C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

信楽寺 坂本竜馬の妻おりょうの墓

坂本竜馬の妻である楢崎龍(おりょう)の墓が横須賀のお寺にあるのです。竜馬って土佐の人なのに、なぜ横須賀?と不思議に思いますが、一通り見て行きましょう。

 

 

復習

そもそも、おりょうって?

下記はWikipediaで読んだ知識です(こなみ)

1841年京都生まれ。父は富裕な医者だったけれど安政の大獄で捕縛されたのちに病死。一家は貧窮に陥り、尊王志士たちの通う旅館で働いていたところを竜馬と出会いましたとさ。おりょうは美人だったので、竜馬側がベタぼれだったそうです。

なお、おりょうの写真は↑だと長年言われていましたが、どうも違うらしいと読売新聞が2014年に報じております。

 

なぜ横須賀に墓が?

竜馬の死後、おりょうは竜馬の実家に引き取られましたが、そりが合わずに3か月で出てしまったそうです。それから妹の嫁ぎ先→京都→東京と知人を頼って転々とし、神奈川宿の料亭で働いていたとき、呉服屋の若旦那 西村松兵衛と再婚して横須賀に移住しました。

 

しかし竜馬の妻なのだから、横須賀なんぞに行かんでも手を差し伸べてくれる人がいくらでもいると思うわけですよ。↑このへんとか(左は勝海舟です)。

おりょうさんはどうも性格が悪かったらしい。海援隊の志士からは「竜馬を笠に着て威張ってやがる」、おりょうの妹婿からは「品行が悪く、面倒などみたくない」とボロクソの批評をいただいております。

(晩年のおりょう。この写真は本人だそうな)

横須賀に来たおりょうさん。50代の頃にはアル中になっていたそうで、「私は坂本龍馬の妻だぞ」と再婚相手に悪がらみしていたらしい。面倒くせぇ・・

そこへ夫に先立たれたおりょうの妹が転がり込んできたのですが、なんとこの妹とおりょうの再婚相手(西村)がデキてしまい出奔!取り残されたおりょうは、ひとり狭い貧乏長屋で晩年を送りましたとさ(完)

 

お寺の概要

意外にも胸くその悪い話でしたが、気を取り直して信楽寺を見たいと思います。

京浜急行京急大津駅から徒歩10分です。住宅街の中にあり、分かりづらいかもしれないのでグーグルマップと相談して来ましょう。 

入場料は掛かりません。普通の寺院であり、観光地仕様ではありません。

勤王志士の皆様におかれましては墓参りの方々の迷惑にならぬよう、穏便にご来場いただきたい。境内での尊王攘夷は法律で禁じられています。

 

おりょうのお墓

寺院に入って左奥、これがおりょうのお墓。

横に付いている説明板によると、葬儀はささやかに行われたそうな。 

石碑には「贈正四位 阪本龍馬之妻 龍子之墓」と書いてある。墓碑が建てられたのは、おりょうの死から8年後のことで、有志の政治家らによる資金援助のもと、おりょうの妹&西村松兵衛が主体となって建てたそうです。

お前ら、おりょう見捨ててたやろ!内幕がひどすぎて笑ってしまう。

 

それに、おりょう死去時の苗字は西村なんですけどね、坂本として墓碑が刻まれてますね。まぁこの方が分かりやすいし、何より西村松兵衛さんが嫌がったのかもしれない。

そんなわけで横須賀はおりょうにとって不憫な晩年の土地なのですが、知ってか知らずか、大津の街では「おりょうさん祭り」を毎年秋にやっております。おりょうの怒りを鎮めるには良いかもしれませんね(適当)

 

おしまい

 

【滞在時間】10分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】13.信楽寺(浄土宗)・坂本龍馬の妻龍子の墓|横須賀市 

澤田美喜記念館

 

澤田美喜記念館は、その名の通り、澤田美喜さんと彼女のコレクションを記念する館である 

 

 

 

「そもそも澤田美喜って誰?」ということであるが、

この人は三菱の創業者である岩崎弥太郎の孫娘にあたる。

クリスチャンの外交官と結婚したことでキリスト教に改宗し、海外生活をしていた際に訪問した孤児院の活動に感銘を受け、自らも国内で1948年から孤児院の経営を行った。

 

 

 

 

孤児の多くは、進駐軍と日本人女性の間に生まれながら放置された「GIベビー」であり、孤児院は周辺住民だけでなく日本政府・進駐軍からも当初は冷遇されて、経営は窮乏していたそうだ。

それでも澤田さんの頑張りにより、1955年には昭和天皇も来園されるなど、活動は実を結んでいった。

1958年には、NHK紅白歌合戦の審査員にも選ばれている。

 

 

 

 

その孤児院からはじまったのが、この入り口右手の「エリザベス・サンダース・ホーム」で、敷地内には学校も建つ。

記念館に行くには入って左手に進むのだが、間違えて右手に行くと警備員さんから怖い目で見られるので気を付けないといけない。

 

 

 

階段をのぼっていく。

 

 

けっこう険しい(大汗)

 

 

 

 

そしてどかんと現れるのが記念館。

こんな形をしているのは、ノアの箱舟をイメージしたんだと。

 

 

 

 

玄関への手すりが十字架だらけでびっくりする。

 

 

 

 

館内は澤田美喜さんについての展示というより、この人が持っていた隠れキリシタングッズが殆どだった。

 

 

 

まずは有名な踏み絵。

もともとは信者から没収したキリスト系グッズをもとに、右上のような紙に絵を描いて、それを踏ませていたらしい。

だが紙だとすぐぼろぼろになるので、その後は教科書で見られるように、十字架を板にはめ込んでそれを踏ませることにしたようだ。

 

 

 

 

隠れキリシタングッズはかなり面白い。

続いては、剣の鍔である。

禁教がされる前の鍔は、このように堂々と十字架をあしらったものになっているが

 

 

 

禁教後は十字架要素はなくなっている。

しかし写真だと見づらいのだが、鍔の中に人が描かれていて、その人の胸のあたりに小さく十字架が金で刻まれている。

こんな風に、目を凝らさないと分からない範囲で、十字架をこっそり書き込んでいる。

 

 

 

 

 

こちらは、正面から見るとただの地蔵だが

 

 

 

背中にはおもいっきり十字架。

仏壇とかに置いとけば、この背中を見られることはないからね。

 

 

 

 

その発展形が、この観音像である。

テレビのリモコンみたく背中が外れ、中に十字架をしまい込む。

匠もびっくりの荒技である。

 

 

 

 

極めつけはこれ。

家康の像なのだが、なんと首が着脱可能で、その首の下に十字架が彫ってある。

禁教令を出した家康自身の首に描くこと自体がすさまじいアイロニーであるし、像とは言え家康の首を引っこ抜いたら幕府の武士たちも首チョンパである。

まさに灯台下暗し。

 

 

 

紹介するとキリがないほど、隠れキリシタングッズがあった。

というか、よくこれだけ集められたな、澤田女史。

 

 

十字架グッズもすさまじい量である。

 

 

 

東方の三賢者とおぼわしき像。

ロウソク台になっちゃってるけど、いいのだろうか。

 

 

あと、期間限定で展示されているのは、魔鏡。

見た目は普通の鏡なんだけれど、光に反射させてみると像が浮かび上がって、あら不思議というもの。(上の写真は鏡の裏面で、表面は普通の鏡になってる)

京極夏彦京極堂シリーズで題材にされてたけど、実物をみれるとは思わんかった。

 

 

 

 

魔鏡に光を当てると、こういう像が浮かび上がる。

仕掛けを書くと長くなるので、Wikipediaをご参照ください(笑)

魔鏡 - Wikipedia

 

見た目は普通の鏡なので、幕府の武士たちもまさかキリシタングッズとは気づかないだろう。

こうまでして信仰心を守る隠れキリシタン、壮絶である。

 

 

 

ちなみに澤田美喜さんの経歴については、配布資料のように束になって部屋の隅に置かれている。

各自みといてくださいねーって感じ。

まぁ澤田美喜記念館というより、澤田美喜さんの隠れキリシタングッズ資料館になっているからね、仕方ないね。

 

 

 

2階部分は礼拝堂。でおしまい。

 

 

 

というわけで、思わぬ収穫を得られるマイナー資料館の鑑、といった場所であった。

あと(ほかに客がいなかったからだと思うけど)、スタッフさんが展示品について丁寧に解説してくれたのがありがたかったな。

大磯駅前にあるので、この駅で降りる際はぜひ寄って行ってもらいたい場所である。

 

以上

 

 

【交通手段】大磯駅から徒歩2分

【入館料】500円

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】澤田美喜記念館

 

 

旧島崎藤村邸

 

国道1号を進んでいると、上り線側に突然案内表示が現れるのが、島崎藤村邸だ。

 

 

 

表記の通り進んでいく。

完全に裏道だが、大丈夫か?

 

 

また案内板。

 

 

 

最初の表示から徒歩2分。すぐ着いた。

しかし向かい側には・・

 

 

 

 

完全に普通の民家なんですが。

まわりも民家だらけなので、溶け込んでしまっていて最初わからなかった。

 

 

 

 

ただ入り口に小さな看板があったので、とりあえず安心。

 

 

 

ちなみに駐輪場もあるよ。

 

 

 

門をくぐると、人感センサーに反応して、「てれれれれ~れれれ~♪」とメロディが鳴り、ずっこけそうになる。

そのメロディを聞きつけて、おそらくこの建物の奥にいた受付の人が現れる。

 

 

 

島崎藤村といえば「夜明け前」なので、木曽のイメージしかなかったが、

本人は大磯をえらく気に入っていたようで、最後はここで没したようだ。

 

 

 

かなりの収入があったと思われる文豪にしては落ち着いた住まいだなと思いきや。

受付でもらったパンフレットによると、当時のサラリーマンの30年分の年収を費やしてこの敷地を買ったとのこと。

はんぱないな、文豪。

 

 

 

庭は昔のままであるようだ。

 

 

しかし建物の中へはあがれないのが残念だね。

縁側に座って中を覗き込むくらいしか許されないのである。

 

 

 

まぁこうして邸宅跡が残っているだけでも、執筆当時の風景を知れて良いのかもしれませんね。

 

 

以上。

 

 

【交通手段】大磯駅から徒歩10分

【入場料】無料

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】旧島崎藤村邸/大磯町ホームページ

 

 

 

大磯町郷土資料館

 

大磯町郷土資料館は、大磯に関するいろいろを展示する資料館である。

 

 

 

吉田邸地区の対面にあるのが、城山公園。

 

 

 

 

 

 

 

涼味や華やいだ感じのある吉田邸地区とは打って変わり、鬱蒼とした感じをしている。

 

 

 

 

 

 

これが資料館。

吉田邸の方は観光客が結構いたが、こちらにその姿は見えない。

 

 

 

 

館内で撮影をするには、受付で申請する必要がある。

申請書に氏名や住所を書くだけで、すぐに交付してもらえた。

 

 

 

入り口をくぐると、いきなり目に入るのがこの三角頭の欄間である。

サイレントヒル2を思わせる。

 

 

 

このあたりは三井財閥でおなじみ三井家の別荘が建てられていた。

そのうち総領家が保有していた城山荘をオマージュして建築されたのが、この資料館。

確かに写真左の城山荘と、この資料館の外観は似ている。

 

 

 

 

この城山荘、全国の社寺の古材を利用して建築されたとのこと。

さっきの欄間も、そうして作られた装飾の一つである。

 

 

 

 

欄間には龍が彫られている。

意味は分からんが、良い感じ。

 

 

 

 

奥の資料室までの廊下。

 

 

縄文・弥生時代の土器?

 

 

短歌的なもの。

 

 

 

 

資料室はけっこう広い。

 

 

 

宗教・祭りゾーン

海に山もあるということで、それらへの信仰も強かったようだ。

 

 

 

 

別荘を持っていた人たちの図。有名どころがとても多い。

まぁほぼ跡形もなく消えてしまっていて、西園寺邸は悪の組織みたいな厳重ガード装甲で近寄れないし(居住者がいるのだろうか)、伊藤博文邸は大磯プリンスホテルの施設になっているようだが、近くを通ったら営業している感じが無かった。

 

 

 

三井家の別の別荘模型。

 

 

 

城山荘の骨組み模型。

どうしてさっきみたいな完成型でなく、骨組みだけにしたのだろうか?

 

 

 

展示品はバリエーションがあって、あとは横穴古墳とか

突然エモい骸骨だ。

 

 

 

サーフィンが日本で始まったころの、古いボードだとか

 

 

 

海洋生物のトロピカルな展示まで。

宗教から別荘から古代に生物まで、幅広く扱う資料館である。

 

 

 

館内は無料なうえに空いてるし、大磯観光で小休止としては良いポイントだなと思いましたとさ。

 

以上。

 

 

【交通手段】大磯駅からバス5分、「城山公園」下車。

【入場料】無料

【混雑度】★(誰もいない)

【URL】郷土資料館/大磯町ホームページ

 

 

旧吉田茂邸地区と吉田邸

 

 

大磯は、吉田茂の自宅があった土地である。

その屋敷周辺は、旧吉田茂邸地区として公園整備されている。

 

 

 

 

大磯駅から吉田茂邸地区までは歩くと30分程度。

バスは10分単位で出ていて、最寄りの「城山公園」までは5分。

タクシーだらけでバス停の位置が分かりづらいが、道路わたって右手の方である。

 

 

 

 

「城山公園」で下車し国道1号を西へ向かってちょっと歩くと入り口。

 

 

 

 

 

土日はガイドもやっている。

 

 

 

 

公園への入場門。

サンフランシスコ講和条約締結時に、記念として建てられたものだそうだ。

 

 

 

 

入園して最初に見えるのは、日本庭園。

予想以上の規模。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

庭園から上への階段をのぼり、吉田茂像へ

 

 

 

 

 

鬱蒼とした道を抜けると、開けた道路。

 

右手に太平洋が広がるのだが、潮風を防ぐため松が大量に植えられている。

よって海は見えないが、ところどころ木の間を風がくぐり抜けてきて、それが涼しい。

 

 

 

逆光で見えづらくなっているが、吉田茂像。

 

 

ここからなら海が見渡せる。

 

 

 

さらに奥のほうへ。

 

 

坂を下って、入り口方面に戻っていく。

海側へは松が多かったが、この辺りの樹木は様々で、木かげ木かげ。

 

 

 

入り口の日本庭園の前に戻ってきたら、今度は庭園の向かいにある旧吉田邸へ。

 

 

 

吉田茂の邸宅自体は2009年になんと火災で焼失してしまったのだが、

再築されて2017年から一般公開されるようになった。

 

 

というわけで邸内はやたら新しい。

受付で入場料500円を払って右手に行くと、まずは応接間。

 

 

 

椅子の間隔ちかいな

 

 

 

吉田茂とゆかりのある人々

 

 

階段上がって2階へ

 

 

 

和室になっている。

新築なので、木の香りがすごい。

 

 

うらやましいヒノキ風呂。

 

 

書斎。

和室の片隅に書斎を設けるってなかなか珍しい。

 

 

 

書斎の本棚。

 

 

官邸直通の黒電話があったそうだ。

8年ほども首相をやっていたからこそだが、大磯まで直通電話引いてるってすごいな。

 

 

 

蔵書?

「スポーツ人生万歳」なんてハイテンションだな。

 

2階から降りて1階へ。

 

 

この石あとは、旧邸宅焼失前には建物があった箇所らしいが、

再築はされなかった部分である。

おそらく予算の事情なのだろう。

 

 

 

ただ再築されたおかげでエレベーターが設置されるなど、

バリアフリー吉田茂である。

 

 

 

壮大な食堂部分。

庭園が見えるのがgood。

 

 

高知にルーツを持つ吉田は、その地酒の司牡丹がお気に入りだったようだ。

左のラベルいいな。

 

 

 

食堂からは庭園が見渡せる。

基本どの部屋にも大きな窓があって、外が見えるのが良いところ。

 

 

食堂を出ると、本館はおしまい。

ここからは新館部分である。

 

 

 

これは金の間。室内にいろいろ金が使われているそうなのだが・・

 

 

いまいちよくわからないな。

 

 

 

 

この取っ手の部分がそうなのだろうか。

 

 

 

額縁や襖も、ほんのりゴールドな気がする。

 

 

 

これまたヒノキ風呂。

 

 

 

あと1つあるのが、書斎兼寝室である銀の間。

ベッドと本棚しかない、けっこう侘しい部屋である。

この部屋の銀要素はよくわからなかった。

 

 

吉田邸おしまい。

 

 

 

 

邸宅部分は有料だったけど、庭園部分は無料だし広いから、のんびりするにはいいかも。

案外たのしめる場所でした。

 

以上。

 

 

【交通手段】大磯駅からバス5分、「城山公園」下車

【入場料】500円(吉田邸のみ)

【混雑度】★★★(写真撮ると他人が映り込む)

【URL】大磯町郷土資料館・旧吉田茂邸サイト