柳田國男館・日夏耿之介記念館
飯田市美術博物館に併設されている2棟です。まずは柳田國男館から。
説明不要かと思いますが、日本における民俗学を始めた人で、『遠野物語』のカッパは代表作。全国各地を歩き回って文献だけでなく口頭伝承をかき集め、伝説や怪奇話が単なる与太話ではなくて歴史に基づいた寓話だと解き明かしたりしてました。
んで柳田國男の実家は松岡という姓なんですが、元飯田藩士の柳田家の養子になっているので、飯田へは生涯で何度か訪れており、地域の人々と交流があったそうな。
この建物は、東京在住だった柳田が書斎&応接室として作ったものですが、没後になって飯田市に寄贈されたそうです。
メインホールがこちら。ぎっしり詰まった本棚に囲まれています。
柳田はよく客を招いて懇談や研究会を開いていたらしい。そのためこの建物は「民俗学の土俵」とも呼ばれています。
置いてある本は自由に読んでいいそうです。
自由に読んでいいと言われても量が多すぎて選べませんがな。
左側は柳田の著作、右側は「柳田國男について語った本」で纏まっています。語り過ぎだし、語られ過ぎである。
柳田は幼少期からかなりの読書マニアで、自分の家の本ばかりか隣の住人の家にもあがって片っ端から蔵書を読破していたそうな。
森鴎外や田山花袋らと知り合いであり、学生時代は文筆家を志した時期もあったそうですが、結局やめて農商務省の官僚に就職し、その後に学者に転身。
なお学生の時に恋愛問題でかなり悩んでおり、それを唯一うちあけたのが田山花袋なのだが、田山はその話をネタに小説を書いたそうです。これはひどい(笑)。
もう1軒は日夏耿之介(ひなつ こうのすけ)記念館。明治~昭和の詩人・翻訳家。
こちらは飯田の人で、自宅を復元して記念館にしています。
そういえば、柳田國男館もこちらも入館無料です。
詩・随筆・文学研究と幅広くやってたそうですが、名が知れ渡ったのは翻訳業でしょうか。オスカー・ワイルドやエドガー・アラン・ポー(江戸川乱歩の元ネタ)など英米文学を和訳して出版していたので、それを読んだ日本の文学者に影響を与えたようです。
推理モノや怪奇小説が多かったそうで、ホグワーツの先生みたいな服装はそこから来てるんですかね。
展示室の様子。あと和室も数部屋ありますが、どれも小規模なのであまり観覧時間は掛かりません。展示品は書簡や遺品など。
日夏の翻訳書の影響を受けた一人が、なんと三島由紀夫。同じ作品でも翻訳者次第で雰囲気やセリフ言い回しなど変わってくるものですが、三島は日夏の訳文スタイルを参考にしていたそうです。まぁ何を参考にしたら三島由紀夫ができあがるのか、まったく想像もつきませんが。
また日夏の翻訳をもとに、三島が脚本を書いた戯曲『サロメ』を上演したりしました。
(蔵書で自宅を侵食されている日夏さん)
翻訳家なんて言うから結構お金持ってる人生かと思いきや、20代の時に父が経営する銀行が破綻して一家は破産寸前。父は狂死したらしい。どんな死に方なのだ。
厳しい家計の中、母親がなんとか資金を工面して日夏は最初の詩集を出版。文学者としてのスタートを切れました。良いお母さんだなぁ(感涙)
なおこちらが出版記念パーティー会場です。めっちゃ遊んでるじゃないか。一番左、着席しているのが日夏です。
会場には芥川龍之介、北原白秋らも同席しています。さぁ芥川はどこでしょうか。
最後に茶器のコレクションがありました。集めるの好きですねえ。本棚ほどカオスな状態にはならなかったようです。
というわけで郷土の人々を知られる資料館でした。おしまい。
【滞在時間】2つあわせて30分
【混雑度】★(誰も居ない)
【URL】飯田市美術博物館 | IIDA CITY MUSEUM