松本市はかり資料館
松本市にある、はかり専門の資料館です。
この辺りは善光寺街道が通っていて古くから街が発展しておりますが、1888年の大火事で片っ端から焼けており、そのあと防火対策で片っ端から土蔵造りにしたので、こういう雰囲気ある建物がゾロゾロしております。
松本駅からは徒歩20分くらい。
入場料は200円。
「はかり」というから天秤的なものを想像してたが、どうも測量・計量機具全般を対象にしているようである。
この辺は物差し。
あんまりインパクトないね(放言)
乳幼児の身長を計る専門の物差し。
測定シーンを見たことが無いので知らないが、今でも似たようなの使っているのかしら。
こちらは枡。
酒ではなくて、穀物を計るようでっせ。
丸型の枡がある。
方形の枡だと、隅の方まで穀物が入りきらなくて誤差が生じるから、それでこんなのを開発したそうな。
酒の場合は液体だから必要ないね。
お待ちかねの天秤。
古代ローマ時代のもので、神話おなじみの道具である。
携帯用の天秤も。
商人が出先で使っていたのかな。
もとは物々交換で使っていたと思うが、江戸時代になると貨幣が金貨・銀貨・銭貨と3種類登場したので、その計量で頻繁に利用された。
「1金貨=3銀貨」みたいな決まりはなく、時期ごとに相場が変動していたため、いちいち計量せねばいかんかったと。
面倒だねえ。
こちらも携帯用のようですが、ちょっと造りが適当すぎやしませんかね。
中国製かな?
理科の時間を思い出して嫌な気分になりました(コナミ)
現代の計量カップもあるよ。
ここで置かなくてもダイソーとか行けばいくらでもあると思うが、いちおう展示している様子。
人間の重さも計るよ!
1周してすごい近未来感を感じる体重計である。
展示品は触れないけれど、部屋の中央に体験コーナーがあって、様々な天秤や計りで遊べるよ。
奥に行くと巨大な看板があるが、明治~昭和にかけてこの土地で営業していた竹内度量衡店のものである。
1986年に営業終了したのを、松本市が道具などを譲り受けて、この資料館が出来たというわけ。
裏口から外に出れます。
蔵があるよ。
もとは倉庫のようだが、ここも展示室になっております。
松本では明治以降に養蚕業が発展したらしい。
生糸貿易全盛期なので、日本各地でこの産業が興隆していると思うが。
繭の大きさを計量する道具が必要となり、その需要を掴んで発展したのが竹内度量衡店でしたとさ。
この店の一押しは、繭のオス・メスを判断できる計量具である。
オスとメスで重さが10mg異なるんだけど、計量機具が登場する前は熟練技術者の判断に委ねられていたのを、この機械で誰でも測定できるように。
竹内度量衡店の機具は中南信一帯に広まり、養蚕業のさらなる発展に貢献しましたとさ。
独占体制だろうし、竹内家ガッポガッポだな。
他にも、繭自体の重さと、繭全体(繭+中の虫)の重さを計り分ける機具とか。
0.05g単位と、当時としてはかなり微小なところまで計量が出来る機具など。
これは温度計。
養蚕場では温度管理が大事なので、そのためのもの。
温度が上がり過ぎたり下がり過ぎたりすると、ブザーが鳴るようである。
ブザーと言うか、この羽虫がバタバタ始めて、その音で知らせる仕様な気がする。
なんという悪趣味な・・
「天下一」の称号、だと。
織田信長や秀吉の頃に、優れた技術を持つ職人に対して「天下一」の称号を授けていたらしい。
その「天下一」の文字が刻印された分銅がこの地域で見つかったので、それを置いてますとのこと。
なんの「天下一」職人だったんだろう。
分銅づくりの名手?そんな馬鹿な。
その分銅がこちら。
うむ、この位置だと何も見えませんね。
なお家康の時代になると、「天下一」称号は禁止されてしまった。
きっと自分が天下一だからだろう。
建物は最後にもう一つ。
これは度量衡店関係なくて、松本城下にあった材木問屋「三松屋」の蔵座敷。
1894年に建築されたもの。
1Fは和室になっている。
障子閉められているので入れないのかと思いきや、普通に開けて中に入れます。
展示はほとんどなくて、三松屋に関するパネル展示が2枚ほど置いてあるだけです。
在りし日の三松屋。
ボロボロだなぁ。
ここへ移築したときに綺麗にしたのでしょう。
階段を上がって2Fへ。
今度は思いっきり洋間であった。
なんじゃこりゃ。
建築士は開智学校を建てたのと同じ人だそうな。
和洋折衷、当時としては伝統&近代の折衷と言ったところか。
でも置いてあるのは天秤です。
また分銅があるけど、三松屋で扱っていたのかしら。
さすが天下一。
西洋風の食器もあるよ。
展示の数もそこまで多くないやね。
というわけでおしまい。
以上
【交通手段】松本駅から20分
【入場料】200円
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(2~3人)
【URL】
旧黒須銀行
入間市にある銀行の旧本店です。
入間市駅から徒歩20分ほど、石川組西洋館からもそれくらい。
公開日は限られているので、公式HPで確認しよう。
入場料は無料。
黒須銀行は1900年に設立されたもので、この辺の地名が「黒須」であることから来ている。
顧問を務めていたのが、一万円札でホットになっている渋沢栄一。
でもあの人は色んな所に首突っ込んでいるので、「顧問でした」ってだけではあまりネタにならないのである。
創業者は道徳をモットーにしていたようで、「道徳銀行」と渋沢に名付けられ、お得意の揮毫までもらっている。
現代の銀行マンは見習いましょうね(静岡方面を見ながら)
さて、石川組西洋館は賑わっていたので、その客がこちらにも流れてきていると思ったのだが、そんなことは無かったのでござる。
・・客がどうのこうのもそうだが、大丈夫なのか、この施設。
この辺は旧営業室ゾーンらしいが、もとからこうなのか、それともただの物置と化したのか。
積まれているのはゴミでは無くて、建物の倉庫にあった防火用の窓です。
この建物は土蔵造りなのだが、明治期の銀行は土蔵スタイルが多かったそうな。
耐火性があるので、金や担保を保管する銀行としては必要な建築なのだろう。
レオパレスも全部土蔵にすれば良いんじゃないかな。
しかし展示なのか放置なのか判断しづらい品が多数ありますな。
ガラスも古ぼけたり割れたりしているけど、きっと演出なのでしょう(すっとぼけ)。
1900年建築当時の写真だそうな。
銀行と言うより豆腐屋みたいだな。
でも中ではちゃんと銀行やってまっせ。
明治~昭和の銀行なんて大量生産されまくって、そのあと弱小銀行が併呑されて絞られて行く流れであるが、黒須銀行は堅実な経営で生き残り、埼玉県でもトップ3に入るくらいの力は持っていた様子(黒須銀行調べ)
しかし1920年代になると失墜して、1922年武州銀行に呑み込まれて終了した。
黒須銀行失墜の原因として、館内の展示では1920年の不況が挙げられているんだけど、そのほかに「川越支店が独断専行的な経営を行ったため」と書かれている。
なにやったんだ、川越支店・・
ぼろいイスだなと思ったら、黒須銀行で使われていた台だった。
黒須銀行の名前入り風呂敷。
なんかの記念かと思ったら、これ武州銀行に併合された時のものらしい。
それが、黒須銀行の名前が出た最後であった(完)
社章は「信」の字。新選組かな?
これは瓦だけど、入間の土はけっこう良質で、瓦造りに適していたらしい。
生産量はさほど強くないので、今では廃れてしまったが。
なんだか付箋がやたら貼られている。
社内会議でもやったのかしら。
「歩道橋がジャマ」という意見が多数の様です。
黒須銀行の大掃除会をやるよ!
イベントにかこつけて客に掃除をやらせようとする意欲的な企画である。
てかボランティアでやらないと清掃すら出来んのだろうなぁ(哀)
2Fにあがります。
にしても、かなりの急傾斜である。
手すり途中で終わってるし、下りは難易度たかい。
こざっぱりしてるなぁ(直球)
2Fは会議室だったようです。
重役たちがあの急傾斜の階段をおっちら登ってきたわけか、胸熱。
2Fから外の風景を見るよ。
・・たしかに、あの歩道橋邪魔だな。
ただ除去したところで、とくに大した景色が見えるとは思えないのだが。
黒須銀行は1922年に終わってしまったが、併呑した武州銀行・その後身である埼玉銀行の支店として、この建物は利用されたようである。
1965年~1994年は郷土民芸館として入間市に使われており、そのときの模様をここでは展示している。
「郷土資料館であった」ことの資料を展示しているわけか、もうよくわからんな。
1970年の写真。
このときに歩道橋が出来たらしい。
今日になって邪魔者扱いをされるとは、彼(歩道橋)も想っても見なかっただろう。
民芸館開館の頃のパンフレットだと思うが、あちこちズタボロすぎて、むしろ前衛芸術っぽくなっている。
開館記念の品まで作っちゃったよ。
さて、元は取れたのかな?
と言う感じ。
同じ限定開館である石川組西洋館がかなり盛況だったのに対して、こちらの施設は不安感を強く覚える出来栄えであった。
ドナドナ。
以上。
【交通手段】入間市駅から徒歩20分
【入館料】無料
【滞在時間】25分
【混雑度】★★(2~3人)
【URL】
www.alit.city.iruma.saitama.jp
旧石川組製糸西洋館
入間市駅から徒歩10分くらいのところにある西洋館です。
石川組という製糸会社が所有していたもの。
一般公開日は一か月に四日ほどなので、公式HPで開館日を確認してから行きましょう。
予約とかは要りません。
エントランスホール。
入場料は200円です。
開館は大正時代の1921年だが、戦争や地震による被害をさほど受けることなく、おおむね当時の姿のまま残っています。
というわけで国の有形文化財にもなりました。
パチパチパチ。
応接室です。
見るからに偉そうな雰囲気が漂っている(偏見)
石川組と言うのは明治時代に起業した製糸業の会社。
一時期は日本でも指折りの生産量を誇り、入間のみならず愛知県など4県に工場があり、さらにはニューヨークに事業所を置くなど海外デビューまでしていた。
さすがジャパニーズ生糸全盛期。
まぁしかし1920年代に入って震災や昭和恐慌が起こり、繊維業の勃興もあって生糸の需要も低下していくと、その波に呑まれたまま1937年に解散しましたとさ。
悲しいねぇ。
不思議な棚。
漢字でどっしり書いてますけど、ここ洋館ですよね?(確認)
木の板を彫り残して文字にしている様子。
さすが成金は違う。
内容は書経から取られたもので、「みんな調和すればハッピー」的なことを言っています(適当)
時計もきっとお高いんでしょうねえ。
と思ってたら、絨毯がすさまじく穴あき状態であった。
これは減点要素ですわ(陰険)
この絨毯も建築当時からあるペルシャ絨毯だそうで、穴あいたまま残しているのも、当時の品だからであろう。
応接間の隣は控室だが、現在はパネル展示が置いてあって説明ルームになっております。
部屋のど真ん中に立っているのは、建物を上棟したときの札。
大正十年(1921)と、ちゃんと書かれていますね。
裏にも文字が書いてある。
石川組のボス 石川幾太郎はクリスチャンだったので、ここでは聖書の文句が刻まれている。
柱にはラーメン(?)が刻まれている。
少しサイズの小さいこちらは、客間。
客をこんな小さい部屋に閉じ込めて良いのか!
ただ小ぶりながらも照明にはステンドグラスが使用されているなど、細かいところで豪奢さを出している。
部屋の小ささだけで文句を言ってしまう小市民には相応しくないですね(ブーメラン)
この洋館は様々なドラマや映像作品で使用されております、という宣伝。
ベッドはこちら。
なんかすごい固そうだな。
ステンドグラスよりも来客の背中を気にしてほしかったところ。
1F最後の部屋は、こちらの食堂。
ひろい。
これぞ金持ちの洋館と言う感じである。
天井も、こんなにする必要ありましたかね、という複雑なデザインである。
ただ端に置かれているベンチはすごい硬そう。
召使はこじんまりとしていろ、ということだろうか。
テーブルから見た風景。
食器や鏡もありますが、庶民は触るの禁止です。
コーヒー飲めるよ。
お菓子付きでこの値段なら、さほど悪くはないんじゃなかろうか。
ただし館内にはけっこう客が多く、食堂は特にメインエリアで大勢の人が居ますので、その視点に耐える力が必要です。
中廊下。
これまで見てきたのは西洋館の本館だが、隣に別館があり、それと結んでいる。
別館は見れませんけどね。
トイレがあるだけです。
2Fに上がってきました。
最初に見るのは、貴賓室。
さぞかし豪華な部屋なんでしょうねぇ。
と思ってたら、なんと貴賓室は改修中であった。
よってお写真だけでお楽しみください。
なにげなく床には牛の毛皮っぽいものが敷かれている。
だいたいのお客さんは目の前の大広間に神経が向かってしまい、毛皮には気づかず踏んづけて行ってしまうのであった。
その大広間。
盛大なスケールなので、お客さんが毛皮に気づかないのも無理はない。
ステンドグラスには植物が描かれている。
中国の東洋画で人気テーマである「四君子」というもので、蘭・竹・菊・梅の4種を扱っている。
しかしこのステンドグラスでは、菊は存在せず、代わりに名物である狭山茶の花が描かれています。
ご当地ネタとは心にくいばかり。
一方で、菊ェ・・
そのガラス、ひびが入っているのであった。
菊の恨みかな?
音が出るのかとても不安なオルガン。
さりげに、この大広間にはコルク床が敷き詰められているそうな。
なのでダンスしても、下の階へのダメージは少ないよ。
じゃんじゃん踊りましょうね。
次の部屋は和室。
外人客をジャパニーズ風にもてなす為のところだそうな。
床の間を見た風景。
・・ん?
なんでドアがあるんですかね。
すさまじく違和感を覚えますが。
この西洋館、戦後に進駐軍に接収されて使われていた時期があったらしい。
文化財とか彼らには意味をなさないので、この和室も床の間をぶち抜いて扉を付けられたり、この部屋もクローゼットが据えられたそうな。
さすがにクローゼットはこのように和風の棚へ変えられたが、それでも違和感がプンプンしますね。
欄間には、江戸時代の絵師 酒井抱一の絵画をベースにして彫り込まれた意匠。
オリジナルの絵には酒井抱一のサインも入っているので、それまで欄間に写し取っちゃった。
最後にバスルーム。
この部屋も本来は無かったらしいのだが、進駐軍が居住するにあたって設置したそうな。
まぁ、風呂が無いのは不便だわな。
トイレは使えませんよ(念押し)
2Fも見たので、階段を下りておしまいです。
あの大きな食堂に繋がっています。
月4回の公開だからか、わりと来場者は多いのであった。
1時間に1本ペースで無料ガイドツアーもやっているので、なかなかユーザーフレンドリーです。
以上。
【交通手段】入間市駅から徒歩10分
【入館料】200円
【滞在時間】60分
【混雑度】★★★★(すぐ横に人)
【URL】
猿ヶ京関所資料館
猿ヶ京温泉のあたりにある資料館です。
群馬県高崎~新潟県長岡を結ぶ三国街道が通っていたことから関所もあったので、その資料を展示しています。
入口にどでかいイノシシ?君がいますが、一体なんなんですかね。
特に説明は無かった。
駐車場のほうにも藁で作られた巨大な像がやたらあるんですが、とりあえずスルーで行きましょう。
今年は暖冬だというのに、ここでは雪がちらついていて寒いのである。
敷地のなか。
奥にある建物の中に入ります。
入館料は200円。
・・普通に人んちですね。
館員さんが「まずはコタツに入って説明を聞け」と言うので、そうすることに。
というわけでコタツに入ったわけだが、これがトラップだ。
暖かいからついウトウトしてしまって、説明を全く覚えていない。
まったく何してるんですかね。
覚えていることと言えば、関所全体を描いた図。
今いる建物は、関所の係員の住居だったそうな。
説明が終わったので起き上がって、館内を見回ります。
関所と言うことで、江戸時代の旅人グッズです。
携帯用のそろばん。
ミニ硯が2つも付いている、1つあれば十分な気がするが。
朱肉もあるのでハンコも押せるよ。
首から下げる用の財布。
道中は物騒なので、銭は分散して色んなところにしまっていた。
足に括り付ける用。
一方でこちらの形は現代っぽい。
行灯です。煎餅ではありません。
畳んでいるだけです。
「馬上杯」というもの。
馬に乗っているときに飲む用の盃、ではなくて足の長い盃を指す。
騎乗のときに飲んだら飲酒運転である。
そもそもこの盃、足ながいのか?
こちらは関所を通る時に必要な、通行手形。
この資料館は「江戸時代のパスポート館」を自称しているのだが、珍しい通行手形を置いてまっせということらしい。
これは飛脚用のもの。
郵便配達人は毎日街道を通るから、いちいち手形発行してもらってたんじゃ商売にならないので、特別にこの札を許可証としていた。
これは女性の通行手形。
「入り鉄砲に出女」なので、女性に対しては監視の目が厳しい。
女性に見紛うような美男子の場合は、関所の規定によると「乳」か「前」を改めるらしい。
要するに服を脱げ、ということ。
ちょっと直球すぎやしませんかね。
(宿場町のご飯)
三国街道は北国大名により参勤交代時に使われ、また金山のある佐渡島への往来のために頻繁に使われた。
宿場町は儲かって良いですねえ、というわけではなく、大名が通るたびに人員や金銭を拠出しなければならんので、むしろ負担が大きかったそうな。
縁側みたいな部屋。
江戸時代の僧 良寛が三国街道を通ったというので、それで像を置いている。
通っただけで、特に何をしたわけでもないようです。
凧。良寛が書いたのかな?
達筆ですねえ(すっとぼけ)
奥に僅か1畳程度の間があるのだが、用途はよくわからん。
書斎か?
一人になりたいときに引きこもるのに適してそう(適当)
こちらは納屋。
板に文字と絵が描かれている。
「鎌」「椀」「はゐれ」=かまわん入れ、という意味です。
縄のゴミみたいなのが置いてあるが、ゴミでは無くて「けづり花」と言います。
正月の松を下げた後に飾るもので、削った木で作るそうな。
これを飾れば田んぼは豊作・・ほんとかなぁ。
最後の部屋は、また三国街道ネタです。
旅装の絵なんて描かれている。
女性verも。
かわいい(こなみ)
「おがんしょ巡り」のポスター。
猿ヶ京には地蔵や神社などの祈りスポットが幾らかあるので、ぜんぶ回ってパワーを得よう的なもの。
所要3時間30分だそうです、健脚の方はどうぞ。
車で回るのは反則です。
館内おしまい。
庭園があるというから見る。
いやぁ、広々として立派な庭園ですね!
あぁ、寒いから温泉入ろう。
以上。
【入館料】200円
【滞在時間】30分
【混雑度】★(だれもいない)
【URL】
月夜野びーどろパーク
群馬県の水上にある、月夜野びーどろパークというところへ来た。
道の駅かと思ったら、「上越クリスタル硝子」というガラス製造会社が運営している施設であった。
ビアレストラン&ガラス工場&ギャラリーから成っております。
まずは工場見学をするか。
特に予約は不要。
しかし休憩時間、小刻みだなぁ。
工場の方へ向かいます。
これ。
その道中の手すり。
よく見ると、ガラス細工が載っている。
工場へ入ります。
これもガラス。
徹底してますね。
中に入りました。
ガラス製造体験もできるけど、入場だけなら無料である。
思いっきり作業場。
職人さん達がリアルに仕事している現場を眺めることが出来ます。
撮影も可能です。
あれがガラスの炉。
中に原料がドロドロに溶かされております。
温度は1400℃以上もある。
そんな高温でも、ガラスが溶けるには10~15時間要する。
そして炉の温度を1400℃に上げるには1週間もかかるそうな。
だから休日でも消火せず、ガンガン焚いているのである。
炉の模型、大砲みたいだな。
白い珪石を粉々にして、ソーダ灰と石灰を混ぜて原料とし、あの大砲の中でボンボン溶解するのである。
リサイクルで回収してきたビンも、不純物を除去した上で粉々にして、原料として再利用されたりする。
炉の個体。ルツボと呼ばれている。
ネコの背中に似ているから「猫ルツボ」と言われることもあるそうだが、これ似ているのか?
職人さんの動きをジロジロ眺めます。
棒の先端に付いているのが、炉から取り出してきたガラス。
型にはめています。
おお、すさまじくグニャっと変形している。
上では、職人さんがガラスに息を吹き込んでいます。
数秒で成形完了。
オートメーション化している工場がほとんどだと思うが、ここではこのように手作業で製造しております。
面白いので延々と見てられる。
工場では規格外品の廉価販売をやっている。
職人による手作り品が、ワンコインで買えるよ。
シャレオツな品もあります。
ダイソーで妥協するよりも、こういうところで買った方が気分的には楽しいであろう(突然の百均dis)
工場から出て、隣接のギャラリーへ。
その手前に砂場がある。
ただの砂では無く、ガラスの原料である珪石を砕いた珪砂。
砂浜と成分は一緒なので、群馬の山奥なのに砂浜が楽しめるよ。
ギャラリーに入りました。
こちらではちゃんとした製品を売っているので、価格も少しお高めです。
この晩酌セットみたいなやつ、1万円以上もするからね。
ビビッて酔っ払えないでござる。
2Fもあります。
階段上がって左手は、有料のギャラリーとなっている。
すみませんが時間の都合上スルーで。
ただ無料のエリアにも、作品がたくさん並んでいるよ。
コンポート。
果物を盛るための器だが、豪華すぎて恐縮してしまう。
ブドウの汁とかこぼしたらヤバそう(震え)
うずまき(ボキャ貧)
作品の作り手は、びーどろパーク運営会社の上越クリスタル硝子の職人。
中には黄綬褒章の授賞者もいるそうな。
業界の第一線で活躍している人に贈られる、天皇陛下による褒賞である。
値札が付いているけど、普通に購入できるようだ。
私のような庶民では、買ったところで恐縮すぎて使えず、神棚に奉納しそうだけれど。
実用品のほか、芸術品も多数展示してあります。
これとか一体何に使うんでしょうね。
ピエロ兄貴。
階段なんて高難易度の作品もあります。
古代エジプトの製法「パート・ド・ヴェール」で製造された作品も。
ガラスの粉末をあらかじめ型に入れた上で溶解するもので、wikiには「透明感のある作品が出来る」と書いてあるのだが、ここにあるエビ君は透明感まったくありませんね。
ゴツゴツザラザラしている。
ギャラリーもおしまい。
あとはお土産屋と、ビアガーデン風のレストランがあるよ。
(公式HPより)
このあたりでは地ビールを生産しているようで、4種類をレストランでは注文できます。
ガラス工場よりも、こっち目当てで来る人の方が多そうである(本音)
以上。
【交通手段】後閑駅から徒歩15分
【入館料】無料
【混雑度】★★★(ちらほら)
【滞在時間】90分
【URL】