御料館(旧帝室林野局木曽支局庁舎)
名前が長い。林野庁の旧施設です。
木曽福島駅から徒歩20分ちょっと。
木曽の山林は江戸時代には尾張藩により管理されて「盗伐は即死刑」という厳重な管理がされており、明治時代には皇室の管理下に入った。
現場管理していた役所が、帝室林野局木曽支局といい、その庁舎として使われてましたとさ。
入り口。入場料は無料です。
最初に建てられたのは1903年だったのだが1927年に町の大半が焼け落ちる大火事が起こり、この庁舎もやられてしまったので、同年に速攻で復元して今の建物となっている。
戦後も林野庁に引き継がれて使用されていたが、2004年に要らなくなってポイするところ、2010年になってから木曽町が買い取った。
「町さんサイドは文化財価値が無いと考えてぶっ壊そうとした」のだが、住民が保存要求を出したので残すことにしたんだとさ。木曽町の容赦なさに笑ってしまった。wikiと市民タイムスの記事に載ってます。
1Fは公民館的な役割をしているのでそれはスルーするが、応接間には若干の展示品があるので入ります。
ソファと机はそんなに古くなく、歴史的な価値は無さそうですので普通に座って休みましょう。
バイオリンが展示されているのは、木曽に「鈴木バイオリン」という製造会社があったからだ。
1960年頃にはバイオリン全国生産高の4割を占め、日本トップクラスの銘柄として一世を風靡した。木曽はバイオリンの町だったのだ、意外。「音楽の街 川崎」並みに違和感がある。木材いっぱいあるからな。1985年に倒産。
ちなみに「鈴木バイオリン製造」という企業が名古屋にもあるのだが、これは木曽の鈴木と創業者が親族関係にあり、今日でも国産バイオリンの王として君臨している。
置かれている像は陳昌鉉(ちんしょうげん)さん。世界的なバイオリン製造者で、木曽に20代のとき4年間滞在し、バイオリン作りを習得した。1950年代後半のこと。
鈴木バイオリンで学んだのかと流れ的には思うのだが、そうではなくて、むしろ同社は民族差別により陳さんの入社を拒絶。やむなく木曽福島駅の待合室に飾られていたバイオリンを眺めまくり、見よう見まねで自作してたら製造技術を覚えてしまった。出来るのかそんなこと。
そのあと陳さんは上京して工房を開き、アメリカのコンテストで大勝利するなど名匠としての地位を確立した。これは鈴木バイオリン、やらかしましたね。
陳さんのミラクル話は『海峡を渡るバイオリン』という本になり、ドラマにもなりました。主演はチョナンカン。
木曽を恨んでもやむなしの陳さんだが、そんなことはなく町の文化事業を支援して名誉町民にもなっている。良い人だなぁ。
1Fには「木工振興支援室」という部屋があって何かと思ったら、子供の遊び場だった。木のオモチャで遊ぶことで木材に親しみを持ってね、という意図であろう。つい最近、東京おもちゃ美術館で同じのを見た。
2Fに上がりました。ここは支局長の部屋。
めちゃめちゃ広いが何も置いてなくてガラ~ンとしている。オモチャで埋めとけばいいんじゃないかな。
なお建築は宮内省内匠寮という先鋭的な皇室専属設計集団が担当し、ハイカラなアールデコ様式が施されている。なので建築様式好きには良い材料で、それも取り壊しを免れた理由の1つであろう。私は建築わからないので語れないが。
1905年、庁舎の前で撮られた集合写真だ。火事で亡くなる前の初代の建物ですね。
集合している人が多すぎて配給待ちの行列みたいになっており、後ろの方なんて誰だか分からないくらい米粒である。
支局長の机の上に求人要綱が載っていた。募集人数は男500人程度に対して女性21名。なんつーむさい職場だ。まぁ現場仕事だし、当時はそんなもんか。
なお休日は月に2日間+四半期に1日(って意味?)しかない模様。
これを見ればブラック企業で勤務されている方も元気が出るのではないでしょうか(白目)
別の展示室では、木曽谷の大規模な模型があります。
1881年第二回内国勧業博覧会で出展された物。ぜんぶ木曽のヒノキで作られた、実はかなりの高級品。
都会の人々にたいして「あんたらが使っている木材はどこから来ているのか分からせてやろう」という意図だと思われる。どこからって、まぁ田舎からだが(直球)
田舎なのでカモシカもいます。ここは標本ゾーンですね。
ということはこういうものもあるのだ。
必ず置かれてるよなぁ、なんでですかね。
おしまい
【交通手段】木曽福島駅から徒歩20分
【入館料】無料
【滞在時間】40分
【混雑度】★★(他に2~3人)
【URL】