神奈川県埋蔵文化財センター
埋蔵文化財センターは、神奈川県で発掘された埋蔵文化財を飾っているところである。
開館時間は主に平日だが、第二土曜日も開いている。
殆どの利用者は研究者か学校教育と思われるので、この開館日時は一般利用者には厳しい仕打ちかもしれない。
エントランス。
案外きれいだね(驚愕)。
巨大カメくんのお出迎え。
2つ目から早速よく分からないのが出てきた。
鐘を作るのに使った土台らしい。
真ん中の底の部分。
これは小さい子供の棺桶としての甕壺だそうだ。
神奈川県内の遺跡の数。
多スギィ!
エントランスを通り過ぎて、受付。
一般向けの展示室は3Fだが、その前にここで一声かけなくてはいけない。
階段を登って、展示室へ。
エントランスとは打って変わった内装ですな(遠い目)。
室内はこんなかんじ。
建物内はほとんど会議室や内部職員のための施設であり、一般人が入れるのはここと、専門資料だらけの図書室くらいであるようだ。
ドアップにすると、うーんこの。
銛の先にはこんなのを付けていたらしい。
打製石器は小さなものから大きなものまで。
小さいのは木の棒に括りつけてナイフっぽくしている。
動物の毛皮などを切り裂く掻器は、イラスト付き解説。
磨製石器はさすがになめらかである。
土器もいろいろ。
縄文中期頃には蛇型の紋様?とされる土器が多く出現したらしい。
古墳時代になると、従来の素焼きである右の土師器と、より高温で丈夫に焼き上げる左の須恵器に大別され始める。
須恵器は半島から製作技術が伝来され、ろくろが使われだしたそうだ。
須恵器は余っているのか、その辺にごろごろ置いてある。
ふくろう。
お前誰だよ。
櫛。
奈良時代になると釉を使った陶器が出てくるが、お金持ちしか買えないんだな。
この時代では人型の木細工も登場。
土偶みたいなもんだろうか。
お馴染みの三角縁神獣鏡くんも。
鎌倉時代。
江戸時代。
この辺だと、けっこう綺麗な状態で発掘されている。
時代が前後するが、古墳時代のミニチュア土器。
べつにおままごとしてたわけじゃなくて、祭祀用。
土偶。
顔こわすぎ。ムジュラかよ。
このへんの土偶たちは、何か呪いを掛けに来ているのだろうか。
アニメチックなフクロウ。
もとは土器の一部分。
ようやくこのフクロウの由来が分かったところで展示終了。
以上。
【交通手段】阪東橋駅から徒歩10分
【滞在時間】20分
【混雑度】★(誰もいない)
【入館料】無料
【URL】
旧英国七番館
旧英国七番館は、山下公園近くにある西洋館である。
1922年、イギリスの貿易会社であるバターフィールド&スワイヤ商会の横浜支社として建築された。
「山下町7番地」に建てられたので、7番館である。
スワイヤグループは、現在も世界中で13万人以上を雇用する巨大商社である。
19世紀初頭にリバプールにて起業。
清朝末期のドサクサで中国へ進出。
アヘン戦争絡みで有名なジャーディン・マセソン協会などと上海や香港で利権を握り、清朝中国を支配する4大外資企業となった。
震災前の外観写真。
現在の規模は、当時の1/3程度だという。
そんなスワイヤさんが建てた横浜支店であるわけだが、悲しいかな建築翌年に関東大震災に見舞われ、中身は全焼。
ただ全壊は免れたので再建され、外国商館としては唯一残る貴重な建物となっている。
なおスワイヤさんはこの地震で嫌になったのかは知らないが、いまは日本に支店を持っていない模様。
ところでこの建物、現在はかの創価学会が所有しており、「戸田平和記念館」として開放されている。
というわけで、門にも創価学会と刻印されている。
館内の展示は数年周期で変わるようだが、基本は反戦的なものであり、このときは核兵器に関するものであった。
内部は撮影禁止となっているので、残念ながらお写真は無し。
まぁ内装は山手の西洋館と異なり、あくまで普通の展示室であって、特に西洋館要素は見当たらず。
展示内容自体も核兵器の非人道性を主張するもので、政治的や宗教的なものはあまり無かった。
ただ2Fの一番奥に「池田大作先生ご使用のボールペン」ってのはあったけど。
あと入館したら「組合活動できるじゃない!」って入信勧誘されるんじゃないかとビクビクしてたが、そんなことはなかったので安心されたい。
以上。
【交通手段】元町中華街駅から徒歩5分
【入館料】無料
【滞在時間】10分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】平和・文化・教育運動の紹介 | [東海道] 神奈川創価学会 | KANAGAWA SOKA
藤澤浮世絵館
藤澤浮世絵館は、辻堂駅近くにある浮世絵専門美術館である。
ココテラスというビルの7Fにある。
このビルにはアトリエや書道教室、サッカー教室や塾など様々な学芸施設が入っている。
一方で藤沢市の下水道や建設部局など、思いっきり相反する部署も入居している(失礼)
エレベーター6Fで降りると、いきなり浮世絵館満載である。
奥の方が入り口。
入場は無料である。
しかし傘立て多すぎないか(困惑)
受付でパンフレットをもらい、中へ。
まずは浮世絵の画法についてお勉強。
頭髪の部分を彫ることが一番難しいらしい。
やはり髪はいつの時代も重要である。
ずらーっと浮世絵が並んでる。
やはり藤沢としては、東海道の宿場町であったことを全力で推したいのだろう。
この絵は「品川」である。
ところが帰ってきてから「東海道五十三次」について検索すると、同じ「品川」なのに全然違う絵が出てきた。
どういうこっちゃ。
どうも歌川広重は「東海道五十三次」を、30種類以上描いているらしい。
すぐ上に挙げたのは一番有名な「保永堂」シリーズであり、浮世絵館で展示しているのは「人物東海道」シリーズである。
「保永堂」シリーズなど有名どころはwikipediaにも載っているのだが、人物東海道はなかなかヒットしないので、私のつたない写真で勘弁してクレメンス。
これは「戸塚」である。
早くも富士山が登場しているが、静岡に入った時に富士山だらけにならないか心配である。
ご当地「藤沢」はこれ。
こんなに雪降るところだっけ?
「大磯」。
ここまで登場人物は徒歩の姿だったのに、ついに疲れたのか籠に乗っている。
「原」
「吉原」
「蒲原」
やっぱり静岡に入ったら、富士山だらけになってしまった。
戸塚で使わない方が良かったのでは。
ちなみに、歌川広重が東海道を歩いたことを題材に「五十三次」を描いたと思われていたのだが、実は歩いていない疑惑が浮上しているらしい。
詳しくはこちら
五十三次を見終わって、藤沢コーナーへ。
東海道の街並みは色んな浮世絵師が描いているので、藤沢が題材の絵も多くある。
これは渓斎英泉の「美人東海道」シリーズだが、もう街とかどうでも良いレベルで美人(古典)が全面に出ている。
なお渓斎英泉は歌川広重とともに「木曽街道六十九次」を描いているが、木曽街道と言いつつ実はほとんど中山道について描いていることは秘密である。
これは上方の中井芳瀧という浮世絵師の「五人男客気白浪」。
上方と江戸では顔の描き方や、刷りの濃さが違うらしい。
これもうわかんねえな。
あとは江の島&企画展である。
このときの企画展では、海外の画風の影響を受けた浮世絵特集だった。
時代的に欧州で印象派が流行っていた時なので、その影響を受けているらしい。
川瀬巴水という人の「相州七里ガ浜」である。
もっとごわごわした浮世絵チックなのが好きな人は、定方塊石の「江之島稚兒ヶ渕の富士」がおすすめである。
名前からしてごわごわしている。
そんな感じで、展示室はおしまい。
もとの部屋に戻ってきた。
大きな絵。
小田急の路線案内だった。
浮世絵すごろく。
250円だって。
浮世絵のできるまでのフローチャート。
説明してなかったが、浮世絵には直接筆で描いた「肉筆画」と、「木版画」がある。
肉筆画だと1枚しか作れないが、木版画であればたくさんコピーできるから、当時は木版画が主流である。
小学校の図工を思い出す感じ。
体験もできます。
なぞなぞコーナーもあった。
以上。
【交通手段】辻堂駅から徒歩5分
【滞在時間】30分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【入館料】無料
【URL】
ふじさわ宿交流館
ふじさわ宿交流館は、藤沢宿の様子の展示&公民館的なやつである。
藤沢は東海道のほか、大山街道・江の島道など大規模中規模の街道がわらわら集まってくるところであり、自然と人も集まるところであった。
さらに遊行寺も隆盛したので門前町として栄え、江戸時代には徳川将軍の休憩どころとして藤沢御殿なるものがあったらしい。
つよそう。
2階建てだけど、1Fの半分と2F全部は会議室など公民館要素であり、残りの1F部分が資料室である。
最初に目につくのが、江戸時代頃の藤沢最盛期のジオラマ。
手前に見える橋が「遊行橋」であり、これをまっすぐ行くと遊行寺である。
橋を渡って最初の角の右斜め前にあるのが、この交流館である。
なお現在の遊行橋はこれ。
この斬新なボタンを押せば、音声解説を聞くことができる。
ジオラマに向かって右の展示から見ていく。
これは「浪花講」の定宿帳である。
浪花講という大阪の組合が、安全健全な旅籠を認定して一覧にし、さらに道中案内も載せたもの。
江戸時代版るるぶである。
旅をするにも関所を抜けないといけないので、そのための身分証明書。
旅の道具たち
右が弁当箱で、左が酒器。
弁当箱の簡素さに対して、この酒器である。
持ち主の本気度がうかがえる。
枕。
貴重品は引出しに入れて寝れば、窃盗も防げるという画期性。
でもその前に、角に頭打ちそうである。
ジオラマ向かって左の展示へ。
源義経の伝説である。
源義経の処刑後、その首は腰越の浜に捨てられたが、黄金の亀の背中に乗って境川(さっきの遊行橋がかかってた川)を上っていく。
遭遇した藤沢の第一村人に「弔ってクレメンス」とお願いし、村人は藤沢本町駅近くにある井戸で首を洗って葬ったという。
まぁ義経については、生き延びて大陸に渡ってチンギスハンになったとかいろいろ伝説があるからねえ(雑)。
藤沢宿で発掘された陶器。
ろくな形で残っていない。
それに比べて酒器は完璧な形で発掘されている。
藤沢の人々の本気度がここでもうかがえる。
なお発掘調査自体は1990年代後半から始められたという、ずいぶん最近の話である。
最後に、こんなゲームがあった。
当時の藤沢宿の中を歩けるというものである。
ただ村人と話したり、民家に入って壺を割ってルピーを得たりは出来ず、お外を歩き回るだけではある。
画質はやたら良いので、それにステータス全振りした感がある。
以上。
【交通手段】藤沢駅から徒歩15分
【入館料】無料
【滞在時間】20分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】
時宗総本山 遊行寺(清浄光寺)
正式名称は「清浄光寺」であるが、遊行上人と藤沢上人が同じであるため、この藤沢の寺が遊行寺と呼ばれるようになったらしい。
何を言っているのかわからねーと思うが(以下略)
寺に向かってのぼっていく参道。
時宗は一遍が始めたものだが、本人は諸国を歩きまくっていたので、教団を作る気はなかった。
一遍亡き後に、弟子の他阿(たあ)という人が教団としてまとめて、相模原の当麻に拠点として無量光寺を開いた。
そこそこ長い参道を歩くと、開けたところにでて、目の前に本堂。
2代目他阿のあと3代目が続き、そして4代目のときに跡目争いである。
吞海(どんかい)という人が諸国遊行を終えて無量光寺に戻ろうとしたら、違う奴がすでにBOSSとして居座っていたと。
困った吞海くんは、偶然藤沢で領主をやってた兄貴(俣野氏)に頼み、その領地内にあったボロ寺を改修して、清浄光寺として開山した。
こうして無量光寺(当麻道場)と、清浄光寺(藤沢道場)として時宗は2つに分かれ、争ったり争わなかったりするのである。
ただ基本的には、無量光寺が鎌倉幕府や後北条氏など政権側からの庇護を受けていたのに対し、清浄光寺は敵対勢力であった。
北条早雲に睨まれるわ、戦火で寺が焼かれて100年近く再建が認められないわ、本尊が150年近く違う寺に移されて返ってこないわで、痛いですねこれは痛い。
しかし1631年に江戸幕府により、清浄光寺は時宗総本山と認められるのである。
まさかの大逆転。
なお無量光寺の方はいつのまにか浄土宗の影響が強くなり、トップたる上人まで浄土宗から出向で来るなど、もはや系列会社化してしまう。
明治時代には時宗からの独立を図ったようだが、やっぱやめて結局残留することになったとさ。
手水の口は定番のドラゴンである。
あと遊行上人は全国を説法しながら踊り歩く人なんだけど、引退して藤沢に戻ってきたら藤沢上人として定住し、また違う人が遊行上人になるらしい。
だから遊行上人と藤沢上人は別個でいたんだけど、明治時代になると藤沢上人が随時諸国を歩くということになり、だから遊行上人=藤沢上人になった。
やたらデカい銀杏の木。
樹齢700年だって。
小規模ながらも豪華な建物は、ひぎり地蔵。
ひぎりとは「日限り」であり、日を限って参拝すれば良いことがあるということ。
だから毎日お参りしてはダメなのである。
建物の裏には地蔵がぞろぞろ。
ミニチュア版の鐘楼。
本堂へはスロープも付いている。
中には立ち入れないので、外から眺めるだけ。
本堂向かって左側には、とくになし。
右側に回ると、いくつかある。
これは永代供養墓。
犬猫の供養もある。
ちなみに犬猫以外のペットでも良いらしい。
水子供養。
戻って左側に行くと、寺務所である。
明治時代に作られたこの門は、徳川家の手に寄るという。
葵の紋が入っている。
門をくぐった寺務所のあたりは、庭園チックになっている。
池もある。
生類憐みの令は犬に留まらず魚類や昆虫まで保護の対象としたが、遊行寺の担当は金魚であったらしく、この池には金魚が放たれたそうな。
今度は本物の鐘楼があった。
しかし南北朝時代に作られた貴重なものということで、撞くことはできない。
どうしても撞きたければ、さっきのミニチュアのところへ行け、ということであろう。
伝承ではあるが、徳川家康の祖先がこの寺と接点を持つという。
室町時代に得川有親という人がこの寺で時宗の遊行僧になり、三河の国の松平に落ち着いて、その子孫が家康なんだと。
この有親さんは僧の時に「徳阿弥」と名乗っていたので、家康は元の名字の「得川」を「徳川」ともじったのであろうか。
ほんとかどうかは知らんが、さっきの門も徳川家の紋章が入っていたし、遊行寺が火事で燃えたときも江戸幕府が資金を下賜するなど、徳川さんサイドとしては割と信じていたようだ。
これが、その有親さんが信仰していた宇賀弁財天である。
明治時代に焼失したのを再建してこれらしいが、昔はもっとデカかったんだろうか。
さっきの弁財天は寺の左奥だったが、右奥の墓地のあたりに歴代上人の墓がある。
しかし中に入れないっぽいので、外から眺めるしかできない模様。
最後に、ここには宝物館がある。
通常は400円だが、企画展の時は金額が違うようだ。
このときは、江の島の縁起や神話について書いた絵巻物を展示してた。
以上。
【交通手段】藤沢駅から徒歩15分
【入場料】宝物館は400円。それ以外は無料。
【滞在時間】45分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】