新潟市 新津鉄道資料館
新津って場所は「鉄道の町」を推してるそうで、蒸気機関車の整備をする機関庫だとか車両製造工場とか国鉄施設が作られたそうです。製造工場は今でも元気です。
この敷地も以前は「新潟鉄道学園」という国鉄の研修施設だったそうで、1987年に国鉄が爆発四散して施設も廃止されたそうですが、その跡地に鉄道資料館を設けたという話。外観が学校っぽいのはそのためですね。
敷地の入口にはさっそく機関車くんと新幹線くんがいます。資料館に入館すれば中にも入れる・・と思うんだが、コロナのためか新幹線は閉鎖されてました。外観から雰囲気だけお楽しみください。機関車の運転席は換気良好(厳寒)なので入れました。
敷地の奥の方にも鉄道車両がたくさん並んでいるんですが、どれも入れないのが残念ですねぇ。
アクセスですが、鉄道資料館なのに最寄りの新津駅からだいぶ離れてます。バスは本数少ないので当てにならない。タクシーだと1,500円程度だった気がします。
wikiを見ると、立地の悪さに地元経済界も文句を言っていたそうですが、入館者は右肩上がりで年間4万人も来るそうだ。でもみんな車で来るんでしょ?各地の鉄道をモータリゼーションで死の淵に追いやった張本人の力に助けられて、利用廃止された古い車両を眺めに行くとはなんという皮肉!でも便利だよね。
古い学校みたいな外観だから中もぼろいのかと思ったら(失礼)、2014年にリニューアルオープンしたので、けっこう綺麗です。入館料は300円です。
入館して最初に驚いたのがこれ。本日のイベントを掲示するホワイトボードが入口付近にあるんですけど、イラスト上手すぎ。車窓に人の顔まで描かれているし。絵に気を取られたおかげでイベント内容が全然頭に入らなかった。なんかやっていたのだろうか(痴呆)
最初の展示室は、古い資料とともに新津駅や新潟の鉄道事情を振り返るコーナーでした。この古地図は1900年作成のもので、未開業の路線も書かれているそうですが、新津駅は1番上の方にあります。1897年開業。もともと会津街道と羽越街道ってのが交差する地点なので交通の要所ではありました。
まだ新潟駅は無くて、沼垂(ぬったり)という駅が終点になっています。ぬったりヌッタリ。なおwikiによると、鉄道誘致に当たり新潟駅vs沼垂駅の争いが勃発し、新潟派は沼垂駅賛同者を襲撃したり、駅に爆破物を仕掛けたりしたそうです。これだから鉄オタは・・(違う)
(1920年代頃の新津駅と、1913年頃出来たばかりの新津機関庫)
新潟は戦争してましたが、新津駅には磐越西線・羽越本線・信越本線と3路線が交差し、鉄道拠点となりました。当時は蒸気機関車なので、水・石炭などの補給が必要。その補給拠点として、新津機関庫も1913年発足。自然と鉄道関係者が集まるので、新津は鉄道の町になっていきましたとさ。
あれ?1つ前の記事で行った、石油の世界館では「新津の町はみんな石油産業の人だった」って展示があったんですが。油田は潰れちゃったから新津の人々の記憶から無かったことにされたのだろうか。アブラカダブラ。
1941年には車両工場も誕生し、検査や修繕を担うようになりました。現在でも工場は残っており、首都圏を走る通勤列車の大量生産に勤しんでいるそうです。
なお新潟県は古い国鉄車両ばっかり回されてくるから、この工場で作った車両が県内で初めて使われたのは2014年だったと。「欧米で売られる衣服はバングラデシュで作られるが、バングラデシュの人々には高すぎて着れない」って話を思い出したけども悲しいからやめておきましょう。グローバル化が悪い!トランプ大統領は正しい!Make Niigata great again!!
そんな新津駅ですが、戦後になると特急列車が停車しなくなったり、上越新幹線のルートから外されたりと、主要駅としての機能はなくなっていきます。鉄道が機関車から電車にシフトしたことで機関区拠点としての意味が薄れたり、そもそも新津自体の人口減で駅利用者が少なくなったとかですかね。石油産業の町だったしね。
そう思うと、懐かしの鉄道グッズがいっそう哀愁漂わせてきますな。左の大きな時計は新津の操車場に設置されていたものです。
鉄道博物館おなじみ、シミュレーターがありました。運行路線は中央線快速です。なんで新潟まで来て東京の列車運転せなあかんねん!とか旅行者は思うかもしれませんが、国鉄の研修施設だったから、そのお下がりか何かじゃないですか?
それに、磐越西線とかだと駅間5分も10分もあったりするから1プレイが長すぎる。長蛇の行列形成と運転手の睡眠死まちがいなし。
パンタグラフ。ボタン1つで上がったり下がったり。ただ金網フェンスを重機でぶち壊したんかってくらい物凄い爆音がなるのでビビります。がっしゃーん。
あと、リアルに通電してはないと思うんですが、ジジジジジジジガガガガガガガガ、と威圧的な重低音も発するので、軽い気持ちで上げ下げボタンを押すと恐ろしい目に合うから気を付けましょう。
お召列車の模型。天皇や皇后はこの列車に乗って移動したそうです。機関車には菊の御紋が取り付けられます。この紋章は実際に使われたやつかな?
事故や運転ミスなんて起こしたら不敬罪で銃殺刑ですから、乗務員ならびに車両や線路の保線屋さんは大変な神経を使ったでしょう。まぁそれは通常業務からしてそうなんでしょうが。
お召列車の乗務員には記念に日の丸がプレゼントされたそうです。陛下のサイン入りかと思ったら、国鉄のお偉方の筆だった。いらんわオッサン。
雪の話。1936年新潟市に国鉄の鉄道局が設置されましたが、その目的はとにかく雪・雪・雪だったそうで、雪の研究とその対策に心血を注いでいたらしい。世界的な豪雪地帯ですからね。
いかつい顔したこの車両は「ラッセル車キ204」。行く手をふさぐ雪にその尖った鼻を突っ込んでかき分けていくのだ。
しかし1963年の「三八豪雪」には誰も勝てなかったでしょう。あまりの大雪で民家どころか駅舎も屋根まで雪に埋もれてしまったらしい。2Fの窓を玄関代わりにする、なんてレベルですらない。
しまいには自衛隊まで出てきて火炎放射器で雪を溶かそうとしたけど、歯が立ちませんでした。1月半ばの雪なのに、列車の運行再開は2月半ばまでかかったらしい。災害大国の本領発揮である。
長くなりましたが、ここまでが1F部分でした。
2FはNゲージとプラレールだけ。もう疲れたので大丈夫です(死亡)
おしまい
【滞在時間】90分
【混雑度】★★★(館内にちらほら)
【URL】