さいたま市立漫画会館
さいたま市漫画会館は、漫画資料館である。
漫画会館というワードに楽しさや賑やかさを想像して来た人は、現地に着いて唖然としたかもしれない。
とりあえずワンピースとかは関係無さそうな雰囲気である。
どう見ても公民館です本当に(以下略)
エントランス。
受付には館員がいたが、あまり来客には興味が無いようだった。
あふれる行政施設並感。
この会館は、漫画家である北澤楽天(1876-1955)を記念するための建物である。
楽天と言っても三木谷の親とかではなく、日本漫画の親と呼ばれている人である。
この土地には実際に晩年の北澤楽天が住んでおり、こんな感じで書斎があったらしい。
レトロチック。
晩年は漫画ではなく日本画を描いていた。
展示室への廊下。
うーんこの(役所建築)
常設展示。
ここで初めて、北澤楽天についての説明。
北澤家はここ大宮では名家であったようで、裕福(察し)な楽天くんは日本画や洋画を幼少期から学んでいたと思われる。
就職した横浜の新聞社では、オーストラリア人が漫画担当をしており、そこで漫画にハマった模様。
オーストラリア人はナンキベルという青年で、風刺画がお得意だった。
楽天はこの人から技術を学び、ナンキベルが退社した後は後を継いで漫画担当となる。
当時はまだ「漫画なにそれ美味しいの」レベルの時代だったが、ニュースを分かりやすく伝えるためであったり風刺として、漫画がここから導入されていく。
福沢諭吉の創刊した「時事新報」に移り、ここでも漫画を担当して評判を博すと、29歳の時には風刺漫画雑誌「東京パック」を立ち上げた。
「パック」というのは、楽天の恩師ナンキベルがアメリカで編集長を務めていた雑誌であり、お名前拝借である。
こんな感じで当時の漫画が展示されているんだが、タイトルが枠縁の端っこに印字されており、気づくのに一苦労する。
まぁ当時の風刺なので、何を描いた絵なのか現代人には判別しづらいっすね(諦め)
これは座布団1枚もの。
楽天が当時出版した、絵の教本。
これであなたも昭和の絵描きである
お写真とか備品とか。
日本画家だった時代もあったので、陶器に絵付けもする何でも屋さん。
漫画が登場して間もないころの人なので、風刺漫画や雑誌を通して漫画の地位を向上させたという点で「日本漫画の父」と呼ばれる。
彼の時事新報は長らく高い人気を誇っていたが、50代になる1930年頃から他の新聞社も漫画に力を入れるようになり、様々な漫画家が台頭しはじめ、代わりに楽天の方には陰りが見え始める。
公式HPに載っているが、代表作の一つ「とんだはね子」さん。
名前がまんま過ぎるが、主人公の動きも名前のまんまなようである。
これまた少女を主人公とする漫画の走りであり、サザエさんの人に影響を与えたという。
確かに初期のサザエさんはトムアンドジェリーなみの修羅場だったからね。
漫画コーナー。
思ったより新しい雑誌だった。
コミックボンボンとかだったらどうしよう(廃刊)
漫画界のパイオニアということで、鉄腕アトムはじめ多くの漫画家のリスペクトを受けている。
また人気が陰ったあとは自分で筆を取るよりも、後進の漫画家を育成することに力を注いでいた。
隣の部屋は企画展。撮影は禁止。
このときは時代ごとの楽天の絵を、特に風刺画に絞って展示していた。
やっぱり風刺画(当時)なので、よほど解説が無いと、今の人間が見ても意図が掴めないということは内緒である。
あと、「ご自由にお持ち帰りください」がやたら多い。
このポスターじみたやつとか。
エントランスにもパンフレットがわんさかあり。
けっこう分厚い本とか、スタンプとかあるけど、これらも本当に持って帰っていいのだろうか。
ここまでくると手厚い歓迎というより、投げ売り感がハンパない。
庭にも出られます。
池もある。
あまり綺麗じゃないね(想定内)
庭から建物を見て、公民館っぷりを再確認。
テラスもあるけど、室外機に囲まれています。
と、いうことでした。
ちなみに2Fには漫画資料室があって、5000冊もの漫画が置いてある。
公式HPで蔵書が見られるけど、どうせ昭和50年代くらいまでの本しかないだろうと思ってたら、案外最近のもあった。
その割に館内に子供の姿はなかった模様(憐憫)
以上。
【交通手段】大宮公園駅から徒歩5分
【入館料】無料
【混雑度】★★(他に2~3人)
【滞在時間】30分
【URL】さいたま市/さいたま市立漫画会館