源実朝公御首塚
源実朝公御首塚(みなもとのさねともこうみしるしづか)は、鎌倉幕府3代目将軍の源実朝の首塚、とされている場所である。
バス停「中庭」から徒歩5分ということだが、あまりにも田園風景すぎて、本当に首塚が見つかるのか不安になる。
なんか建物あった。
この建物は「ふるさと伝承館」っていうらしい。
いちおうそば処が入っていて、地元の農産物も売っている模様。
道の駅みたいなもんか。
JA秦野のキャラクター。
左のぴーなマンは、好きな言葉が「地産地消」だったり、特技が「箱罠の設置」。
ちなみに箱罠は ↓
今日も害獣を退治し続けるぴーなマンである。
ふるさと伝承館のあたりは、「田原ふるさと公園」という。
とりあえずだだっ広い芝生ばかりなので、ボールとかで遊んでる家族連れや子供がちらほら。
んで、肝心の首塚がこちら
要約すると
2.実朝の首が行方不明
3.武常晴という武将が偶然拾って、秦野の波多野氏のもとへ持って行き、供養。
そもそもなんで実朝の首が行方不明になるのか、とか
武常晴は三浦義村の家臣だったらしいが、なぜ三浦ではなく鎌倉から遠い波多野氏を頼ったのか、とか
波多野氏は源平合戦では平氏側についていたらしく、なんで源氏の大将の首を平氏側に持って行って、踏んづけるならともかく手厚く葬るってどういうことだ、とか
とまあ謎だらけである。
特に最大の謎として、上記の説明版に「右手の五輪塔が首塚である」って書いてあるんだけど。
その右手には
なんもないじゃん。
石碑。
たぶん実朝の歌が詠まれてるんだろうけど、字が消えかけてて読めない。
五輪塔ってこれか?
右手というか、ちょっと離れたところにあったが。
あと五輪塔自体には特に実朝要素が描かれていないので、本当にこれなのか怪しんだりするが、まぁこれでいいや。
以上
【交通手段】秦野駅から「秦23 くず葉台経由藤棚行き」か、
「秦26 くず葉台経由神奈川病院循環秦野駅行き」で15分
バス停「中庭」下車。徒歩5分。
1時間に1~2本程度。
【入場料】無料
【土日の混雑度】★(首塚あたりには誰もいない。公園にはちらほら)
【滞在時間】15分
【URL】秦野市観光協会-観光スポット情報【源実朝公御首塚】
緑水庵
緑水庵は、古い民家である。
秦野駅からバスで20分。
青年橋というバス停で降りる。
手作り感ぱない
この辺は、蓑毛(みのげ)という地区であり、江戸~明治期には大山詣での通り道として栄えていたらしい。
そんなことは一ミリも感じさせないほど、のんびりした地区であることはバス降りた瞬間おもう。
バス停から1分足らずで看板
とりあえず水車
緑水庵は、蓑毛自然観察の森の中の1コンテンツ。
立ち入れないエリアおおいな。
これが緑水庵
ヒルみますよ。
半袖半ズボンで来ちゃったし(震え)
いちおう「受付」って書いてあるけど、人らしきものは無し。
農具っぽいものが散乱している。
建物自体は、芦川さんという人が昭和期に建築したらしい。
ここは畳部分。
なぜか三鷹の森から声援を受けている。
トイレは使えないことをざっくりとアピールしている。
いろり
なにこれ?
大山?
当時の食卓がひっそりと展示されている。
一番奥は現代だった。
庭はこんな感じ。
帰りのバスに乗ったら、大山登山を終えた人たちで超混雑してた。
大山詣での通り道というのは間違いでは無かったのね。
まあ現代では華麗に通過されてしまうわけだが。
秦野駅からのバスは1時間に2~3本と、意外と本数あるんだけれど、例えば11時1分・15分・25分という風にめっちゃ固まっているので気を付けられたい。
以上
【交通手段】秦野駅から【秦20】「蓑毛行き」で約20分。「青年橋」下車、徒歩約1分
【滞在時間】20分
【土日の混雑度】★(誰もいない)
【入館料】無料
称名寺と金沢文庫
称名寺は、鎌倉時代に金沢北条氏によって可愛がられた寺であり、金沢文庫はその彼らが持ってた文書に関する博物館である。
鎌倉にも称名寺ってあるけど、あれとは別。
京急の金沢文庫駅か、シーサイドラインの海の公園柴口駅から徒歩10分。
寺の前は門前通りみたいな感じで、両サイドにお店あるけど、やっているかどうかは分からない。
金沢北条氏についてはこちら→ 北条氏 (金沢流) - Wikipedia
2代目執権 北条義時の子から北条家は6つくらいに分家しており、その1こ。
この2代目である実時は、8代目執権である時宗(元寇の人)をはじめ歴代執権の補佐をしており、得宗家(本家)との繋がりは代々強かったようだ。
そんなんだから鎌倉幕府が倒されたときに、一緒になって滅んじゃったらしいが。
なお北条実時くんは、高橋克彦著の『時宗』にてインテリキャラとして活躍する。
この小説を読んだから、聖地巡礼的な意味でこの場所へ来たのである。
金沢北条氏の菩提寺となった。
しかしでかい庭園だ。
強烈なカーブを描く橋は、ちゃんと渡ることができる。
橋というより階段になってはいるが。
いきなり石橋氏の石がおいてあるけど、君だれ?
とくに説明書きはなかった。
ぽつんと置いてある北条実時の像。
なぞの小屋。
奥の方へ行くと、金沢文庫に続くトンネルとなる。
北条実時は学問大好きであったようで、相当の蔵書量をもっており、それを保管するための文庫が1275年頃に建てられたそうだ。
その文庫のあったと思われる場所に、今度は博物館・図書館として作られたのが、この金沢文庫。
展示室は撮影禁止だそうなので、それ以外だけ。
受付で入場料を払うとき、受付の人に「こんにちは、アンニョンハセヨ」と言われた。
あれ、韓国人と間違われてる?
と不安になったのも束の間。
この時は朝鮮半島の仏典特集をやっており、そのためだったようだ。
なぜ朝鮮?ということだが、日本に仏教が伝わったのは朝鮮半島からであり、その関係の仏典が金沢文庫にも多く残されているようだ。
さらに朝鮮でそのあと仏教が弱まって文書もポイポイされたため、ここにしかない朝鮮由来の仏典もあるんだと。
ちなみに朝鮮仏教の影響は奈良時代あたりまでのいわゆる南都6宗では色濃く見られるようだが、そのあと日本で広まった天台宗や真言宗は中国留学生が持ち帰ってきたもののため、朝鮮の影響は消えていき、朝鮮と仏教を結びつけるイメージは薄れてしまった。
のだそうだ。
展示室内には企画通りの、朝鮮由来の仏教法典が大量にあったけど、修行が足りぬ身なので何かいてあるか全くわからなかったでござるの巻。
あと横浜市立博物館でもあったけど、この辺は当時六浦港があって輸送の拠点だったので、金沢北条氏は優良な資金源を持っていたようだ。
だからこそ仏教や文書に大枚はたく余裕もあったのだろうが。
六浦に関する映像コーナーが展示室内にあるけど、たぶん全部見てるとそれだけで1時間くらいかかりそうなボリュームだった。
なお今の六浦港は(以下省略
この辺は展示室を出たところの、2Fの通路。
すぐ下は受付なのだが、冷房があんま効いてなくて暑いので、受付の人だいじょうぶだろうか。
なにこれ楽しそう
あと展示室自体はあまり広くないのに、入館料600円は高いかなと、けち臭いことを想いました。
以上。
【入館料】金沢文庫:600円。
称名寺:無料。
【土日の混雑度】★★(他に2~3人)
【滞在時間】2つ合わせて1時間。
【URL】神奈川県立金沢文庫トップページ
横浜市立博物館と大塚・歳勝土遺跡
横浜市の歴史を、古代方面へパラメーター割り振って説明しているのが、横浜市立博物館である。
大塚・歳勝土遺跡は、その隣にある弥生時代の遺跡。
センター北駅からは歩いて5分。
館内はフラッシュ焚かなければ撮影可能。
1階の受付を済ませて、2階の展示室へ。
左右にどかどか置いてあるのは、埋蔵文化財調査の最近の結果。
細かすぎてよくわからないのでスルー。
展示室は、真ん中にギリシャ神殿みたいな柱(適当)で囲まれたパソコンリサーチゾーン。
それを囲むようにして展示ブースがある。
入口すぐ左手では、歴史劇場と題した映像コーナー。
最初の展示ブースは、縄文時代である。
博物館のおなじみコース。
相模原にもいたマンモス君。
この博物館ではいたるところに問題が掲載されている。
ぼーっと展示を眺めるのではなくて、問題意識をもって見ろという博物館側からのメッセージであろう。
絵画まで用意するあたり、縄文時代に対する意気込みを感じる。
さらに各コーナーには、けっこう本格的な解説ペーパーも。
観覧者をストイックな方面に追い立ててくれる。
わかりやすい映像資料も豊富。
縄文土器といえば様々な紋様が特徴だが、急須まであるとは。
お次は弥生時代。
縄文時代では横浜付近に人はそこそこいたのに、弥生初期の頃にみんないなくなってしまって、中期頃にまたぞろぞろ集まってきたらしい。
弥生土器といえば、シンプルで飾りのないスタイル。
と思ったら、全然違うのもあった。
これが弥生時代特有の方墳周溝墓。
方墳真ん中の高い部分に一家の偉い人を葬って、周りの溝に家族を葬る。
3番目は古代~平安
縄文と弥生は、横浜の郷土史的なことをかなり強く出してたけど、ここからはだいぶ全国一般論要素が強くなりだす。
以下は、横浜的要素が強い展示を抜粋。
4ブース目。
当時は日本屈指の港だったが、今はもはや海に面してすらいない。
こういう時代もありました。
5ブース目。
これは吉田新田。
もともと入江だったのを、江戸時代に材木商である吉田さんが埋め立てて、陸地として使えるようにした。
それが現在の関内や伊勢佐木町のあたりなんだってさ。
6ブース目。
明治時代、伊勢佐木町にオープンした横濱館は、多様な店が館内に構えるデパートの先駆け。
こんな感じで、全部で6ブースあったけど
1つめ:縄文
2つめ:弥生
3つめ:古代~平安
4つめ:鎌倉~戦国
5つめ:江戸
6つめ:明治~現代
と、圧倒的に古代に重きを置いているのが分かる。
まぁ江戸末期に開港されるまで、ただの漁村だったもんなぁ。
主張することが古代に大集合しているのは、地方の博物館あるあるだ。
博物館おしまい。
3階まであがって外に出ると、大塚・歳勝土遺跡まで歩いて行けるデッキ。
この辺りを開発する際に、いろいろ掘ってたら見つかったのがこの弥生時代の遺跡なんだと。
発掘されたのが1972年で、珍しく大規模な遺跡であるため、公園として保存されている。
なお博物館は1995年からなので、この遺跡あってこその博物館といえる。
だからあれだけ古代押しなのね。
くねくねした山林を登っていく。
公園部分ではランニングする人とか、子供たちとか。
これが大塚遺跡。まんまムラ。
弥生時代といえば環濠集落。
その溝である。
発掘調査の跡を放置したもの。
穴のところには柱が立ってた。
奥に付いてる細いのは、通路らしい。
オーソドックスな竪穴住居。
まっくら。
けっこう涼しい。
難易度の高い階段である。
もしものときの消火器。
藁もえてるときに、ここまで取りに来るのキツイ気がするが。
おなじみの高床式倉庫。
いうほど高くないね。
こちらもおなじみのネズミ返し。
これくらいなら登ってこないかなぁ。
あといっぱい竪穴住居あったけど、中身ほぼ一緒だから見なくていいか。
なぜ使用禁止なのだろう?
大塚遺跡おしまい。
もう一つは歳勝土遺跡。
こちらは大塚遺跡の住人たちのものと思われる、墓地である。
大塚遺跡と違って住居とか立ってないけど、べつに復元する金が無いとかではなくて、墓だからである。
真ん中にあるのはベンチではなくて、墓である。
方墳部分の断面図的な展示らしい。
方墳の真ん中に四角い凹みがあって、そこに棺桶いれてましたってこと。
で、遺跡から出てくると目に入ってくるのが、このゴリラ。
「都筑まもる君」とかいう名前だったと思う、確か。
守るというより、交通違反者かたっぱしから粉砕しそうな構えである。
まぁ近くに墓あるからいいのか(不謹慎)
以上
【交通手段】センター北駅から徒歩5分
【入館料】400円(博物館の常設展。遺跡は無料。)
【滞在時間】1時間15分
【土日の混雑度】博物館 ★★★(写真撮るとインカメされる)
遺跡 ★★(他に2~3人)
【URL】
徳富蘇峰記念館
徳富蘇峰記念館は、ジャーナリストの先駆け的存在でありながらA級戦犯容疑者でもある徳富蘇峰を記念する博物館である。
二宮駅から、閑静な住宅街を1kmほど歩く。
近くまで行くと、ところどころに案内看板が。
到着。
そもそも徳富蘇峰って誰?ということだが、
明治のジャーナリズム勃興の時代に、20代にして『国民新聞』(今の東京新聞)を始め幾つかの雑誌を創刊。
『坂の上の雲』の時代である。
当初は平民からの視点で報道していたが、日清戦争後の三国干渉で日本国の力の無さに悲憤し、国粋主義に転じていった。
戦前にあっては政権寄り、戦時中は軍部と結んで軍国主義の思想を喧伝し、この時代の言論の中心を成した一人といえる。
ばりばり左傾化してる今日の東京新聞と全く違うのは、この時代の反動からだろうか。
そんなわけで大戦が終わった後は、「いろいろ搔きまわしてくれたな」とGHQからA級戦犯容疑を掛けられる。まぁ高齢ってこともあって不起訴になったから、A級戦犯にはなっていない。
ただそのあとは病気もあり、表立った活動はなく、熱海に移って静かに執筆活動に勤しむこととなる。
門を抜けていくと、いきなり無機質な巨大施設が登場して面食らう。
ぽつんと佇む入口。
いきなりドアを開けようとしてはいけない、カギかかってるから。
チャイムを押して、中の人にあけてもらう。
記念館は1階の常設展と2階の企画展。
撮影可能。
徳富蘇峰先生のお写真。
まずは蘇峰の紹介ビデオを鑑賞。
20分くらい。
つよそう(こなみ)
常設展の展示品は、半分近くが蘇峰の蔵書であり、あとはその他所持品。
蔵書は付箋だらけである。
なんか仲悪かったらしいが、その後和解して、全集までそろえちゃった。
あと徳富蘇峰といえば、『近世日本国民史』。
戦前の56歳の時から書き始め、晩年の90歳で完成させ、全100巻。
読む方の身にもなってくれというレベルの大著である。
2階は企画展で、蘇峰の友人たちからの手紙や贈り物など。
戦前の論壇を沸かせた人物として、さすがに交友関係がめっちゃ広い。
この記念館には蘇峰宛ての手紙4万通以上が保管されているとのこと。
そんな大量の手紙、生前はどこにしまっていたのだろう。
すっかりイメージがハードゲイになってしまった同志社に在学していたけど、学生運動のごちゃごちゃで中退している。
それでも記念式典に出席しているのは、大学の創設者である新島襄を深く尊敬していたからだと思われる。
ちなみに、この記念館は二宮にあるけど、徳富蘇峰は別に二宮に住んでたわけじゃないらしい。
蘇峰の秘書をやっていた塩崎彦市氏が、蘇峰から大量の遺品を預かっており、それを自身の邸内に展示したとのこと。
蘇峰の記念館は、ここを含め全国で6か所ある。
記念しすぎである。
凄まじい影響力だな。
2013年には、くまモンも来館している。(写真は記念館HPから)
彼は熊本に関係なくどこにでも出てきてしまうので「またかよ」感があるが、
蘇峰は熊本出身なので、今回は的を得ている。
あと敷地内には梅園もあって、「神奈川花の名所100選」に選ばれている。
ひょっとしたら記念館よりこっちの方が有名なのかもしれない。
でも入館料700円はちょっと高いよなー
以上
【交通手段】二宮駅から徒歩15分
【入館料】700円
【滞在時間】40分
【混雑度】★(だれもいない)
【URL】