ふじさわ宿交流館
ふじさわ宿交流館は、藤沢宿の様子の展示&公民館的なやつである。
藤沢は東海道のほか、大山街道・江の島道など大規模中規模の街道がわらわら集まってくるところであり、自然と人も集まるところであった。
さらに遊行寺も隆盛したので門前町として栄え、江戸時代には徳川将軍の休憩どころとして藤沢御殿なるものがあったらしい。
つよそう。
2階建てだけど、1Fの半分と2F全部は会議室など公民館要素であり、残りの1F部分が資料室である。
最初に目につくのが、江戸時代頃の藤沢最盛期のジオラマ。
手前に見える橋が「遊行橋」であり、これをまっすぐ行くと遊行寺である。
橋を渡って最初の角の右斜め前にあるのが、この交流館である。
なお現在の遊行橋はこれ。
この斬新なボタンを押せば、音声解説を聞くことができる。
ジオラマに向かって右の展示から見ていく。
これは「浪花講」の定宿帳である。
浪花講という大阪の組合が、安全健全な旅籠を認定して一覧にし、さらに道中案内も載せたもの。
江戸時代版るるぶである。
旅をするにも関所を抜けないといけないので、そのための身分証明書。
旅の道具たち
右が弁当箱で、左が酒器。
弁当箱の簡素さに対して、この酒器である。
持ち主の本気度がうかがえる。
枕。
貴重品は引出しに入れて寝れば、窃盗も防げるという画期性。
でもその前に、角に頭打ちそうである。
ジオラマ向かって左の展示へ。
源義経の伝説である。
源義経の処刑後、その首は腰越の浜に捨てられたが、黄金の亀の背中に乗って境川(さっきの遊行橋がかかってた川)を上っていく。
遭遇した藤沢の第一村人に「弔ってクレメンス」とお願いし、村人は藤沢本町駅近くにある井戸で首を洗って葬ったという。
まぁ義経については、生き延びて大陸に渡ってチンギスハンになったとかいろいろ伝説があるからねえ(雑)。
藤沢宿で発掘された陶器。
ろくな形で残っていない。
それに比べて酒器は完璧な形で発掘されている。
藤沢の人々の本気度がここでもうかがえる。
なお発掘調査自体は1990年代後半から始められたという、ずいぶん最近の話である。
最後に、こんなゲームがあった。
当時の藤沢宿の中を歩けるというものである。
ただ村人と話したり、民家に入って壺を割ってルピーを得たりは出来ず、お外を歩き回るだけではある。
画質はやたら良いので、それにステータス全振りした感がある。
以上。
【交通手段】藤沢駅から徒歩15分
【入館料】無料
【滞在時間】20分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】