C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

フェルケール博物館

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清水港の歴史博物館です。清水駅からバス10分ちょっとで、1つ前の記事のラムネ博物館とかから徒歩5分程度。

博物館HP見ただけだと、いったい何の施設なのか分からないんですよね。絵画とか工作品の企画展情報ばかり載っているので、これは美術館なのか。フランスの印象派画家トーマス・D・フェルケールに特化したミュージアムとか、そんな感じかと現地に着くまで思ってました。真珠の耳飾りとかミルク注ぐ人の絵がありそうですね。

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しかし館内に並んでいたのは絵画では無くて船でした。フェルケールVerkehr はドイツ語で「交通」だそうです。じゃあ交通資料館かぁ・・と思ったらそうでも無いです。正解は、港湾を扱う博物館でした。残念!不正解の野々村さんには1年間マグロ漁船に乗っていただきます。

そもそも私が勘違いしていたのはフェルケールじゃなくてフェルメールだったし、フェルメールはフランス人でも印象派でも無かった。なに1つ合ってない。

入館料は400円です。

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というわけで清水港の歴史でも見てってください。
古くは日本書紀にも登場するそうですが、戦国時代には今川家・武田家・徳川家が代々、水軍拠点として使用。江戸時代には大阪~江戸の中継地として、さらに甲信地方から富士川を下ってくる物資の集積地帯として一大拠点を築いたそうな。

なおこのときの清水港は巴川の西岸つまり川の中に居る感じですが、明治になって外海と接する地点に移転したそうです。写真にお絵描きしましたが、イメージとしてはこんな感じですかね。

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(左の写真は茶の都ミュージアムにあったもの。右は輸送用の茶箱)

流通拠点として栄えていたわけですが、1899年に東海道線が開通。鉄道輸送が可能になると全国各地で舟運が衰退しましたが、清水港でも横浜港へ輸送する貨物量が激減。はなわ君もこれには真っ青だろうし、玉ねぎ君(名前忘れた)と一緒にいる何とか君(名前忘れた)は胃腸が弱いので静かに息を引き取ってそう。

 

国内がダメなら海外を目指そうベイビー!当時の輸出品と言えば絹と茶、というかこれくらいしか無いわけですが、静岡は茶の名産地。このとき海外貿易は横浜港が担っていて、しかも商社を通さないといけなかったから仲介料が掛かる掛かる。これを清水港からの直接輸出を可能にして、かつ仲介を通さなくても済むよう、清水政財界の人々が10年がかりで中央政府や船舶企業に交渉を続けてついに実現。清水港の貿易量は増えに増え、茶の輸出量では国内トップのシェア77%を記録という大勝利。ベイビー!

大勝利すぎて、清水港の輸出量のうち99%が日本茶になったらしい。もう少しこう何というか、多角化というか・・。「茶を作るべきか死ぬべきか」「茶にあらずんば人にあらず」の態勢でお送りします。

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茶の単騎地獄待ちでは危ないと思ったのか、缶詰の輸出が始まりました。北海道で鮭の缶詰が開発されてましたが、清水ではツナ缶とミカン。1929年に開発され、茶に次ぐ輸出品量を誇ったそうです。

 

なので明治期~戦前の清水港は、茶と缶詰が輸出のメインだったようですが、現代ではどうでしょうか。館内に2013年時点の資料がありましたが、オートバイ・缶詰・楽器・プラモデルが主要品目とのことです・・プラモデル?

asahi.gakujo.ne.jp

朝日新聞によると、静岡はプラモ生産の国内シェア9割。バンダイタミヤの生産施設があり、クールジャパンの潮流で人気が出ているガンプラや、ミニ四駆の製造が行われています。

実はお茶の生産量は鹿児島県に抜かれつつあるので、もう静岡はプラモデル県に路線変更した方が良いかもしれない。

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清水港には貨物鉄道も乗り入れていたようです。既に廃止されていますが、左の写真は国鉄の清水港駅。日本髄一の貿易港だけあって駅の規模も大きめ。

右の写真は静岡鉄道の波止場駅。茶の集積地がある静岡市北番地から港を結んだ路線で、この駅はもう無いですが、路線自体は現在の静岡鉄道になっています。なんか道の真ん中に勝手に止まっているように見えますが、汽車の背後をよく見るとちゃんとした駅舎っぽいのがあります。

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文化財にもなっている「テルファー」。船の荷物を釣り上げて鉄道の荷台へ直接おろしていました。普通に移し替えると1日かかる作業が1時間足らずで済むようになったイノベーションものだが、上空作業員が命綱つけてるように見えないところも革命的である。

国内では清水港にしか残っておらず、博物館近くのエスパルスドリームプラザに展示されているそうです。

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さて、博物館にはもう1つ、別の博物館があります。「缶詰記念館」です。缶詰は清水港の主要品ということで県内には缶詰製造会社も多数あるわけです。

この建物は、そうした缶詰会社の1つ(株)清水食品の本社だったもの。

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館内には静岡における缶詰開発の解説があります。建物自体小さめなので、あまり展示数はありません。

巨大な魚(何かは知らない)を捌いて、小骨や臓器など余計なものを取り除く「クリーニング」作業の様子。魚釣りは男・工場は女、という時代でしょうか。

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缶にはアルファベット2文字記されていて、原材料を示しているそうです。マグロはAC、ミカンはMO。英語の略称では無いようですね。何なのか気になった私は夜も眠れず、ついにネットで3分ほど検索したのですが、日本缶詰びん詰レトルト食品協会によると「特に意味は無い」そうです。

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最後に、缶詰博物館の外に石碑がありました。「最低賃金全国第1号記念碑」だそうです。

最低賃金が法制化されたのは1959年ですが、静岡の缶詰業界ではこれに先駆けて1956年に初任給に最低賃金を設定したそうな。全労働者ってわけではないようですが、全国で初めて導入した事例ということで、われわれ全労働者は清水の缶詰に足を向けて眠れませんね。あなたの賃金の数だけツナ缶を買って差し上げてください。

 

おしまい

 

【滞在時間】45分

【混雑度】★★(館内に数人)

【URL】

www.suzuyo.co.jp