C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

水戸城二の丸展示館

水戸城の藩主御殿は二の丸にあって、現在は資料館が建てられているのだ。

水戸駅から徒歩15分。立派な観光地である弘道館とは5分程の距離なので、ついでに寄れる距離です。

二の丸周辺は図書館や学校など文教地区になっており、資料館の横にあるこの建物はなんと中学校だそうです。ずいぶんお洒落な校門だなぁ。

瓦の上に登って猿飛佐助ごっこをやりだす中2やDQNが出ないか心配です。歴史は守りましょう(物理的な意味で)

そんなわけで水戸城跡地にはいろんな施設が立っているから、見学できる部分は少ないんですね。

入館料は無料ですし、誰も居ません。小規模な資料館である。

展示の量もぎっしりあるわけではなく、天下の水戸藩にしてはスペースに余裕がありすぎる気がします。もっといろいろ置いてくれても良かったのよ? 

水戸城の模型でござる。真ん中のブロックが二の丸。左のブロックが弘道館のある三の丸です。

本丸は右側なんですけどね、本丸なのに倉庫として使われていたそうです。ほ、本丸先輩・・(憐憫)

戦国時代以前に水戸を治めていた馬場氏や江戸氏は本丸に居を構えていたそうなんですが、江戸時代になると水戸徳川家は二の丸に御殿を築きました。戦闘もないし、狭い本丸より二の丸の方が政務とりやすかったのだろうか。

 水戸と言えば黄門様こと水戸光圀。彼が編纂を始めた『大日本史』の展示です。

全国から学者を集めて盛大な歴史書をつくる計画ですが、全397巻が完成したのは1906年のことでした。およそ250年・・。光圀公も「あれ・・こんなはずでは」「死ぬまでには終わると思った」と内心に秘めていたかもしれない。

(メインにあたる「本紀」と「列伝」は存命中にだいたい終わってたらしいです)

 『大日本史』編纂は、水戸城内につくられた彰考館という施設で行われてたんですね。

明治時代になると城の一帯は文教地区として整備されたので、彰考館は水戸城から追い出されて弘道館内→棚町→偕楽園の東南側→偕楽園の南側とたらい回しにされている。みんなそんなに『大日本史』編纂したくなかったのだろうか(適当)

なお偕楽園の西側に徳川ミュージアムという施設があり、そこが彰考館の資料を引き継いでおります。いかなきゃ(使命感)  

水戸城内で発掘されたものたち。城の跡地は中学校やら幼稚園やらたくさん建っているので、その営業のスキをついて発掘調査を行ったものと思われます。たいへんだねぇ。

あとビデオが見れます。4種類あって1本10分~20分。

内容は弘道館とか偕楽園とか名所案内なんですが、面白いことにナレーターがマシュー・ペリーなのだ。ペリー提督!水戸にいらして・・ないでしょアンタ。

有名どころであれば郷土の人物じゃなくても何でもよい、という水戸市の拘りのなさがハッキリしていて良いと思います。ただ日本人すらすっとばしてペリーまで行くとは思わなかったけれど。 

 

 おしまい

 

【交通手段】水戸駅から徒歩15分

【入館料】無料

【滞在時間】20分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】

www.mitokoumon.com