偕楽園
水戸の偕楽園です。
日本三大庭園の一つである。
「三大庭園なのに門しょっぼ」と思われたろうが、この門は南門であり、正門的なのは東門である。
普通に東門から入れば良かったのだが、人生いろいろあって、今回は南門に来てしまった。
南門から東方向へ。
公園内は一部を除いて無料なので、普通にウォーキングしている人がちらほら。
斜面には梅の木が植わっており、これをみて正岡子規が
「崖急に 梅ことごとく 斜めなり」という俳句を残している。
え、見たまんま書いただけじゃん・・
まぁ私にはきっと俳句心が無いから、こういう感想になるのであろう。
柿を食っても鐘は鳴らないのである。
階段を登って、園の中心部の方へ。
偕楽園は、水戸藩主9代目の徳川斉昭が1842年に造園したもの。
この人は弘道館も作っているが、「文武で頑張った人たちが休息に使えるように」ということが、造園のきっかけである。
階段を登ったところ。
まぁ水戸藩は壊れた家も直さずに放置しておくような質素倹約ぶりで、弘道館の建設すら賛否両論だったのに、よく造園費用だせましたねという感じなのだが、そこは藩主のパワーで決めたのだろう。
石碑には偕楽園造園にむけた徳川斉昭の気合が書かれているそうだが、薄れてしまって読めません(こなみ)
偕楽園というのは、「領民の皆とともに楽しめるように」という意味が込められている。
上述の通り、休息の場なのである。
そのわりに、開園当初は武士および認められた一部の階層しかダメで、一般ピーポーは入園できなかったけどね!
思いっきり名前詐欺である。
さて、奥に見えるのは好文亭ゾーンの入口。
園内唯一の課金部分である。
入場料200円を払って中へ。
これが好文亭。
催し物などをおこなうイベントゾーンとして徳川斉昭みずからが設計したもの。
大戦中に殆ど焼けてしまったが、戦後に再建して1958年に元通り。
そのあと1969年に奥御殿へ雷が当たって全焼という、アンラッキー極まる事件もあったが、彼は元気です。
各部屋の襖には花々の絵が描かれていて、それで部屋の名前が決まっております。
ここは菊の間。
お次は桃の間。
食事の準備場所として使われていた。
建物の襖に関しては2016年から3か年をかけて大々的に修理を実施していた。
芸術の偉いせんせーとかを招いて、新しい襖に絵を描きなおす等。
つつじの間は、すごい岩山みたいに見えますね。
庭の風景もちょろっと。
松の間。
藩主婦人が好文亭にきたときの、休息の間。
心静かに待たれよ、という感じである(なんとなく)
一方で紅葉の間は、藩主夫人のお付きのものが控える間である。
お付きの者、こんな艶やかな部屋に居てよろしいのかしら。
まぁ松の部屋に比べると心落ち着かない感じはするので、「お付きの者は休んでなんかおらずに注意力を維持しておれ」な意図なのかもしれないし、別に違うかもしれない。
竹の間。
紅葉の後だと田舎臭く感じてしまうが、まぁ素朴な味わいで良いんで無いの(タケノコのイメージ)
また艶やかな雰囲気になったのは、梅の間。
藩主夫人の居室として使用され、大正天皇が皇太子時代に訪問した際もここに宿泊している。
梅が有名な偕楽園だけあって、梅の間は地位が高いのだろう。
いきなり落ち着いた。
清の間。
ここまで鮮やかな襖ばかりだったので、すこしは白いのをみて落ち着け、という粋な計らいなのかもしれない(?)
メインディッシュばかり続いても疲れますからねぇ。
そしてまだまだ部屋数はあるのだ。
うげー(疲労)
この萩の間も、紅葉の間と同様に、藩主夫人のお付きの者が控えている部屋である。
良い御身分ですねぇ。
桜の間。
特に説明は無し!
廊下を抜けていきます。
中央が盛り上がっている?太鼓橋な廊下を通って、奥御殿に進んでいく。
大きな広間に着いた。
東広縁。
徳川斉昭が、80歳以上の家臣や老人を招いて労ったりしていたらしい。
通称「老人ホーム」(大嘘)
部屋は広いのにトイレは超絶狭い。
ここが藩主の間。
好文亭で謁見する場合は、この部屋を用いましたとさ。
藩主の間を挟んで、西広縁。
文人墨客を集めて、てんやわんややっていた場所。
西広縁を抜けたところには「対古軒」というゾーンがあって、客人が場に出る直前にここでスタンバイする。
舞台袖 兼 プチ控室な間なのだろう。
階段を登る。
まるで梯子のように急傾斜だ。
のぼりました。
のぼった矢先に、こんな小部屋。
配膳室であるようだ。
配膳用の手動エレベーターがあって、階下と繋がっている。
見下ろすと、こんな風。
ここがメインの間。
少人数の客人をここに上げて、酒肴でもてなしたのだろう。
VIP席。
こんな面白い形で廊下と繋がっております。
正面から見た図。
んで、東側を眺めた図。
良い案配で千波湖が視界にはいる。
西側はあんまなんもないな(雑)
階段をおりませう。
階の途中に、武者控室がある。
最上階にあがっている客人の部下が、ここでスタンバっているのだろう。
せまいせまい。
1Fまで降りてくると、配膳室部分にあたる。
あそこからエレベーターで上階に運んでいる模様。
このエレベーターは徳川斉昭の発案らしい。
てなわけで好文亭は見終わりました。
受付の方に戻ればよいわけだが、奥にまだ道がある。
「待合」という部分。
茶室に招かれた客が、いったんここで待機する場所。
建物の中にいれてあげなよ(憐憫)
さらに奥に進むと、こんな門があった。
茶室へはここからはいっていたのだろうか。
すごい勝手口感がしてならないが。
好文亭は見終わりましたが、偕楽園はまだまだあるのです(げっそり)
園の中央部分にいるので、西側を通って北の表門・御成門を経由して東門に向かいます。
あっという間に林に入った。
夏は涼しげ。
冬は寒い(直球)
吐玉泉というものがあるので、そちらに折れます。
階段を降りる。
道中で次郎杉なるものに出会いましたが、台風で根こそぎやられております。
渡り廊下っぽい道を行く。
これが吐玉泉。
あれ、思ったより現代的である。
いちおう徳川時代からあるものなのだが、樋管とか老朽化したからリフォームしたのだろうか。
説明書きを読むと、この水には眼病に効くという定評があるそうな。
しかし、あまり飲む気にはなれませんね・・
傍らには水質検査の合格書みたいなのが置いてある。
ふーむ、じゃあ大丈夫か。
と思って飲んだ。
味は普通。
んで飲んだ後に、この注意書き発見。
おい!そういうことはもっと早く言ってくれ。
ちなみにこの2日後に私、激しい胃腸炎に見舞われて、その週かなり寝込んだのですが、まさか・・
南方向へ行くと、入場してきた南門へ戻ってしまうので、
北方向へ戻ります。
降りてきた道を登るのだ。
いい加減暗くなってきて、灯りとともにもののけ姫感が増してきた。
夜は夜で別の趣がある。
たどり着いたのが表門。
ここが本来の正門であるが、まわりはもう住宅街であり、水戸駅からアクセスするには遠い入口なので、いまでは裏口みたいである。
北東方向へ。
梅林ゾーン。
すっかすかですねえ、冬だから当たり前だけど。
12月下旬から咲き始める種もあるそうだが、ちょうどその直前くらいなのでタイミングとしては最悪な時期である。
そして北東部分にあるのが御成門。
梅林を通って、ゴールの東門へ。
梅は種類にもよるが2~3月ころが一番良いらしいので、皆さんそれくらいの時期にお越しください。
私は混むのが嫌なので、こういう閑散期ばかり狙っていますが。
東門の近くにはお土産ショップなど、門前町っぽさを醸し出す。
東門にたどり着きましたとさ。
以上。
【入場料】無料(好文亭のみ200円)
【混雑度】★★★(ちらほら)
【滞在時間】90分(好文亭45分)