平塚市博物館
入口付近にいろいろ置かれている。
漬物屋で使っていた桶。
造り酒屋で米を蒸すのに使われた窯。
なお湘南付近には酒造は1つしか残存していないので、米どころの実力については(察し)
入口。
まさに役所建築。
館内は撮影可能のようです。
茅ヶ崎市は見習って、どうぞ。
右側にあるのはコインロッカーではなくて、引出しの中に資料があります的なやつ。
左側に、茶室。
織田有楽斎(信長の弟)が京都に建てた茶室を、横浜の三渓園に移築しているが、さらにその移築したやつを模倣して作ったもの。
平塚要素はあるんでしょうか(震え)
江戸時代の古民家。
市内の名主の家がモデル。
土間には、郷土博物館安定の農具。
古民家を抜けると、ジオラマ。
家がずらずら。
東海道の宿場町だったから。
こちらは古墳のジオラマ。
相模川や金目川など周辺に河川があるし、古代は海も迫っていたので、人の集まる条件はあったと思われる。
すごいですねぇ(雑)
縄文時代の暮らしの再現。
江戸→古墳→縄文と、時代が飛び飛びだけど、気にしてはいけない。
天井に干されている魚はリアル。
次のゾーンへ。
石。
石!石!
いろんな種類の石。
上述の通り平塚には大きな川が幾つかあり、河川敷に石が豊富なので、石材としてじゃんじゃん活用している模様。
持てます。
重さや触感の違い。
平塚の森や川に関するゾーン。
こっちは森。
木材が置いてある。
よくみると、虫が張り付いていた。
ヒエー。
こっちは川。
相模川は、山梨県から神奈川北部・県央部を通って湘南に流れてくる。
金目川は、大山から来ているから、大山詣に使われたのかもしれない。
というわけで、船は重要な流通手段。
2人で漕いでいるかと思いきや、前の人はパイプ吸ってた。
釣りも盛んで、アユが人気。
1Fおしまい。
2Fへの階段の踊り場にあったもの。
人が縛られているようですが、大丈夫なんですかね。
同じく踊り場に展示されていた絵画。
戦時中の空襲がテーマ。
2Fへ上った時には怖い気分になっている、なかなか無い階段である。
2F。
右側から行くと、まずは漁。
さっきは川だったが、今度は海。
漁の道具たち。
イキョといって、エサ用イワシをいれて海中に置いておくもの。
イワシを活きのいい状態にしておいて、釣りたい魚さんに美味しく食べてもらうためである。
突然の自転車。
ミショー式といって、前輪にペダルが付けられている。
これを漕ぐには、前傾姿勢をとるか、よほど足を伸ばさないとダメそう。
足攣り不可避(軟弱並感)
亀。
骨の方が迫力がある感じ。
海岸に流されてきたもの。
木のみとか流木は、川の上流から流れてきた系。
ゴミもちらほら。
プラスチック系は流さないようにしましょうの展示。
食パンとか伊勢エビとかありますが(すっとぼけ)。
箱根の仙石原にあった大木の年輪。
平塚要素は(省略)。
まだまだ続くよ!(疲労感)
丹沢周辺は、もともと別の島だったのが大昔に日本列島と衝突して合体した、という流れの説明。
島だったので、地層に貝とかビッシリ。
まーた石のコーナーか、壊れるなぁ。
まんじゅう石。
うまそう(適当)。
あれ、海老名市温故館では、国府は海老名にあったって展示されてたけど。
海老名にあった説のほか、平塚・小田原・大磯説などもある模様。
これもうわかんねえな(思考放棄)。
腰の帯に付ける飾り。
役所では、階級ごとに付けてよい飾りの種類が決まっていたらしい。
この展示の横にベルトが置かれていたが、こんな感じで飾りを付けていたのだろうか。
イラストもあります。
こんなイラストもあったが、こっちは詳細不明。
道祖神に藁の屋根をかぶせて、小屋状態にしたもの。
普段はもちろん被されてないが、平塚のお祓い行事で1月14日にやるのだと。
小屋ではお祓いの他、お菓子やお神酒を売ったりするので、もはや屋台状態。
そして子供たちはここを拠点にして、町中へ賽銭や飾りを貰いに回る。
その子供にお賽銭上げないと、道祖神にいたずらされる恐れがあるので、トリックオアトリートな雰囲気である。
いきなり地震のデータベース。
湘南一帯には活断層がけっこうあり、73年間に1度のペースでマグニチュード7級の地震に見舞われている。
その地震が起こると、被害はこんな感じ。
県西部は片っ端から震度6以上。
前回の大地震が1923年の関東大震災なので、もう73年過ぎている。
やばいやばい。
2Fの最後は戦争ゾーン。
横浜ゴムの洋館は海軍火薬廠関係の建物だったが、それ以外にも海軍系の施設が多数あり、平塚は軍都であった。
よって終戦間際の1945年7月に米軍の大空襲を受けて、市域の6割が壊滅状態になったという。
階段の踊り場にあった絵画は、その空襲についてである。
2F終わったので、3Fへ。
宇宙っぽくなった。
このフロアにはプラネタリウムがあり、200円で観覧可能。
開始時刻に間に合わないと、入場できないけど。
プラネタリウム入口の横に説明書きがあるけど、細かすぎて見る体力がない。
平塚って宇宙関係の施設ないのに、なんで宇宙の展示やっているのかと思ったら、戦時中にロケットの開発研究してたらしい。
海軍火薬廠に勤めていた村田勉という人物が、ロケット用の火薬を開発しており、戦後のロケット開発にも貢献をしたのだと。
隕石の話。
石の載っているプレートの両側に把手があり、これを持ち上げて石の重さを思い知れ的なもの。
「重いよ」と煽るだけあって、クッソ重かった。
あとはPC置いておくので、各自で調べて下さいコーナー。
おわり!閉廷!
というわけでなかなか盛沢山な博物館だったが、入り口広場の噴水が完全に停止しているのを見て、その財政状況の辛さを察するのであった。
以上。
【交通手段】平塚駅から徒歩15分
【入館料】無料
【滞在時間】60分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】
旧横浜ゴム平塚製造所記念館
平塚の八幡山公園には、明治時代に建築された洋館がある。
別に山ではない。平地。
1912年に、日本火薬製造(株)により建築された。
この会社は日本海軍と、英国の火薬製造系3社による合弁。
日露戦争では日英同盟により英国から火薬を輸入していたが、(国産しないと)いかんでしょ、ということで設立された会社である。
この平塚付近は広大な国有林があったが、もはや持て余していたので、火薬製造所を建てるのに丁度よかった。
洋館は右側で、管理棟は左。
その真ん中に入り口がある。
イギリス人技師を招いての火薬製造所の建設工事は1905年から始まり、よって彼らイギリス人のための住宅や食堂も作られた。
1911年に火事でそれら建物がボンバーしてしまったので、新たに建て直し。
そのうちの1棟が、この洋館だと言われている(伝聞)。
まず入って左手の部屋。
天井が結構高いので音響が良く、市民の音楽ホールみたいな形で利用されている。
実際この日も合唱団がワーワーワーしていた。
入口右手の部屋も、貸出用展示室な様子。
左側パネル落ちてるけど、多少はね。
なにか置いてある。
ハッシュタグっぽいのが印字されたシール。
hiratsukagood(be動詞ガン無視)。
このハッシュタグでインスタに平塚の写真を上げて、地元を盛り上げよう運動らしい。
地元のひと頑張ってクレメンス(旅行者並感)
奥右手の部屋は、洋館の資料室。
サイズ控えめ。
模型。
1919年から海軍に接収され、製造所一帯は火薬廠に。
本館は海軍将校の親睦団体「水交会」の娯楽施設として使われる。
しかし娯楽施設にしては小さいよなぁ。
ビリヤード1台はあったとされている。
ただ過去の写真を見ると、かつての規模は大きかった模様。
建物からはく離したと思われる残骸たち。
火薬廠の図面。
洋館の位置は、左下の矢印のあたり。
この①の場所にあった。
しかし海軍の施設だけあって巨大な敷地である。
最後の部屋は応接室。
この部屋は洋館って感じがする。
パンフレットにも「洋館の建築的魅力はこの部屋に尽くされている」とある。
他の部屋ェ。
ただ暖炉はフェイク。
奥のカーテンは1950年頃から現存するらしい年代物。
ソファーには座れます。
カーテンの裏を見ると、紐が付いている。
窓は上にあげて開けるという、JRの古い車両方式だが、そのときにこの紐が上下動する。
紐の反対側には、窓と同じ重さのこんなパイプが付けられている。
つまり紐の片側に窓、もう片側に同じ重量のパイプがあるので、窓を上げても落ちてこないということ。
何を言っているのかわからねえと(以下略)
海軍時代の応接室の様子。
戦後は米軍に接収された後、タイヤメーカーの横浜ゴムに払い下げられ、これまた応接室などに使われていた。
2004年に横浜ゴムから平塚市に寄付があり、それを解体して八幡山公園に再築して現在の洋館になっている。
応接室の窓は外から見ると、他の窓と違ってデザインが施されている。
wikipediaによると、横浜ゴムさんサイドは「もう老朽化しているから壊したい」状態だったらしいが、市内で唯一の明治時代建築であったため、平塚市側が寄付を要請したとのこと。
引き継いだ時にはボロボロだったらしいから、解体移築する際にダメになっている材料は処分して新しいものに取り換えたので、明治建築の割には建物が古くない感じがして、正直ありがたみが薄れるところ(無茶ぶり)。
隣には巨大な慰霊碑があります。
横浜ゴムの建物としてより、火薬製造所や火薬廠としての存在の方が大きい気がするのだが、それでも「旧横浜ゴム」と正式名称に企業名が入っているのは、横浜ゴムさんサイドからの寄付の条件だったのかしら。
以上。
【交通手段】平塚駅から徒歩15分
【滞在時間】20分
【混雑度】★(誰もいない)
【入館料】無料
【URL】
神奈川県立生命の星・地球博物館
ここは神奈川県による、地球を記念する博物館である。
箱根登山鉄道の入生田駅から高架橋を歩いてくると、この巨大な建物が目に入る。
さっすが神奈川、金もってまんなあ(エセ関西人)
入館。いきなり巨大な骨がお出迎え。
入口左手がお土産コーナー&企画展ブース。
右手に行くと券売機があるので、そこで入館券を購入する。
天井の装飾も、ふつくしい。
魚の骨と、映像資料。
顔がいかつすぎる
ギョギョ!
映像資料では寒冷地のオッサンと、全身白タイツが何かやってる。
右手奥にはデカいグリズリーっぽいのと、ミュージアムシアター。
シアターは様々な内容を15分1本で上映しており、全部見ようとするとそれだけで1日を費やすレベルなので、今回はスルー。
展示室へ。
いきなり大宇宙である。
月のクレーターや隕石ゾーンであるらしい。
隕石いろいろ。
展示解説によると、隕石は「宇宙からの贈り物」であるらしい。
隕石が地表に落ちたときの図。
猛烈な速度で地表にぶつかるので、岩石は熱で溶けてしまい雲と化し、この世の終わりみたいな情景になっている。
とんだ贈り物である。
溶けてしまった岩石は、結局また冷えて固まるが、それがこのテクタイト。
暗いので良く見えないが、ガラスみたいな見た目になる。
続いて地球の誕生ゾーン。
まぁ原始太陽の周辺の気体が冷えて固体になって、その固体同士でぶつかっては結合して大きくなっていき、地球になりましたってこと(中並感)
まだまだ岩石コーナーは続くよ!
あんたも好きねえ。
ニョキニョキ生えているのは、熱水の吹き出しで作られた石灰岩ごとトラバーチン。
変な岩石コーナー。
これはリチア電気石で、結晶のこと。
それよりも糸状のやつの方が気になる。
これは方解石。
花とかイソギンチャクに見えるが、犬の牙ということにされている。
別verの方解石。
形が崩壊石()。
アンモナイトの化石群。
ようやく生命の誕生である。
ウミユリは、ヒトデやウニの仲間。
どちらかというとクラゲに見える。
長かった岩石ゾーンを抜け、本格的に生命ゾーンへ。
でも白骨化してた。
QRコードで解説が聞ける模様。
その前にこの恐竜の作画は怪しい。特に腕。
魚いっぱい。
ながいなあ(ボキャ貧)
シイラは食用ではあるが、シイラを食べない国では、味の評価は高くないらしい。
そして星座のカジキ座は、もともとシイラを意味していたのに、なぜかカジキに名前を取られてしまった。
きっと顔が不細工なせいだろう(適当)
動物のはく製ゾーンに突入。
問題です。
正解はこちら。
首の骨の数だけなら、みんな友達である。
次のゾーンはなんでしょうか?
ギャー!
ギャギャー!
ウギャー!!!
気を取り直して、どんぐりとそれを食べるもの達の話。
てか、なぜゴキブリをNEWとして付け加えたのだろうか。
悪意としか思えない。
ちなみに、どんぐりもただ食われるだけでなく、いちおう防衛策は取っているらしい。
実のなる年とならない年を数年おきに繰り返すという、一人っ子政策みたいなことをやっている。
エスカレーターで一気に3Fへ。
この階は、神奈川県の自然コーナーである。
丹沢のあたりは伊豆と一緒で、大昔は別の島だったのが、衝突して本州と化したらしい。
はえーすっご。
お魚コーナー。
いろいろ遊び心があるようで。
ヨコハマナガゴミムシという虫は絶滅の危機に瀕しているらしい。
でもゴミ虫だからね、しょうがないね(ゲス顔)
突然ハイテクになった。
エネルギー関連のゾーンだが、ここまで2時間近くたっているので、もうあんまり文字を読みたくない(老並感)
パソコンルームは実習にでも使うのだろうか。
ジャンボブックのコーナー。
ただ単にデカい本を飾っているのではなくて、生物に関するトリビア的なことを展示している。
でもなんでまた虫を並べるんですかねえ。
タラバガニってカニじゃなくて、ヤドカリの仲間らしい。
カニにはヤドカリ産を使用したのかな?(異物混入)
キノコ。
食べたら死にそう。
こっちも死にそうかと思いきや、中国では高級食材らしい。
さすが中国(遠い目)
いきなりホラーゾーン。
人類の骨を比べてみよう、だと。
よくわからん奴ら。
体験コーナーがある様子。
ジャンボブックゾーンはおしまいで、3Fから2Fに降りてくる。
2Fは図書館になっている。
古民家の構造は蜂が住みやすいため、昔は双方が共存していたという模型。
でもこんだけ蜂いたら、共存どころでは無いと思うんですが(当然の疑問)
渡り廊下を通って向こう側に行き、階段を下りて1Fへ戻っておしまい。
渡り廊下からの景色。
以上。
【交通手段】入生田駅から徒歩5分
【入館料】520円
【混雑度】★★★(一部屋に2~3人)
【滞在時間】2時間
【URL】神奈川県立生命の星・地球博物館
箱根北原おもちゃミュージアム
箱根湯本に、北原照久のコレクションを飾ったおもちゃミュージアムがある。
箱根湯本駅から徒歩5分程度だが、この辺のスポットを回る無料バスもある。
駅からここまでは結構きつい上り坂なので、行きはバス利用の方が良いかもしれない。
2館構成であり、左側が①で右側が②。
どっちの館でも受け付け出来るけど、順路通り①から。
入館料は2館共通で1300円。
同じ北原照久シリーズである「横浜ブリキのおもちゃ博物館」は入館料200円であり、けっこうな差があるが、観光地ということで多少はね?
鉄人28号がお出迎え。
受付を通って最初の展示室へ。
予想通りの、ブリキのおもちゃコレクションである。
なお相変わらず逆光しまくりの写真ばかりになってますが、申し訳ナス。
まずは明治~昭和までのブリキのおもちゃたち。
おもちゃミュージアムは写真撮り放題なのが嬉しいところである。
アメリカ人の額にハチが乗っている「好人物」。
ハチは日本を表しており、ちっぽけな日本が暴れたところでアメリカは気にしないという風刺であるらしい。
時代を感じさせる兵隊さん。
これまた時代を感じる近未来もの。
小田急もしっかり宣伝しています。
部屋の真ん中にあるバイク。
これだけはおもちゃでなく、本当にバイクだった
2Fへ。
ダンボではなくて、マンボ。
これならディズニーは気づかないと思ったのだろうか。
お馴染みの、シンバルもった猿
昔のミッキーは、中国も驚きのクオリティである。
ハチミツ食べるどころか、ハチミツに浸かっているプーさん。
みなさん、だいぶお変わりになられたようで。
大量の人形(焦燥)。
白い人たちだけでなくて、アフリカンな方々もいます。
やけにいかつい赤ん坊たち。
「忠実なる犬」
忠実要素はありましたか(すっとぼけ)。
フロアの真ん中あたりに、北原照久氏のインタビュー映像。
ブリキのおもちゃ集めが高じて横浜山手にミュージアムを作ったのが、大ヒット。
全国に同様のミュージアムを開設し、好事家があっという間に実業家になってしまったのだと。
2F奥の方はアメコミなど海外作品もの。
サンダ~バ~ド~。
蛍光灯では無くて、ライトセーバー。
1Fに降りたら、お土産コーナー。
ウナギイヌのケース。
でも中に置いてある商品は全然違った。
2館目へ。
こちらは企画展であり、このときはミニチュア展だった。
舞台は、昭和や大正など、昔懐かしな時代が多め。
クリエイターらによる展覧会である。
原稿を散らかしているのは、江戸川乱歩らしい。
左側の編集者に追われているというネタ付き。
とにかくミニチュアハウスが続くので、以下だらだら貼ります。
豆腐屋。
店番の婆さんは爆睡中。
路地裏。
正統派ドールハウスげなやつ。
ニューヨークの廃墟じみた高層ビルの間にぽつんとある北原おもちゃミュージアム、という設定。
こちらも仮想ミュージアムだが、横浜のおもちゃミュージアムと似ている。
これは実在の、北原照久の別荘である。
もとは宮家の所有であり、8億円もしたそうだ。
おもちゃって儲かりまんなあ(小並)。
映像コーナーでは、機械仕掛けで動くおもちゃの展示。
このおもちゃでは、右側に女性が横たわり、その左側に電気ノコギリがある。
機械が動くと、女性が電ノコの方に流されて処刑されるという、だいぶろくでもない展開。
最後のゾーン。
まずは巨大なキューピー。
なにか企んでいる感じの目をしている。
昔のレコードやCDがずらずら。
古い人も居れば、まだ現役の人も居ます。
レコードで埋まらなかったスペースには、おもちゃを敷き詰めている。
これにて2号館もおしまい。
想像以上にボリュームがあるので、観光地設定の入場料でもまぁ納得というところ。
しかし同様のミュージアムを全国に建てているので、北原氏のコレクションの多さには呆れる驚くばかりである。
以上。
【交通手段】箱根湯本駅から徒歩5分
【入館料】1300円
【混雑度】★★★(館内にちらほら)
【滞在時間】60分
【URL】箱根北原ミュージアム/トップ
深澤銭洗弁天
社があるのは箱根湯本方面のホーム。
湯本方面から来た人は、あの階段を登って上り線側のホームへ。
グーグルマップだと湯本駅から塔ノ沢まで徒歩15分ってあるんだけど、完全に山の中だから15分じゃ着かない気がする。
この銭洗弁天は、松井証券の創業者である松井房吉が建てたもの。
夢枕に白い蛇が現れたことがキッカケなんだと。
なんで蛇の夢を見て弁才天になるのかというと、蛇は弁才天の使いだったり、弁才天が蛇そのものだったりするからである。
もともとインドでは弁才天は川の神様。
一方、日本では蛇は湿地に生息してネズミなどの害虫を食べるので、水神として崇められたりしていたらしい。
それで両方の信仰が結びついて、蛇=弁才天という繋がりになったんだと。
また蛇=竜という考えもされていたため、手水は竜である。
手水は2か所あったんだけど、もう片方はずいぶんと簡素である。
伊勢原の比々多神社にもあった絵。
当時の神社界で流行った絵なのだろうか。
本堂。
なぜかカエルの石像がたくさん。
蛇を祀る神社だから、蛇にエサとして捧げる用なんだろうか(無慈悲)
沢の水を引いているので、たいへん水気のある神社である。
足を踏み外したら即死。
奥の方へ。
5mほどで、中宮。
ちなみに冒頭で話した松井房吉だが、この人は凄腕の投資家であった。
1920年に株価が大暴落した際、投資家の中でただ一人その変動を読み切って巨万の富を築き、日本橋兜町でその名を恐れられたという。
塔ノ沢駅前に福住楼という旅館があり、そこへ松井房吉は毎週のように通っていたらしい。
蛇の夢も、そこで見たのだろうか。
なおこの旅館は1泊25,000円以上する高級旅館である。
やっぱ投資家ってクソやな(貧並感)
その松井氏も、2次大戦終戦時には持っていた株券が紙くずになってしまい、所有する不動産以外には財産が無い状態になってしまったという。
仕方ないね(ゲス顔)
それで、こちらが奥宮。
玉子を捧げると、その玉子が薬に変化するらしい。
なんということでしょう。
奥宮の参道の脇には、池。
水がとても澄んでいる。
キングボンビーみたいなのが居る。
ここで銭を洗って、その銭を使うと、お金持ちになれるらしい。
さっそく、ホームの売店でお札を買いましょうね(販促)
以上。
【交通手段】塔ノ沢駅構内
【入場料】無料
【混雑度】★★(他に2~3人)
【滞在時間】20分
【URL】