信濃国分寺資料館
聖武天皇によって全国にどさどさ建てられた国分寺は、信濃国では上田に出来ました。真田家vs徳川家の第二次上田城の戦いで舞台の一つになったり、蘇民将来符の配布イベントが有名だったりします。
アクセス・入館料
アクセス
バスだと「八日堂入口」停留所がすぐ目の前で、上田駅から約15分。武石線・鹿教湯線・佐久上田線など路線系統は複数ありますが、どれも1~2時間に1本だからタイミングが合えば良いですね程度。時刻表は↓から
駐車場
10台くらい停められそうな駐車場があります。
入館料
250円です。
展示1 信濃国分寺について
741年に聖武天皇が大号令をかけた以降に作られました。「各国で最も良い場所に建てよ」と注文が付いており、信濃国では上田が選ばれたのです。これに怒りを覚えた松本市民は暴動を起こしたとか(適当)
(信濃国分寺の模型。空間の有効利用と言う概念はまだありません)
昭和になって遺跡調査を行ったところ、おおよそ170m四方の敷地だそうです。新国立競技場(350m×260m)よりは小さくしているので、「税金の無駄遣い」「ザハ・ハディドを大宰府送りにしろ」などの声は上がらなかったようです。
まぁこの国分寺、200年後には無くなっちゃったんですけどね。
平将門の乱を描いた『将門記』という古文書によると、938年に戦場となった影響で焼かれてしまったらしい(諸説あり)
近隣にある平安時代末期の集落跡で、国分寺の瓦が竃に使われているのが発掘されております。凋落はなはだしい。涙が出ますね。
(今の信濃国分寺。画像は 信濃国分寺 - Wikipedia より)
では現在ある国分寺は何なのかというと、鎌倉時代頃に再建されたものです。場所も徒歩5分ほど離れた場所にあります。
源頼朝が貢献したという話だが、本当だろうか。なお境内にある三重塔は頼朝による発願と伝えられていましたが、様式が室町時代ということが分かり、夢が1つ無くなってしまいました。
ただこの寺のイベントで有名なものがあります。毎年1月に行われる蘇民将来符の配布です。除災や豊穣を願って家に飾るもので全国的に見られるのですが、ここでは蘇民講に加入している近隣住民が手作りしているのだ。3Dプリンターじゃないですよ!
蘇民将来符は全国で形がばらばらで、板とか紙とか柱状とか色々あるんですね。
上田のコケシ型はそれらと一線を画している独特な形状です。注目を浴びたがおかげで作るのが大変になった?まぁ慣れれば大丈夫じゃない(雑)
展示2 土器とか塔
国分寺ネタに全振りしているのかと思いきや、上田市内の郷土資料も飾っております。
これは土偶です。女性要素が普通あるはずなんですが一切見当たらず、ハッスルしております。おじさんなのかおばさんなのか見た目で分からない人たまにいますが、縄文人はそこからインスピレーションを受けたのかもしれない。
国分寺の時代(奈良~平安)頃の一般住居の模様です。国分寺の広大なスペースとは対照的ですねえ。照明が陰って悲壮感が増している。
「厳しい暮らしをしていたからこそ人々は宗教に救いを求めた」という意味なのかと一瞬思いましたが、平安時代に焼け落ちた国分寺の復活が鎌倉時代まで行われなかったことを考えると、むしろ「家計が厳しいのに寺建てて遊んでた」聖武天皇への無言の皮肉なのかもしれません(迫真)
最後に、大きな塔の模型がありました。国分寺にある三重塔かと思ったら、全然別の寺のものだった。展示には一貫性を持たせてください(提案)
別所温泉の安楽寺にある八角三重塔の模型だそうで、形式が珍しいため実物は国宝とされています。あれ、もしや国分寺よりそっちのほうが重要度が上、、?
おしまい
【滞在時間】30分
【混雑度】★(誰もいない)
【URL】信濃国分寺資料館