C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

福来記念・山本資料館

 

 

超能力みたいなの扱ってる資料館があるというから来てみたのですよ。

高山市内とはいえ、高山駅から2駅の飛騨国府駅、さらにタクシーで10分。

山の中のけっこう偏狭なところ。

超能力を得るには人里離れた環境が必要だとエスパー伊東マギー審司も言っていた、いや言っていなかったかもしれないが。

 

福来友吉

 

1910年代に千里眼が流行った。手を一切触れていないのに病を治すとか、透視だとか、無くしたヘソクリの場所をあてるとか。霊能力。

火付け役の一人が福来友吉 博士で、変態心理学を専門とし、東京帝大で教鞭をとっていた。

変態心理学は別に変態さんを研究するわけでは無くて、異常行動・特殊状況下における心理を対象としています。

 

御船千鶴子

 

その福来に紹介されたのが、熊本に住んでいた御船千鶴子。透視能力を持ち、病人の体を見透かして病巣を捉える診療をやっており、朝日新聞が報道した。

SPAとかフライデーじゃなくて、朝日新聞ですよ。まぁあんま説得力ないか。

福来はわざわざ熊本まで出張。文字を書いた紙を封筒にいれて御船に渡すと、御船は中を透視して、紙に書いてある文字を当てるのだ。超能力!

 

 

・・という眉唾な話をメインで展示しているわけです。

なにが問題かって、この資料館、「御船には透視能力があった!」って本当に信じてるのよね。

そこは普通「こういう反対意見もあるが~」って距離を置いた立場で説明すると思うのだけれど、御船さんサイドに近い立場なわけです。近いどころか接近しすぎて後ろからハグするレベル。変態心理学(実践編)

 

御船の透視が怪しいのは、「部屋で一人きりの状態じゃないと、能力が発揮できない」というもの。

それ実は封筒あけて中身みてるんじゃないの、と当たり前な批判を受ける。

福来は人前でも能力を発揮できるように御船を訓練しようとしたが、そうなるまえに御船が自殺した。

世間の「インチキ」だというバッシングに耐えられなかったとか、金銭問題のもつれだとも言われている。

あと「御船千鶴子」で検索するとサジェストに「小保方」って出てきた。

STAP細胞も超能力の賜物だったんでしょうね。

 

(長尾郁子)

 

2人目の能力者が香川の長尾郁子。

精神統一すれば、何も書いていない板に文字を浮かび上がらす「念写」という技ができるらしい。

これまた福来博士は香川に飛んで実験し、その念写能力を目の当たりにし、長尾との研究に着手する。

しかし問題なのは、長尾は「実験は彼女が指定した部屋でのみ行われ、更に実験直前に一人で別の部屋へ行って口をゆすぐ」。そうしないと精神統一が出来ないんだとさ。

 

資料館サイドはこれに対し「念写は人類史上最大級の発見!」とパネルにでかでかと赤文字で書いていた。

ポジティブだね、君。

 

当然のように他の学者からは詐欺呼ばわりされ、挽回する間もなく、長尾は病死した。

ただ資料館の展示だと「批判を受けて悶死した」と書いてあった。

悶死って。そんな人類は、諸葛孔明に罵倒されまくって死んだ周瑜以来じゃないですかね。

 

(高橋貞子)

 

学会からコケにされまくって名声もだいぶ落ちている福来だが、念写力に定評があるとして高橋貞子をスカウトした。あんたも懲りないねえ。

さて実験。福来の持ってきた乾板に念写するよう命じたところ、念写されず、なぜか押し入れにしまってあった別の乾板に文字が映し出されていた。

こりゃもうダメだ。「あらかじめ押し入れに仕込んでおいたのだろう」と言われておしまい。

再度の実験では立会人のもと、ちゃんと念写できたそうだが、これもトリックでどうにか出来てしまうものだと言われている。

 

福来はこれまでの成果を『透視と念写』てな本にまとめて出版したが、信じる者もいませんわな。

学者連中から批判の嵐、東京帝大からは休職命令がだされて、そのまま退職。

 

三田光一)

 

学会に居られなくなっても細々と実験を続ける福来さん。

「月の裏側を念写した」という三田光一とタッグを組む。

三田光一、FXの情報商材でネット広告に出てそう。

 

(「月裏念写の 月裏衛星写真との一致について」より 福来心理学研究所 http://www1.odn.ne.jp/fukurai-psycho/text/tukip_doc.pdf

 

三田が念写したのが左。後世になってNASAが発表した、月の裏側の画像が右。

資料館を運営する福来心理学研究所は双方の画像を比較し、「クレーター等の位置が一致する」として、三田の念写は本物だったと結論付けている。

ああ、そうですか。

そもそも2つの画像が全然似てない気がするのは、私に超能力が足りないからでしょうか。

 

そんなこんだで世間から見放されてしまった福来博士。

学会追放から40年弱、82歳で亡くなったわけだが死の前夜に突如大声を張り上げ、「福来友吉2世 生まる」と叫んだらしい。転生ってダライ・ラマかよ。生まれ変わった福来、それはアナタのすぐ傍にいるかもしれません・・(声:稲川淳二

 

(資料館HPより。山本健造 http://fukurai.net/yama/

 

もうお腹いっぱいなのだが、福来ともう一人扱われている人物が、山本健造。

中学生の時から透視ができるようになり、15歳で念力を用いて病人を治すなどイエス様みたいな所業が為せたが、福来博士の『透視と念写』を読んで、自分の能力がまさに透視であると考え、福来ファンになった。

バッシングされまくった福来の記念館がこうして残っているのは、この人の尽力が要因の一つ。

 

「六次元弁証法」という心理療法を発明して診療活動していたらしい。

理論の詳しい内容は知らんが、「精神統一すれば体は金剛体となり、菌やウイルスにも勝てて、あと記憶力も増す」のだそうな。

南方戦線に行く前の帝国陸軍に教えてあげればよかったんじゃない。

 

(『日本のルーツ 飛騨』福来出版)

 

山本は「ヤマト王権の起源は飛騨にある」論を放っている。

飛騨に住む古老から聞いた伝承をもとに、この考えに行きついたらしい。

アマテラスも神武天皇もアナタも私もIKKOも、祖先のルーツはみんな飛騨なのです。

よかったね、飛騨。君は一人じゃない。

 

 

 

資料館のすぐ目の前に神社があるのだけれど、山本が設立した飛騨王朝の神宮らしい。

信徒を交えてお祭りをするそうです。

すみませんが宗教の勧誘はNGで。

 

 

山本いわく、飛騨の語源は「日抱(ひだき)」の儀式から来ているのだそうな。

池を真ん中にして皆で囲うように座り、池に映った太陽に感謝し、先祖崇拝もやる。

太陽の国。SUNRISE飛騨。

 

ところで飛騨の語源は『続日本紀』によれば「斐太(ひだ)という神馬を文武天皇に奉納した」こと。

土地の古老もとい爺ちゃんの話と、続日本紀。果たしてどちらに軍配が上がるのでしょうか。ご期待ください!

 

 

(以前の福来記念館)

 

ちなみに福来の資料館、以前は高山駅ちかく、古い街並みで賑わう観光地のあたりにあったのだけれど、閉館されている。

公式HPでも特に閉鎖の話は書かれていないので、まぁまぁ混乱のもと。

現在の位置より、あちらの方がよほど集客的には良いと思うのだが、居られない事情でもあったんですかね(すっとぼけ)

 

以上

 

【交通手段】飛騨国府駅から3.5km(登り)。タクシー1500円程度。

【入館料】400円

【滞在時間】60分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

fukurai.net

 

 

日下部民芸館

 

高山の古民家シリーズありすぎて第何弾だかもう分らんが、ここもそれ。

飛騨郡代(幕府直轄の飛騨役所)の掛屋を担っていた「谷屋」という商人の屋敷。

掛屋っていうのは役所の資金を管理して江戸屋敷との送受金をしたり、役所が金欠になったときに貸金をする金融業者のことらしい。

 

 

玄関をくぐると広い土間と座敷があるのだが、このとき土間の部分には楽器や音響系の機具が置かれていて、BGMでジャズが流れていた。

この屋敷は天井が高くて音が響きやすいので、ときおりコンサート会場になっているようだ。

幕府の役人も愛したと噂のジャズマスターサクソフォンを聴けるのかな?

 

 

館内は2Fから見ろと順路が書かれていたので、階段を昇ってきました。

館の名称通り、民芸品が展示されているようです。

 

この資料館は1960代に開館したそうで、1950年代後半~70年代半ばまでの民芸品ブームまっさかりの時代ですね。

高度経済成長期で工業品がどんどん売れたけれど、その反動で手作り品に対する衝動が抑え切れなくなってしまい、地方の民芸品に注目が集まったんだと。

毎食コンビニ飯だけど、やっぱり手作り料理のほうがいいよね、って心境か。

 

 

民芸品は基本として日用雑具で、家で普段使いできるものですね。

お盆とか食器は代表的。

小さいものならお土産にもしやすい。

 

 

かんざしは金属装飾がたくさんついていて歩くたびにジャラジャラ鳴りそうですが。

クマよけの鈴がわりという付加価値だと思ってください。

 

 

 

金色のケースに仕舞われている硯。

誤って墨ついたら絶望しそう。

 

 

 

双六だそうですが、現代人の知るそれとはだいぶ異なっているような。

どうすればゴールできるのだろう。

黒い駒を白い駒で挟んでひっくり返せばいいのかな?

 

 

商人ということで商い道具も置いてます。

銭がじゃらじゃら。

 

 

こちらでは火鉢をたくさん並べて火鉢展覧会をやっております。

 

 

高山名物の「春慶塗」は木の木目が綺麗に出るよう、漆は薄く塗っているのが特徴。

しかし素人目にはかなり地味に見えて、カインズホームとかで売ってそうな気がしなくもない。

 

 

1Fに降りてきました。

5畳くらいの和室が4部屋並んでいて、とても広々としている。

 

 

 

高山名物のドット絵かな?

 

 

 

岐阜県限定だという「たちつぶら」。

赤ん坊をこれに座らせておけば、そのへんウロチョロするのを防げるもの。

なんか可哀そうな気もするが、勝手にどっか行かれて田んぼの中に頭突っ込まれるよりはマシであろう。

 

 

小ぶりですが庭の様子。

苔むしているところが、がっちり綺麗にしすぎない民家らしいシンプルさと年代を感じさせて良いと思います。

 

 

本館を見たら次は蔵です。

その前に、館員さんがお茶をサービスで出してくれたよ。

この日はすこし暑かったので、お茶はホットだけれどぬるいくらいの温度でちょうどよかった。

あなたが千利休ですか。

 

 

蔵の中のメインは陶磁器。

使って遊ぶ民芸品というより、観賞用寄りな気がするね

 

 

高山にある窯元は「渋草焼」を製造している。

江戸時代末頃に焼き物の名産地 尾張瀬戸から人材ひっこぬいて始めたがあんまり売れず、金持ち商人がのめり込んで破産寸前までつぎ込んで、結果的にモノになった。

陶磁器ギャンブルはそこそこに。

 

 

民芸品大好き人間は1920年代の柳宗悦に遡り、戦前は限られたメンツで細々やっていたのだが、先述の通りブームが来て民芸品価格が高騰し、初期からのメンバーは辟易したとか。

まぁニワカファンの出現は市場規模を広げるチャンスだから容量用法を守って正しく使いましょう。

そして初期民芸品マンたちは、安価で手に入る韓国は李氏朝鮮時代の民芸品を買いに求めたのだ。

韓国の民芸品マンは「これだから日本のニワカは・・」と思ったかもしれない。無限ループ。

 

 

こちらは伊万里焼ですが、絵の中に隠れた誰かさんを探したくなる色合いですね。

 

 

蔵には2Fもあります。

 

 

目についたのは「バタフライスツール」という椅子たち。

柳宗悦の息子、柳宗理が1954年にデビューさせた、蝶が羽を広げて飛ぶような形をしている椅子である。

 

 

あくまで飛んでいるように見せることがメインなので、座りやすいかどうかは特に考えていないようです。岡本太郎と同じことしてますね。

私はふかふかの椅子にチェンジでお願いします。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】500円

【混雑度】★★(他に2~3人)

【滞在時間】30分

【URL】

高山陣屋

 

飛騨国は1692年から幕府の直轄領だったけれど、その役所が高山陣屋

古い街並みの入口にあたる部分にあるので、結構賑わっている場所ではある。

毎日午前中に、朝市やってるしね。

 

 

高山は戦国末期から金森氏が治めていたが、豊富な木材と鉱山資源に目を付けた幕府が「お前のものはおれのもの」宣言をして金森氏を山形県へダイナミック転勤させ、ここを直轄領とした。

金森氏はこれより山の方にある高山城に住んでいたのだが、幕府の連中は登るの面倒だったのか、金森氏の姫君が使っていたこの屋敷を役所に用いることに。

そして無用の長物となった高山城は「メンテ費用が掛かる」と文句を言われ廃城になったのだ、ナムナム。

 

 

では御姫様の屋敷でも覗きましょうかね。

ここは玄関です。

 

 

正面に波を延々と描く模様があるのだが、海の波のように永遠の平和が訪れることを祈っているんだそうな。

無限ループってこわくね。

 

 

ここが殿様・・じゃなくて郡代さまの執務室です。

幕府直轄領は「代官所」、規模が大きいと「郡代」と呼ばれる。

代官所のトップはお代官さま、郡代のトップは郡代さま。

現在でも自治体の部署のトップは国家官僚の出向者だったりするが、江戸時代からやってるわけ。

 

 

その高貴な仕事部屋の前には白砂ゾーンがありますが、ここが時代劇お馴染みの「白洲」。

民事訴訟について郡代さまが独断と偏見でご裁定なさるのだろう。

全員死刑!(民事訴訟です)

 

 

こちらは地役人の執務室。

郡代さまは江戸から遣わされてくるエリートである一方、地役人は地元の役人だ。

エリート官僚に仕える地方のたたき上げ。

まぁ地元の人間の中ではかなり高い家柄なんだと思うよ。

 

 

ほかに町役人や、寺院からの僧侶が出向して詰めてたりしたけど、身分が違うので部屋はちょっと狭めなのです。

僧侶は、宗門改めの際に必要となるらしい。

仏教信者のフリして実はキリシタンな、ファッション仏陀を見破って叩きのめすのだ。

 

 

身分が違うので、執務室への入り口も他の役人と異なり、小さく設けられている。

茶室の躙り口かな?

 

 

休憩室。

地役人の部屋に近いので、彼らがたぶん使ったのだろう。

郡代さまは邸宅が隣接しているので疲れたらたぶんそちらに戻っていたのかな。

身分の低いものと同じ部屋で駄弁ることは沽券にかかわるのだ。

 

 

書役(しょやく)という、書類作成担当者が詰める部屋。

ぺーぺーの若造が経験を積むために勤めたりしたのだろうか。

 

 

あとトイレ@EDO styleと、

 

 

風呂場もあります。

 

 

廊下を渡った先は、郡代さま一家が住んでいる邸宅。

最初の頃の郡代は、年に数回江戸から出張してくる程度だったが、7代目の郡代から一家そろって移住してきたらしい。

地方創生。あとは江戸~高山まで片道13日かかったそうだから、年に数回の出張が面倒になったのかな?

 

 

お客さんを迎える座敷です。

 

 

郡代専用の休憩室。

下っ端役人とは全く違って庭を愛でられる仕様。

マッサージチェアとかも置いとけばイイと思う。

 

 

庭のご様子です。

殺風景っぽく見えるのは天気が暗いからだと思います。

 

 

床の一部があけられていて、お茶を点てられる設計でもあった。

現在ではお茶はやらないので、砂を突っ込んで波をまた描いてみました。

世界人類が平和でありますように(呪文)

 

 

お客様の控室です。

 

 

その控室の真横が、郡代のリビングになっている。

襖一枚隔てているだけなんですけど、部屋でごろごろしている郡代のそんな近くにお客様通して良いのだろうか。

あくびもゲップも出来ませんね、郡代の名に懸けて。

 

 

邸宅の一部には女中部屋も。

 

 

台所や土間。

 

 

家来を大集合させて会議を行う大広間。

 

 

んで、また白洲があるよ。

たださっきと比べると規模が大きく、石が敷き詰められていて、よりシラス感が増している。

こちらは刑事犯罪を犯した人物を裁くので、より容赦ない雰囲気だ。

 

 

罪人を取り調べる時は、あの台の上に座らせるそうな。めちゃめちゃ痛そう。

事情聴取もとい拷問である。

はやく取り調べは可視化しましょうね。

 

 

という風に邸内を見てきて、ルートは蔵へと続いて行く。

もとは高山城にあった米蔵で、城を潰す際にこの蔵は陣屋のところまで引っ張ってきて再利用したそうな。

なので陣屋より古く、築400年以上は経っているスグレモノである。

 

 

しかし内部は撮影禁止なのよね。

展示室が8部屋ほどあって、陣屋の歴史や模型が置かれていた。

陣屋だけでも結構な規模なんだけれど、この展示棟も相当内容が濃いので、前半で体力使いすぎると後半死にます(経験談

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩15分

【入館料】430円

【混雑度】★★★★(すぐ横に人)

【滞在時間】60分

【URL】

www.pref.gifu.lg.jp

 

飛騨高山まちの博物館

 

古い街並みの一帯を制圧しているのは高山市の博物館です。

「まちの博物館」という名称だけれど、高山市全般を対象とした郷土資料館と考えて良い。

 

 

商家の建物を博物館として再利用している施設が近辺に幾らかあるけれど、ここも同様です。

矢嶋家と永田家という2つの商家の土蔵をぶち抜いて利用しています。

使えるものは使う、リサイクル精神です。

 

 

しかし市立博物館なのに展示室内は撮影できないのよね。

けち臭いなぁ(直球)

 

館内は15もの展示室があり、高山の歴史のほか美術品・工芸品・街並み・暮らしなど多岐にわたって紹介しています。

なおさら写真撮れないのが痛いですね、これは痛い。

全部は扱いきれないので、気になった部分を書きます。

 

(金森長近。画像はwikiより)

 

高山発展の礎は、江戸時代の高山藩を率いた金森家ですね。

初代の金森長近は18歳で信長に仕え、長篠の戦で戦功をあげるなどし、福井県越前大野城を貰っていた。

高山の付近には姉小路家という大名がウロウロしており、身の程知らずにも秀吉に挑んでしまったので、秀吉の命で遣わされた金森長近がこれを倒してそのまま高山に居付き、城下町を整備した。

有能。信長の野望では打率2割8分くらいの能力だから、全然知らんかったよ。

 

(金森頼時。画像はwikiから)

 

そのあとも金森家は基本的に有能なのだが、6代目頼時は出羽の上山に転勤させられ、高山藩は終了し、幕府の直轄領となる。

高山には豊富な鉱物・木材資源があり、これに目を付けた幕府が土地をボッシュートしたという説が濃厚。

 

ここで面白かったのが、頼時くんの異動話。

行先の山形県 上山にはてっきり城があるものだと思ってたのだが、この土地も幕領になっており、戦国時代には存在した城は潰されてしまっていた。

おっと住むところがないぞ!おかげで慌てて屋敷を建築するなど、大変バタバタな引っ越しになってしまった。

転勤先の住居を紹介するどころか、壊した後の家をあてがう幕府。これはぐう畜ですわ。

 

 

(『図説・大原騒動―飛騨百姓一揆の史実と伝承』amazonに出てます)

 

幕府直轄領になった飛騨の国。

1771~1788の間に勃発したのが「大原騒動」。

大原紹正・正純という親子が2代続けて飛騨のトップを務めたのだが、ともに失政やらかして百姓一揆ひきおこしているのだ。

親子そろってアホですねぇ。息子は八丈島に流されたよ。アディオス。

 

(屋台会館にあった屋台たち)

 

歴史の話から離れて祭りの話です。世界遺産にもなった高山の屋台。

もともと町民でワッショイしてたけれど、戦後になって高山が観光地になってきた。

町民だけで祭りやるなら屋台は多少ボロくても良いかもしれんが、観光の目玉となるとそうもいかない。

町内会だけで出費すると持たないから、困ったときの財政出動ということで、現在では行政9割 町内会1割で負担している。

有名になったらなったで、お金が掛かるものだねえ。

 

なお祭り当日が雨の場合は、屋台ださないようです。

え、本当?じゃあ税金返しなさいよ(高山市民ではありません)

 

本膳料理の最初の膳。画像は飛騨高山 料亭『洲さき』 | 宗和流本膳 より。以下同じ)

 

あと本膳料理の説明ビデオが館内で流れていた。

冠婚葬祭の時に出る料理コースで、戦前までは全国各地で見られたが、珍しくなっている。

↑の画像元の料亭「洲さき」のHPによると、ボリュームが尋常じゃない。

まずこれが「本膳」なのだが、まだ序の口に過ぎない。

 

 

これが2つ目の膳。

私はたぶん一つ目の膳でもう腹満杯だと思うのだが、さらにこれを食べるのか。

だいぶ時間を掛けないときつそうだな。

 

 

3つ目の膳。

ここでは御吸物をみんなでわけあうので、さほど強敵ではない。

 

 

しかしフィナーレがこれですよ。

ここにきてタイ1匹まるまるかよ。

古代ローマの美食家たちは、食事を食べては吐き、食べては吐きで、腹のボリュームをコントロールしながら大量の美食を食べていたそうだが、私もここまで来るとトイレに駆け込みそうである。

あ、食事中に汚い話ですみませんね。

 

もちろん、これら大量の料理を2時間とかで食べるわけではない。

なんと10時間程度も掛けるんだそうな。1日食事と睡眠だけで終わってしまうがな。

しかも酒まで出てくるからね。もう最初の1時間でへべれけになって記憶に別れを告げたオジサマ方が頻出しそうである。

 

まぁそれだけ冠婚葬祭を重要なものとして、手間暇を盛大に掛けていたんでしょうね。

こりゃ現代人には難しいよ、伝統も廃れてしまうわけですわ。

 

 

さて最後に、企画展でこんなのやっていた。

ヒアリがやってくる」って、「日曜日にガチャピンが遊びに来るよ」くらいの明るいノリに聞こえますが良いんでしょうか。

行政はもっと危機感を持ちましょう(市民の声)

 

 

ここだけ撮影禁止のマークが無かったので、撮っても良いようです。

ヒアリでも展示しているのだろうか、いやー楽しみだなぁ。

 

 

と思ったら、なぜか犬がいる。

説明展示を見ると「大陸から移動してきました」と書いてある。

あれ、これってヒアリ特別展じゃなくて、「海外から流入してきた生き物展」ですか?

なんだ、ちょっとガッカリした。生のヒアリが見れると思って楽しみにしていたのに。

本当に居たら居たでビビりますけどね。

 

 

 

まぁちょっと考えれば、こんな観光地にヒアリ持ち込んだら大問題ってことくらい分かりますよね(戒め)

ショックなハートは、ハトでも見て落ち着けましょう。

これまた大陸から5世紀頃に持ち込まれました。

 

 

しかしブタの写真はけっこう悪意があるのを選んだね。

目に黒線はいってるみたいで怪しいじゃないか。

 

 

クロゴキブリも大陸から来たが、伝染病を媒介するクソ性能をお持ちです。

さっさと滅んで、どうぞ。

 

 

なんでニホンジカが居るんだ?と思ったら、日本→海外へ出て問題を起こしている者どもも扱っているようです。

狩猟用として欧米に持ち込まれたが、現地の鹿と交配してしまって種の保存的に面倒なことになっているようです。

 

 

ようやく最後にヒアリ登場。

お写真だけで御勘弁ください。

生体を持ってきて逃がしたら大変なことになってしまう(大原騒動)

 

 

テーマが色々あったので、見る人の関心分野次第で、様々に楽しめる博物館でしたとさ。

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】無料

【滞在時間】60分

【混雑度】★★(他に2~3人)

【URL】

www.city.takayama.lg.jp

高山祭屋台会館

 

2016年に「山・鉾・屋台行事」って名目で日本各地の祭りが世界遺産に突っ込まれましたが、その1つは高山からエントリーされています。

その名も「高山祭」。まんまだな。

豪華な屋台を担いで町内を賑やかに練り歩く、いたって平穏な内容です。

奇祭でもかなまら祭りでもないので、そのへんは期待しないでね。

 

 

高山祭は春と秋に行われるけれど、春は日枝神社、秋はココ桜山八幡宮の開催となっております。

だから資料館が桜山八幡の敷地内にあるのね。

 

入館料は900円と言うハイプライスですが、隣の桜山日光館へも入ることが出来ます。

なんという抱き合わせ商法。

 

 

ついでに音声ガイド機器もセットで付いてきます。

 

 

入館しますが、さっそく屋台がこれでもかというほど並んでますね。

桜山八幡では11の屋台と神輿1台を保有しており、全部は展示しきれないので、期間ごとに入れ替えております。

これらを秋の祭りでは総出動させてドンちゃんやるわけ。

 

 

屋台を見る前に、手前の侍っぽいのが気になりますが、これは祭り行列に並ぶ時の衣装だそうな。

桜山八幡の氏子たちはみんなこれを持っていて、祭りの日に着用して参加する。

ご立派だけれど、着るのも歩くのも不慣れだと大変そうなので、要練習ですな。

 

 

高山祭自体は、戦国終盤に高山へ入ってきた金森氏の時代に始められたそうな。

当初はごく普通のお祭りだったようだが、19世紀に入ると城下町が発展して金持ち商人も登場し、彼らがじゃんじゃんマネーを突っ込んで派手な屋台を作り出したのだと。

そうそう、金持ちはそうやって社会貢献しましょうね。

 

 

各屋台のところに音声ガイドの案内があり、1台1台解説を聞くことが出来ます。

ぜんぶ聞いていると結構な時間になるので、お連れの方がいる時は顔色を伺いながら進みましょうね。

この屋台は最もスタンダードな形式の「金鳳台」と呼ばれています。

ちなみに屋台は20人くらいで動かすそうです。

 

 

こちらは布袋尊の人形を乗っけた屋台なのだが、からくり仕掛けが施されていて、布袋尊の周りに違う人形が登場して踊るパフォーマンスが出来るんだそうな。

しかも演出の最後には紙吹雪まで出るんだと。

すごいな、星野源かよ。

 

 

こちらは屋台では無くて神輿です。

車輪が無いので、全て人力で持ち上げないといけません。

重さはなんと2トンもある。

運ぶには男手80人必要で、神輿を担ぐ以上は同じくらいの身長の人を揃えないとならないのだが、1950年代からなかなか集まらなくなってしまったので、本番で使われずこうして封印の憂き目にあっている。かなしいなあ。

 

 

とりあえず11台ある屋台のうちの3台は見られたのでした。

全部みたい人は周回プレイ頑張りましょうね。

 

 

あとはちょっとした資料室。

 

 

ここに展示されているのは、屋台の台車です。

3台付いている車輪のうち、2つは普通のものであるが、1つは横向きになっている。

屋台を方向回転させるとき、この方がやりやすいということで、高山の職人オリジナルで作られた。

 

従来は4つ車輪があったのを1つ減らしてこうしたので、発案した職人本人は祭りの日が近づくにつれ「バランス崩して横転したらどうしよう」と心配になり夜も眠れず、当日は怖くて家に引きこもって布団被っていたらしい。

懸念も問題なく、むしろ画期的な発明だったわけですが。

 

 

あとは屋台彫刻の下絵が置いてあったかな。

 

というわけで、豪華な屋台がどかどか出演する世界遺産高山祭、皆様も一度ご見学ください。

私は混雑嫌いなので、youtubeに上げられるのを待つとします(貧弱)

 

以上

 

【交通手段】高山駅から徒歩20分

【入館料】900円

【混雑度】★★★(ちらほら)

【滞在時間】40分

【URL】

www.hidahachimangu.jp