C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

掛川城(御殿・天守)

f:id:wandercspot:20210911121050j:plain

掛川城は15世紀中頃に今川家が建築し、そのあとは遠江を支配した徳川家へ、家康が秀吉によって江戸に飛ばされた後は山内一豊が入り、近代的な城下町を築いたということです。

なお本丸あたりは、元は墓地だったのを埋め立てて城にしたらしい。このあと今川家では当主の義忠が暗殺されて内乱が起こるとか、次代 氏親の子は長男と次男が若死にして三男と五男で跡目争いをし、三男が破れて自害するなど、しっかりフラグ回収します(勝ったのが今川義元)。墓の供養はちゃんとしようね。

f:id:wandercspot:20210911120808j:plain

現在の主な遺構は御殿と天守閣。名産の煎茶や抹茶を頂ける茶室では、将棋の王将戦も行われるそうです。

掛川駅からは徒歩10分くらい。入館料は410円。

まずは御殿に入ります。なぜかというと天守は高い位置に築かれていて、結構な石段を登ることになるので私の体力が既に悲鳴を上げているからです。これも潰された墓の呪いか(違う)

f:id:wandercspot:20210911120855j:plain
f:id:wandercspot:20210911120928j:plain

(御書院 上の間。城主が公務を執り行った部屋)

御殿は1861年建築。結構新しいじゃないかって?ガッカリする前に事情を聴いてほしい。

東海地方では1854年に「安政の大地震」が発生。この地震はいわゆる「南海トラフ地震」で、震度7クラスの揺れと大津波が押し寄せ、掛川では天守閣が全壊しています。天守が壊れるんだから御殿なんて爆発四散したのではないか。だから再建せざるを得なかったのでしょう。

南海トラフ地震は100~150年周期で生じており、1854年の次は1940年代だったから、そろそろ危ないというわけです。ひえ~

f:id:wandercspot:20210911120819j:plain
f:id:wandercspot:20210911120831j:plain

という緊張感を覚えたところで、御殿入って最初の展示が、つまようじで組んだ城。地震が来たらこの城だけでなく製作者のメンタルまで大破消滅するのではないか、と思うくらいには芸が細かい。天守シャチホコまで再現されているが腰のあたりに楊枝ぶっ刺されてて哀愁を感じさせる。鍼灸治療かな?

ちなみに展示は掛川城だけでなく松本城など各地の名城10点ほど揃ってました。つまようじ消費されすぎて、掛川のつまようじ市場はコロナ勃発期のマスクくらい値上がりしたのではないか。1本30,000円!

f:id:wandercspot:20210911120843j:plain

時報代わりの太鼓で、当時は2時間に1回叩かれていました。

「庶民に時間という概念を教える=時間を守る規律を叩きこむ」的な精神で、埼玉の川越や岩槻では街中に鐘つき台を設けて鳴らしていた記憶があります。

掛川ではどうなんでしょう。太鼓だと城内は良いが、城下町まで届くのでしょうか。「鐘は費用が掛かるから作れないが、気合入れて叩けば遠くでも聞こえる」と労働集約的作業をしていた?ウチの職場を思い出してしまうから止めてほしい(´・ω・`)

f:id:wandercspot:20210911120906j:plain
f:id:wandercspot:20210911120917j:plain

廊下に出ると、キャンドルナイト?さっきまでお金ないから太鼓叩いてたのに、一気に先進的になりました。鐘がなければキャンドルにすれば良いじゃない。掛川城はディナーにフレンチでも出たのでしょうか。

キャンドルではなくて電飾でした。放棄されている竹林の竹を用いて作ったそうです。

f:id:wandercspot:20210911121004j:plain

裏手の方に進んでいくと、床は板張りに代わり下士官向けな雰囲気が出てきました。冬は寒そう。下級武士や足軽が出入りしていた部分です。御殿は政庁としての機能も持っていたので、市役所玄関あたりの寒々しいタイルはこの時代から受け継がれているのかもしれません(適当)

f:id:wandercspot:20210911121038j:plain
f:id:wandercspot:20210911121026j:plain

そんなちょっと暗い通路ですが、大名行列の模型で飾られており・・長い。長すぎる。写真に収まっているのは全体の半分程度で、これ廊下曲がった先にも残り半分がまだ続くんですよ。人の話と行列は短い方が良いというのは、オリンピックの選手入場とトーマス・バッハでよく分かったから結構です。

 

ということで御殿はおしまい。

f:id:wandercspot:20210911121101j:plain
f:id:wandercspot:20210911121112j:plain

次は天守閣に登ります。辿り着くまでに結構な量のドでか石段を攻略しないといけませんが、天守の中にはさらに恒例の急階段。死んでしまいます。

ところで掛川城は不落城と呼ばれていて、桶狭間の戦い後、この城に籠った今川氏真を捕えるべく徳川軍が包囲したんですが、当時屈強と言われた家康の兵でも落とせず、最後は調略で開城させていることが由来です。

でも「掛川城は落ちない城!」とか受験生に宣伝したりはしないんですね。まぁ受かる落ちるの前に今川家滅んでますからね。

f:id:wandercspot:20210911121123j:plain

途中にあるフロアでは、掛川の歴史が何パネルにもなって説明されていました。鎌倉時代に始まり、今川氏による遠江制覇・徳川による獲得と武田との争い・そして山内一豊への明渡まで、と相当に細かい内容。体力が尽きていない方向けです。

f:id:wandercspot:20210911121210j:plain

そして最上階でフィニッシュ。この辺は平野部なのか、城より高い建物は無いようで、平べったい景色が続いている印象でした。なので風が入ってきて大変涼しい。階段でどちゃくそ汗まみれになった方は休憩してからお帰りしてどうぞ。

 

おしまい

 

【滞在時間】60分

【混雑度】★★★(客はまわりにちらほら)

【URL】掛川城|静岡県掛川市