C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

韮崎市民俗資料館

 

韮崎市の郷土資料館です。

 

 

韮崎駅から徒歩で来たんだけど、30分近くかかった。

駅からは上りなのだ。

どうしてもっと駅に近いところでは無く、こんな山の中に建ててしまったのか(クレーム)

 

 

入館料は無料です。

 

 

入って突然でくわすドデカ人形は、5000年前の土偶である。

詳細は2Fで。

 

 

ジオラマ新府城

武田勝頼が1581年に、この韮崎に築いたもの。

 

武田氏は甲府に本拠を置いていたが、勝頼が継いだころには城下町発展により、だいぶ手狭に。

また武田の領国は拡大しており、中心地点を取るとすると韮崎となり、そこには広大な城下町を構えられる地形条件がそろっていたので、じゃあ引っ越すかということらしい。

 

 

んで引っ越したは良いんだけど、その翌年に織田・徳川連合軍にボコボコにされて、武田は滅亡することになる。

新府から勝頼が逃亡する際、城に火を放って行ったので、新築1年で終わってしまいました。

かなしいなぁ。

 

 

新府城ジオラマ、旗とか居館とか立ってた上掲のやつのほか、もう一つこれがあるんだけど。

こっちには地形以外なにもない、プレーン状態である。

地形だけでお楽しみください、ということかしら。

 

 

新築1年で壊された城ですが、続100名城に選出されています。

 

 

江戸時代の籠。

 

 

こんな資料カードが貼り付けられていたけど、他になんの説明もありません。

イメージを膨らませろ、ということだろうか。

想像力の欠けた現代人でごめんなさいね。

 

 

時計がポコポコ置かれているが、これらも詳細不明。

余ってたのかな?

 

 

また地形です。

新府城の位置を、俯瞰的に示しています。

左手前にあるよ。

 

 

目の前を大規模河川の釜無川が通っているほか、東側には塩川と言う河川もあり、天然の防壁となっている。

江戸時代の話になるが、この釜無川を利用した水運、さらに甲州街道や佐久往還・諏訪往還など主要道路も整備されて、交通の要衝としても発展しております。

 

勝頼くん、内政に関しては目の付け所が良かったんですかね。

長篠の戦いで無能扱いされてる感がありますが。

 

 

江戸時代の高札がデカデカと飾られている。

この裏に階段があるので、2Fにのぼりますね。

 

 

 

2Fにきました。

若干薄暗いですが、がんばっていきましょう

 

 

安定の縄文土器たち。

 

 

耳飾り。

もはやリングにすらなっていない土塊である。

まぁ祭祀用だと思われるし、多少はね。

 

 

奈良~平安時代頃の土器。

 

 

小学校から出てきた土器があるよ、探してね!

 

ちょっと難易度高すぎでは。

 

 

戦国、江戸時代に入ってきました。

 

 

農工機具たち。

 

 

先述の通り、韮崎は甲州街道・佐久往還(北杜市佐久市)・駿信往還(南アルプス市静岡県富士市)など様々な主要道路が交じり合うところ。

なので展示では「韮崎宿はジャンクション、さらにサービスエリアと物流センター」という中学生でギリギリ意味わかるかどうかな説明をしている。

 

それとも地元の中学生はこの説明で分かるんですかね。

車社会、トラック野郎の町(適当)

 

 

江戸時代の枡。

京都の枡をベースに、江戸幕府では全国統一の単位が定められた。

一升=1.8リットル。

 

しかし甲斐国ではこの統一規格を受け入れず、幕府に反対運動まで起こした末、伝統の「甲州枡」を継続使用できる許可を獲得している。

甲州枡は信玄公が定めたもの」という民衆のプライドが、この行動を起こさせたとか。

さすが信玄原理主義の甲斐である。

 

 

なお甲州枡では、一升=5.4リットルである。

統一規格の3倍じゃないか。

 

つまり甲斐人が「昨日、一升飲んじゃったよ」と言って平気な顔をしている場合、そいつと酒を飲むのは気を付けた方が良い。

こっちの記憶が飛んでしまいます。

 

 

「飯詰み(いづみ)」という民芸品。

藁で編んでおり、中は保温効果があるので、弁当を入れて保温したり、畑仕事の際に持って行ったりした。

 

暖かいせいでネコが住み着いてしまったが、彼はネズミを捕る大役があるので、許されている。

 

 

住居の再現ゾーン。

 

 

普通の民具だけかと思いきや、このハエ取り機具は初めて見た。

大正時代のものですけどね。

 

ネジを巻くと、左側のブロック部分がグルグル回り始める。

ブロック部分には砂糖水が塗られており、匂いにつられてそこに止まったハエは回転するブロックに巻き込まれてズタズタにされる。

 

なんだか恐ろしいな、おい。

 

 

網かごがセットされているので、ここにズタズタにされたハエが放出されることになる。

こう見えても、1919年発売されると大ヒットしたそうな。

 

 

んで時代が突然戻りますが、土偶です。

入口に置いてあった巨大人形の元ネタがこれ。

韮崎市の遺跡から出てきたもの。

 

 

ただの土偶だろと思いきや、そうではない。

ちゃんと顔の部分は磨かれて滑らかになっており、模様も細かく入れたうえで赤い塗料で色付けされている。

(赤い塗料は、朱の鉱石や赤土ベンガラから取れるので、縄文時代では頻出の色)

 

つまり「メイクアップされた美肌の土偶」ということで、『美土偶グランプリ』第2位に選ばれたそうな。

おめでとうございます。

どれくらい偉いのか全く分かりませんが、「ミス韮崎」くらいの認識で良いでしょうか?

 

 

こちらの土偶は「縄文の仮面小町”ウーラ”」。

小町って・・これ女性なのか?(疑念)

 

 

なんと大英博物館に、日本代表として出張展示されていた。

その名も「SAMURAI DOGU」。

武士なんていない時代ですけど、イギリス人にそんなこと分かりやしないから大丈夫!

 

 

あとは比較的あたらしい、明治~昭和頃の道具ですかね。

 

 

月琴。

あまりお見掛けすることはない気がします。

 

 

弦楽器つながりでバイオリン。

別にこれは今でも一般的だから、置く必要ない気がするが、きっと近隣住民が押し付け寄付していったのだろう。

 

 

「奉安殿」といって、この中に天皇陛下の写真や教育勅語をしまって奉っていた。

きっと学校や公的施設に置いてあったのだろうが、今やったら左側の人々から大層クレームが来て国会沙汰にまで持って行きそうである。

 

 

戦時中のグッズ。

 

 

赤紙かと思ったら、明治時代の召集令状だった。

予備役の軍人に、一か月程度の訓練を受けるよう通知するもの。

 

いきなりこんな紙が郵便受けに入ってたらビビりそう。

真っ赤だな~。

 

 

1960年代の計算機。

近未来すぎて使い方が分かりません。

 

 

上段には行灯が載っている。

 

 

その横に置いてある絵に、なかなかのサイケ感を覚えるのは私だけでしょうか。

 

 

館内おしまい。

外にもいくらか展示があります。

 

 

立派な水車。

明治~昭和まで、精米のために使われていたもの。

 

 

西洋館のようにも見えるが、蔵屋敷です。

造り酒屋「富屋」の主人が所有していたもので、もとは韮崎駅に近いところにあったが、ここに移築して来たもの。

 

 

内部は和室となっております。

 

 

この建物、朝ドラ『花子とアン』で、村の教会として使われたそうな。

だから入り口部分に「阿母里基督教会」と表札が出てたのか。

十字架も撮影の道具であり、この建物が教会に使われたことはございません。

 

なおドラマでも序盤に登場したきりなので、コアなファンでない限り記憶にない、と館員のオバチャンが言っていた。

 

 

ただ大正時代に皇族が訪れたことがあり、その際は西欧風の内装に変身させられていた。

思いっきり屏風とか置いてあって、へんちくりんな和洋折衷になってますが。

 

 

昭和天皇も1986年に韮崎を行幸し、韮崎中央公園で国体を観戦した際に座った玉座がここにぽつん。

さわると不敬罪になるから、やめようね!

 

 

一時は西欧風モデリングされましたが、いまは普通にぜんぶ和室です。

 

 

建物はもう一つあって、これも『花子とアン』の生家ロケセット。

残念ながら内部には入れません。

管理の手が足りなくて、ボロボロだから見せられないのかな(邪推)

 

以上。

 

 

【交通手段】韮崎駅から徒歩25分

【入館料】無料

【滞在時間】1時間

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

 

www.city.nirasaki.lg.jp

 

 

相俣ダム

 

群馬県みなかみ町にある相俣ダムです。

さすがに車で来たけれど、頑張れば上毛高原駅後閑駅からバスで来れる。

本数は1時間に1本程度と、思ったより多い(感覚マヒ)

 

 

ダムを見る前に、付属の資料室に入ります。

 

 

ちっさ。

まぁ来場者数とか考えると、この規模が適当か。

 

 

ダムカードはここにほったらかされているので、ご自由にお取りください。

無い場合は呼び鈴を推して係員を呼べばいいみたい。

 

 

チャレンジの付録みたいな模型。

 

 

展示内容はと言うと、パネルに細かい文字ガンガンで、行政の極みみたいである。

これ読む人いるのかしら?

 

(公式HPから。相俣ダム全景)

 

面倒なのでパネルを読まずに、帰ってきてから公式HPを読んだ。

 

群馬県のダムとして1956年に完成したのだが、試験時に漏水が発覚し、手に負えなくなった群馬県建設省に問題処理を委ね、建設省のもとで1959年に完成し、現在でも国交省のもとで運用されている。

なにやってんすかね群馬県

 

 

(公式HPから)

 

赤谷川と西川という2つの河川を相手にしている。

ダムを抜けた後の行きつく先は利根川

大洪水カスリーン台風後に整備された「利根川水系8ダム」(レンジャー並感)の一つとして、首都圏に対する治水目的で建設されております。

 

 

図書コーナー。

右側の漫画の同人誌感がハンパない。

 

 

映像コーナーもありますが、電源は切れてるので、自分で点けて見てね(節約)

 

 

作品はこちら。

DVDに混じって、太古の道具VHSもありますね。

いまどきの子供、知らんだろうなあ。

 

 

展示室の残り半分は、アート関係だそうです。

 

 

ダムに流れ着いた流木を使って製作したのだろう。

 

 

イス。

ご立派ですが、座ったら尻われそう。

 

 

それに混じってこんな写真おいてありますが。

ああそうー、君が見つけたのー、偉いねー。

 

 

そろそろダムに向かいます。

 

 

1分ほど歩くと、見えてきました。

 

 

堤体の上を渡って、本体に近づこう。

 

 

上流側を見ると謎の施設があるけど、なんなんだろうか。

 

 

その施設の足元、地面なのかと思いきや、あれゴミだわ。

ダムに流れ込まないよう、あそこに集まるように出来てるんだろうか。

いずれにしろ、あの施設にボートではいきたくないな。

 

 

ダム湖方面を見てみます。

谷っぽくなっていて狭いね。

 

 

放流部分の上部に来ました。

 

 

では、そろそろ下を見てみよう。

 

 

なかなかの高さ。

スキージャンプごっこしたら一発でdamnされると思います。

 

 

ところでこの部分、床に鉄板敷いてあるんだけど。

 

 

その鉄板に空いている小さな穴から下を覗いた風景。

あれ、鉄板の下に足場なんもなし?

 

ということは、万がいち足元の鉄板が外れて落下したら、そのままダイナミックジャンプを決める羽目になるということ。

なんと恐ろしい。

一瞬で葛西選手になるしかないな。スキー板ないけど。

 

 

恐くなったのでそそくさと避難して、離れた位置からダム全景を眺めます。

 

 

さっきあそこにいたんだもんなぁ。

鉄板はずれたら、それこそアディオスになってしまう。

 

 

というホラーな思いをして、最後にダム湖を眺めて終了です。

もともと湯島温泉というのがあったのだが、それがダム湖に沈んでしまい、温泉街は高いところへ移転して、それが猿ヶ京温泉となっている。

源泉はパイプ管か何かで引いてきてるのかしら。

 

そしてこの赤谷湖は「ダム湖百景」に選出されている。

ダムってそもそもそんなにあるんですね・・

思いっきりの曇り空であり、さらに霰も直撃してきたので、そそくさとトンズラしたのでありました。

 

以上。

 

【交通手段】後閑駅上毛高原駅からバス

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】30分

【入場料】無料

【URL】

www.ktr.mlit.go.jp

 

 

諏訪湖間欠泉センター

 

諏訪湖では間欠泉が沸いているので、それを展示する施設です。

上諏訪駅から徒歩15分ちょっと。

 

 

ここには「七ツ釜」と言う源泉地があり、これを周辺に引いて上諏訪温泉としている。

1983年に源泉地を拡大すべく掘削工事を行ったところ、ドバーっと噴出して間欠泉となった。

 

間欠泉が何なのかは、皆さん各自でWikiを開いてご確認ください(丸投げ)

 

 

間欠泉の噴出時刻は決まっているらしい。

時刻表かな?

 

 

まだ時間があるので、センター内をうろつくことにします。

 

・・しかし、館内やけに暑いな。

 

 

暑苦しい空気はあちらから来ている。

 

 

源泉が館内を流れているのであった。

そりゃ暑いわけだよ。

夏はヤバそう。

 

 

しかもかなり温度は高い。

下手に浴びると冗談ではなくなってしまう。

 

 

そんな熱湯を利用して温泉卵が作れるよ。

ただし卵は持ち込みできません、必ず館内でお買い求めください(ケチ)

 

 

2Fに上がりました。

 

 

右手のコーナーでは、オルゴールを扱っております。

諏訪湖でオルゴール?

 

 

日本電産サンキョーオルゴール(株)というオルゴール会社が諏訪にあるので、その出展である模様。

間欠泉と全く関係ないですけど・・設立時に出資でもしたのだろうか。

 

 

 

いちおうちゃんとオルゴールの説明はされている。

なお諏訪大社の下社秋宮の近くに、この会社のオルゴール記念館も建っています。

いかなきゃ(使命感)

 

 

オルゴールだらけのジュークボックス。

曲目は「エーデルワイス」「荒城の月」など音楽の授業的なものから、「いい日旅立ち」など渋め系を揃えております。

 

 

2Fの残り半分は、諏訪で撮影が行われたドラマ・映画について。

 

 

これは『いま会いに行きます』で使われたセットだそうな。

旧清掃センターにて撮影を行っている。

なんかゴミ臭そうな場所ですね(直球)

 

 

椅子も置かれてますが、座ることはできません。

竹内結子たんハァハァ」とか言いながら顔を椅子に擦り付けることも出来ませんので悪しからず。

 

そもそも竹内結子が使ったかどうか知りませんが(未視聴勢)

座ったのは中村獅童のほうかもしれない。

 

 

突然、深見家の墓が登場しますが、『それでも、生きていく』というドラマの道具だそうです。

深見東州の墓ではありません。

 

 

3Fは花火が置かれている。

 

 

毎夏にやっている諏訪湖の花火大会関連。

1949年に始まったもので、花火大会としては歴史は古い。

 

 

3万5千発もの花火を打ち上げるので、観客は多いであろう。

なので私みたいに混雑嫌いな人は、その時期を外して来ましょうね(営業妨害)

 

 

諏訪湖の底に縄文遺跡があるそうだが、なんでホラー系の字体にしますかね。

そして肝心の説明展示、剥がされてるし。

 

 

3Fなので諏訪湖の眺めが良いと思ったら、ガラスめっちゃ曇ってて、とても残念なレイクビューです。

理由はあとで分かります。

 

ここまで見終わったところで、「あと5分ほどで間欠泉噴出します」と館内放送が流れる。

トイレに行ってる間に見逃しました勢を防ぐためだろう。

 

 

噴出孔の近くに来ました。

最初に来た時は誰もいなかったのに、いまは観光客が10人ほど集まってきている。

 

予定時刻を過ぎると、ゴゴゴ・・と地鳴りや振動が僅かにはじまり、煙の量がモクモク増えてくる。

 

 

出てきたぞ。

噴水みたいだなあ。

 

 

と思ったら、突然ドバーっと噴出した。

あれ温度85度あるんだっけ。

飛び散ってきたらマズいですよ!

 

私の隣で写真撮ってたオラオラ系っぽい兄ちゃんも、思いっきり後ずさりしてた。

 

 

超絶高度は十数秒で終わり、徐々に下がってきて噴水レベルにまで戻り、数分してから噴出は終了。

 

だけど煙の勢いは止まらず、もはやセンター全体が包まれてサイレントヒル状態になってますけど。

そりゃ3Fの窓ガラス、曇るわけだわ。

 

 

この噴出、実は“自演”である。

かつては自噴していたのだが、次第に弱まってきて、ついには途絶えてしまったらしい。

だが観光向け要素として、機械を利用して源泉をドバっと打ち上げてるわけ。

 

自噴しなくなった理由をネットで(軽く)検索してみたが、特に出てこなかった。

上諏訪温泉の源泉として利用しているから、湯の汲み上げが関わってそうですが。

直接この件ではないが、諏訪市役所の職員が「地下の事は分かりません」と小並感満載のコメントをこの記事で ↓ 出していることから、たぶん誰も知らんのだろう。

 

www8.shinmai.co.jp

 

 

「上諏訪 七ツ釜間欠泉」伊藤芳朗ほか より) 

 

ちなみに自噴してた頃は、高さ50mの位置まで噴出していた。

さっきのはたぶん10mくらいで、それでも割と命の危険を感じたのだから、50mなんてぶち上げられたらたまったもんじゃない。

当時の写真を見ても、なんだか爆撃を食らっているようである。

 

なので自噴時は、源泉にパイプを突っ込んで諏訪湖に放流することで、噴出する湯量を抑えていたらしい。

自噴しなくなって良かったかもね(チキン)

 

以上。

 

【交通手段】上諏訪駅から徒歩15分ちょっと

【入館料】無料

【滞在時間】45分

【混雑度】★★★(ちらほら)

【URL】

www.city.suwa.lg.jp

 

諏訪教育博物館

 

上諏訪駅から徒歩5分の位置にある博物館です。

ずいぶん立地が良いな。

そして地方の行政施設感がぷんぷんする。

 

 

右手にある建物は教育会館で、何をしているか分からないが、きっと何かしているんだろう。

左手にみえるプレハブくさい建物が、博物館です。

 

 

入館料は無料。

なお開館日は平日だけであり、土日祝日はやっておりません。

人件費の削減にご協力おねがいいたします(白目)

 

 

館内は、まぁ外観通りにプレハブっぽさ満載である。

だいたい予想通りじゃなかろうか。

 

 

「教育博物館」と銘打ってるだけあるから教育モノがあるんだろうかと思っていたら、まず教科書の棚。

 

 

生活とか書写とか、懐かしの科目名である。

 

 

こちらは新しめの教科書。

がんがん道徳やって、自分を追い込んでいきましょうね(?)

 

なお棚にはカギが掛かっており、残念ながら手に取ることはできません。

 

 

そんなんで眺めていたら、館員さんがコーヒーを出してくれた。

入館無料なのにサービスまでしてくれるとは。

さすが教育県 長野。

うどん県は見習ってどうぞ(無関係)

 

 

ソファに座ってコーヒー飲んでる隣に、本棚があります。

こちらは自由に読めるよ。

 

 

しかし信州学ってなんなんですかね。

蕎麦の無駄のない食い方とか、クマの撃ち方とかかしら。

 

 

飲み終わってパネル展示に戻ります。

諏訪市内の小中学校を並べているようです。

 

 

こんな滑り台がある小学校があるらしい。

説明書によると「長野県で校舎内に滑り台がある学校は数校しかないが、これは最大のもの」とのこと。

 

「校舎内に滑り台がある」が普通のことのように書かれてるけど、そうなのか?

お金不足で撤去される遊具が多いなか、頑張ってクレメンス。

 

 

こちらの小学校では、「青い目の人形」を保有している。

 

1927年頃、日系移民の大量アメリカ移住によりアメリカで反日感情が強まっていたが、それを緩和するために行われた日米での人形交換。

アメリカの人形は「青い目の人形」と呼ばれ、12,000体が海を渡ってやってきましたとさ。

 

 

人形たちは「入国する」ことになるので、ちゃんとパスポートもってます。

大戦中に敵国の道具だとして殆どが廃棄させられてしまったが、隠されて生き残った人形も全国におり、諏訪でも何体か無事な模様。

 

 

展示室にも飾られていた。

横浜の人形の家で展示されていたけど、ここで遭遇するとは思わなんだ。

 

 

上の方には諏訪出身の教育者たちが飾られていますが、見上げると首が痛いのでスルーしますね(雑)

 

 

では次のゾーンへ。

 

 

ここから最後までは、諏訪市に棲息する動植物についてである。

 

なので普通の資料館チックになってきて、教育要素はおしまいです。

まぁこの辺も教育要素と言えばそうだが、もっと学校教育の歴史とかガンガン押し出してくるのかと思った。

 

 

八ヶ岳が写ってますが、上部に白い横縞があります。

写真がすれているのではなくて、「縞枯れ」という現象。

 

 

針葉樹林が立ったまま枯れるというもので、原因は不明。

おそらく若木がこれから生えてくるので、古い木が自然とお亡くなりになる現象かと言われている。

それにしても山全体を見ると、綺麗に横に縞模様ができますな。

 

 

盛大な感じになりましたが、剥製ケースの様です。

 

 

ツキノワグマくん。

 

 

「地上生活者」と書いてあるけど、人扱いしているかのようだな。

 

 

アナグマは穴居生活者。

家から出てこなさそう。

生活保護受給してそう。

 

 

キツネくん怖すぎやしませんかね。

 

 

剥製はあちらこちらに置いてありますが、この並べ順だとキツネが鶏肉ねらっているようにしか見えませんな。

 

 

モグラはなぜかわんさかいる。

 

 

ヤマネ。

ネズミとリスの中間のような姿であり、国の天然記念物。

八ヶ岳に棲息しております。

 

隠岐島隠岐自然館にあったパネル)

 

剥製にしてしまうとモグラと大差なくなってしまうので、違う写真を貼っておきます。

モグラとは違うのだよ。

 

 

鳥の剥製は数が多くて、ケースの中に幾らか押し込まれている。

 

 

魚に関してはもうホルマリン漬けにされてしまって、見るも無残である。

動物と差別されすぎじゃないですかね。

 

 

巨大なウシガエルくんもこのとおり。

 

 

諏訪湖の魚類についてのデータなんだけれど、1976年のものである。

古すぎだよ!

1976年生まれの人って、もう42歳だぞ。

 

 

植物・動物・魚ときたら、やっぱり出ますわね。

 

 

しかしこの建物プレハブで殺風景だから、彼らの本物が床に登場なさらないか、わりと不安になります。

 

 

トンボ類はなぜか棚の上に放置されていた。

ホルマリン漬けよりも可哀そうかもしれない。

 

 

さきほどの1976年に、中学生がカワゲラの新種を見つけたということで新聞記事にされている。

カワゲラ自体がなんなのか分からんが、とりあえず羽があって飛ぶらしい。

幼虫は「ざざむし」と呼ばれ、伊那の方ではソウルフード(?)として食べられている。

 

 

その新種カワゲラがこちら。

思ったより小さいね。

そして足だか触角だかが取れているやつあるけど。

 

脱脂綿と相まっていろいろと見ていて気分が悪くなってくる(貧弱)。

 

 

そういう人は、最後に石をみて落ち着きましょう。

いいねぇ石は。足が8本あったりしないから。

 

以上。

 

【交通手段】上諏訪駅から徒歩5分

【入館料】無料

【滞在時間】25分

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】

www.suwa-k.or.jp

 

 

毛呂山町歴史民俗資料館

 

毛呂山町にある資料館です。

川角駅武州長瀬駅のどちらからでも来れるが、いずれにしたって徒歩30分近くかかる。

到着した時点で疲労困憊である(老)

 

 

入場無料です。

いきなり大きな銅像がお出ましですが、これは毛呂山町名物の流鏑馬をしているところ。

詳細は展示室にて。

 

 

その展示室に入る前に、昔のオモチャが並べられている。

よくある光景。

 

 

しかし羽子板の少女漫画感がハンパないっすね。

高校の漫画研究会が描いたのかな?(すっとぼけ)

 

 

展示室内に入りました。

 

 

縄文時代からスタートする資料館と、旧石器時代からスタートする資料館がありますが、ここは前者の模様。

 

 

木に磨製石器を括り付けて凶器としております。

斧。

 

 

縄文土器

 

 

なんかすごい馬鹿デカいのあるなと思ったら、これは発掘された土器を3倍化させたものらしい。

こんなのリアルに発掘されたら大ニュースになってしまう。

そして毛呂山町からボッシュートされ、県か国の博物館に収納されるでしょう(憐憫)

 

 

縄文土器の作り方を原材料から解説している資料館は初めて見た。

粘土に砂や植物繊維を混ぜます。

 

 

素地ができました。

 

 

底の方から形をつくっていきます。

粘土をひも状にして、グルグルする。

 

 

あとは縄文土器おなじみの紋様を付けて乾燥させ、焼き上げると完成。

 

 

次は古墳が出てきた。

弥生時代をすっ飛ばしているが、その時代の遺跡は見つかってないんだとさ。

 

 

須恵器も登場してグレードアップした感があります。

 

 

これは古墳に埋められていた棺桶の蓋。

 

 

発掘の段階。

左上→右上→左下→右下、の順で掘りました。

 

 

そして発掘されたところの模型だけど、変にリアルなの止めてもらっていいですかね。

 

 

その傍らに置いてある、謎の機器。

 

 

window95と並ぶレベルのハイテクっぷりに見える。

何に使うんだこれ。

というか、買い替えてクレメンス。

 

 

中世になりました。

毛呂山町のあたりには、まんま毛呂氏という一族が陣取っていた。

 

屋敷は上の図の①、八高線毛呂駅の周辺。

駅前の一等地に買えなくて残念だったね(迫真)

 

(毛呂氏のご自宅)

 

この毛呂氏、先祖をたどると藤原氏になるそうな。

それも道長・頼通を出した藤原北家である。

なんでこんな片田舎に落ちてきたんですかね、慢心・環境の違い。

 

藤原北家奈良時代藤原四兄弟から連なる古い家系なので、子孫なんて大量にいて貴族なり武士なりで各地に散らばりまくっているから、ここにいても不思議ではない。

 

(江戸時代に毛呂氏の子孫が書いた、毛呂マップ)

 

しかし腐っても藤原家ということで、鎌倉時代には源頼朝の近臣に置かれて重用された様子。

朝廷工作ということであれば、高貴な家柄は役立つだろう。

ただでさえ源氏は「田舎臭い」として京の公卿たちからコケにされていたし。

 

だが北条家の勢力が拡大するにつれて、毛呂氏は表舞台に出てこなくなるようです。

あぼーんされてしまったのかしら。

 

(1504立河合戦の土地、の現在の様子)

 

次に出てくるのは室町時代

山内上杉vs扇谷上杉の争いを1487年からやっているわけだが(長享の乱)、毛呂氏は山内上杉側に付いていた。

 

1504年の立河合戦では、扇谷上杉側に北条早雲や今川家が付くなど大バトル感満載であるが、これに毛呂氏も参戦し、そして敗れたという(哀悼)

 

 

このときの戦死者のために、毛呂顕繁が作った念仏鉦が現存しているそうな。

ツルッツルですねぇ(台無し)

 

なお合戦では山内上杉が負けたものの、勝って油断している扇谷上杉に対し速攻をかけてボコボコにして、最終的な勝利を得ております。

やっぱり扇谷って駄目ね、太田道灌殺すからそうなるのよ。

 

(毛呂氏が開基した妙玄寺)

 

そのあと上杉を押しのけて北条が台頭すると、毛呂氏はいち早く掌クルクルさせて北条に寝返っております。

だから旧主君である山内上杉にボコられるんだけれど、北条が救援に来て、この一帯は北条の支配が強まるという経緯。

 

北条バックアップにより余裕が出来たので、お寺も建てたよ(小学生)

 

 

出雲伊波比神社という奈良時代から存在する古社を再建するなど、地域の信仰を援助して地元住民の心をつかみます。

「毛呂大明神」という名称が、この神社には付けられている。

毛呂氏、神様になっちゃったよ。

 

 

北条方に付いていたわけだから、戦国末期には当然のように秀吉にやられます。

八王子城に籠って奮戦したが、あえなく撃沈。

毛呂氏一族は「解散!」させられて、各地に散っていきました。

 

しかし一体どこに城があったのか分からない位、山まみれですね八王子。

これが東京都の本気ですか・・

 

 

さきほどの毛呂大明神、「秀吉との戦に備えて武器製造するから鐘を拠出せい」と北条から命じられている。その文書。

大明神かわいそう(幼稚園児)

 

 

時代が戻るが、毛呂の付近には主要道路である鎌倉街道が通っていた。

ただ鎌倉に通じていれば片っ端から鎌倉街道よばわりされており、「上道」「中道」「下道」とかやたらあるのだが、そのうち「上道(かみつみち)」が通っていたそうな。

 

 

これがその街道跡です。

まぁ自然豊かな道路ですねぇ(白目)

 

これでも一応、苦林野という地点に宿場町があったとされているが、発掘の進捗具合についてはお察しください。

 

 

その苦林野では南北朝時代の初期、初代鎌倉公方 足利基氏vs宇都宮の芳賀氏の戦闘が行われている。

宇都宮の人がここまで出張して戦してるって、行動範囲どうなってるの・・

 

写真は戦が行われた場所を示してますが、まぁ雄大な合戦場ですねえ。

 

 

鎌倉時代末期に造られたとされる巨大板碑くんも。

 

 

この辺は江戸時代です。

 

(江戸時代に描かれた宿場町の様子)

 

宿場町と言うことで、江戸時代にもそれなりに発展はしております。

さっきの林道見てるとすごい不安になるけど。

 

 

現在もちゃんと道路はあるよ。

 

 

この辺は地域の名望家ゾーン。

 

 

国学者の権田直助という人の肖像画ですが、国文学者なのに西洋画スタイルにしているのは如何なものか(攘夷並感)

 

俳人 川村硯布の肖像)

 

やっぱり大和男児なるもの、日本画スタイルで行くべきである。

あとで見たときに、一体誰を描いたのか分からなくなりそうだが。

 

 

ここから流鏑馬タイムです。

 

 

さきほど登場した毛呂大明神にて、流鏑馬イベントを恒例行事にしているそうな。

武蔵武士といえば、馬と弓。

中世っぽいすね。

 

 

ただお金足りないので、皆様からの募金お待ちしております。

 

 

流鏑馬の衣装がこれ。

ちょっと神事とはいえ、一体どういうことなんですかね。

美輪明宏インスパイア?

 

 

頭の横にでっかい輪っか作ってるし。

これ何に使うんだ。

ボールを投げて通ったら大吉、とかやるんだろうか。

 

 

流鏑馬で射た矢は、拾うと養蚕が豊作になるということで、奪い合いになるらしい。

楽しそうでなにより。

 

 

蚕の展示がこれ。

 

 

んで、流鏑馬ゾーンにぽつんと立っているパネルは、醤油醸造に関する物。

吉野川周作という人が千葉の野田で醤油づくりを学んで、それを故郷に持ち帰って産業化させた。

毛呂山は醤油職人の街になり、各地方に職人が出向いて指導を行ったそうな。

 

なお毛呂山では無くて日高市に「醤遊王国」なる醤油施設がありますが、こちらとの関連性は定かではありません(適当)

 

 

同じ醸造でも、酒の方はもっと早いよ。

江戸時代には複数の酒造があったらしい。

現在では「琵琶のさざ浪」でお馴染み、麻原酒造だけになってしまったが。

 

 

以上で館内はおしまい。

外に出ると、意外とおおきな広場。

 

 

古墳やら農具小屋などがありますが、小さい羽虫がすごい多いので、遠目にみるだけにしますね(田舎あるある)

 

 

資料館へはバスもあるんだけれど、名前が「もろバス」。

もうちょいなんとかならんかったのか・・

 

 

本数についてはお察しください。

 

以上。

 

 

【交通手段】川角駅武州長瀬駅から徒歩30分

【入館料】無料

【混雑度】★★(2~3人)

【滞在時間】60分

【URL】歴史民俗資料館 | 毛呂山町