C級スポット探索日記

C級スポット探索日記

各地の資料館・博物館・珍スポを回り倒すのが趣味です。転勤族(神奈川→埼玉→長野)

松川町資料館

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松川町の資料館です。伊那大島駅から徒歩10分。入館は無料。

長野県には松川”村”もありますが、まったく関係ないです。車でも1~2時間かかる距離じゃないかな。ややこしい。長野県民の各地域間のいがみ合いは異常(と長野育ちの人が言っていた)。

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展示室はこの1室です。松川町郷土史を古代から現代まで時代順に紹介しています。竪穴住居が目に入った瞬間に、そのことがお察しできるでしょう。定番のパターンですね。

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さて伊那谷に人が住みだしたのは3万年前で、東西日本の境界でもあることから、双方の文化の特徴がみられるそうです。土器からその様子が・・分かりません(無能)

紀元3世紀には規模の大きな「クニ」が形成。長野県では千曲川流域(長野市とか)と天竜川流域(伊那とか)で二分でき、それぞれ異なる文化を醸成したそうな。こんな時代から既にいがみ合ってたんか君ら。

 

飯田周辺はちょっとした小国家「イナコク」を形成していたそうですが、天竜川上流を別の国に押さえられているので、それ河川上流を中国に支配されてアウアウしているラオスとかミャンマーじゃないですかね。

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竪穴式住居のジオラマ。よく見ると奥の方に頭蓋骨が保管されている。なんでそんなもん置いとるんじゃ。盃の代わりにでもするのかな?斎藤道三の骨で酒を飲んだ織田信長みたいですねぇ。

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鎌倉時代になると、源氏系の片切氏・大島氏らが伊那を支配しました。戦国時代になると武田信玄が入ってきて、みんなフルボッコにされて武田一色になります。

武田勢は飯田城を中心に、東海地方への攻略拠点としました。その際に古びていた大島城を利用し、複雑な構造にするなど武田流魔改造を施したそうです。

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そんな現在の大島城の写真がこちら!・・単なる山じゃないか。これでもかって位に森が生い茂ってますねぇ。動かざること山のごとしを体で表現しております。火を放ったらオーストラリア並の山火事になりそうなのが弱点です。

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(1582年織田との戦い頃)

信玄存命時は武田の天下だったわけですが没後はボロボロ。1582年に織田の襲撃を受けると、両城の城主はあっさり逃亡。伊那方面の守備は発泡スチロールレベルでありました。

大島城の城主は信玄の弟の武田信廉だったんですけどね、身内がこれでは救いがないね。ってことで数か月後に武田は滅亡します。

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江戸時代になると、このあたりには片桐宿という宿場町ができました。東海~信州をつなぐ伊那街道です。西側に中山道という大街道がありますが、その脇道として利用されたとさ。

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幕末の松川町の話。尊王攘夷をしたくて仕方ない水戸藩浪士たちが、朝廷で勤務する徳川慶喜のところへ請願にいこうと信州を通った際、諏訪高遠藩や松本藩と戦闘になりました。まぁ請願と言いつつ、水戸浪士は大砲ひきずってたそうですが。

その連中が伊那街道を南下し、この片桐宿に泊まることに。それを知った飯田藩が攻撃しようとしました。宿場の人たちとしては凄まじい迷惑である。村の代表者が飯田藩へ歎願し、なんとか戦闘は避けられたようです。人の庭で戦争してはいけない(戒め)。

 

あ、幕末の話はこれだけです。

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あとは近現代ネタですね。地域住民の足として現在のJR飯田線が全通したのは1937年。天竜川の崖沿いを走るせいでやたら線路がクネクネしているのと、駅数がアホ程あるので遅々として進まず、辰野~豊橋間で6時間かかります。リニア開発しているのと同じ企業がやっているとは思えないぜ・・

中央自動車道の松川ICが出来たのは1975年ですが、そりゃみんな車つかいますわな。

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そして松川町は「くだものの町」。大正時代から始まったフルーツ栽培が現在も続き、村の主幹産業になっています。特に梨とリンゴが多く、ワイン・シードル特区とやらに認定されているので、よくわかんないけどシードル飲みたい(小並)

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あとは昔の民具とか農具が大量に並んでいます。まぁこれはいいや。おしまい。

 

【滞在時間】30分

【混雑度】★(だれもいない)

【URL】資料館/松川町