平湯民俗館
平湯温泉の観光地without車ってなると結構限られるのだが、メインスポットの1つが平湯民俗館です。
バスターミナルから徒歩10分弱。
文字通りご当地の民俗資料を置いて居る、まぁよくあるやつである。
まずは豊坂家住宅から。金山師の住家だったそうだ。
飛騨と言えば木工大工と、鉱山採掘が主産業。
入場口はこちら。
無料で入れます。
・・しかしなんと暗い家だろうか。
この日は凄まじい土砂降りだったってこともあるが、明かりが全く入ってこない造りだな。
フラッシュを焚くと座敷が現れた。
ああ、いちおう住家の体裁は整えてあるのね。
いちおうスイッチは入口付近にあるんだけど、押してもスンとも言わないのだ。
真っ暗なまんま。
当時の人は電気なんか持ってないんだから、それを体感せよということだろうか。
リアル体験型資料館。
それにしたって本当に何にも見えませんて。
館内の奥の方でフラッシュなし撮影をすると、ただの放送事故である。
当時は電気無しにしても、ロウソクくらい貰えませんかね。
フラッシュ撮影の僅かな光により周囲の状況を確認するというダンジョン状態になってきた。
ちょうど頭の高さあたりに吊る下げられている釜とかもあって、危うくヘディングするところだったでござる。
右が「でい」=寝室で、左は倉庫っぽいですが、どっちも倉庫に見えますね。
倉庫には何故かレコードが。
他の農機具と並んでいると場違い感がハンパないですが、豊坂家の財力でも示したかったのだろうか。
金山師のほこり(2重の意味で)
目が疲れてきたので、10分程度で退出しました。
次の建物はお食事処になっているが、民俗資料も置いてあって、自由に見ることが出来るよ。
内部の様子。
お食事処は昼と夜の時間限定。
それ以外の時間だと、店員含めて誰も居ない。
まぁこの日は平日だったので当たり前か。
毛皮のじゅうたんが敷かれているが、生物だったときの形を割と残しているので、見た瞬間かるくビビります。
クマなんてツメ残ってるからね。
おお、こわいこわい。
普通に気づかずに踏んでしまって、足の裏が痛かった(こなみ)
昔のオモチャも置いてあります。
しかしこういう分解されているけん玉は初めて見たな。
組み立てるところからが遊びです、ということだろうか。
本棚には蔵書がたくさん。
しかし置いてあるのが百科事典なのよね。
全巻揃っているけれど、浴客や登山客が古民家に来てわざわざこんなもん読むとは思えない。
どうして置こうと思ったのか。
いちおう開いてみたけどね、もう1ページだけで嫌になるくらいの分量である。
座敷じゃない方はカウンターとテーブルがあって、食堂にも田舎風バーにもなりそうで良い感じ。
梯子みたいな階段が2Fへつづいている。
上にも資料があるようだ。
のぼってみよう。
上がったはいいけど、やっぱり暗いな!
この民俗館は「暗さ」の常設展なんだろうか。
あと床がミシミシいってたり、登ってきた梯子もユルユルしている段があるなど、恐怖体験になってきた様子。
置いてあるのはこういう民具です。
当然ですがフラッシュ焚いてます。
そうでもしないと、本当になにも見えないのよね。
まぁこの施設の真のメインは温泉なのかもしれませんな。
露天風呂が備わっていて、自由に入ることが出来るよ。
とくに決められた利用料はなくてお客さん次第だけれど、維持のために数百円くらいは料金箱に入れておきましょう。
タオルとか無いので、要持参。
外には足湯もあります。こちらは完全無料。
平湯温泉はなかなかの硫黄を放っていて、この足湯も色と匂いがすごい。
まさに温泉。
硫黄好きにはたまらないと思います。
あふれ出した湯によって、地面が赤茶けてるレベルだからね。これはつよい。
入浴後の衣服の洗濯については、お察しください。
以上。
【交通手段】平湯温泉バスターミナルから徒歩10分
【入館料】無料
【滞在時間】60分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】奥飛騨温泉郷観光協会
奥飛騨さぼう塾
平湯温泉バスターミナルから新穂高ロープウェイへバスで20分、中尾高原口というところで降りるとすぐ、奥飛騨さぼう塾がある。
国土交通省の資料館です。
バスで降りた人、ほかに居なかった。
あたりまえだ、周りには山と川しかないのだもの。
どうして国交省もこんなところに資料館を建てたのか。
入館は無料です。そして誰も居ません、受付も含めて。
好きなようにやりましょう。
(1979年土石流被害の様子)
このあたりはイタイイタイ病で名が知れている神通川流域であるのだが、昔から災害が多い地域で、20世紀には10年に1~2回ペースで発生。
それも斜面崩壊・土石流・洪水・雪崩・しまいには焼岳噴火など種類も様々。
流域にずっと住んでいたら一生の間にあらゆる災害体験をコンプリートしてしまうのではなかろうか。嫌なフルコースだな。
(公式HPより)
ちなみに神通川というのは岐阜県高山市の川上岳(マップ左下)に発し、途中で中小河川をやたらめったら呑み込んで、富山湾に辿り着く。
「神通川」という呼び名は富山県で言われているもので、岐阜県では「宮川」と名付けられている。
・・にしても中小河川おおすぎやしませんかね。
まるで毛細血管である。
簡略化したのがこれ。
富山県のど真ん中を突っ切ってますね。
なおイタイイタイ病の原因であるカドミウムは、上流である岐阜県の神岡鉱山から流出したものです。
なんでこんなに土砂崩れやらが発生しているかと言うと、焼岳を始めとする北アルプスの皆様が古代にぽんぽん噴火したせいで、もろい火山灰が地面に積もっているからだ。
地震や台風であっさりズレたり流されたりして、下流域にドボドボ土砂が流れ込んでいく。
焼岳さんなんて下手すると毎年噴火してるからね、もうちょい落ち着いてクレメンス。
というわけで20世紀になると土砂対策として砂防工事に取り組むことになる。
その関係の文書や当時の新聞がこのコーナー。
(富山県側の意見書)
富山湾に土砂が流れ込んできて水深を浅くし、船舶が入れなくなってしまう問題もあった。
1914年、当時の富山県知事は「(神通川上流である)岐阜県飛騨郡は、富山県に加入すべし」と主張。
飛騨郡が富山県に入れば、対策を岐阜県に頼らずとも自ら全部できるからね。
よほど岐阜県のこと信用してないんだな・・
それに対して岐阜県・飛騨郡は猛反発。
「本県の歴史を破壊するうえ、人民を動揺させており、永久に排斥すべし」と激烈な口調でキレており、新聞にも反対広告を載せている。
どんだけ富山君のこと嫌いなのよ。
それに飛騨が岐阜県に組み込まれたのは1876年のことであり、せいぜい40年前くらいなんですが、岐阜県民にとっては中国三千年に引けを取らない壮大な歴史であるようです。
ともかく災害対策どころか新しい災害作り出す勢いで富山と岐阜が対立したので、1919年に国が間に入って直接工事をすることになったのでした。
そんなんで国交省がこんな地方にいるわけ。
当時は内務省だったけれども。
さて砂防堰堤を作ります。
コンクリートが砂防に用いられるのは1950年代の話なので、当時はまだ石がメインです。
じゃんじゃん掘りだして運びましょうね。
石はこれくらいのサイズに切り出して運び、積み上げてたそうな。
重そう。
四人一組で運びます。
2人一組になれなかった人のために、一人用運搬具もあるよ。
きつそう。色んな意味できつそう。
そりでゴロゴロ。
木馬そりって名前だけど、馬の役は人間である。
かなしいなぁ。
んで、これが砂防堰堤です。
戦後のコンクリート製のものですが。
上のほうの山で、コンクリートを製造しています。
出来たコンクリートは、管を通って堰堤に流し込んでいく。
ダイナミックだねえ。
堰堤の上では土方のオヤジが作業しております。
コンクリートに巻き込まれて、「おれ自身が石像になることだ」にならないように気をつけましょう。
現物のお写真はこちら。
当時の機材も展示しております。
2Fへ。
このフロアのメインは砂防の模型。
どんな役割をしているか見てみましょう。
山の下には町が広がっています。
ビルの位置が凄まじく変であるが、気にしない。
山の上には土砂が積んであり、落ちる時を今か今かと心待ちにしております。
その土砂をブロックしようと、砂防堰堤が2つ待ち構えております。
では、荒れ狂う土砂を解き放ち、砂防堰堤と対決させましょう。
果たして結果は~じゃじゃーん。
土砂は見事に砂防に食い止められ、下流部の街へは被害が出ませんでした。
おめでとうございます。
んじゃ、今度は砂防外しますね。
はたして町の皆さんは生き残れるかな?
やってみた結果がこれだよ!
土砂は食い止めるものがなくスムーズに流れ落ち、故郷の村は焼かれてしまったのでした。
おお、しんでしまうとはなさけない!
というわけで、砂防って大事だね(こなみ)
2018年に起こった広島の土砂災害でも、3000億円かけて整備した砂防が機能。
砂防が無ければ2兆円の被害損害が出ていたとされている。
某政党に仕分けされなくて良かったね(にっこり)
他にも、アンカー工の重要さを示す模型があります。
アンカーが刺さっています。
これを抜くと・・
けっこう派手にずり落ちていきますが。
アンカーは地滑りを防ぐために施されているのね。
押すと世界が壊れるスイッチみたいで、たいへんなRPG感を出しております。
砂防の機能の説明は行政お得意のパネル展示でもされてますので、寝ないでちゃんと見ようね(コーヒーを必死で飲みながら)
ある程度の土砂を溜めることで川底の傾斜が緩やかになり、急に土砂が流れるのを防ぐことが出来る。
「砂防に砂が溜まっていて、あれじゃあ機能しないじゃない!」と反対派の方々は仰るらしいですが、むしろ機能させるために溜めてる部分もあるみたいよ。
あとは砂防以外の、周辺環境の展示。
おそらく北アルプスで獲れると思われる石のみなさん。
そしてチョウチョの標本。
これ、ここに置く必要ありますかね?
「とりあえず置いとけば誰か喜ぶだろう」と思われている気がしてならない。
まぁ現にこうして写真撮ってる客がいるわけですが。
そんなんで、砂防の仕組みや模型やらで案外たのしめたのでした。
ロープウェイやクマ牧場など人気の観光地に行く客層はこんなところ来ないと思われるので、空いててオススメ。
そうして相変わらず砂防の認知度は低いままなのであった(完)
以上
【交通手段】中尾高原口バス停からすぐ
【入館料】無料
【滞在時間】60分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】
ナガセスッポン養殖場
高山市の平湯温泉にあるスッポン養殖場です。ショップが本体なので養殖場自体は見学できませんが、中にちょっとした展示室があります。
平湯温泉バスターミナルから徒歩10分。高山駅からはバスで1時間程度です。松本バスターミナルからも出ています。
しかし駐車場にいきなりこんな看板である。
スッポンを求めてやってくる人がどのような層なのか、大変わかりやすい。
自信を失った男性たちよ、立ち上がれ!ということなんでしょうね。
館内は入場無料です。
入り口付近にショップがあり、展示室は奥に進むとあります。
天井に張り巡らされているのは、相撲の興行のぼり。2017年に高山で秋場所が開催され、協賛をこちらのスッポン養殖場がしたようだ。
白鵬や稀勢の里など、相撲トーシロの私でも知っている名前がある。
同じくそのときに掲げた旗かな?力!
メッセージ性がありますねえ。立ち上がれ!男たちよ!
力士の手形もおいてます。これは白鷗の。
こちらは日馬富士。
強そう。ビール瓶とか握ってそう。
水槽があって、中にはスッポン君が1匹、のっそりしてました。
君はこれから中年男性の精力増強のため食べられてしまうのだ、哀しいなぁ。
カメと違って甲羅は皮膚で出来ているので、柔らかそうです。
スッポン豆知識コーナー。生態系や、料理として使われる歴史など様々あつかっております。
名前の由来も説明されていました。川に飛び込むときに「すっぽん」と音がしたからとか、鳴き声が「スホン」って聞こえるからとか
ポルトガル語での男性器の呼び方「スボ」という説も。
それはアンタが考えたのでは。「笑」じゃないよ(笑)
スッポン神社らしきものがありますが、お触り禁止の様です。賽銭箱も無し。神仏では無くてスッポンエキスを頼れということですね、分かります。 展示室おしまい。
ショップに戻ってきました。
スッポンドリンク・生き血ドリンクなどライトユーザー向けから、上級者向けの錠剤や粉末タイプがあります。錠剤って・・どんだけ活力に飢えているのか。
スッポンドリンクは1本500円ちょっとなので、お試し程度に良い値段です。私も飲んでみましたが、まぁ味は栄養ドリンクと変わらないかな。
食べ物系だとチョコレートがあります。公式HPの通販に載ってないので、ここ限定品かもしれぬ。
スッポンとチョコのコラボレーションで、疲れた頭も体もびんびんにしましょうね。
チョコの表面にそれぞれスローガンみたいな一字が書かれているんだけれど、もう直球すぎてマズいですよ!
WAKE UP!いったい何がWAKEするんでしょうね(すっとぼけ)
いろんな意味で土産に適しているので買っていったら受けると思います。ただし渡す相手はよく考えよう。
おしまい
【交通手段】平湯温泉バスターミナルから徒歩10分
【入館料】無料
【混雑度】★★★(ちらほら)
【滞在時間】40分
【URL】
日野市郷土資料館
日野市の郷土資料館に来たけれど、見た目がなんだか学校っぽい。
古さを感じさせる建物が悪天候と相まって、とても不安な気持ちになりますね。
主に「これ開館してるのか?」って意味で。
中に入っていく人は結構いたのよね、小中学生くらいの子供たちと、その親御さん。
すごいなー資料館大人気じゃないか。
ただその子たち、体操服だったけどね。
どう考えても資料館目当てじゃない。
なにかスポーツ施設があるんですかね、9と3/4線でもあって繋がっているのかな?(棒)
館内に入りましたが、やっぱり小学校だった。
廃校になった建物を再利用している模様。
人口の東京一極集中が言われているのに学校潰しちゃうんですねえ。
日野市の統計みてみたら、小学校児童数のピークが80年代の15,000人程度で、そこから20年間で8,000人台まで落ちていた。
下駄箱の上には、卒業生寄贈と思われる彫刻。
どこの学校にも卒業制作あるのでしょうが、何を寄贈したのか皆さん覚えてますかね。
私は何にも記憶にございません。
館内案内図を見ると、資料館は1Fのほんの一部のようだ。
上の階は教育センターとやらがかなり使用している。
何に使っているのだろうか、倉庫とか倉庫とか倉庫とかかな。
というわけで資料室はこの辺です。
企画展と常設展があって、最初は企画展の部屋。
うーむ、さっぱり綺麗にされてるねぇ。
特に展示物があまりないという点で。
市内の植物について展示されてました、写真で。
これ喜ぶ人いるのだろうか、実物ならまだしも。
「うちの裏に生えてる雑草だー、すごーい!」とか?
実物もいちおうありますけどね。
ケースがずらずら並べられているよ。
中身は木の実とか葉っぱ。
お触りはできませんけどね。紛失防止のためだろうか。
どうせその辺に生えてるんだから、無くなっても取ってこれるんじゃないの(適当)
片隅にある机では、蚕をリアルに飼っているようです。
お、ここにきて本格志向ですね。
見事に全員、繭になっておりました。微動だにしません。
うごめいているところが見たかったんですけどね、見たら見たで卒倒するかもしれないからこれでよかったかもね。
これ以上企画展について触れられることが無いので、次に行きます。
ちょっと企画展担当者、マーケティング研修受けに行こうか(利用者の声)
廊下の先の常設展へ。
やけに頑丈なゴミ箱だと思ったら、展示品だった。
まぁゴミ箱なんですけどね、昔の。
一部コンクリートを使っている木製品。
なぜ全部コンクリートにしなかったのか、どうせ木の部分だけすぐ劣化して何度も取り換える羽目になりそうな。
小さなトロフィーたち。
校内水泳大会などで使われていたようです。
チャレンジ3年生とかでこういうのもらったなぁ。
安っぽい造りだが、子供は貰えると嬉しいだろう。
その次は目隠しされているダルマの写真。
一体どういうプレイなの?手がないけど、後ろ手に縛られてるの?(すっとぼけ)
目のまわりに金箔を張っているそうな。
金箔が剥がれるのを防ぐために、こうして覆っているんだと。
すさまじく本末転倒じゃないですかね。
明治時代の民家の木材が置かれていますが、展示と言うより処分待ちな気がします。
常設展示室。
想定通り、昭和頃の民具を置いてますね。
これは手回し洗濯機。
文字通り、この中に洗濯物を入れて手で回すけれど、あまりにも手が疲れるので全然流行らなかった逸品。
その横の方にいろいろ置かれてますが、展示品と言うより出しっぱなしに見えますね。
英語解説もあるんだけれど、壁に引っ掛けてあるだけなので、まず気づかない。
外人はもっと気づかない、というか来ないと思う(直球)
この「ねこあんか」という機具は初めて見た。
布団を被せて温める、火鉢みたいな役割り。
ネコが布団に潜っているような外観になりそうである。
カイロは暖かい灰を懐に入れて持ち歩く。
こぼしたら胸いっぱいの灰塗れだな。悲惨。
ミシンには王冠やらピラミッドが描かれていて謎の豪華アピールであった。
裁縫途中にエジプトの神秘、一家に一台ツタンカーメン、いかがでしょうか。
消防道具としての水鉄砲。
これで火を消せるとでも思ったのか。
棚の上段の方にはもっと色々おいてあるんですが、これも展示しているというより、他に置くとこ無いから置いてる感がすごいしますね。
郷土資料室とは倉庫の宝庫である。
隣の展示室では生き物関係。
剥製さんこんにちは。
とりあえず置いとけば良いだろなノリで、どこの資料館にもある蝶の標本。
草むらを歩くと、服にくっついて取れない面倒なやつ。
正式名称はオオオナモミというそうな。
長い。分かりづらい。今後も「くっつくやつ」でいきたいと思います。
生き物に混じって置いてある、市内最大の縄文土器。
記念撮影ができるよ。
頭に被ってみてはいかがでしょうか。ちょうどカポッてハマると思う。
あと奥の方にもキツネの剥製とかあるんだが、展示や棚が邪魔してて行けないんだよなぁ。
チラ見だけされてあとはおあずけ。
この小学校なかなか凄いプレイをしますね。
M耐性・目隠しに自信を持つ、将来楽しみな子供が育ちそうです。
以上
【交通手段】程久保駅から徒歩15分
【入館料】無料
【滞在時間】30分
【混雑度】★(誰も居ない)
【URL】
放浪美術館
長野県茅野市にある放浪美術館。
「放浪」+「美術」の組み合わせから、タンクトップ一丁でリュックを背負ってオニギリ食ってるオッサンが頭に浮かんだら、それは正解です。
日本全国を旅した画家 山下清を専門に扱っている。
(山下清)
旅絵師というとなんだか気軽そうなお仕事されてますねって感じだが、この人、幼少期に知的障害を患っている。
子供の時は施設に預けられていたが、18歳の時に飛び出して各地を放浪しては、実家や施設に戻ってくるってのを49歳で死去するまでずっと繰り返していた。
一つのところに長く留まっていられないのだ。
画家として有名になる前は、知らない家に押しかけて行って、その家の好意で住み込み働きさせてもらうのだが、数か月くらいで嫌になって突然脱走するというアツい掌返しを連発。
しかも1年くらいでまたその家に戻ってくるのだから、厚顔無恥と言うか神経図太いというか。家人もよく許したな。
幼少期から入っていた施設「八幡学園」へは脱走→1~2年して戻る→数日から数か月したらまた脱走、を繰り返した。渡り鳥の営巣地か。
学園側も辛抱強くこのタンクトップを見守っており、戻ってきたときは放浪中に起こった出来事を日記につけさせた。
だから放浪していたにもかかわらず、山下清の履歴は残っているわけだ。
偉いぞ、八幡学園。
しかし美術館の入口、建物の古さも相まって私は一瞬廃屋かと思いましたがね(失礼)
茅野駅からアクセス悪い(徒歩30分近くかかる)けど、結構お客さんいたな。
それも山下清を現役で知っている年配の方々。
まぁタクシーで来たんでしょうな。
入口の床にはオニギリが転がっています。
山下清は大食漢だったらしいが、オニギリのイメージはドラマから来てる模様。
とりあえずデブにはオニギリ持たせとけみたいな偏見があると思います(真面目)
さて入館すると、山下清の絵画をベースにした絵ハガキがもらえます。
何種類もあるので、そこから1つ選べるよ。
山下清といえば貼り絵なんですけどね、ペン画ですねこれ。
どうしてこれ選んだのか私。まぁこれも良いのだけれど。
山下は八幡学園に入所してから貼り絵を教わったそうな。
その出来が凄まじくズバ抜けていて、15歳の時に展覧会まで行われて大評判になった。神童レベル。
ただ成人になるにつれて製作から離れ、本人も放浪してどっか行っちゃった。
世間が完全に忘れ去った頃の1954年に朝日新聞が「あの神童は今いずこ?」と特集したをのキッカケに「山下清をさがせ」が各地ではじまり、全国に名が知られるように。
(山下清『草津温泉の野天風呂』この美術館には無かった気がするが、代表作)
放浪して八幡学園に戻ってくると、日記と一緒に貼り絵を製作した。 知的障害ではあるが、記憶力は抜群に良かったようで、旅先の出来事をちゃんと覚えていてそれを再現。
色紙を細かく千切って貼ってを繰り返して、この絵を製作しているわけです。
美術館で本物を見ると切り貼りの跡が見え、手間暇めちゃめちゃ掛けてるのが分かって結構なインパクト。
また山下が生きた時代はちょうど戦前戦後に跨っているので物資も厳しく、色紙も8色程度しかないのだが、新聞紙を引っ張って来たり、色紙も表と裏で微妙に色が違うのでそれを生かして微妙な濃淡を表現するなど、工夫は様々。
という膨大な作業に感心しているところ悲報ですが、この絵の中には小便をしている子供が描かれています。
フリーダムな時代だったので、温泉の付近で小便どころか大便をしてた連中がいたと、山下は記録している。
んでそれを画用紙の上で再現しようとして周りの大人に怒られたため、大便は諦めたが小便は描いてしまったということである。
たぶん温泉地でも大喜びで見てたんでしょうね、子供って多かれ少なかれそういうの好きだからね。
(山下清『東京の焼けたとこ』)
障害を持っているため、戦争へは従軍しなかった。
食糧難の時代だが、陸軍に弁当を供給している店に住み込みの職を得られたので、食べ物に困らなかったという珍しい生き延び方をしている。
一面焼け野原で、黒焦げになった死体が物と一緒に転がっている。
ファミコンとかフリーゲームのドット絵と似たような見かけだが、こうした単純な絵柄の方が、より無慈悲な感じがして悲劇には合うと私は思ってます。
(山下清『長岡の花火』)
花火が好きだった、というか娯楽の数少ない時代だから、花火は一大イベントでしょうな。
上掲は長岡の花火を描いた有名な作品だが、諏訪湖の花火も製作していて、それが美術館に置いてあります。
というわけで多くの貼り絵を見られるなかなか無い機会なのでした。
展示解説もやってるので、参加してどうぞ。
山下清は放浪先であまりにも様々なことをやったりやらかしたりしていて、それも各地方ごとにあるから、この美術館オリジナルネタもあるかもしれません。
ちなみに私が好きな話は「甲府駅で下半身露出して警察の御用になった」と、「辰野駅あたりで、暑いという理由で全裸になって線路を歩き、新聞記者に写真撮られた」の2本です。
(館内出口にある骨董品ショップ。画像は公式HPから)
美術館を見終わると、併設されている骨董品ショップに出る。
たぶん元はこちらが本業なのだろう、凄まじい数の商品が置かれていて、ボーっと歩くと何か落として割りそうなほどの密度である。
以上。
【交通手段】茅野駅から徒歩30分
【入館料】800円
【滞在時間】60分
【混雑度】★★★★(すぐ横に人)
【URL】