青木村歴史文化資料館
長野県の青木村の資料館です。主な展示内容は、百姓一揆。江戸時代の青木村は血気盛んな土地で、大きな一揆を何度も起こしていたそうな。青木の民は戦闘民族。
他には昭和期の懐かし民具グッズ、俳人 栗林一石路の資料があります。
入館料は無料です。
一揆の一覧表。青木村は上田藩に属していました。1622年までは真田家で、そのあと仙石家→松平家。
藩内では250年の間に15回の一揆が起こっている。16年に1回ペース。ちょっと上田藩やらかしすぎじゃないですかね。打ちこわしのほか、集団直訴、村民みんなで大脱走などバリエーションに富んでおり、芸術点が高そうです。
(一揆の様子。ミサイル攻撃を受けたシーンでは無いです)
現在の青木村にあたる地域では5回勃発。
最初は1682年で、与兵衛という村人が庄屋の不正を藩主に直訴。訴えは認められましたが、村人が藩主様に直接訴えるのはルール違反なので斬首刑を言い渡されます。
しかし処刑日の朝になって、藩主が処刑中止を突然命令。使者が大急ぎで向かったところ、まさに与兵衛が処刑の座に着いているところでした。使者は大声で「その処刑、待った!」と叫びますが、処刑役人はこれを「早く斬れ!」と聞き間違い。与兵衛は斬られてしまいました(完)。間違えるにも程がある。
(検地対象になった土地)
次は1721年。村の中で年貢の対象外になっていた土地がありましたが、慣習を破って役人が検地に来ました。検地は年貢増額に繋がるので村人たちは役人にやめてほしいと請願。それでも役人が止めなかったので、逆切れした村人は鎌で役人を切り殺してしまいました。青木って修羅の国なのか?
いつもなら即刻打ち首だと思いますが、役人にも落ち度があったとのことで、村人は追放刑で済みました。
1761年宝暦騒動では、農民1万人が上田城に押し寄せて貧困改善を要求。勢い余った農民たちはついでに、その辺の庄屋や商人の家を打ち壊して、ご機嫌で帰宅されました。ライブ帰りにはしゃぎ倒す客のようである。目と鼻の先で城下町壊されてるので、サムライの威厳もあったもんじゃないですね。
この騒動の後、農民たちは「今後このような騒動はいっさい起こしません」と反省文を書かされております。しかし50年もたたない1809年に、庄屋の不正にキレた農民たちがまた城下に押し出したのであった。反省文あっさり反故にされてしまったなぁ(苦笑)。
1869年の明治維新期にも派手な暴動があり、城下に放火されて200軒以上燃えたそうです。もう西ローマ帝国を滅ぼすくらいの破壊力はあるのではないか?
このように青木村民はすさまじい戦闘力を誇りますので、あなたの回りにこの村の出身者がいたら怒らせないようにするのが無難です(提案)
一揆展示室の次は、懐かしの道具エリアです。だいたい戦後~昭和終わり頃までのもの。村人から廃品回収いっぱい搔き集めてきたものと思われます。
左は手回しでかき氷を作る機具ですが、これもう使われてないんですかね。今のブルジョワ階級は全自動の機械でも買ってるのでしょうか。
右は、私の認識では鍵盤ハーモニカ・ピアニカという名称なのですが、ここでは「メロディオン」と呼ばれている。ググったところ、鈴木楽器製作所の商品がメロディオンで、ヤマハだとピアニカらしい。
さて最後の部屋は、俳人・記者である栗林一石路(くりばやし いっせきろ)の紹介。プロレタリア系の新聞「民報」「青木時報」を発行したり、小林一茶の研究をしていたそうな。詳しいことは分かりません、おわり(勉強不足)
(画像は公式HPより 栗林一石路展示資料室 | 青木村役場)
ところでこの人の俳句の歌碑が村内に幾つかあるのですが、その一つは
「シャツ 雑草に ぶっかけておく」
は?
おしまい
【滞在時間】30分
【混雑度】★(だれもいない)
【URL】青木村歴史文化資料館 | 青木村役場