしい。
伊藤博文との争いだったとなると、時代としては1963年のこと。
ヒゲのある肖像の方が偽造防止技術にとっては良いということで、伊藤博文になった。
功績とか人徳とかではなく、ヒゲの差。
現金だなぁ、現金だけに(審議中)
我慢できずに、渋沢の紙幣を作ってしまっている。
しかも千円札どころでは無く、10万円札。
開運や家内安全など、お守り要素さえ付け足している。
ずうずうしいぞ!笑
展示室の2Fにあがった。
またまた渋沢の書。
はいはい、字うまいの分かりましたって。
あとは渋沢の従兄にあたり、富岡製糸場の初代所長を務めた尾高淳忠の屋敷にあった、養蚕関係の資料。
資料と言っても尾高は商家だから、販売記録とか総勘定元帳とか、100%経理~な書類ばかりなのであった。
歴史好きの会計士くらいじゃないと興味もたれなさそうである。
出口はこちら。
と思ったら、渋沢の肉声の録音を聞けるらしい。
渋沢の場合は「栄一翁」と敬称が付けられることが多いのだが、この記念館はもう「栄一」と呼び捨てである。
なんとまぁ馴れ馴れしいざます。
その音声ブースがあるところ。
これがそれ。
ボタンを押すと、4分にわたる渋沢のトークが流れ出す。
83歳のときの講演なので滑舌もそうだが、当時(大正時代)の録音技術も相まって、何言ってんだか良く分からない音声になっておりますが、まぁ時代の雰囲気を感じ取ってください(まとめ)
DVDもありますので、1時間に1本の駅行きバスを逃したときにどうぞ。
以上。
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】